182 ZZZのn乗の世界線
瀬戸内海を見渡せるこの地に聖リユヌ学園はある。
国内でも有数のカトリック校として知られる本校には独自の世界観があり、それに憧れて世界中から入学志願者が集まり、その学校風景は国際色豊かとなることでも有名だ。
「瑞原さん、おはよう」
「あ、おはよう」
級友に声をかけられ、霧はにへらと笑って答えた。
「うわぁ超脱力。どうしたの?」
世界中から様々な人が集まることからここにはお金持ちが集まる学校というイメージが世間的にはあり、学校内では言葉遣いに気を付けなければならないが、霧も級友も一般庶民の一般クラスだ。
周囲から聞こえてくる会話も普通のものが多い。
「えへへ、ちょっと新刊に集中しすぎちゃった」
「ああ。ていうか、瑞原さんってキャラが変わり過ぎよね。普段はキリっとしてたりするのに」
「そうかな?」
言われても霧にはよくわからない。
たしかに本を読んでいないときは体力が余っているし、読書に時間を割くために雑事は効率よく終わらせようとはするが、性格は変わらないだろう。
「実は普段の姿に人気が出てたりするの知ってる?」
「ええ……そんなことないよ」
「知らぬは本人ばかりなりね。いまの姿をファンに見せてやりたいわ」
「ファンなら、あの人の方がすごいんじゃないのかしら」
話をしている内に学園の正門が見えて来た。
そして、そこに並ぶ高級車たち。
セレブ組だ。
その高級車の一台から出てきた人物に皆の視線が集まる。
黄金水晶のような派手派手しい透明感のある美人がそこにいる。
「うわぁ……相変わらずイブ先輩って素敵よね」
「そうね」
「ゴージャス&クール。そして生徒会長。まさしく高等部の女王様って感じ」
級友の言う通り、高校三年生とは思えない存在感を振りまきながらいつの間にか現れた生徒会の役員たちに囲まれて学校に入っていく。
その後も高級車から出て来るセレブ組の観察に入る級友になんとなく付き合う。
徹夜の影響で思考力が働いていないからでもあった。
高級車展覧会にもなっている朝のこの時間は人気があり、学園とは無関係な者がカメラを構えていることもあり、あちこちで警備員が目を光らせている。
「あれ? ロールスロイスのファントムだ。あんなのいままでいたかしら?」
ぼーっとしていた霧はその言葉に引かれて視線を動かした。
運転手の開けたドアから出てきたのは黒髪の、はっと目を引く美人だった。
きりりと端正な瞳が不機嫌そうに周囲に視線を走らせている。
その視線が霧に刺さった。
「タイが白だから同じ一年? そういえば転校生の噂が……あったっけ?」
言いかけて、旧友は自分の言葉に首を傾げている。
そんな噂、霧は聞いたことがない。
だけどそんなことを考えている間に、その黒髪美人はどんどんこちらに近づいてくる。
気のせいではない。
絶対、確実に、こちらに近づいてくる。
そして、霧の前に立った。
「え? あ、あの……」
「ふ……」
むっつりとしていた彼女が霧を見下ろしてふっと笑った。
「あなた……タイが曲がっていてよ」
芝居じみた口調で彼女はそう言うと霧の制服のタイに手を伸ばし、ほどき、そして……。
「って、なんでやねん!」
いきなり地面に叩きつけた。
「なんで『マリ〇て』やねん! なんでマリア様に見せてるねん。そんなら近所に男子校作って仏陀様にも見せとけや!」
興奮した関西弁をまくしたてても黒髪美人は美人のままだった。
「なんやねん! どんだけ世界改変すんねん! ここまでする必要ないだろ! 絶対途中で遊んでただろ! なんでイブラエルに生徒会長やらせてんだよ! 師匠たちで生徒会作らせてどうすんだよ! 世界征服でもすんのかよ!」
「織羽……」
寝不足が吹き飛んだ霧はわかっていないと首を振った。
「百合は世界を救うのよ」
「救わねぇよ!」
興奮しながらも織羽は叩きつけたタイを拾い、魔法で汚れを払うと霧の首にかけて結び直す。
周囲の時間は止まり、隣の級友は驚いた顔のままだ。
「やっとここまで来れた?」
再びむっつりと黙りこくった織羽に、霧が問いかける。
「めっちゃ苦労した。そもそも封月織羽としての俺の世界線はこっちに帰還した時から始まるってのに、お前はその前から世界線を変えやがって」
「自分の感知できない時間に干渉するのって大変よね」
「大変だけで済むか。イブラエルもいまだにできてない。普通の神にはできないんだよ」
だが、霧にはできる。
織羽よりも早く、それができるようになった。
だから、織羽に仕掛けられていた運命の罠から逃すことができた。
だけど、そのために霧は織羽と会うことのない世界線を行くしかなかった。
運命を俯瞰する神としての記憶と権能を持ったまま、時間をやり直し、かつてとは違う歴史を進む。
そこに織羽の姿はない。
いたとしても霧とは無関係の生を歩んでいくことになる。
「…………」
「織羽?」
タイに手をかけたまま織羽の動きが止まっている。
俯いたその顔を覗き見て、霧は驚いた。
「もしかして、泣いてるの?」
「んなわけあるか」
そんなことを言っているが、真実は一目瞭然だった。
タイにかかっていた腕が背中に回り、霧を抱きしめる。
「苦労させやがって」
「……よく頑張ったわね」
「謝れよ」
「嫌よ。たまには困った織羽も見たいもの」
「なんだよそれ」
「私のわがままで、困っている織羽を見たいの?」
「とんだSっ気だぁ」
肩に顔を預けて、霧はくつくつと笑った。
布に染みこむ冷たさを感じて、霧も彼女の背を撫でる。
「さて、これからどうしようか?」
「…………」
「このまま学園生活を楽しむ?」
「…………」
肩に顔を押し付けたまま織羽が首を振る。
「そっか……まぁ、私ももう学校生活はいいかなって思っていたところだし、別にいいんだけど……」
「…………」
「ゆっくり考えましょうね」
霧は緩く笑い、織羽の背中を撫でるのだった。
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