第3話『彼女の懸念』
「……」
時間は夜の八時を少し過ぎた頃。郷愁を誘う夕焼け空はとっくに消えて、今はもう恐怖心を煽るのに十分な黒が空を埋め尽くしていた。
加えて『この場所』は光源が極めて少なく、あるのは点滅を続ける街灯だけ。道も狭い上、見通しが悪く人通りもまるでない。
でもそれより何より、今、最も目に付くのは地面に広がる黒い染み。まるでペンキをぶちまけたような濁った色が、点滅する街灯の不定期な明かりの下で見え隠れしていた。
此処は、一週間前に殺人事件が起こった場所だ。
北淀美依はその染みから顔を逸らしつつも視線を恐る恐る向けた。
事件から一週間も経っているせいか、既に立ち入りを禁ずるテープも、ドラマなんかでよく見る遺体があった場所を示す人型になぞられたテープももうない。ただ此処で死んだ女性を悼むようにいくつもの花束が染みの近くにまとめて置かれていた。
北淀美依はその花束の群衆に自分が持って来たものも置くと、その場に屈んで手を合わせた。顔も知らない、何が好きだったかも知らない、どんな人生を歩み、どういう思いで死んだのかも知らない。街中ですれ違うこともなかっただろう見知らぬ女性・
では何故彼女は此処にいるのか。
それは彼女が抱える懸念に理由があった。
言ってしまえば『誰が彼女を殺したのか』である。
ニュースはまだ犯人は捕まっていないと報じていた。犯人はこんな大胆な犯行に及んでいるにも関わらず、慎重で用心深い人物らしく被害者女性と性的な接触を窺わせるのは遺体の状態からも明らかなのに、体液など犯人を特定するような物はこの場所から何も出なかったと『ある筋』から聞かされた。これはまだ大手メディアには露呈していないそうだが、そんなこと簡単に話して良いのかと聞かされた北淀美依自身戸惑う話だ。
それを聞いて北淀美依の脳裏には一人の可能性が過ぎった。
その人物こそ、北淀美依の人生をこれでもかという程干渉してきた
突拍子もない考えだと、有り得ない話だと、彼を知る人間が聞けば即答でそう返事をするだろうが、この考えに至った瞬間から北淀美依は、ついにやってしまったのか、と思いの外あっさりと納得してしまった。
彼ならそういう行動に出てもおかしくない、というとまだ断言できる状況でもないので、彼ならあるいは……と考えてしまうのだ。まるで横断歩道の白線を跨ぐような気安さで、倫理の一線を越える日が来るのではないか。
あの男なら本当に軽やかに、そして一瞬で。
これまで彼の『悪事』の数々を知る羽目になってしまったが、まさか殺人までは、と北淀美依は自分に言い聞かせる。だけど、つい、その可能性を考えてしまう。
『衝動』を抑えられなくなったかもしれない。北淀美依は彼の抱える『拠所無い理由』を知っているのだ。
そうは言っても、若い女性が死んでいるのだ。もし仮に彼が関わっているとしてもその『拠所無い理由』が許されるはずがない。
いつもなら殺人事件なんて自分には果てしなく関係のないもので、テレビや新聞での出来事はある種フィクションに近い感覚で聞き流していたが、何故だかこの事件は北淀美依の記憶に強烈にこびり着き、事あるごとに南寺静馬の犯行ではないのかと震え上がった。
だから知りたかったのだ。
この場所で一体何が起こったのか……。
心配している気持ちとは、少し違う。あの男が本当に何か仕出かしそれが公になった時、自分に何か害があるのではないかという保身の気持ちが強かった。
「……」
とはいえ、今はこの染みと個人を悼む花しかない場所に来たところで何かがわかるわけもない。犯人は現場に戻ってくるなんてフレーズはサスペンスドラマの定番ではあるが、本当に戻ってこられても北淀美依にはどうすることできない。
というかこんな暗くて人通りのない場所、正直怖いので早く離れた方が良いと脳内の危機管理センターが警告を発している状況でしなかった。
「帰んなきゃ」
北淀美依は自分に言い聞かせるように呟いた。だけど帰ろうと帰路を思い描くもその終点・マンションには南寺静馬がいることを考えると、屈めたままの腰が中々上がらないのも事実。
彼に事実を確認するのも、北淀美依が抱えるこの鬱々とした状況を打開する一つの方法なのだろう。だけど、もし、仮に、彼から肯定の言葉が返ってきたらどうすれば良いのか。それはまるで自分の中で作り出し勝手に怖がっていたお化けが自分の精神から抜け出て現実になり、ついに自分に襲いかかってくることに等しい状況だった。できれば空想には空想のままでいて欲しい。そんな思いから、北淀美依自身、きっと彼に事実の有無を確認するのを躊躇した。
「どうしたら良いんだろ」
北淀美依は両手で顔を覆い大きく溜息をついて、誰にも答えてもらえない嘆きを口にした。
が。
「何か深刻な悩みですか」
と、落ち着いた低い声で返事を頂戴してしまった瞬間、北淀美依は肩にかけていた通勤カバンを地面に落とし、思わずその場から飛び退いた。まるで家の中で、夏場に台所で大量発生を恐れられる人々を恐怖に陥れる黒くて丸いテカテカしている上飛行する虫を見たときのように素早い反応だったと言えるだろう。
しかしそこそこ高さのあるヒールの靴だった北淀美依は慌てて飛び退いたせいでバランスを崩し、そのまま無様にも尻餅付き、地面に座り込んでしまった。まさに椅子に座ろうとしたが、其処には椅子がなく、そのまま何の準備もないまま地面に尻をぶつけた状態だったから、あまりの痛さに北淀美依は小さな呻き声をあげつつも、それでも自分に声をかけたのは一体誰だったのかと自分がさっきまでいた場所に視線を向けた。
そこには上品な茶色のスーツと、揃いで作った中折れ帽子を被った優しげな老紳士が立っていた。手には杖が握られていて、柄の部分には如何にも高級品だとわかる細かく上品な装飾が施されている。
北淀美依はその姿に安心して息をついた。
「
彼女が名前を呼ぶと、老紳士は、
その一連の行動はとても堂々として、何よりも優雅なものだったせいか、彼女は樢上の手を、顔を、佇まいとぼんやりと見つめた。
「その場所は座っているにはあまりよろしくない場所ではないですか、お嬢さん」
樢上が少し困ったように北淀美依にそう告げるので、彼女は地面に視線を向けて漸く自分が『何処』に座っているかを理解した。点滅する街灯の明かりに浮かぶ黒の真ん中。北淀美依は、地面に広がった染みの真ん中に座り込んでいたのだった。
「うわあ!」
自分が座っていた場所には遺体が横たわっていたことを察した彼女は慌てて腰を浮かせ樢上の手を掴んだ。樢上は北淀美依の手をしっかりと握り締めると、その老いたる見た目から想像もできないくらい安定した力で彼女を引っ張り上げ、立つための手伝いをした。
北淀美依は樢上の手を握ったまま、飛び退くように染みから離れた。ついでに落としてしまった通勤カバンも拾い肩にかけなおす。
身体を流れる血液が一気に跳ね上がったような感覚にまだドキドキしながら、彼女は自分が座り込んでいた場所を見た。人が一人寝そべっても手足がはみ出ることのない程の広い染み。いつか雨風や人の歩みに染みは霞んでいき、誰もがこの場所を殺人現場であるとは認識しなくなるだろう。だけどまだこの時ばかりは、『此処で人が死んだのだ』と、女性の人生が一つ終わってしまった場所なのだと認識したかった。
北淀美依が物思いに耽るように染みを見つめていると、いつまでも手を離さない彼女を不思議そうに樢上は見つめた。
樢上西駕と北淀美依は所謂飲み友達であった。
いつも会社の最寄り駅の近くにある『バー・ジュラブリョフ』で顔を合わす仲だ。
樢上はその見た目の通り紳士的な人物であるが、大変
バーでも独りで静かに飲んでいたり、常連客と一緒に楽しそうに会話を楽しみながら飲んでいたりした。最近は専らチンピラのような風体の若い男性が一緒にいることが多かった。
北淀美依はお酒が強い方ではないものの、南寺静馬に付き合わされることが少なくないことから、『バー・ジュラブリョフ』のマスターからは常連客の称号を頂戴していた。だから樢上とは必然、顔を合わす機会も多く、バーでの人となりは知っていた。
樢上は北淀美依の顔を少し覗き込むと、優しげな笑みを浮かべ、握られたままの彼女の手をもう片方の手で軽く叩いた。彼女の手は、黒い染みの上に座っていたことによる同様で僅かに震えているようだったが、樢上のこの行動で漸く北淀美依は樢上の顔に視線を向けた。
「お嬢さん、大丈夫ですか?」
「は、はい……。すみません、吃驚してしまって」
「こんな可愛らしいお嬢さんに手を握っていただけるのです。謝られるなんてとんでもない。とても嬉しいことです」
樢上はそう言うと、北淀美依は老紳士のこの場にそぐわない柔らかい笑みに漸く気持ちが落ち着いた。皺が多く、少し皮膚が硬くなった手からじわりと伝わる体温もそれを手伝った。
「ありがとうございます、樢上さん。落ち着きました」
彼女がそう言うと樢上はゆっくりと頷き、恭しく北淀美依の手を離した。
「ところで今日は南寺さんとご一緒ではないのですか?」
樢上はぐるりとこの狭い路地を見回してそう尋ねた。
樢上にとって北淀美依と南寺静馬は二人一組という印象が強いのだろう。バーでも南寺静馬はまるで北淀美依の保護者であるかのように振舞う瞬間があった。二人の間柄について仲の良い友人同士に見えたが、それ以外の何かがあったとしても根掘り葉掘り聞かないのが樢上の信条なのか彼から深く詮索されたことはない。相手が話してくれる分には快く耳を傾けるだけ。
樢上の言葉に北淀美依は一瞬目を泳がせた。彼女としては、南寺静馬とワンセットにされている事実にショックを受けると同時に、やはり周りからはあの男と一緒くたに見られているという事実にしょうがないと思っていた。いつも一緒にいる片割れがいないのだ。不思議に思う人も当然いるだろう。
だが樢上は北淀美依が視線を泳がせた仕草で、どうにも人には言い難い事情を抱えているのを察したのか、まぁ、いくら仲の良い友人同士でもいつも一緒というわけではありませんからね、と自分からした問い掛けに自分で答えを出した。それを聞いて北淀美依は、そうなんです、と苦笑混じりの笑みを返した。
「ところで樢上さんはこんなところで何を? この道、よく使われるんですか?」
「いえ普段は使いません。ただ此処で殺人事件が起こったのはご存知でしょう。それですっかり
市埜瀬、とは確か『バー・ジュラブリョフ』で最近老紳士と一緒にお酒を飲んでいるチンピラのような風体の彼のことだとすぐに北淀美依は思い出す。
彼らがどういう繋がりかは知らない。北淀美依は一度だけ市埜瀬と話したことがあるが、彼女には言葉数が少なく正直あまり会話にならなかったのを覚えている。老紳士とは途切れることなく何か楽しそうに話しているのは知っていたし、何だったら市埜瀬の方が一方的に話している印象だったから話すのが好きなのかと思っていたので彼の反応にとても驚かされた。
実は北淀美依同様人見知りをする方なのかもしれないと今更に思う。それなら彼と流暢に会話をするのはまだ無理かもしれない。
そんなことを北淀美依が考えていると、老紳士は困った顔で言葉を続ける。
「彼は見た目によらず、ビビリの引け腰でしてね。今回のことで終始逃げ腰なのがもう見てられないので、彼のためにも……勿論道行く女性の皆様にも安心して夜道を歩けるよう、大したことではありませんがこういう人通りの少ない場所を見回っていたのです。そしたら、たまたまお嬢さんを見かけたので声をかけた次第です」
「そうだったんですか……」
「それよりも女性がこんな道を一人で歩くなんて感心出来ません。何を考えているのですか」
「!」
それまで穏やかでなだらかなに話していた樢上の口調に厳しさが混じりだし、それは北淀美依を諌めるものになった。北淀美依は老紳士のお叱りに身を小さくした。
「まだ犯人が捕まっていないとニュースでも警戒を呼びかけられているそんな中、貴女には自身が女性であるという自覚に欠けるのではないですか。何かあってからでは遅いのですよ。貴女に何かあれば、貴女のご両親だけでなく、会社の方やご友人も悲しまれるでしょう。勿論、私も悲しみます。もう少し自身の行動を省みてください」
まるで父に叱りつけられた気分だった。北淀美依は肩を竦めて目を伏せた。
しかしすぐに片肩が軽く叩かれる。その手は樢上の手であるのはすぐにわかった。撫でられるかのような軽さに少し驚く。
北淀美依は恐る恐る伏せていた目を上げると、目の前には樢上の困った顔があって困惑した。
樢上は困り顔のまま彼女の肩から手を下ろした。
「ごめんなさい」
北淀美依は自分のことを本気で心配してくれていたこの老紳士に申し訳ない気持ちで一杯になり、少しだけ泣きそうになりながら謝った。
樢上も突然叱りつけたことを申し訳なく思ったのか、こちらこそすみません、と一言呟くと大通りの方へ身体を向けた。
「もう遅いですし、駅までお送りしましょう」
樢上はそう言うと明るくまだ人が多く行き交う方へと歩き出した。北淀美依もそれに従うように老紳士の後をついて歩き出した。老紳士と若い女という少し不思議な組み合わせの二人が歩き出した。
本当のこと言うと、北淀美依は真っ直ぐ帰りたい気分ではなかった、マンションに帰れば、南寺静馬と鉢合わす可能性があったからだ。廊下で顔を合わす可能性だって全く無いわけじゃない。でもそんなこと樢上に話せることではないし、まだ帰りたくない、なんて思春期をこじらせたような発言をしても、早々に却下されるような気がした。
「(ここは大人しく帰った方が良いか)」
最悪廊下で南寺静馬と鉢合わせしたってそのまま逃げて部屋に入れば、『今日』に限っては何も言われないだろう。そもそも何か言われるような間柄ではないが。
何というか、南寺静馬は勘が鋭いのだ。北淀美依が何か隠し事を抱えても、すぐにそえに気が付く目敏さには頭を抱えてしまう。もし彼女が、南寺静馬に殺人の容疑をかけていることを知れば、一体何を言われるか! 流石に肉体的攻撃は受けないものの、精神的な圧力は確実に受ける。それを考えて北淀美依は思わず身震いした。
何事もないように接しなくてはいけないのだ。ある種の強迫観念のように北淀美依は自分自身を戒めた。
樢上とはそれ以上会話のないまま、すぐに駅まで着いてしまった。老紳士は、それではお気を付けて、と恭しいお辞儀をすると、再び人混みの中へと消えていった。もしかしたら、また人通りの少ない道を見回ったりするのだろうか。
北淀美依はもう見えなくなった樢上を見送ると、重い足取りで駅へと入った。
***
北淀美依と南寺静馬が住んでいるマンションは、会社の最寄駅から各駅停車の電車で三駅下った場所にあった。乗車時間およそ十分程。
通勤ラッシュもストレスにならないほどの時間だったので、中々の場所にマンションを借りることができたと北淀美依は喜んだ……南寺静馬が引っ越しているという事実を知るまでは。とはいえ、南寺静馬がいようといまいと立地の良さが損なわれるわけではなかった。
随分遅くなってしまって、北淀美依がマンションのエントランスに入った時にはもう夜九時半近くだった。こんな時間から夕食を作るのも面倒に感じてしまい、途中で駅前のコンビニによっておにぎりとサラダを買ったので、今日はそれが夕食になりそうだった。
北淀美依はオートロックの入口を開けると、早足で入口を抜けエレベーターホールへ進んだ。すぐに閉まる自動ドアを見届けて、やってきたエレベーターで三階ボタンを押してエレベーターの扉を閉めた。
このマンションはワンフロア四室で六階建て、この界隈のそれほど大きくない建物だ。
駅から少し歩くが、オートロックの玄関で、尚且つ鍵が合鍵を作り難いディンプルタイプの鍵だったことと、この周辺のマンションの中では家賃がまだ控えめだったことからこのマンションに決めたのだった。
ちなみに北淀美依の借りている部屋は四階である。しかし彼女は三階のボタンを押した。
エレベーターは三階につくと、ポーン、とショッピングセンターなんかでよく聞く電子音を鳴らしその階にエレベーターがきたことを教えた。この音、耳をすませば、部屋の中からでも聞こえるのだ。
北淀美依は三階でエレベーターを降りるとその隣りにある階段を、靴音を立てないように上がりだす。彼女が三階で降りたのは、南寺静馬に彼女自身の帰宅を悟らせないためだった。というのも、四階は今のところ、北淀美依と南寺静馬しか住んでいないからだ。本人か、二人のどちらかの客でなければこの階にはこないのだ。
南寺静馬は他の人間を自分の部屋に入れることはしない人間だし、北淀美依も最近友人付き合いを疎かにしており、ご飯を食べに行くことは随分ご無沙汰であった。勿論誰かを家に招くなんてことはこのマンションに住み始めてからはしていなかった。
それにこんな時間だ、客なんてまず来ない。四階でエレベーターが止まれば北淀美依が帰ってきたというのは容易に知らせ、南寺静馬が部屋から顔を出すかもしれない。
今の気分で、南寺静馬と顔を合わすのは避けたかったのだ。
北淀美依は四階まで上がると、各部屋へと続く廊下を覗き見た。エレベーターの正面に真っ直ぐと各部屋に続く廊下が伸びていて、廊下の進むと左右二部屋ずつ部屋がある。
北淀美依の部屋は、エレベーターに背を向けて立ったとき、右奥に位置する。南寺静馬はその手前。つまり北淀美依は自分の部屋に入るために、南寺静馬の部屋の前を通る必要があるのだった。
「……」
北淀美依は足音を立てないように、恐る恐る廊下を歩き出した。一歩一歩慎重に。コンビニのビニール袋はガサガサ音が立たないように、エレベーターの中で通勤カバンに詰め込んでおいた。それだけ音には気をつけて歩みを進めた。
しかしながら南寺静馬の部屋の前は静かだった。テレビを見ているイメージは確かにないが、まるで留守であるかのように静かだった。
もう寝てしまっているのか?
北淀美依は少し安心してそのまま音を立てないように自分の部屋の前に行くと、予め出しておいた鍵で解錠すると急いで部屋に入り、そのまま施錠した。
これで一安心。
北淀美依は大きく息を着くと、靴を脱いで玄関を上がった。
このマンションは家族向けの物件ではないものの、リビングとその横に仕切りで分けられた洋室の一部屋に、キッチン、トイレ、洗面所、浴室というそれほど狭くない間取りだ。一人で暮らすには十分な広さだった。玄関から短い廊下が続いていて、左側に浴室とトイレがあり、右側には少し大きめの収納スペースがある。廊下の奥がリビングで、入ってすぐ左側にキッチンスペースがあり、右側には仕切りの向こうに寝室がある。
北淀美依は我が家に帰ってきた途端、どっと疲れが溢れてきたように感じ、のろのろとした足取りで暗い廊下を歩いた。リビングから漏れている間接照明の明かりに廊下の照明ボタンに手を伸ばした。
が、この瞬間、北淀美依はぞっとした。
何故、間接照明が点いているのか、と。
その解答に、もしかして、と可能性を頭の中で提起しようとしたとき、左側の浴室から伸びてきた手に腕と後頭部を掴まれ、そのまま右側の壁に胸から押し付けられて無様にも、ぐえっ、とカエルが潰されたような悲鳴をあげてしまった。この不意打ちに通勤カバンを肩から落としてしまい、つま先に落下したがその痛みがこの瞬間ばかりは気にならなかった。
額を壁に押し付けられる格好のせいで、今後ろに立っているのは一体誰なのか確認することができなかった。だけど北淀美依には、これまでの経験で誰か容易に想像ができてしまった。
「寄り道せずに帰るんだよって、言っただろ?」
南寺静馬の声だった。
北淀美依は、内心、最悪だと呟いた。
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