第87話 スルーズの絶叫





 シュバルツ平原に置いてマイストール軍とエルミタージュ軍は睨み合っていた。

 エルミタージュ軍の司令官は隣接するコーデルトールを治めるロベリア・ハンク・コーデルトール伯爵だった。

 マイストール家とコーデルトール家は友好関係にあったから、どちらにとっても戦い辛い相手であっただろう。それを考慮した上でペトロはコーデルトールに出陣を要請したのだ。

 コーデルトールの兵は二千。諸侯からはそれぞれ四千五百の兵を集め、帝都の正規軍は五百しか派兵していなかった。

 小高い丘に布陣するマイストール軍を、エルミタージュ軍は三方より取り囲むよう、少しずつにじり寄っていた。

 その様子を五十キロも離れたシュバルツの森で、ミシェールの手鏡越しに戦況を見ていたスルーズが、

「作戦準備」

 と告げた。

「了解。作戦準備」

 S級通信魔法使いのビンセントがそれを復唱し、受信側のハルに伝えた。

 この戦いでのキーポイントはハルの起用である。

 リンダの感知魔法もミシェールの手鏡も、今から戦いが始まろうとしている五十キロ先のシュバルツ平原は、二人の魔力の限界を超えていたが、ハルの中継魔法がそれをカバーしていた。

 葵の世界観に言い換えれば魔法の発動がWi-Fiなら、ハルの中継魔法は、通信環境を広げる中継器と言った所だ。

 シュバルツの森にいながらスルーズが采配を振るえるのは、ハルの能力あっての戦術だ。

 こちらに有利な条件をもう一つある。ハルの傍でエリーゼがアンチ魔法をコントロール出来るので、マイストール軍の魔法マナは、敵側の索敵には感知されないのである。

 アナスタシアが遺言した「二人のダッグ」をスルーズは実践して見せたのだ。


 その日はマイストール軍は向かい風の中にいた。

 加えて、エルミタージュ軍の前衛には風魔法使いが並べられていた。

 リンダの感知魔法でマナの種類は特定できるのだ。

「相手も葵様のOCガス対策を念頭にいれているようね」

「何だよその、OCガスって?」

 聞き返すリンダにスルーズは笑って見せた。

「見ていれば分かるわ」 

 間もなく、ハルから作戦準備完了の報を受け、スルーズはゴーサインを出した。 

 

 マイストール軍が放ったロケットランチャーが開戦の合図となった。

 向かい風や風魔法に一切左右されない近代兵器は、エルミタージュ軍の後方で炸裂した。続いて二発目・三発目が左右に打ち分けられ、ほぼ狙い通りに着弾した。

 エルミタージュ軍後方より地面にひれ伏す兵士達が後を絶たなかった。

 ミシェールの手鏡では、音声はキャッチ出来ないが、混乱している様子は窺え知れた。

 そう、ロケットランチャーの弾頭にはOCガスをくくりつけていたのだ。

「一体、何が起こっているんだよ!」

 リンダは驚きを隠さなかった。

「葵様の世界の武器よ」


 マイストール軍本陣のある丘陵を左右から回り込んだエルミタージュ軍には自動操縦で弾丸の雨を降らせた。

 血しぶきが地面を赤く染め、次々に兵士達が倒れて行った。

 その血生臭い光景に、ミシェールは目を逸らし、戦場を知るリンダでさえ愕然とした様子で固まっていた。

『やめろ! やめてくれ!』

 アナスタシアなら間違いなくそう叫んでいただろう。

 だけどスルーズは容赦しなかった。

 好戦的ではないが、戦いに置いて一切の躊躇ちゅうちょはなかった。

 昨日の友であろうが、敵に回った者への殺戮さつりく躊躇ためらいは禁物だった。

 そしてスルーズは、相手方の無防備な兵の進め方を見て気付いた。

(マリー様が存命だと確信しているようね)

 慈悲深いアナスタシアなら何らかの手心があるだろうと考えたに違いない。

(わたしを相手にしたのは誤算だったわね)

 戦場に置いて急所を外すなどあり得ない。スルーズが狙うのは常に首か心蔵だった。

 戦術においても同じだ。存命はさせない。死あるのみだ。


 ミシェールの手鏡の画像が時々乱れた。

 魔法マナを中継するハルの心が乱れが交信に影響するのだ。

《ハル。大丈夫よ。あなたのこと守ってくれるわ》

 ハルとエリーゼにはメリッサとポーラを付けていた。

【ごめんなさい、ロゼ姉さん。少しビビっちゃって】 

《気にしないで。わたしだって初陣の時は何にもできなかったのよ》

【ロゼ姉さんでもそうなんだ。何か安心しちゃった】

《メリッサ達がちゃんとあなたたちを守ってくれるわ。信じてあげてね》

 スルーズの言葉には何の保証もない。それはハルも気付いているだろう。

 それでもそう言った言葉は必要だった。


 圧倒的に数の少ないマイストール軍が、戦況を有利に進めていた。

 ロケットランチャーでOCガスを後方に落として背後を崩し、攻めて来た左右前方の敵は三丁の自動操縦の餌食にした。

 丘を上ってくる近距離の敵には弓を放ち、攻撃を掻いくぐって到達した敵兵は、シャルル軍のゴメスとハモンド・リンダが中心となって迎撃した。

「なんか上手く行き過ぎてないか?」

 予想以上の戦果に、リンダが不安な顔を見せた。

「だって、軍師殿を欺く程の手練れのペトロが、こうもアッサリこちらの術中にはまるもんかね」

 それはスルーズの懸念する所でもあった。

「何か気付いたことはない?」

 スルーズはリンダが感知出来る魔法マナの動きを尋ねていた。

「そうだな……。特に変わった様子は窺えないが、戦線離脱者が少し多いかな……」

 リンダの目が止まった。

「離脱と言うより……これは、走竜の速度だよ……!」

 走竜は時速七十キロで走る。

「何を感じたの?」

「離脱じゃない! 明らかにこちらに向かっている!」

「リンダ、落ち着いて」

 興奮しやすいのがリンダの難点だ。

 リンダの説明で見えた事は、それぞれ単身で戦線離脱したかに見えたマナがシュバルツの森のある一点を目指して集結し始めているというのだ。

「その数は二百人くらいだ」


 スルーズはミシェールに手鏡の意識を彼らの集まるシュバルツの森の入口に向けてもらった。

(いた)

 ヒルーデ・アイ・レーニエ男爵以下、マーシャルアーツ・カンパテーション本選に出場した顔触れが多くいた。特に腕の立つシャバリエを集めたようだ。

「離脱と見せかけて、狙いは最初からこっちだったようね」

「皇女様の身柄の確保が目的と言うことか」

 ヒルーデの下に遅れて来た者が徐々に終結し始めていた。

「ギルバート、転移魔法をお願い」

「待て、わたしも一緒に行くよ」

「あなたはここに残って欲しいの」

 スルーズがリンダをたしなめた。

「わたしに何かあった時、みんなと一緒に葵様を連れてシャルル軍に合流してもらいたの。だからここに残って。お願い出来るかしら?」

「でも……」

「わたしの他に葵様を守れるのは、あなたしかいないのよ」

 リンダは単純だが、バカではない。スルーズの言葉の意味は十分理解していた。

(それに、あなたではあの連中の相手は出来ないわ) 

 一対一なら勝てる相手もいるだろうが、複数で来られたら、リンダの剣技では防ぎ切れないと思った。

 リンダは小さく頷いた。

「お願いね、ギルバート」

「分かったよ。でも、帰って来てくれよ。お姫様の時の二の舞は、もうイヤだよ」

「大丈夫よ。わたしはバルキュリアクイーンのスルーズよ」

 スルーズは軽く笑みを浮かべると、ギルバートの作った転移ゲートを潜った。



 辺り一面に、一メートル程の高さの草が生い茂っている、戦いに適さない場所だった。

 五・六十メートル程先にヒルーデ達の姿があった。

「やっぱり来たか。分かってはいても、転移魔法を実際に見せられると驚きは隠せないな」

 言いながらヒルーデの目は、スルーズの背後で閉じて行くゲートを見ていた。

「アナスタシア様と軍師殿がこちらにいることは分かっている。とは言え、すんなり通してくれる気はないのだろ?」

「愚問ですわ。ヒルーデ男爵」

 ヒルーデはニヤリと笑うと、

「マーシャルアーツの屈辱はこの場で晴らさせてもらうぞ」

 一斉に走竜が向かって来た。

 馬上から斬りかかって来るのかと身構えたが、ヒルーデの目を魔法で読心した時、スルーズはそうでないことを知った。

(しまった!)

 スルーズの左右を遠巻きに通過しながら、彼らはスルーズ目がけて布袋を投げた。

 袋の中身はOCガスだった。

 原液ではない。ロケットランチャーによって振り撒かれたガスを、仲間が体を張ってその袋に詰めたものだ。

(この戦いにOCガスを使用することも看破されていたのか。そしてそれをわたしに対する攻撃に利用するとは……)

 スルーズは袋には触れなかったが、散布されたガスの影響から逃れる事は出来なかった。 

 OCガスの密度が低い分、体への影響は甚大ではなかったが、それでも目眩や軽い呼吸困難は避けられなかった。

 生い茂る草がガスの拡散をさまたげていた。

(これも計算の内なのね)

 スルーズはペトロの深い戦術に気後れしそうになった。

「今だ。回復する前に倒せ」

 ヒルーデの指示で兵士達が、今度は剣を抜いて向かって来た。

 平衡感覚が正常でないスルーズは、得意の空中殺法は使えなかった。

 マーシャルアーツ・カンパテーションでスルーズの奥義に敗れたヒルーデの狙いはそこにあった。

 己を知り敵を知れば、百戦危うからずとは言ったものである。

 この状態での上位のA級シュバリエやS級シュバリエとの対決は劣勢を極めた。

(殺られるわけにはいかない)

 スルーズは気力振り絞って迎え撃った。

(わたしがここで倒れたら、葵様は誰が守るのよ!)

 鬼神の如く様相で、スルーズは斬り込んでくる敵を、出来るだけ無駄な動きをしないで斬り倒して行った。

「流石にバルキュリアだ。フラフラになりながらも、剣技に衰えはないな」

 スルーズの周りには数十体のむくろが転がっていた。

「怯むな、屍を乗り越えて行け!」

 ヒルーデの一喝に尻込み始めたシュバリエ達は、もう一度奮起した。

 斬り込んでくる敵をスルーズも負けじと斬り返した。

 足の踏み場もなくなり、時々足を取られる。体調の悪さに加えて足場の悪さに、体勢を崩しながらも、スルーズは必死に凌いでいた。

 足下に転がるむくろはすでに百人―――いや二百人近くあった。 

(もう少しだ……)

 肩で息を切りながら、スルーズは目の前に残る数人のシュバリエを見据えた。

 いずれもヒルーデ以下マーシャルアーツ・カンパテーションの本選メンバーだった。

 時間が経ってスルーズもOCガスの影響が薄れて来た。

(これならいける)

 そう安堵した時、前後左右から四人。同時に斬り込んで来た。

 スルーズは突進する四人の胸を素早くを貫いたが、四人目の後ろに隠れて草むらから飛び込んで来た五人目の男は、スルーズにではなく、左手に持っていた袋に短剣を突き刺して、スルーズの剣の餌食になった。

(しまった!)

 OCガスだった。

 足下に死体の壁が築かれ、身を逸らす事も出来なかったスルーズは真面まともにOCガスを喰らってしまったのだ。

「油断したな、スルーズ。矢張り、切り札は最後に取って置くものだな」

 膝を落としたスルーズの目前にはヒルーデを含む三人のS級シュバリエが残っていた。

 立ち上がろうとしたが、目眩の襲われ再び膝を落としてしまった。

「うおおおお」

 左右から二人のS級シュバリエが斬り込んできた。

(殺られてたまるか……)

 剣と剣が火花を散らした。

 スルーズからの攻撃は出来なかった。相手の剣を受け止めて攻撃を一方的に凌ぐ事しか出来なかった。

 それでもスルーズは、強い目眩の中で、転がっている躯を盾として使い、一人目の胸を貫き、背後から左肩を切られながらも、もう一人の首を掻き斬った。

(………!!)

 だが―――両手が塞がった一瞬のスキを突かれた―――

 振り返った瞬間、ヒルーデの刃が、スルーズの胸を貫く瞬間だった。

(葵様………!!)

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