第26話 アステリアの魔法使いたち
廊下の端にある部屋の扉をくぐると、そこはもうジャスティンの中心部にある停車場だった。
ここも風が強い。今にも雨の降り出しそうな分厚い雲のたれこめる空が広がり、夏だというのに少し肌寒い。人々は、薄手のコートの襟を立てて足早に行過ぎている。
後ろから押しのけるように人が出て行く。振り返ると、そこは切符売り場の入り口だった。
「そういや、この町は前来た時はほとんど素通りだったな」
隣から、レヴィの声がした。「あのアガートってやつに嗅ぎ付けられて逃げ回ってたせいで、街中をほとんど見た覚えがない。で、どっちだ?」
「こっちだよ」
ロードは、記憶を頼りに広場から一本通りを入ったところにある真っ白な建物を探した。金文字で「王立魔道研究院」と書かれている。間違いない。
けれど今回は、すんなりとは中に入れなかった。入り口に見張りの兵士が立っていたのだ。
「待て。お前たちは何だ? この先は、関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「あ…えっと。」
「呼ばれてるの、シャロットに」
とっさに機転を利かせたフィオが言う。「リボンつけて目立つ人、知ってるでしょ? 呼んでくれれば分かるから」
「シャロット主任? しかし、今は…」
兵士が眉をひそめる。
「お前たち、本当に関係者なのか? 制服はどうした」
「無いわよ。しょうがないでしょう。ずっと任務で離れてたんだから」
フィオは憤懣やるかたなしといった様子で腰に手を当てる。
「そうは言うが、証明してもらわないと…」
「何? あたしたちが不審人物だとでもいうワケ? 急いでんの! 心配なら付いてくればいいでしょ。通さないと、あんたのヒゲ焼いちゃうわよ」
言いながら、彼女は本当に片手の上に炎を生み出した。途端に兵士の顔が真っ青になる。
「あ、いや…そ、それは。その…」
その隙に、フィオはぐいとロードの腕を引っ張って歩き出す。振り返ると、レヴィはついてくるつもりはないらしく、階段の下でひらひらと手を振ってこちらに背を向けた。積極的に干渉しない、…というよりは、干渉してはいけないと考えているようだった。確かに、説明に窮する身分のレヴィは、シャロットたちには会わせないほうがいいかもしれなかった。
フィオの強引な嘘に助けられて潜入した建物の中は、以前とはずいぶん雰囲気が違っていた。真っ白な玄関ホールはがらんとして、妙に緊張感が漂っている。白いローブの魔法使いたちがきびきびと歩き回っているのは同じだが、立ち止まって雑談している者も、笑顔を浮かべている者もいない。
「あの」
通り過ぎようとした一人に声をかける。「シャロットさんは何処に」
「ああ、君たち、確か前に主任の手伝いをしてた?」
良かった、覚えてくれていた。ほっとして、ロードは言葉を続ける。
「急ぎの用なんです。ここにいますか」
「いるのはいるけど、重要作戦会議中で…。あーっと、もしかしてその件? 国境の」
「そうです。スウェン…さんも居たりするんですか」
内容など分からないが、今は何とかしてシャロットに会いたい。
「会議室にね。二階上がってすぐの大きい扉だよ」
「ありがとう」
騙しているようで気が引けたが、ここまできたら、あとはどうにでもなれだ。階段を上がったところにある大きな両開きの扉を、ロードは、力をこめて押し開いた。
中に一歩入ったとたん、テーブルを囲んで着席していた人々の視線がいっせいに注がれる。一階の応接室とは全く違う雰囲気に、一瞬身体が硬直する。白ローブをまとった魔法使いだけでなく、軍人、役人らしい人物。いずれも、何やらしかつめらしいオーラを放つ、いかにも偉そうな人々が部屋の中にひしめきあっている。その一番奥に、スウェンとシャロットがいた。
「何だ、お前は」
扉の影にいた兵士が、不審げな顔つきで近づいてくる。兵士がロードの肩に手をかけようとした時、シャロットが腰を浮かせた。
「待って。その子は…」
「何故、君がここにいる」
スウェンが口を開くと同時に、兵士が一歩下がった。残る人々も、ロードに不審げな視線を向けつつも黙っている。この場ではスウェンの発言権が一番強いのだ、とロードは気づいた。そして今更のように、この若い男は一体どういう地位なのだろうと思い始めた。
「聞きたいことがあって来ました。ノルデンと戦争をするって、本当なんですか。原因は?」
「そんなことを聞きに来たのか?」
スウェンは、少し失望したような声になった。「今、その会議中だが。民間人の君たちには関係ない話のはずだ」
「本当、…なんですね」
ロードは軽く衝撃を受けた。代わりにフィオが口を開く。
「今そんなことやってる場合じゃないでしょ。<影憑き>のほうはどうしたのよ。このへんのは、まだ退治されてないはずじゃないの? 町を守らなくていいの」
「無論、こちらとしても、無駄な争いなどしたくない。だが、仕掛けられる以上は受けねばならん。<影憑き>の発生が我々の仕組んだことだなどと言われなき批判を浮けて――」
「何で?! <影憑き>を生み出してるのは、あのハルガートって奴じゃない! シャロットだって見てたよね?」
ぴくりと、スウェンの表情が動いた。隣にいたシャロットが、額のリボンを揺らしながら慌てている。
「あーえっと。すいません、すいません。ちょーっと話が混乱して…べ、別室で話を聞くわ~。いいですよね、スウェンさん?」
「ああ。私も行こう」
白いローブを纏った男が立ち上がると、耳に付けた特徴的な飾りが揺れる。会議室内に小さなざわめきが起きた。シャロットは、大急ぎでロードとフィオの腕を掴んで会議室の奥の小部屋に引っ張り込む。
「ちょっと、ちょっと。あなたたち、急にいなくなったかと思ったら、また急に表れて―― 一体どういうことなの~?」
「すいません。でも、どうしても気になって。ノルデンで兵が集まっているのを見たので…」
ドアを閉めようとしていたシャロットが、怪訝そうに振り返る。
「あなたたち、ノルデン側から戻ってきたの? どうやって。国境は今、どこも封鎖されているはずよ?」
「え、…えっと」
「シャロット。」
先に立って部屋に入っていたスウェンが、なだめるように言って奥から手招きする。そこは窓のない小さな控え室で、密談にはもってこいという雰囲気の場所だった。
「今言う話ではないかもしれないが、農場での件の顛末はシャロットから報告を受けた。協力には感謝する。ただ、出来れば、君たちが我々に協力しつづけてくれればいいと思っていたのだが」
「…やっぱり、そのつもりで配達を頼んだんですね」
「否定はしない。君たちの稀有な力は惜しかった。何しろ今は<影憑き>の前代未聞の大量発生に、ノルデンの連中からわけのわからない要求まで来ているからな」
「それです。一体どうして、そんなことになったんですか? ノルデン側は…」
言いかけて、ロードは言葉を切った。レヴィはここにはいない。いない間に勝手に彼の名前を出すわけにはいない。
「…ノルデンは何の根拠で、アステリアが<影憑き>を生み出してるなんて言うんですか」
「先日の農場での監視実験と、ノルデンで起きた<影憑き>の大量発生に因果関係があると言い張るのだ。こちらとしてもいい迷惑だが、残念ながら話し合いは決裂した。」
「そう、潔白を証明しろと言われてもどうにもならないもの~。でもあなたたち、何か知ってるのね?」
シャロットは、すがるような目で二人を見比べる。
「あの時、シャロットさんも戦った二人組みです。彼らが<影憑き>を生み出していました。おれたちは、そいつらを追ってノルデンまで行ってきたんです。」
「じゃ、あいつらノルデンの?」
「いえ。ノルデン側も被害を受けてます。フューレンとシュルテンで戦いました。片方は倒したんですが――」
腕を組んで聞いていたスウェンの表情が動いた。
「先日フューレン要塞が被害を受けた話は聞いている。今までにないタイプの<影憑き>が出たという話も。…君たちも、そこに居たのか」
「ええ。もしかしたら、その時に姿を見られたのが誤解の原因なのかな…」
「だとしたら迷惑な話だ。」
僅かな沈黙の後、スウェンが再び口を開いた。
「君たちはさっき、二人組みの片方は倒した、と言ったな」
「はい。これからもう片方も追いかけます。詳しくは言えませんが、アテがあるんです。だから」
「任せていいの?」
シャロットは不安げだ。
「だとしても、ノルデン側の誤解を解くことは出来ないだろうな」腕組みしたまま、スウェンは小さく呟いた。「ノルデンのマルティス将軍は根っからの武闘派で、こちらに責はないと分かっていて仕掛けてしているような節もある」
「どういうことですか」
「<影憑き>を倒すことは、剣士には難しいからだよ。魔法使いに比べて軽んじられていると感じる兵士の不満は、わが国でもある。それに将軍は、新興国のアステリアを何かと目の仇にしてくる御仁だ」
「何それ。意味わかんない」
フィオは相変わらずバッサリしたものだ。「そんなんで戦争なんて起こされちゃ困るわよ。そのマルなんとか将軍に一言、がつんと言いに行きましょうよ」
「いや… さすがにそれはムリじゃないか。行くのはともかく、どうやって会って貰うんだよ」
「でもー」
「そこまでは君たちにやってもらう必要はない。交渉事は、我々の仕事だ」
組んでいた腕を解いて、スウェンは片手を上げた。シャロットがちょっと肩をすくめてドアに近づいていく。会談の時間は終わりというわけだ。
「送っていくわ。一緒に行きましょう」
シャロットが言って、二人を手招きした。スウェンはその間に、元の席に腰を落ち着けている。
入り口のホールまでたどり着いたところで足を止めると、彼女は、振り返って腰に両手を当てた。
「正直、このまま行かせたくはないの。ウチの研究院にスカウトしたいのもあるし、あなたたち無茶しそうな気がするし」
「前半はパス。後半は当たりだけど、でも止めても行くわ」
「…って言うと思って。はぁ」
溜息をつきながら入り口の扉を押し開く。脇に立っていた兵士が、シャロットの姿を見て慌てて敬礼のポーズを取る。フィオがそちらに向かって小さく舌を出すのを見て、ロードは苦笑する。
「行ってらっしゃい~。無事で帰ってくるのよ。」
「はい」
「ありがとう! またね」
階段の上から、シャロットの声が響く。
「フィオちゃん! 帰ってきたら、今度はおリボン結ばせてねぇぇ」
「あ、あはは」
通りに降りたとたん、突き倒されそうな強風が押し寄せてきた。足元を新聞紙がもみくしゃになりながら通り過ぎていく。さっきよりも気温が下がったような感じがするのは、気のせいだろうか。風を避けるように通りの端で壁にもたれていたレヴィが体を起こす。
「終わったのか。意外と早かったな」
「ああ。…どうした?」
ロードは、レヴィが浮かない顔をしているのに気づいた。
「今朝からやけに胸騒ぎがしてさ。胸のこの辺りが…」
そう言って押さえているのは、呪文の青白い輝きが明滅しているあたりだ。
「直接繋がってるわけじゃないからはっきり分からないが、他の二つの”創世の呪文”のどっちかに問題が起きてる気がする。――こんなのは初めてだ。…で? そっちは、どうだったんだ」
「え? あ、うん。噂は本当だったよ」
そう言って、彼は聞いた話をかいつまんで説明した。と、それまで興味無さそうにしていたレヴィの表情が変わっていく。
「<影憑き>を生み出してるのがアステリアの連中だって言い張ってるのか? 頭おかしいんじゃないのか、ノルデンの連中」
「だよね」
フィオが同調する。
「そもそも<影憑き>は、人が人為的に作れるようなもんじゃないぞ。いくらアステリアの<王立>の連中が変わった実験好きだからってそんなもん」
「そりゃレヴィは、あれが何なのか詳しく知ってるからだろ。何も知らない人たちからすると、どこから来るのかも分からなくて不安なんだよ。」
「ったく」
彼は頭に手をやり、髪をくしゃくしゃとかき回す。「…しょうがない。フューレンの様子も見に行ってみるか」
「フューレン?」
「ノルデン軍の居るところ。どっちか片方の言い分だけ聞いてちゃ、状況は判断できないだろ。ケンカは、当事者両方の話を聞いたほうがいい」
干渉はしないと言ったはずなのに、レヴィもいつの間にか足を突っ込み始めている。吹きすさぶ風の中、三人の姿は、通りの雑貨屋の扉の向こうに消えた。
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