第29話 黒い孔明





 エルミタージュの商業ギルドはアナスタシアの来訪をとても歓迎していた。

「アナスタシア様の方から来ていただけるなんて、我々は大感激です」

 少しばかり大袈裟な言い回しだったが、その口ぶりからアナスタシアがこの場所を毛嫌いしているのが分かった。

「お嫌でしたら、退場いたしますが」

 葵がそう言うと、アナスタシアは首を横に振った。

「わたしの個人的な嫌悪感だ。敵と手を組んでも得策を取るのが為政者という者だ。そうだろ、孔明」

「全てがそうとは言い切れませんが」

「今の場合はどうだ?」

「英断だと思います」

「英断か? 大袈裟だな。まあでも、孔明がそう評してくれるのなら、甘んじて受けよう」

「いい受け答えです」

「相変わらずキミは、子ども扱いするのだな」

「はい。スルーズにもよく言われます」

「そうなのか」

 気のせいかアナスタシアが醒めた目をした。

 気にはなかったが、ともあれ今は、商人達に協力を持ち掛ける事が先決だった。


 ギルド室長の会議室だった。

 余分な挨拶は不要だった。何よりもこの後、気になる情報を耳にした、貧困層跡地の視察を予定していた。

 葵は住居一体型の商業施設の説明の後、スルーズの描いた外観パース(完成予想図)を見せた。

 商人たちの反応は葵の期待通りだった。隣でアナスタシアもほくそ笑んでいた。

「資金援助して頂いた商人の方には店舗の永久所有権をお渡しいたします。援助の額に応じて所有する店舗の数も増えると言うことです」

「質問があるのですが」

 ギルド長が手を上げた。

「本当に、この完成予想図通りの街づくりが出来るのですか?」

「はい。この完成図にのっとっって、資材の供給がすでに始まっています」

「もう、始まっているんですか?」

「ええ。この完成図に基づいて岩盤の切り出しと加工を、現在も行っております。この図がたがえば、今やっている作業が全て無駄になります」

「う~ん。もう後には引けないと言う所ですか」

「念のため言っておきますが、アナスタシア様が一緒だからと言って、その威を借りて資金援助を頼んでいるわけではありませんよ。こちらもエルミタージュの商業ギルドにだけこの話を持ち掛けているわけではないのですから。すでにマイストールのシャルル男爵から直々の援助を頂いております」

 一同がざわついた。

「それでシャルル男爵の所有店舗はすでに決まっておるのですか?」

「はい」

 と葵は完成予想図の中央広場に臨む、緑と湖と川のせせらぎを望む、特等地を指さした。

 ギルド長が皆の表情を窺った。

(こんな時、ロゼがいると助かるのにな)

 そう思ったが、ここは葵が乗り切らねばならなかった。

「とにかくお話はここまでです。これから建設予定地を回らないといけないんです。その後もロマノフ帝国内の各都市を回ってスポンサーを募らないといけませんので。それでは失礼いたします」

「あの、お待ちください。わたしたちは何も援助はしないとは言ってません。ただ……」

 葵は満面の笑顔を彼らに向けた。

「心配には及びません。資金援助の有無は関係ありません。あなた方とアナスタシア様の関係は全く別物ですから。それでは次に行きましようか、アナスタシア様」

「お、お待ちください。折角来られたのに手ぶられ帰られては、わたしらのメンツに関わります。どうか、もう少しお話させてください」

 葵は当惑気な顔を見せた。

「ぼく達も忙しいのです。成立しない交渉にいつまでも関わってはいられないんですよ」

「少し…少し話し合いたいのです」

 葵は頷いて見せた。

「それでは少しブレイクタイムとしましょうか」

 そう、すっかり定着した例の葵の手口だ。

 ミルクティとクッキーを彼らに差し出した。

 彼らの反応も葵の期待を裏切らなかった。

「これは素晴らしい飲み物だ。こんな飲み物がこの世にあったとは、今まで知りませんでした」

「わたしもですよ、ギルド長」

「わたしもです」

 と一同はくつろいだ表情を初めて見せた。

「娘にも飲ませてやりたい。きっと喜ぶぞ」

 と言った男が葵に目を向けた。

「どこの店に行けばこれが飲めますか?」

「ロマノフ帝国で唯一、マイストールにお店を出していますよ」

「マイストール……!?」

 ギルド長は感がいいようだ。ハッとした顔になった。

「それでは開発地区で出店するマイストールの店とは、このミルクティとクッキーを提供する店舗なんですね?」

「その通りです。間違いなく流行はやると思ったから、一番いい場所を提供したんですよ」

「ああ。そういうことでしたかぁ。納得いたしました」

「マイストールはサクラではないかと勘繰っていらっしゃいましたね?」

「い、いや、申し訳ありません。でも、このミルクティとクッキーを出されては、疑う余地はございません。間違いなく売れる商品です。皆はどう思う?」

 ギルド長の言葉に、先ほどとは打って変わって、商人達は好意的な顔で頷いて見せた。

「このミルクティのように独自性のある商品だけを望んでいるのではありません。野菜や肉や卵など、生活に必要な店舗も必要だと考えています」

 葵は彼らが興味を示した所で、諸条件を提示した。

「開発地区ではギルドとは別の商業組合を作ります。組合に入ってもらい店舗営業に当たって、組合の取り決めに従ってもらいます」

「どのような取り決めですか?」

「大きく三つあります。一つは、店長もしくはそれに準ずる店舗管理者以外は、開発地区居住者を雇用すること。隣接する貧困街の人も対象とします。二つ目は、最低賃金は時給銀貨一枚とすること。三つ目は一日七時間労働とし、三日の労働に対して一日の休日を与えること。以上です。難しいでしょうか?」

「いや、賃金は少し高いが集客があれば問題はないでしょう。開発地区の雇用も職住接近でいいと思いますし、休日と労働時間の制限は良識を逸脱していないので問題ありません。いいでしょう。その条件でこれからのことを話し合っていきましょう」

「分かりました」

 葵がギルド長と握手をすると、先程から静観していたアナスタシアも前に出てギルド長と握手を交わした。

「よろしく頼む」

「はい。アナスタシア様とこうしてお話が出来たのも何かの縁です。あなたの意思にそぐわないよう精進してまいります」

 商業ギルドとの話し合いは、これからも継続する事を約束して、葵とアナスタシアはギルドを後にした。


 アナスタシアは黙ったままだった。

 葵も彼女の言いたいことは何となく分かっていた。

「何か仰りたいんでしょ? アナスタシア様」

 葵が訪ねるとアナスタシアは噴水のある広場のベンチで立ち止まり、葵を促して座った。

「今日の孔明は、何だが別人だった。黒い孔明とでも言うべきかもしれない」

「黒い孔明……ですか」

 葵は少し間隔を開けてアナスタシアの隣りに座った。

「ギルド長との駆け引きが気に入りませんでしたか?」

 アナスタシアは答えなかった。が、その態度が答えでもあった。

「ぼくはさっき、馬車の中であなたのことを『真っ直ぐ過ぎる』と言いましたよね」

 アナスタシアは無言で頷いた。

「ぼくの話し相手があなたであるなら、ぼくは裸になって語り合う事が出来ます。でも、彼らは手練手管の化け物です。悪事は働かなくとも、より大きな利益を求めて、強かな駆け引きを仕掛けてくるのです。そんな相手にはぼくも遠慮は致しません。これは戦時に置ける戦略・戦術なんです」

 アナスタシアは唇を噛んだまま何も答えなかった。

「ぼくは、元居た世界には誰も頼る人がいなかったんです。八歳の時、両親が殺されて、親戚に引き取られて育てられたものの、そこには家族の繋がりはなかった。ぼくは誰にも縋ることが出来ず、何時も一人でした。学校に行っても友達も出来ず、持物がなくなると、ゴミ箱を覗けば必ずありました。いじめられていました。だからぼくは、みんなに背中を向けて生きて行こうとしたんです。頼る者は誰もいなかったから、自らを守る手段としてぼくは兵法に傾倒するしかなかったのです。そこに心はなく、ただ実があるのみでした。食うか食われるか、ぼくの生い立ちは血を流さない戦場のようなものでした」

 葵は立ち上がった。

(何だろうこの感覚)

 そう、これは怒りだ。葵は無性にアナスタシアに怒りを覚えて仕方なかった。

 人という者は、とかく自分を第一に考え、その為には誰かを蹴落とす事だって出来る生き物だ。

 そんな中で、自身を顧みず、弱きを助け強きをくじく正義の味方のようなアナスタシアの生き方に、葵は危うさともどかしさを感じていた。

 それをいけないとは言わない。

 自分を第一に考えた上で人々に慈悲を与えるのであればいい。

 だがアナスタシアのやり方はそうではない。

 自己犠牲の中でやり遂げようとしている。

 今回の開発の一件だってそうだ。

 黙って任せていれば、アナスタシアは間違いなく破産していただろう。

 皇族が、身を切って国民を守るのは当たり前だとアナスタシアは思っているが、それは違うのだ。

 アナスタシアは倒れてはいけないのだ。

 それは彼女を慕う誰もが知っている。

 知っているから、アナスタシアを守るために、周りの者が体を張って立ち向かわねばならなくなるのだ。

 葵はアナスタシアにその事を知って欲しかった。

 でないと、自らも、そし彼女を慕う周囲の人間も、結局は全て傷つけてしまうからだ。

「アナスタシア様が聖女でいられるのは、泥を被る者がいるからです。今までだって、今日のぼくのように黒い人間があなたを守っていたはずです。あなたは真っ直ぐに生きようとしている。それは素晴らしいことだと思います。でも、あなたが真っ直ぐ歩くために、あなたのため、体を張って道を開かなければならない人がいる事を、忘れないで欲しいのです。あなたには見えないかもしれないけど、アナスタシア様は今、あなたのために笑って身を捧げた沢山の屍の上に立っているんですよ」

 アナスタシアも立ち上がった。

 仁王立ちと言ったらいいだろう。怒りを顕にして葵を睨みつけた。

「ずいぶん酷いことを言うんだな、キミは!」

 唇が震えていた。

「ぼくは嫌われることを厭わない。今までだって誰にも愛されてこなかったんだから。ぼくにはこういうやり方しか出来ないんです。虚々実々の駆け引き……それがぼくの全てです。ぼくはあなたのために喜んで黒い孔明になりましょう。それを嫌うならぼくは何処にでも行きます」

「クッ……」

 押し殺したような小さな声を発した後、アナスタシアは顔を地面に向けた。

 俯いたアナスタシアの顔からこぼれれた水滴が、乾いた石畳に落ちた。

「アナスタシア様……!」

 少し後ろで控えていたルーシーがアナスタシアに寄り添い、葵を睨んだ。

「孔明様。お言葉が過ぎますよ」

「分かっています……」

 自分でも喋っていて嫌になっていた。

 真っ白なアナスタシアを傷つけただけなのだ。

「ルーシー。すまないが、アナスタシア様を頼む。開発地区にはぼくだけて行くから」

 それだけ告げると葵は二人に背中を向けた。

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