第78話 エルミタージュの急変





「ところでロゼ、バレッタに読心魔法を使った時、キミは彼女とシンクロしなかったのかい?」

 森の中を歩きながら、今更いまさらと思われる質問をした。

「はい。バレッタと葵様とでは、そもそもシンクロ魔法の性質が違うようです」

 葵もそれは感じていた。

「バレッタの三日前までの記憶しか覗くことは出来なかったし、わたしの記憶を知られることもありませんでした」

「皆と同じ結果だった、と言うことだね」

 ところで、と葵は話題を少しフィードバックさせた。

「二年前…いや、もう三年前になるかな…。王立保養所でリーデルフ・ハイネン王を殺害した時、隣りの部屋にバレッタがいたって話していたけど、シンクロ魔法師だとは気づかなかったんだよね」

「ええ。だってあの時バレッタは普通の十三歳のお姫様で、バルキュリー村の一件にバレッタ自身が絡んでいたとは思ってもみなかったし、それにシンクロ魔法の存在そのものを知らなかったから……」

「リーデルフ・ハイネンを殺害した時、それを知っていたら……」

 スルーズは小さく頷いた。

「バレッタを殺していました。今だって許していませんよ」

 スルーズが体を身震いさせた。

 その思いの強さは葵にも伝わっていた。

 伝わると言うより、葵自身の記憶として、バレッタに対する憎しみが彼の根底にも存在していた。

(だけどぼくは冷静でいなくちゃいけない)

 その思いで公平な観点で裁きを下すジャッジの立場を貫いていた。


 シュバルツの森は心地よい場所だった。

 テロリスト達の尋問は一人ずつ行われた。

 室内ではなく、緑のそよ風の吹く大木の下で、紅茶とクッキーを添えた、尋問と言うよりも面談と言った方が正確かもしれない。

 ミルクティにするもハーブティにするも、彼らに選ばせた。

 硬い表情の彼らも、紅茶とクッキーを口にすると、一様に和らいだ表情になる。

 そこでアナスタシアと葵は、穏やかな談笑の中で、こちらの知りたい事を彼らにイメージさせるよう、言葉巧みに誘導した。そして彼らが心に浮かべた物を、スルーズがすくい上げるのだ。

 二日の間それを繰り返したが、宰相のペトロ・スタール・ルヒデン大公と彼らを結びつける情報は得られなかった。

 帝都での一連の騒ぎの真実は、バレッタのスルーズへの復讐心と、王女の意向に従った従者の忠誠心の範囲を超えなかった。

《ペトロ大公は無関係なのかしら?》

〈或いはとんでもない策士なのかもしれないよ、ペトロ大公は〉

 葵はペトロの関与を思考から切り離せないでいたが、スルーズはそれにコメントしなかった。

 スルーズとペトロは顔を合わせていなかった。つまり読心魔法を使っていない相手だった。


 アナスタシアにペドロ大公の事を尋ねると、

「皇帝陛下は彼を信じ切っている。わたしはよく分からないが、父上が信じる者を疑いたくないと思うだけだ」

 確かにバレッタの思考からは、スルーズへの復讐しか覗き見られなかったし、ペトロの介入は一切感じられなかった。

 それでも葵は心に引っ掛かる何かを、拭い切れないないでいた。

 バレッタの捕獲を巡る一連の行動の中で、ペトロの配下の不審な動きに、証拠には至らないペトロの関与が疑われてならなかった。

「バレッタとペトロ大公に直接の関与はないのかもしれない」

「わたしもそう思う」

 アナスタシアも同じ意見だったが、葵はもう少し踏み込んだ考えを持っていた。

「バレッタには真の目的を告げていないんじゃないのかな」

「どういうことだ?」

「これはぼくの憶測だが、バレッタではなく兄君のシュミット・ハイネン

国王とペトロが裏で繋がているんじゃないかと思っているんだ。マリーも感じていたんじゃないのか? 帝国にはびこる賄賂などの汚職の横行を…」

 アナスタシアは静かに頷いた。

「つまりきみは、その実態の真円にペトロがいるのではないかと思うのだな」

「ええ。ロマノフ帝国はゲルマン王国と比べたら、はるかに統治度の高い国家だ。なのに国境検問でバレッタを素通りさせるなど、統治国家とは思えない規則の緩みが生じている」

「つまりキミは、強い権力を持った何者かの意向が、裏で働いていると見ているのだな。そしてそれがペトロだと」

「国境を預かる辺境伯は、有事の際には皇帝並みの権限を施行する事が許されているんだろ? その辺境伯を抑えつけられるものと言えば、皇帝陛下と……」

「ああ……。皇后様の父君であり、第一皇子ミハイル・イワンの祖父でもある宰相にして大公のペトロ・スタール・ルヒデンくらいだ」

 状況証拠は揃っている。後は関係者の自白と物的証拠だ。

「たぶん彼らは、本当に何も知らされてないのだろうな」

 アナスタシアは美味しそうにミルクティを飲むバレッタの従者を一瞥した。

「ない袖は振れぬと言った所だ。知らされてない事実を語れるわけはない。物的証拠を探し出すしかないと言うことだ」

 アナスタシアはしばらく思案してから言った。

「わたしは一度エルミタージュに戻ろうと思う。父上のことも気になるのでな」

「マリ―、今は危険だよ」

 アナスタシアは笑った。

「キミはわたしを誰だと思っている? S級シュバリエ第二位で、皇位継承第一位のアナスタシア・マリーだぞ。案ずることはない」

「それじゃぼくも一緒に行くよ」

「キミにはここで彼らのことをもっと調べて置いて欲しい。ハモンドとルーシーに来てもらうから心配はいらないぞ。第一キミにはわたしのボディガードは勤まらないではないか」

 葵は苦笑した。

「それを言われたら返す言葉はないよ」

 今までも随分危ない橋を渡って来たのだ。それを思えばお膝元に帰るのだから、危険度は遥かに低いと思った。

 ペトロ大公だって帝都に置いてアナスタシアに危害を加えようとたくらまない筈だ。

 転移魔法に当たって、ビンセント・ジャン・ウェールズを含むテロリスト達を独房ログハウスに閉じ込めた。シャルルとミシェールにギルバートの相手をさせといて、信頼置ける者一同、葵の部屋だったログハウスに集まった。

「ハル、アナスタシア様の部屋までゲートを開けてくれ」

 ハルは「はい」と小さく返事をすると葵の力を借りることなく、大人が十分潜れる大きさのゲートを開いた。成長著しいハルの力は、間違いなくS級の転移魔法だ。

 ハモンドとルーシーが先に入り、間もなくルーシーがゲートから顔を覗かせた。

「問題ありません。アナスタシア様、いらしてください」

「じゃあ行ってくる」

 ゲートを潜り笑顔で振り返ったアナスタシアの存在が、一瞬だが希薄に見えた。

「マリ―……!」

「心配するな。直ぐ戻る」

 葵の顔色を窺い、ゲートを閉じていいのかどうか迷っているハルに、アナスタシアが頷いて見せた。

「兄さん」

 葵に気を遣うハルに、

「いいよ、ハル」

 葵も頷いた。

 ハルがゲートを閉じてもなお、葵の胸騒ぎは収まらなかった。

(杞憂ならいいが……)



 よもやこれが、アナスタシアとの永遠の別れになろうとは、この時の葵に知る由もなかった。



 アナスタシアはその日に戻らなかった。

 翌日も戻らなかった時、流石に葵も杞憂とは思えなかった。

 居ても立ってもいられず、葵も転移魔法でエルミタージュに向かおうとしている所へ、シャルルがマイストールから走竜を飛ばしてやってきた。

「エルミタージュで…大変なことが…起こっているんだ!」

 息を切らして走竜を下りるシャルルを葵が出迎えた。

「何があったんだ?」

 得体の知れない重圧が、葵の胸中に伸し掛かってきた。

「皇帝陛下が殺害された」

「何だって?!」

「アナスタシア様が、その容疑者として、拘束されたらしいんだ」

 葵は言葉も出なかった。

 傍にいたスルーズが葵の腕を掴んだ。

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