第13話 北へ向かう者たち

 鴉の言ったとおり、道はかなり急で最後はほとんど崖になっていたが、町の正面に繋がっていた。急な斜面を一気に降りたおかげで予定よりも大幅に早く着いたのは良かったが、途中で転んだり滑ったりしたせいで、二人とも泥だらけだ。

 「まずは服を洗濯したほうがよさそうだな。」

 「…そうね」

フィオは髪にからまったつる草を取りたくて仕方がないようだった。まだ朝も早い時間だが、急いで次の町まで行くこともない。

 「どうする? あの子の言ったとおり、町の中心部に宿探す?」

 「だな。少なくとも、おれたちを騙すつもりはなさそうだったし」

街灯の並ぶ大通り沿いには観光地らしく土産物屋が並び、観光地図の看板が立てられている。少しばかり平素と違うように見えるのは、乗合馬車の駅の入り口に兵士が立ち、そばに「アステリア方面への馬車出ません」と書かれた看板が立てられていることくらいか。街道の通行止めはまだ続いているらしい。

 「この先は大丈夫なのかしらね」

 「だといいけどな。」

ここからの道についてはあとで調べに来ることにして、ロードは、停車場に近い路地を少し入ったところにある、ガチョウの看板を掲げた小さな宿に部屋を取ることにした。あれほど轟々と聞こえていた滝の音も、町の中心部に近い路地裏までは聞こえて来ない。

 着替えを終えて少し休憩した後、二人は連れ立って町に出た。流れ落ちる滝の見える展望台は大人気で、観光客で一杯だ。街道が封鎖されてアステリアとの行き来が出来なくなっても、大した問題ではないらしかった。

 通りを歩いていたとき、ふいにフィオが声を上げてゆく手を指差した。

 「あ、あそこじゃない? 緑の屋根の…って」

見れば、確かに緑の屋根の店がある。鴉の少年が言っていた"オススメの店"とやらだ。

 「よく覚えてたな」

 「だって、気になるじゃない! 美味しいケーキ」

軒先には、いかにも女の子たちの気を引きそうな色とりどりに飾り立てられたホールケーキが並べられている。中でもフィオは、真っ赤なソースを載せたケーキに釘付けだった。

 「…入っていくか?」

 「いいの?!」

 「まあ、時間はあるし…。たまには」

ずっと馬車に揺られながらの旅なのだ。たまには息抜きも必要だ。

 入ってみると、お茶の時間には早いせいか、店内はあまり混雑していなかった。店が崖に突き出すように作られているお陰で、窓際の席からは滝がよく見える。

 「へえ、いい眺めじゃ――」

言いかけたとき、近くの席に一人で座っていた少年が顔を上げ、目が合った。

 「あ」

 「お、無事に着いたみたいだな」

スーツに似た黒い上着に、黒いベスト。鴉だったときと同じく、襟首に見えているシャツだけが白い。ロードは、じっと相手を見下ろした。やっぱりそうだ。胸の辺りに見えている輝きは、魔石に似ているが、それとは明らかに違う。鴉の姿の時、何も持っていなかったことは知っている。だとすると、これは一体何なのだろう?

 「ここの店のオススメは、このカラの実ソースのチーズケーキだな。絶妙な味付けだぜ。ま、お茶はアステリアのほうが美味いんだけど。」

ロードの視線に気づかないのか、あるいは気づかないふりをしているのか、少年は、優雅にティーカップを傾けた。テーブルには、食べかけの赤いソースのケーキの載った皿が置かれている。

 「…聞きたいことがある」

 「まあ座れよ。お茶でもしながらぼちぼちやろうぜ」

その妙に大人びた態度に少しむっとしたが、ロードは、言葉を飲み込んで向かいの席に腰を下ろした。フィオはさっそくメニューを開いて何を頼むか考え込んでいる。

 「まず名前」

 「あー、名乗ってなかったっけ。悪い悪い。ぼくはレヴィだ。そっちの名前は、もう知ってるよ」

 「何で鴉の格好なんてしてたんだ? おれたちを騙すつもりだったのか」

 「そんなわけないだろー? 傷つくなぁ」

大げさに哀しみのジェスチャーをとったのも束の間、すぐに元の達観した表情に戻る。「まあなんだ。こっちにも事情があったんだよ」

 「…事情って」

 「そう何でもは答えられないよ」

突っ込もうとしたとき、隣でフィオの声が上がった。

 「おねーさーん、注文お願いしまーす!」

調子を乱されたロードは、がくりと首を垂れた。

 「ロードも同じでいい?」

 「…何でもいい」

溜息をついて、彼は頬杖をつきながら窓の外に視線をやった。レヴィがニヤニヤ笑っている。

 「じゃ同じの二つで! ねえレヴィ、あの魔法すごくない? 変身の魔法なんて見たことないよ。どうやるの?」

 「あんま難しくはないぜ。慣れみたいなもんかな、コツは秘伝。」

 「レヴィは魔法使いなんだよね。この町に住んでるの?」

黙ってしまったロードの代わりに、フィオが話を進めていく。フィオのほうがよっぽど巧く聞き出せているな、と、ロードは思った。

 「いや、もうちょっと先のほうだけど。この辺もたまに来るんだ。飛べばすぐだから」

 「そっか、鳥なら移動早いよね。いいなー、空飛ぶ魔法覚えたかったんだけど、なかなか巧くいかなくて…。」

レヴィは、笑いながら足を組みなおす。

 「向き不向きがあるんだよ。フィオが今使ってるのは燃焼の魔法だろ? たぶん、物質に働きかけて活発化させるような術が向いてる。意外と治癒の魔法なんて覚えやすいんじゃないか? いちいち薬草を持ち歩かなくても済むようになるぜ」

 「そう? …って。レヴィ、あたしより年下じゃない? なんか先輩みたいな言い方」

 「んーまあ、実を言うと、ぼくは… おっ」

ふいに声を上げて店の入り口のほうを見る。釣られて、ロードたちもそちらを振り返った。丁度、二人の男が店の前で足を止めたところだった。こんな店には不釣合いな真っ黒な揃いのローブを身につけている。フードまできちんと被り、顔を半分隠している。腰の辺りに緋色の帯が垂れているのが見えた。

 「あれは、ノルデンの<王室付き魔法院>の連中だな」

レヴィが声を潜めて言う。「多分、これから街道封鎖の援軍に向かうんだろう」

 眺めていると、男たちは立ち話をしただけで、すぐに店の前を通り過ぎていく。若者が多かったアステリアの魔法使いと違って、どちらもがっちりした体格の壮年の男だった。

 「お前も似たような格好だけど、関係者なのか」

試しにかまをかけてみるが、あっさりとかわされる。

 「ぼくが? まさか。ていうか、全然似てないだろ。」

 「じゃあ、何で魔法が使える? それと、おれの眼のことを何で知ってた? 急所を狙え、って、あの時話しかけてきたのは、お前なんだろ」

 「ああ。あれは、何となくだ」

 「……何となく?」

 「そう、何となくだ。<影>が見えるんなら、多分見えるだろうなって。帰納的推測だよ。」

お茶継ぎ足し、カップを手に取る。「ぼくも聞きたいんだが、その眼、どっから持ってきたんだ。」

 「どっからって…生まれつきだし」

 「お待たせしましたー、ケーキセットおふたつですね」

 「わーい!」

 「……。」

フィオにペースを乱されながらも、ロードは、レヴィから視線だけは外さなかった。ここで再会したのは偶然などではあり得ないという直感が、彼にはあった。

 「これ、ケーキの上に乗ってるのって山に沢山なってた木の実ね! 甘酸っぱくて美味しい」

 「だろ」

笑ってカップを置くと、ふいに、レヴィは真面目な表情になってロードのほうを見た。

 「お前たち、この先、北のほうまで行くつもりなのか?」

 「ああ」

 「ふうん。首都まで? それともロスワイルあたりの観光地か」

 「……まだ、決めていない。"風の賢者"についての情報を探すつもりだ。」

それはレヴィも知っていたはずだ、とロードは思った。鴉の姿だった頃、そうとは気づかずに何度も目の前でフィオと話し合っていたからだ。それを今、敢えて尋ねたのは、目的が変わっていないか確かめるつもりなのか。

 レヴィは、小さくため息をついた。

 「正直お勧めはしないな。」

 「何か知ってるような言い方だな。」

 「まあね。ただ、あそこは翼でもなきゃ辿りつけない場所だ。それに、今は途中に<影憑き>が山ほど湧いてるはずだ。今のお前たちに越えられるとは思えない」

ぴたりとフィオのフォークを持つ手が止まった。

 「行ったこと、あるの?」

レヴィはそれには答えずに、席を立ちながら言った。

 「賢者の住処はオーデンセの山だ。青い森を抜けてシグナスフォートへ向かえ。ただ、もし本当にそこを目指すのなら、命の保障はない。」

 「おい待てよ! お前、一体…」

追いかけて立ち上がりかけたロードの眼を、黒い瞳が、じっと見つめ返してくる。

 「奴らは必ずまた現れる。次も見逃してくれるとは限らないぞ。―――その覚悟はあるのか?」

それは、ただの生意気な少年の眼差しではなかった。

 気がつくとレヴィの姿は消え、テーブルの上には勘定のコインが置かれていた。ロードは、黙って椅子に腰を下ろした。


 何も言い返せなかった。


 言われるまでもなく覚悟はして出てきたつもりだったのに、レヴィの眸は、そんな浅い覚悟などあっさり打ち砕くかのような色を帯びていた。

 「…結局、あの子、何者だったんだろうね」

 「さあな。でも、嘘は言ってない感じだった」

少なくとも、向かうべき場所は教えてくれたのだ。"奴らは必ずまた現れる"。それがあの<影>の二人組みのことなら、奴らの目的地もまた、"風の賢者"の元なのだろうか。




 レヴィの言っていた場所は、すぐに見つかった。地図の中で白く色のつけられた山脈の中央部分、ノルデンで最も高い山のことだ。

 「青い森…青い森、っと。これかな? 街道からちょっと入ったとこだね。おっきな森だ」

 「シグナスフォートってのがどこだか分からないな。地図には載ってないような小さい町とか、辺鄙な場所の地名なのか」

手に入れた地図を前に、二人は停車場でああだこうだと話し合っていた。アステリアへ戻る街道はまだ封鎖されたままだが、セオール砦から北への道は今のところ何処も封鎖はされていないという。

 「一気に行くには遠すぎるな。街道から外れないといけないし…一端、ここまで行ってみるか。」

そう言ってロードが指差したのは、ノルデン王国の中央よりやや西よりにある、街道の交わる町だ。今いる場所からはそう遠くない。

 「今更だけどフィオ、レヴィの言った"覚悟"は…」

 「出来てる。」

少女は、地図から眼を上げた。「お母様の手がかりを探すの。それまでは絶対、帰れない」

 「…分かった。」

地図を畳み、荷物を担ぐ。

 「行こうか。切符買いに」

自分のそれは、覚悟なんて大それたものではないのかもしれない、とロードは思った。ただ、後悔はしたくないだけだ。あの夜のように。たとえ自分が無事でも、そのあとずっと後悔し続けるのなら、…


 ――無茶でも何でも、飛び込んでいくほうがマシだ。


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