第10話『絆創膏の理由』

 茉莉花と露樹がいる児童公園はそこまで広さはないが街の憩いの場になっている。中にはパーゴラがあるが、その下にはベンチもある。公園の周囲は子供の膝くらいの高さまで積まれた石製の花壇ブロックで囲われており、背の低い植木がそれに沿うように植えられている。

 公園内で待っていても良かったが、夜の公園のベンチに大人と子供が座っている光景もちょっと浮いているような気がしたし、やってくるだろう茉莉花の保護者がすぐに見つけられないかもしれないからということで二人は公園の入口の横の花壇ブロックに座って待つこととした。

 露樹としては、さっき見知らぬ男に掴みかかられた女児が警察官ではあるが見知らぬ大人であることに変わらない露樹と、人通りのない公園内に二人でいることに不安を感じさせたくなくてまだ人通りがある道路に面したこの入口近くで待つことにしたのだ。


「足は痛くない?」

 露樹が問うと茉莉花は「いたくない」とすぐに答えた。さっきまでか細く小さな声だったが、今は少し声量が増している。もしかしたら露樹に慣れてきてくれたのかもしれないと少し安心する。

「その膝、さっきの人にされたの?」

 一応確認しておかなくてはならない。もしそうなら、小児傷害でこの辺りの地域全体に警戒してもらうよう呼びかけなければならない。……いや、既に見知らぬ女児にあんな詰め寄り方をしていたのだ。警戒レベルだろう。

 しかしながら茉莉花の返答は露樹の予想とは違うものだった。

「これはわたしがころんだの。さっきの人はそのあとから来たわ」

「そっか」

「なんだか、あの人。わたしをだれかとまちがってたみたい」

 だれだったんだろ。

 そう呟く茉莉花の声に、露樹も茉莉花に掴みかかっていた男を思い出す。

 何処か必死な形相で茉莉花に迫っていた。あの表情が妙に印象に残った。

 露樹は逃げ去った男のことを思い出していると、茉莉花がじっと露樹を見上げてることに気が付く。


「どうしたの?」

 露樹が訊くと、茉莉花は自分の膝に貼り付けている絆創膏を指差して露樹を見る。

「おまわりさんはどうしてこんなにカワイイばんそうこう持ってたの? カワイイの好きなの?」

 そう問われて露樹は内心、確かに、と思いながら恥ずかしそうにする。

「うーんと、妹がいるんだけど」

 露樹は話しながら少し歳の離れた妹のことを思い出す。

「妹が可愛すぎて子供の時何処に行くのも一緒が良くて連れ回してた事が沢山合って……、それであんまり連れ回すものだから妹がすぐに転けちゃって。だから妹がいつ転んでも大丈夫なように絆創膏を持ち歩くようになったんだ」

 そこは転ばせないように注意するという発想にならなかったのが子供っぽいと今更ながら露樹は思う。何故か当時は絆創膏があるからいくら転けても大丈夫と思っていた。

 あれからカバンにはいつでも絆創膏が入っている。

 小さかった妹も今では立派に社会人だ。

 こんな可愛らしい柄の絆創膏をつける歳ではないとわかっているのに、ついつい一般的な絆創膏ではなくこういうのを選んでしまう。

 とはいえ、職場でも絆創膏は重宝されるし、そこそこ体格の良い同僚の男性がこんな可愛らしい絆創膏をしているのを見て揶揄いたくなるのもあるのだ。悪ふざけの一種だ。

 でも話しながらふと考える。

 最後に妹に絆創膏を渡したのはいつだったか。


 あれは彼女が高校一年の……。


 そんなことを考えていると、隣りに座っていた茉莉花が花壇ブロックから腰をあげて「あすかくん」と呟く声を聞いて露樹は顔を上げた。

 するとシャツとズボン姿の男性が、袖を捲くり上げて髪もぼざぼざになりながら二人の方へ走ってきた。

 きっと此処までずっと走ってきたのだろう。

 露樹の職業柄、両親と暮らしていない子供が住んでいる家の家人たちと良好な関係が築けずトラブルになるという話ばかり聞いてしまうものだから、茉莉花の家は大丈夫なのかと心配していたが、必死に走ってきた保護者の様子に露樹は安心する。

 その証拠に、茉莉花はやってきた保護者が完全に到着する前に彼に駆け寄って行き抱きついた。

 まるで父と娘のようだ。

 露樹はそんなことを思いながら、茉莉花とやってきた保護者に近づく。彼も露樹を見て、電話をくれた警察官であることを察して深々と頭を下げた。


「保護者の大黒です。この度は大変ご迷惑をおかけしました」

「いえ、大丈夫ですよ」

 露樹は大黒に会釈を返す。

 その時、茉莉花に掴みかかっていた男のことを話すべきか悩む。

 茉莉花はあの男が自分を誰かと間違えていたと言っていた。あれは単なる勘違いだったのか。突然声をかけられて驚いて逃げたのか。膝の怪我も茉莉花が自分で転んだものだと言っているが……。

「……この時間、子供が一人でいるのは危険です。見ていてあげてください」

「はい、すみませんでした。……茉莉花さん」

 大黒が茉莉花に声をかけると、茉莉花は露樹を見上げて「おまわりさん、ありがとうございました」と言いぺこっと頭を下げた。


 手を繋いで帰っていく二人の姿を見送りながら、露樹は少し首を傾げる。

 大黒と言ったか……。何故だろう、何だか知っている人のような気が……。

 考えるが結論がすぐに出てこない。

 出てこないということは、仕事関係の知り合いではないな、と勝手に決め付ける。仕事関係の人じゃないなら、まあ、困りはしないだろう。

 そんなことを考えていると、露樹は突然背中を叩かれる。

 突然の衝撃に、考えていたことが吹っ飛びながらも、露樹は慌てて振り返るとそこには少し怒った様子の妹が立っていた。


「駅で待ってるって言ってた」

 そう呟きながら、妹は不満そうに露樹を見る。

 今日露樹は仕事終わりに妹に電話すると、残業になってしまい取引先からの電話を待っていたが漸く繋がったから今帰るところだと言うから、それなら久々にご飯でも食べに行かないという話になったのだ。

 露樹は駅で待っていると妹に伝えていたが、駅に向かう最中で茉莉花と遭遇したため勤務中ではないが放っておくこともできずこちらを優先してしまった。


「すまん、ちょっと立て込んでて」

 露樹が申し訳なさそうに謝ると、妹は息を吐いて肩をすくめた。

「いいよ、別に。まだ何か立て込んでる? ご飯やめとく?」

「今しがた終わったから大丈夫」

「じゃあ今夜はお兄ちゃんの奢りだね。それで今日のことは水に流しましょう」

 そう言って笑う妹に、露樹は肩をすくめて笑った。

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