愛の行動(4)──訪問
コラコロを出た後、キッパータックの車は二箱のドーナツを届けるためにまずは若取家へ向かい、午後四時半には第八番
お土産のドーナツを渡すと喜んでくれ、一緒に邸宅へ入る。キッパータックはリビングのテーブルに着き、叶はキッチンで手を洗い、コーヒーを淹れはじめる。
「今、馴鹿布先生もいて、気を遣って二階の書斎にいるんです。でも、いつふらりと降りてくるかわからないので、お話ししたいことは山ほどあるんですが、あまり大きな声では話せないというか……」叶はそう話す声の音量もしぼりながら、来客用の花柄のカップを戸棚から取り、一旦手を止める。「お客様とはいえ、『これ』じゃなきゃだめってことはないですよね? 普通のマグカップでもいいです?」
「器なんてなんでも構わないよ」とキッパータックは言った。
叶はかわいいキリンの絵が入ったマグカップになみなみ
もらったコーヒーをさっそく口に含む。「
叶もキッチンで作業をしながら、立ったままコーヒーを口にする。「たしか、観光客に変装した男女二人組から声をかけられ睡眠薬入りジュースを飲まされて、観光タクシーのトランクに入れられたんでしたね。怖かったでしょうね……。タクシーの運転士さんも同じようにジュースで眠らされてしまって、その間にトランクを開けられたとか。で、人が入ってるなんて想像もしないから、若取さんが目覚めて暴れて知らせるまで、小一時間くらい街中を走ったと──。いつものごとく、やつらの姿は一部の防犯カメラに捉えられてはいるものの、必ず途中で『ふっと消えたように』足取りが途切れている。大庭研究ツアーのときもそう、どうやってあそこに忍び込んで犬を放って、盗品の入ったゴミ袋まで持ち込んだのか。これはもう、ただのいたずら集団ではなく、相当手強い犯罪集団ですよね」
キッパータックも
「あのイギリス式庭園の美人双子姉妹ですか?」叶は驚きの声をあげる。「さすがはお金持ちー。そういうの雇える人はいいでしょうけどねぇ。先生も
「怖いよね。どこかで照準を合わせられているんだと思うと」コーヒーが苦いというように、キッパータックは顔をしかめる。「馴鹿布先生は、その……まだ大庭主の誰かを疑ってるの?」
叶はコーヒーの入ったカップを持ってテーブルへ移動してきた。「今では〝消去法〟って感じです。裏切り者は従業員かもしれないし、観光局の職員かもしれないし、いろんなところに何人もいるのかもしれない。警察の手間を減らす──そういうお手伝いをしているだけというか、同じ大庭主として『できれば疑いたくない』というのが本音だと思います。あれから、ドルゴンズ庭園もメディアに出っぱなし……ですよね。ルカラシーさん、あの時点で相当参ってらっしゃったのに、気の毒だわ」
「そうだね」
叶は再び席を立つとキッパータックがくれたドーナツを皿に載せ運んでくる。三人分。「ドーナツばかりは先生を仲間はずれにするわけにはいかないですよね?」
笑うと階段まで動いて、二階へ声を送る。「せんせぇー。キッパータックさんにドーナツをいただいたので、一緒にどうですかー?」
白シャツにオリーブ色のスラックスという格好の馴鹿布がリビングへ降りてきて、キッパータックに挨拶をする。
「どうも。叶君がお世話になっているようで。馴鹿布です」
「はじめまして、キッパータックです」二人は名刺交換をする。
「先生、どうぞ」叶は自分の横に腰をおろした老先生にドーナツを手渡す。「〈外側に穴があいたドーナツ〉だそうです。流行ってるらしいですよ」
「ふーん」馴鹿布は皿ごと顔の前まで持ちあげてまじまじ観察する。「たしかに変わってるな」
「味は普通のドーナツでした」とキッパータック。
「うん、ふわふわでおいしい」叶はさっそく食べながら話す。「やっぱり、こういう形だと揚げ時間とかが違うんですかね? 真ん中に穴があいた通常のドーナツよりヘルシーだというなら、断然こっちを支持しますね。……先生、うちも木の形のクッキーとか、そういうの売りだしましょうか? 形だけ工夫すればいい話なら、私たちにもアイディアが出せそうじゃありません?」
「木の形なんて、さしてめずらしくもないだろ」馴鹿布もフォークでドーナツを刺す。「クリスマスなら需要がありそうだが」
「そうですよねえ。業者が作るありふれたクッキーなんて味もたかが知れてるでしょうし……。かといって私の手作りなんて売ったら男性ファンが押しかけてきて困るし」
「君にはよくノラ猫が群がってくるものな」
キッパータックは噴きだしたが、叶は「餌をばらまいてるみたいに言わないでください!」と怒った。
それから、キッパータックと叶は
「彼女にアピアンの指輪を作っておいて、それで『もう会えなくなるかもしれない』って、どういうこと?」叶も納得いかないようだった。
「なにか事情があるかもしれないと思ったんで、それ以上訊けなかったんだけど」キッパータックはトーンを落とす。
「いやあ……」と叶は渋っ面を左右に振った。「通常、長くつき合っている間柄で指輪をもらえば『結婚』って誰でも思うんじゃないですか?」
「僕もそう思ったんだよ。でも婚約指輪ならもっと良い石で作る、とも言ってた」
「もっと良い石って、あんなにアピアンアピアン言ってたくせに。別れ話の代償とかじゃないでしょうね……」
「えっ?」キッパータックは持っていたマグカップを宙で停止させた。
「会えなくなるって、宝石の買いつけで遠くの国へ行かなきゃだからってことだとしても、今でもすでに遠距離じゃないですか。仕事が忙しくなるとか、そういう理由で『会えなくなる』っていうの、なんだか言い訳がましいですよねぇ。うまくいっていないことをそういう理由にすり替えるのって、嫌だわー」
どういう理由かわかったわけでもないのに、その後も叶は勝手に想像を並べ立て、不平を述べた。馴鹿布は二人の会話を聴くともなく聴いて、黙々とドーナツを口に運んでいた。
「そういえば、夕方から雨になるとか言ってましたね」話題が途切れると、叶は窓の方を見て呟く。「スコールみたいなのがザザッと降るのかしら?」
「あれ?」と言って、キッパータックはその窓とは別の窓へと体を返した。「なにか音がしませんでした?」
「したな」と馴鹿布。手をついて腰をあげる。
続いて、外でバタバタと人が駆けていくような音が起こった。
「見物客じゃないです?」叶も椅子から身を浮かせて動こうとする。
三人は、遊歩道を覗ける窓と、キッチンそばの駐車場側を覗ける窓に分かれて外を確認した。すると、遊歩道の方を見ていた馴鹿布が「いかん!」と叫んで勝手口へ走った。「やつらかもしれん。緑のマントが──」
「ええっ?」叶も声を発して、後を追う。「もしかして、タム!?」
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