第12話 常識壊し

 僕の自宅は駅からバスで十数分。さらにそこから徒歩で数分。とある三階建てアパートの二階にある。狭いことは狭いが、風呂もあるしベランダもある。一人暮らしをするときも特に文句はなかった。むしろありがたかった。

 僕の家族は五人家族。姉と妹が一人ずつに母と父のごく普通の平凡な家庭だ。

 普通なら幸せ―――な家庭なのだろう。だけど僕にはそれが苦痛だった。笑顔で優しくしてくれる家族が気持ち悪かった。それが「家族」というもので、それが僕に対しての「愛」であることは理解していた。だけど。


 いつからかそれが地獄のように感じた。


 必死に平然を装った。自分がおかしいことに感づかれないように。

 そうして高校に入学する少し前、一人暮らしを提案したのだ。

 家族はそれもいい経験になると、すぐに了承してくれた。それからだ。僕がここで、すかすかの部屋で過ごすようになったのは。

 鍵を開け、きしむ扉を開くとすぐさま倉井戸は玄関に入っていく。


「おじゃましまーす!」


「はい、どうぞ――――」


 嫌だ。別に隠したい物があるわけではない。十八禁の本とかそういうものがあるわけではない。だがやはり、知り合って数日の少女(学校、クラスは同じだが)を自宅に入れるのは気が引けていた。


「なにこの部屋――――」 


 倉井戸は家に上がって早々、リビングと廊下を繋ぐ扉の前に立って、唖然としていた。


「いやそんなドン引きされても」


「部屋に本棚二つとベットにテーブル、ゴミ箱しかないってなによ」


 彼女の言う通り、この部屋にはそれらの家具しかない。でも他はいらない。ご存知のとおり、興味がないからだ。ゲーム機やテレビはない。僕の部屋にそんなものは必要ない。ニュースなども興味がない。必要ならスマホでも見れることだし、娯楽というやつは読書だけで十分すぎる。


「よくこれだけで生活できるわね。私からしたら拷問だわ」


「僕はこれで満足しているんだ。ほっといてくれ」


 彼女は僕の発言を最後まで聞かずに本棚を勝手に漁り始めた。


「意外。東条とうじょうムラサキの作品を読むんだ。私も好きよ」


 一冊の本を手に取るとちらちらと表紙を見る。


「そうなのか」


「ええ。特に『飛べない僕と飛ぼうとしないきみ』が好きね」


「ああ、それか。僕も好きな作品だよ」


「ふーん」


 自分から訊いておいて興味なさげに返した。なんだよそれ。


 『飛べない僕と飛ぼうとしないきみ』。東条ムラサキの処女作にして彼の五つの名作のうちのひとつ。僕はマイナーな作品も読むのだが、彼女の書く作品は「日常にある非日常」を描いた作品が多い。倉井戸が好きだといった作品はいわゆる時間移動タイムリープものだ。詳しくはまた今度にしよう。


「ねえ。今思ったけど、ベットってこれしかないの?」


 ふとなにかに気が付いたらしい。彼女は僕に嫌そうな顔で尋ねてきた。


「ああ、これだけだ――――あ」


しまった。僕の家にはソファがないのを忘れていた。

言っていて途中で気がつく。ベットが一つしかない。そしてこの部屋にはソファがない。つまりそれがなにを意味するかというと、どちらかが床で寝ることになる。ということだ。最初からこのことに気が付いて言い訳しておけばよかった。あのときは少し気が動転していたから気づかなかった――――。


「ソファがない」


 今更だけれど、一人暮らしがみんなソファ持っているのかと言われたらそうでもない気がするが。


「これはうっかり」


「床で寝てね。夏だしバスタオル一枚で十分でしょ」


「わかったよ――――」


 かなり納得していないが表面上は納得したことにして(いちいち面倒なので)、僕が床で寝ることになった。


「ちょっと待って。私、男臭いベットで寝るのは嫌だな」


 こいつはどんどん文句を言うな。もうそれなら最初から泊まるなんて言うなよ。と思ったが、言い返したらまた毒が飛んで来るだけなので我慢した。


「定期的に布団は干しています!それと、今から除菌消臭させていただきます!」


「そうして頂戴」


 つんとした顔でお嬢様のようにそう言った。


「はいはい」


 不満そうに言うと、次の瞬間、また爆弾が投下された。


「それじゃあお風呂行ってくるわ。どこがお風呂?」

 

 ワンルームなんだから風呂の場所くらい分かるだろう。いいやそんなことより!


「ちょっと待て。今帰ってきたんだ。沸かしてないに決まっているだろう。というか風呂に入るのか!せめてシャワーだろ!」


 まだあって間もない彼女を僕の家の風呂に入れる。というのはいささか抵抗があった。彼女は僕と同じ高校生。しかも女の子。一人暮らしの少年なら誰もが少しは躊躇することだろう。


「何か問題ある?というか普通、寝る前にはお風呂に入るでしょう?」


「わかった。わかったよ。ご自由にどうぞ!」


 色々と言いたいことはあったが、もう考えることをやめた。


「あなたは私の後に入ってね。男の出汁が出た風呂なんて入りたくないわ」


「いちいち言わなくていい!」


 彼女はやっぱり呼吸のように毒を吐く。今日だけでもう何回目なんだ。

 まぁそんなことがあって、倉井戸が先に風呂に入り、僕が床で寝て。

 途中に健全な少年が期待するようなイベントも全くなくその日は終わった。

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