サヨナラ、小さな罪
螢音 芳
20年前のワガママ
ライフイズベット
3人でアイドル活動を続けて、綺羅星のように輝くヒットソングの中で埋もれてしまった、デビュー曲である。
その曲は、俺らの中で行動の指針でもあった。
『何一つ自分で決められないから。理由を札に押し付けるのさ』
メロの部分の一節。
重大な決断を迫られたとき、メンバーで話し合っても揉めたとき、俺らは運命をカードに託してきた。
最初の勝負は、デビューのとき。2回目の勝負は20年前のスキャンダルで解散を迫られたとき。
そして、今日が3回目。
デビュー25周年目を迎えた俺たちは、解散するか続けるかの岐路に立っていた。
芸能事務所の会議室に先に到着していた俺は、スマホからあと2週間で終わる今月のスケジュールを眺めていた。枠の中には何の文字もない。前の週の予定も、へたくそな模様のように歯抜けだ。
ため息をつくと、ノックをした後で2人の中年男性が入ってきた。
「さすが、一番乗りだな」
1人目は、やや長めでストレートな髪をワックスでセッティングし、スーツをきっちり着こなしたクールな印象の男、グループの中の稼ぎ頭であるエースだ。歌わせてもよし、踊らせてもよし、演技をすれば器用さを生かしてどのような役でもこなすことができる。四十路を迎えてもその魅力に衰えはなく、来月には主演映画の公開も決まっていた。
「ベイブは相変わらずマメだねえ」
2人目は、無造作な髪に、無精ひげ交じりのワイルドな顔立ち。ラフながらもブランドもののTシャツとジーンズがよく似合っている。抜群の演技力と演出家としての才能を合わせ持ち、最近テレビに出ることこそ少なくなったが、舞台俳優として活躍するグループのリーダーだ。
「リーダー、さすがに40超えてそのあだ名はないだろ?」
「ベイブはいつまでもベイブだよ。相変わらずかわいい顔して」
「流れで人の頭触ろうとするな」
リーダーが伸ばしてきた手を払いのける。
長いまつ毛に大きめの目、シャープさとは無縁の丸めの小顔。童顔の見本のような顔立ちの俺は、デビュー前からリーダーにベイブ、という愛称で呼ばれ続けている。
「言われるのが嫌なら、もっと年齢相応の服着ろよ。パーカーにハーフパンツって20年前も同じだっただろ」
「だが似合ってしまうのがベイブだよな。下手すれば20前半の大学生って言われても通じる」
リーダーとエースから茶化されて不機嫌さを顔でアピールする。だが、内心では変わらない距離感に安堵していた。
全員が席につくなり、リーダーがプラスチックケースに入ったトランプを取り出す。
「じゃあ、集まる前に言ってたとおり、結論が出なかったからこれで決めようか」
俺たち3人は全員素直じゃないし、頑固だ。話し合っていくうちに方針が崩れ、最初の論点を見失うこともしばしば。最悪なときには暴力沙汰の喧嘩に発展してしまうこともある。
そこで、揉めて答えが出なくなったら、カードで決める、というルールを設けたのだ。
「いつもの通り、ジジ抜きで。最初に1枚を抜いたら、あとはババ抜きと同じく数字の揃ったペアを捨てていく。最後に2人勝負になって、あがった時のペアのカードの色でどうするかを決める」
リーダーがジョーカーを抜いて、カードをシャッフルしながらルールを確認していく。
「前回は、赤だったら続行、黒だったら解散、両方だったら仕切り直しだった。今回はどうする?」
「今回も同じでいいだろ?」
エースに問われて、ぶっきらぼうに答える。デビューの時も20年前の時も、赤が継続、黒がやめるだった。
「だな、変わらない方がわかりやすい。ベイブ、1枚抜け」
テーブルの上に扇状に差し出されたカードの列から、リーダーに言われた通りに1枚抜く。引いた1枚を机に伏せたまま弾くと、リーダーは確認することなくケースに戻し、札を配った。黙々とペアを探して捨てていく。
「懐かしいな、この空気。20年前のあのときと同じだ」
懐かしがるエースに、そうだな、と俺とリーダーが同意する。
ちょうど人気絶頂の時で、ゴールデンタイムの番組を何本か抱えて、互いに映画やドラマ、舞台と活躍し、その合間でライブ活動も行っていた。
だが、スキャンダルが発覚して解散の危機に追い込まれた。
「なあ、エース。あのとき付き合っていた彼女とは今でもやり取りしてるのか?」
「いいや。結局別れたよ。お互い芸能事務所で恋愛禁止って言われてたからな。かなり騒動になって、頭が冷えたら、思いも冷めてしまった」
「台本かなんかのセリフかよ。あの頃は若かった、みたいな」
「そんなところだ」
リーダーが揶揄するとエースが苦笑しながら答えた。
若気の至りのように話しているが、実際のところは違う。当時、エースもそのアイドルも本気だった。関係を続けるのであれば、2人は事務所を続けることも覚悟していたはずだ。
しかし、グループで芸能活動を続けることが決まると、エースは彼女と別れた。
互いの事務所へ謝罪文を提出し、破局時の報道への説明をエースが一人で堂々と行った。その時ほど、この男がかっこいいと思ったことはない。
ただ、時折俺は考えてしまうことがある。
もし、20年前のあのときに、グループが解散することを決めていたら、他の道もあったのではないか、と。
罪悪感が胸を刺しつつも、ゲームは進む。
ペアが揃い手札を場に捨てていく。
俺たちの選択の過程を表しているようで、捨てられた札は切り捨ててきたもの、少ない手札が今の自分たち。捨てるたびに、終わりに近づく気がして、切なくなる。
気分を変えるために話題を変える。
「リーダー、今度海外で舞台やるんだって?」
「おう。来週から早速打ち合わせだ」
微笑むリーダーは、昔と変わらない子どもっぽさを残している。新しく始まることにわくわくして仕方ない、といった様子だ。本当なら、打ち合わせに向けて準備したいだろうに。
「お、揃った、一抜け」
「リーダー早い」
「エースもベイブもポーカーフェイスが苦手すぎんだよ」
20年前の時も、デビューの時も、リーダーが最初に抜けた。いつも最後はエースとの直接対決だ。
ただ、俺はワガママを通すためにずるをした。
エースも、リーダーも自分の才能がある。アイドルグループという形に頼らなくても羽ばたいていける。
けど、俺は違う。デビューの時こそ、持ち前の子どもっぽさを生かして歌も踊りも演技もこなしていけた。ただ、年を重ねるにつれ、子どもっぽさという武器は役立たずのごみになっていく。20年前にすでにその翳りが見え、置いていかれることがわかっていた。
俺が選んだことは、イカサマをしてでもグループを継続させたことだった。
イカサマをしたこと自体は小さいことかもしれない。
だが、そのせいでエースとリーダーの未来を遮り、ずるずると続けさせてしまった。
今も、ポケットの中には、赤いカードが入っている。だぼついたパーカーの袖に移すことは簡単だ。
あっという間に手札も減り、エースが赤のペアで揃ったカードを場に出した。俺の手札が1枚、エースの手札が2枚だ。
俺の手札の色は黒。エースの手札に検討がついた俺は、イカサマでもしない限り、最後は黒のペアが揃うとわかってしまった。
「なあ、ベイブ。20年前の時も、こんな感じになったよな」
「ああ」
「どんな気持ちだった?」
言外に後悔してるか? とエースに問われたような気がする。
罪悪感はある、けど後悔はしていない。
「“理由は札に押し付ける”、受け入れるだけだ」
ライフイズベットの歌詞の一節を言った。
「それは、今も、か?」
「ああ」
20年も浸る時間をもらえたんだ。もう、サヨナラすべきだろう。
エースの手札から1枚引き抜く。赤い札が手元に来た。そのまま、シャッフルするような真似はせず、右手側に握ると、エースに声をかけた。
「奥さん、元気か?」
「もちろんだ。事務所に交渉する時に、ベイブがあらかじめ報道関係にも根回ししてくれたからだ。おかげで、最初の時ほどスキャンダルにならずに結婚までたどり着けた。ローカルメディアで芸能活動も続けてる」
「そっか」
「今度、娘が高校に入学するんだ。生まれた時に来たっきりだろ? 遠慮せずに顔見せに来いよ」
「ああ」
その時はきっと、罪悪感もなく胸を張って会いにいけるだろう。
「ベイブ、お前、最近の仕事は?」
リーダーがさっきまでの緩さもなく真剣な表情で問いかける。エースも心配するように、同じ目をしていた。
ここで、グループが解散になっても、お前は大丈夫なのかと。
対して、俺はくっと笑った。
「来年から始まる特撮の悪役が決まった。幼い見た目が吸血鬼という役柄にぴったりなんだと」
不適に見えるように言ってやると、リーダーもエースも目を丸くした後で、笑った。
「確かに、40近い歳でこの見た目はもはや妖怪の類だ」
「リーダー、誰が妖怪だ?」
「ただ、ベイブ、アクションもこなすことになるんじゃないか?」
「そうそう、それで来月から早速撮影でさ。ダンスのために身体は維持してたけど、筋力足らないからジム通い始めようと思って」
あと2週間しかないなかでどれだけ作りこめるかはわからないけど、やるしかない。1年の長丁場になるのだし、無駄にはならないだろう。
もう、俺も仕事が決まった。2人の重荷にはならない。
だから、安心してくれ。
引導を渡すようにエースが無造作に俺の手札からカードを引き抜いた。
「揃った」
エースが場に札を出す。
それは、赤のペアであった。
驚いて手札を見ると、俺の手元には黒の札が残っている。つまり、ジジと思っていた札でエースはあがったということになる。
読み違えたか、と疑問に思うも、それなら残り3枚になるよりも前にエースはペアを揃えていたということだ。
それは、つまり……。
エースに視線を向けると、ふっと口の端で微笑んでいた。
「赤ってことは、継続ってことだな」
リーダーがにやりと微笑むと、おもむろにスマホを取り出した。エースは革の手帳を取り出す。
「じゃ、互いにスケジュール突き合わせながら周年イベントの案でも考えるか」
「そうだな」
「おう」
――また、3人で楽しくやれる。
言えなかった本音を心に浮かべながら、俺らはデビューしたての時のように打ち合わせを始めた。
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