第98話 新たなる皇帝





(静かだ……)

 騒然とした周囲とは裏腹に、葵の精神はそう感じていた。

 血の海に横たわるペトロを見下ろしていた。

 血の付いたメテオライガーが葵の手先を離れ、床に落ちた。

 喜びも、達成感も、そこにはなかった。

(分かっていたはずだ……)

 復讐を遂げたからと言って何かが変わる訳ではないのだ……。

(マリー……)

 葵は荒れ狂う天空を見上げた。吹き付ける風が葵の黒髪を躍らせた。

(空しい……)

 葵はその場に膝を落とした。

「葵様……」

 スルーズが傍に寄り添った。

 魔法マナが遮断されている今、読心魔法は使えないが、葵を思うスルーズの気持ちは伝って来る。


 諸侯達はどうすればいいのか戸惑いながら、目の前で起きた大公ペトロ殺害に、何らかの姿勢を示さないと考えたのだろう。或いは主導権を握って、帝国内の発言権を確保しようと考えたかもしれない。

 上流貴族の数名が立ち上がり、形ばかりの抜刀を見せた。

「大公様殺害の咎で捕獲せよ」

 だが、対峙するパウエル公爵は、ペトロ大公に次ぐ序列二位の名門貴族だ。諸侯・シュバリエ達はどちらに従っていいのか判断付かない様子だった。

 そんな中、玉座にいた皇妃・ミランダ・ルビが立ち上がった。

「お待ちなさい」

 声量は弱いが、強い口調でパウエルや諸侯達に目線を送った。

 そして拙い足取りで、ペトロと葵の傍らに進んだ。

「お父…様……」

 ミランダはよろめきながら、物言わぬペトロの傍で膝を落とした。

「皇妃様……」

 葵はスルーズの腰に付けていた短剣を取ると、ミランダに差し出した。

「ぼくを処断してください」

 ミランダは葵の顔を見た。そして何かを探すようにその目を左右に動かした後、再び葵の目を見て首を横に振った。

「マリー様はもう……いないのですね。これは…マリー様の……仇討ちなのですね」

 葵は小さく頷いた。


 ミランダの言葉が耳に届いた者からどよめきが起きた。

「仇討ち?」

「それって、マリー様は、お亡くなりになられていたのか?」

「死んだって、どういうことだよ」

「ニコラス陛下を殺害して逃亡していたって言うのは、ウソだったのか?」

「つまり、皇帝陛下はマリー様ではなく、他の誰かに殺された?」

「そしてマリー様も殺害されていたってことか?」

「どういうことだよ。マリー様と陛下を殺したのは……」

「それは誰だ?」

「誰?」

「誰なの?」

「ペトロ大公なのか?!」

 会場内が不穏な空気に包まれた。絶大なる人望を博すアナスタシアの消息に、民衆達が拳を振り上げ始めた。


「静まれ!」

 バルコニーに立ったパウエル公爵が大声を放った。

「アナスタシア皇女殿下は、宰相のペトロ・スタール・ルヒデン大公の策略に嵌り、自らその命をお絶ちなられたのだ!」

 一瞬にして民衆達は静まり返った。

 吹きすさぶ風音だけが会場にうねりを上げていた。

「聞いてくれ、皆の者!」

 と切り出したパウエルは隔離施設に軟禁されていたアナスタシアが、ペトロの孫・ミハイル皇子によって、憎愛の腕輪をはめられた事から話し始めた。

 民衆を扇動して隔離施設に集めたのは、憎愛の腕輪に支配されたアナスタシアを解放して、民衆を殺戮させるためだった。頃合いを計り、ミハイルが自らの手でアナスタシアを成敗すれば、人心が自分に集まると考えたであろう、と。

「魔道具に体を支配されたアナスタシア様は、きっと嘆き苦しんだはずだ。―――このままでは愛して止まなかったキミ達民衆を殺害してしまう―――そう思い悩んだ挙句、アナスタシア皇女殿下は……キミ達を守るために……自らの胸に刃を突いて……死をお選びになられたのだ……! アナスタシア皇女殿下は……最期まで……キミ達を……愛して止まなかったのだ!」

 こうべを垂れて涙を零すパウエルに、民衆達の間から嗚咽が漏れた。

「マリー様は今、マイストールで永遠の眠りに就かれています」

 そう言いながらパウエルは、戸惑うシャルルをバルコニー引っ張り出した。

「彼はロマノフ帝国から独立したマイストール共和国初代大統領のシャルル・ロイ・マイストールだ。彼は私心を以て独立宣言をしたのではない。お亡くなりになられたアナスタシア様皇女殿下とその仲間を守るため、いてはロマノフ帝国の正道を正すために立ち上がった、彼こそ真の英雄だ!」

 会場からパラパラと歓声が上がり、やがてそれは大きな渦となって大聖殿前の大広場を飲み込んだ。

「シャルル!」

「シャルル!」

「シャルル!」

 頬を紅色させて手を振るシャルルだった。


 だが、シャルルの歓声はいつまでも続かなかった。彼らもまた愛すべきアナスタシアの死を知らされたのだから。

 再び静かになった会場がすすり泣く声に埋め尽くされた。


「軍師殿」

 ペトロの前で膝を落としていたミランダが、葵に手を差し出した。

「バルコニーまで連れて行ってもらえますか?」

 やつれてはいるが、何やら決意を窺わせるミランダの顔を見て、葵は頷いた。

 葵が右手を補佐すると、スルーズが左側に寄り添った。

「ありがとう。わたしには最後に為すべきことがあります」

 ミランダがバルコニーに立つと、諸侯・民衆が注目した。

「皆に伝えなければならないことがあります!」

 儚く弱弱しく見えるその容姿には似合わず、よく通るアルトが会場に響いた。

「わたくしミランダ・ルビ・ロマノフは本日を以て皇帝に即位し、本日を以て退位するものである」

 予想もしないミランダの宣言に、諸侯・民衆問わず、ここにいる全ての者が戸惑いを見せた。

 パウエルも例外ではなかったようだ。

「皇妃様……いえ、新・皇帝陛下、少しお戯れが過ぎるのではないでしょうか?」

「戯れではありません。

 ミランダは凛とした眼差しでパウエルを見つめた。

「宰相……? た、大公?」

 しものパウエルも狼狽うろたえを隠せなかった。

「本日付であなたは皇帝を補佐する宰相となり、順列第一位の大公の称号を与えます。そして……」

 ミランダの目が一瞬、笑った。

「軍師孔明―――こと桐葉葵を次期ロマノフ皇帝とすることをここに宣言いたします。異議ある者は述べられよ」

 民衆の間からはその日一番の歓声が上がった。

 諸侯達は民衆とは真逆の眼差しを向けていたが、この雰囲気で異議申し立てなど出来るものではない。

「お待ちください。ぼくにはそんな気もないし、そんな資格もありません―――みんな待ってくれ! ぼくはそんなつもりはないんだ!」

 叫んだ所で最早民衆には葵の声は届いていなかった。そしてタイミング悪く、荒れていた天気と暴風が急速に止んで、照明魔石が点灯した。

【兄さんアンチ魔法を解いたよ。だけどぼくはマイストールじゃなく、今から兄さんの傍に行くからね】

 ハルの声が黄色の魔石を通して聞こえた。ハルは勘のいい子だから葵の意図に気付いたようだ。


「奇跡だ! 孔明様の即位とともに嵐が収まった」

「いや、神々も孔明様の即位を望んでいたんだよ」

「違う。アナスタシア様だ」

「そうだ。アナスタシア様が、孔明様の即位を望んでおられるのだ」

 魔法マナの根源であるセントラルハーツの存在はS級魔導師と上流貴族の中でも極一部の者しか知らない。先ほどの天変地異が神がかったものと捉えられても、それを説明する術はなかった。

(国家機密と言うのはこういうのを指すんだな)


「孔明様…じゃなく葵様!」

「それも違うぞ。皇帝陛下だ!」

「葵皇帝陛下! バンザイ!」

「バンザイ! バンザイ!」

「バンザイ! バンザイ!」

 大聖堂大広場にいつ鳴り止むとも知れないシュプレヒコールが起こった。

「これだけの支持を集められた皇帝即位式を見るのは初めてだ。もう逃げられないぞ」

 パウエルはそう言うと葵の前に膝を落とした。

「皇帝陛下・桐葉葵様! ご即位おめでとうございます」

 パウエルに続いてスワトル・ピーター・レブリトール辺境伯とシャルルが膝を落とすと、諸侯が一斉に座を外して、床に両膝を付けた。

 そしてパウエルはもう一度バルコニーから身を乗り出した。

「葵陛下が即位できる所以ゆえんを述べたい。この御方は、九年前のゲルマン帝国との戦いでお亡くなりになられたトーマン・ミラー様の生まれ変わりなのだ」

 パウエルは異世界転生したトーマスをシャルル達がクロノスの世界に召喚して呼び戻した事を付け加えた後、膝を落としてミランダに向き合った。

「シャルル男爵は、マイストールを独立したにも関わらす、ロマノフ帝国皇帝を盟主とあがめる約束もして頂いた。それらの功績を考慮すれば男爵位では収まらないとわたしは考えます」

「如何なる地位がよろしいですか?」

 ミランダが問うた。

「わたしが大公になったことで空席となった地位がございます」

 パウエルの言葉で会場に轟音のようなどよめきが起こった。

「よろしいでしょう。皇帝として、わたしの最初で最後の仕事となりましょう」

 ミランダはシャルルに向き返った。

「シャルル男爵を四階級特進で公爵位を与えることにいたします。領土の分割は次期皇帝の下で行ってください。わたくしミランダ・ルビ・ロマノフは以上を以て退位を宣言いたします」

 そう言って背中を向けるミランダを葵はエスコートしようとしたが、彼女はそれを拒絶した。

「国民感情も、あなたのお気持ちも、そして父の所業もすべて分かっています。それでも……」

 ミランダは押さえていた怨嗟の目を初めて葵に見せた。

「一人息子のミハイルと、父親を亡くした、一人の人間としてのミランダは……あなたが憎い……」

 葵は冷水を頭から掛けられたような錯覚に陥った。

 侍女に支えられながら去り行くミランダの後姿を、ただ見送る事しか出来なかった。

《葵様……》

 背後のスルーズが心に語り掛けた。

〈ロゼ……。本懐を遂げた所で何も得られない……そう分かっているつもりだった。……だけでは、それだけでは収まらなかった……。より失うものの多さに、ぼく今、どうしていいのか分からない。つまるところぼくは……何も分かっていなかったんだよ〉

 鳴り止まない民衆のシュプレヒコールは、葵の耳には届いていなかった。

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