第四章 魔女と太陽 3

 狼たちを引き連れて王都へ戻って来たソールを真っ先に出迎えたのは、ヤルルとアルルだった。

 「おーそーいー!」

アルルは本気で腹を立てていたようで、突撃してくるなりソールの前髪をぐいぐい引っ張った。

 「ごはんまでに帰ってきてっていったのにぃ!」

 「キュ…キュッ?!」

とばっちりでティキまでひげをひっぱられている。ソールは、笑いながら小さな妖精を引き剥がして、そっと手の平の上に載せた。

 「何時のごはんかは言って無かっただろ。仲間を連れてきたんだから許してくれよ」

 「狼なんて信用できるの?」

ヤルルは半信半疑だ。「むかしは魔女の仲間だった一族だよ」

 「狼とヘビは嫌い」

アルルも不満げだ。

 「大丈夫だよ。魔女の仲間じゃないことは確かめたし」

その人狼族たちは、今頃は、あらかじめフリーダが手配しておいた空きの兵舎に連れて行かれているはずだ。彼らには、まずは十分な食事を与えなければならない。それが、彼らへの唯一の報酬なのだ。

 「ソール、こっちだ」

廊下の端で待っていたベイオールが手招きする。

 「戻ったら、女王陛下のところへ案内するように言われている。オラトリオ殿も一緒だ」

先に立って歩く少年の表情は、相変わらず憮然としている。

 「失礼します。」

ベイオールが向ったのは、謁見の間とは違う、今まで入ったことのない部屋だった。扉を開くと、重厚な雰囲気の書斎が目の前に広がり、テーブルを囲んで何かを眺めていた女王ゲルダとオラトリオとが同時に顔を上げた。

 「お帰りなさい。フリーダから話は聞いているわ。こちらも準備は整いましたよ」

 「いつでも北の山へ発てる」

 「それじゃあ?」

オラトリオが頷き、手元の羊皮紙に視線をやった。

 「これが地図だ」

机の上に広げられた羊皮紙の上には、王都からまっすぐに北に向かって伸びる線が引かれている。

 「かつて町のあった場所を辿るのは効率的ではないという結論に達した。むしろ敵に襲われにくい森や湖のような場所を選ぶべきだ。最短距離ではないが、敵に襲われる機会は減らせるだろう。」

 「森?」

ゲルダがにっこりと微笑む。

 「雪に土が混じると巨人は生み出されない、とは、そなた自身が明らかにしたところでしょう。木々のあるところでは、雪に不純物が混じってしまうのではなくて?」

 「ああ、そうか」

それは、自分では思いつかなかった戦法だ。オラトリオは、地図の上に指を走らせてゆく。

 「それから、山の位置だ。今の季節は海から風が吹く。この線上なら、南からの風に乗って移動できるだろう。いくら魔女とて、風向きを無理やり変えるのは容易いことではなかろうからな」

 「風の精霊を使える精霊使いが必要ってことか」

 「案ずる必要はない。わしが赴く」

と、オラトリオ。これにはソールも少し驚いた。

 「あんたが? けど、ここの守りは――」

 「攻めさせねばよいのだ。新たに雪が降らねばよいのだろう?」

 「ハルベルトも居ます。彼にも挽回の機会くらいくれてもいいでしょう。」

 「…女王さまが言うんなら、俺は構わないけど。」

 「それにな、わしも馬は持っておる」

あごに手をやりながら、老魔法使いは口元に笑みを浮かべた。

 「老いぼれ馬だが、空を駆ける馬には違いない。並みの馬を連れていくよりはよっぽど速いわい」

 「おれも志願した」

振り返ると、ベイオールは固い表情で腰の剣に手をやっていた。

 「…足手まといにはならないつもりだ。」

 「フリーダも張り切っていたわ。今度ばかりは、止めても無駄みたい」

女王は、困ったような微笑を浮かべている。

 「誰に似たのかと言いたいところだけれど、私に似てしまったのよね、残念ながら。私だって若い頃には多少の無茶はしたものだし」

 「はっはっ、あの頃の陛下は実におてんばであらせられましたな」

オラトリオが膝を叩いて陽気に笑い、それから、すぐに真面目な顔に戻った。

 「――それともう一つ。あれから書庫を調べていて、分かったことがあるのだ」

 「魔女のことか?」

前に会った時、調べておく、とオラトリオは言っていた。

 「そうだ。大したことではないのだが、"冬の魔女"と呼ばれる存在は、どうやら、わしが生まれるはるか以前から言及されておるもののようだった。最も新しい記録では、三百年前のものだ。そこには『冬の魔女スニルダが生贄を要求した』と書かれておった」

 「…スニルダ?」

ソールは眉を寄せ、記憶を手繰った。「…確か、冬の魔女の名前は"ラヴェンナ"だって聞いた気がする」

 「そうだ。今の冬の魔女はそう名乗っておる。」

 「魔女が二人いるのか?」

 「或いは、代替わりするものなのかもしれぬ。これ以上のことは分からん。ただ、三百年前にも冬の魔女が進攻し、その時は撃退出来ておる。奴を倒すことは不可能ではないはずなのだ」

オラトリオの声には、期待とともに強い力が篭っている。

 「私もそう願っています。ソール殿、どうかよしなに。」

女王が軽く頭を下げた。「そなたに託します」

 「分かった。あの馬は、使わせてもらえるんだよな」

 「グラニね。ええ、勿論。でも気まぐれな子だから背中から放りだされないように気をつけることね。」

頷いて、ソールは部屋を後にした。ベイオールもついてくる。

 「…おれが進軍に同行することに、不安はないのか?」

部屋を出たところで、彼は唐突に言った。

 「不安? 何で」

 「魔女は人の心の隙間に付け込むんだぞ。あのハルベルト様でさえ、かどわかされかけた。おれは…」

 「ああ」

ソールは、ちょっと肩をすくめた。「そうしたら、殴ってでも連れ戻すしかないな」

 「……。」

 「そんな顔すんなよ。大丈夫なんじゃないか? 前の自信はどこに行ったんだ」

何か言いたげに口元をもぞつかせたあと、少年は、諦めたように大きな溜息をついた。

 「やっぱり、敵わない。お前には…」

それから、顔を上げて彼自身のいつもの表情を取り戻した。

 「今日くらいはゆっくり休んでろ。じゃあな」

去って行く年若い騎士の後姿が廊下の端に見えなくなるや否や、ソールの頭の上に乗っていたアルルが気に食わないというように鼻を鳴らした。

 「なーに、あいつ、急になれなれしくなっちゃってー」

 「アルルあいつのこと嫌いだよね」 

 「だってソールにいじわる言うんだもん!」

 「俺は別に、嫌いじゃないけどな…」

 「ソールは優しすぎるの!」

ぐいっと前髪を引っ張りながら、アルルが目の前に体をずらしてくる。ソールの目の前に、逆さまになったアルルの顔があった。

 「ねえソール。魔女を倒したら、あの山に帰るんだよね」

 「そうだよ」

 「そしたらフリーダとお別れ?」

 「……そうだな」

それは、ここのところ薄々と考えていたことでもあった。この戦いが終わるときは、それぞれの故郷へ帰る時だ、と。

 「嫌だな、ぼくフリーダも一緒がいいな」

 「仕方ないだろ、フリーダの家はここだし、家族もみんな居るんだから。あと、お前たちも自分の森に帰らないといけないだろ」

 「やだ。アルルはずっとソールと一緒がいい」

 「帰りたくない。いいでしょ」

 「うーん、お前たちの家族がいいって言えばだけどさ…」

歩き出そうとしたとき、視界の端を銀色の髪が横切った。

 「あ」

思わず挙げた上げた声に反応するように、少女が振り返った。フルールだ。ソールに敵意にも似た視線を投げかけると、窓の向こうに見える渡り廊下を駆け去って行く。

 フルールとは、どう接していいのかいまだによく分からない。

 上の二人、フローラとフィオーラよりはフリーダによく似ているのに、雰囲気は正反対だ。衣装の選び方も、立ち振る舞いも。そして、同じ色をしていながら、彼女の春色の瞳は、早春の雪の重みに花芽を押しつぶされている花のような、悲しげな輝きをいつも宿していた。




 出立の朝。

 北へ旅立つのは、ソールを含めて全部で七人。ティキに、ヤルルとアルル。フリーダと、それに、オラトリオとベイオールが一緒だ。人狼族たちは、一足早くに城壁を出て、北への道を探っている。

 「頼んだぞ。ここのことは心配するな」

城壁前まで見送りにやってきたハルベルトの顔色は、以前よりだいぶ良くなっていた。傍らには、フローラも一緒だ。

 「気をつけて。もし何かあったら、引き返してきても構わないのよ。あなたたちさえ無事なら次の機会はまたあるんだから」

 「ああ。誰も死なせないよ」

馬上からソールが言う。今回は全員が、北へ向かうために特別にあつらえられた分厚いコートを羽織っている。空を流れる雲は早い。

 「風が出てきたな」

見上げて、オラトリオが呟いた。

 「魔女は近くにいるの?」

 「いいや。だが、急いだほうが良さそうだな」

城門が開かれる。四頭の馬は、それぞれに雪の上を駆け始めた。あまり高度は上げず、かといって雪の表面にひづめは付けず、地面すれすれの位置を風と一体化したように走る。走り出して間もなく、先行していた狼の一頭が駆け寄ってきた。

 「…この先に大きな雪だまりが出来ているらしい。かつて沼地だった場所だ。最近降った雪だと」

オラトリオが狼の言葉を通訳する。

 「じゃあ、そこは避けたほうが良さそうね」

 「そうだな」

馬は進路を変更する。最初の宿泊地は北の方向にある森と決めてあるが、そこまでの道のりを直線で向かう必要はなかった。むしろ、出来る限り体力を消耗せず、戦わずに敵の本拠地まで辿り着くことが、第一の目的なのだった。

 「ソール」

オラトリオが馬を早め、先頭をゆくソールの馬に寄せる。

 「出発前に言ったと思うが、まずはそなたの魔力の温存が第一だ。もし途中で魔女のしもべどもと出くわしても、出来るだけ、そなたは手を出すな」

 「ああ。分かってる」

ソールは、ベルトに挿した鎚に手をやる。「けど、あんたたちを危ない目に遭わせるつもりはないぞ」

 「ふん、侮るな」

ベイオールがむすっとしたような顔で言う。「木偶の坊な巨人相手くらいで遅れは取るものか」

 「今回は私もいるんだからね」

と、フリーダ。「必ず辿り着きましょう、北の山へ」

 「…ああ」

頷いて、ソールは、行く手に視線を戻した。行く手の北の方角には、暗く分厚い雲が、重たく何重にも空を覆っていた。




 その森は、凍り付いて枯れ果てた木が延々と続くだけの場所だった。分厚く降りつもった雪の中には、落ちた枝や、黒々とした根っこが所々に突き出している。音は何も聞こえない。しんと静まり返って、誰もいない。

 「足を引っかけんようにな。頭上にも気をつけて」

一行は馬を降り、たづなを手に森の中を進んでいた。ここが今夜の宿になるのだ。これだけ木が密集している場所なら、寝ているすぐ側に突然氷の巨人が出てくることはない。

 「なんだか不気味な場所だなあ」

と、ヤルル。

 「だが、ここはかつて妖精の棲む森の一つだったのだ」

 「ほんとに?」

 「あっという間に吹雪に襲われて、ほとんど死に絶えてしまったがな。数少ない生き残りが、王都の中庭にいる者たちだ」

 「あいつらか…。」

ヤルルとアルルが弱っていたとき、治療してくれた妖精たちのことはソールも覚えていた。ヤルルたちとは少し見た目の違う、色白でほっそりしたトネリコのような妖精たちだった。

 「さて、ここらでよかろう」

開けた場所まで来て、オラトリオは足を止めた。木立の間から、何頭かの狼たちが集まってくる。

 「ふむ。雪雲が集まってきている、か。どうやら、魔女めもこちらの動きに気づいておるらしいな」

にやりと笑って、オラトリオは杖を掲げた。風の精霊を呼んでいるのだ。その脇で、ソールは荷物を降ろしながらアルルに話しかけた。

 「な、連れてきてよかったろ?」

 「むー…」

ソールの頭上で、アルルが頬を膨らませている。

 「仲間は多いほうがいいよね」

と、ヤルル。ソールは雪を掘って土の表面を出すと、そこに持ってきた薪を並べた。待ちかねたというようにティキが薪の上に飛び乗り、くるりと宙返りする。

 「キュッ」

火花が飛び散って、薪の端から煙が上がりはじめる。フリーダは、しゃがみこんでティキが火を起こす姿を面白そうに眺めている。

 「なんか…、こういう風景見るのも久し振りだわ」

 「これも久し振りだろ」

火が起きてきたところで、ソールは取り戻したばかりの鍋を載せた。しばらく暖めてから、鍋のふたを叩いて開く。中から、いつものミルク粥の香りが立ち上る。初めて見るベイオールは驚いた顔だ。

 「無限に粥が湧き出す鍋…"豊饒の大釜"? 古い時代に失われた遺物じゃないか」

 「便利だろ?」

 「便利って…そういう問題じゃ」

 「そういう問題なのよ」

フリーダは済ました顔で、鍋の中から粥を掬い取っている。

 「うーん、飽き飽きしたと思ってたけど久し振りに食べると美味しいわね。あったまるし」

 「だろ? 持ってきて良かっただろ」

 「……。」

ベイオールも、考えるのは諦めた様子で自分の椀を取り上げた。

 「オラトリオ、あなたは?」

 「わしは後でかまわぬよ。この老体だ、腹はそう減らぬ」

老魔法使いは、そう言って何かを見つめるように、険しい表情でじっと空を見上げていた。焚き火の煙と鍋の湯気。ティキは火の側でまるくなり、妖精たちはソールの上着のポケットに隠れている。夜の間は、交替で仮眠をとることになっていた。だが、荷物をまくらに横になっても、ソールはずっと起きていた。眠ろうと思えば眠れたが、今はその時ではないと思っていたからだ。

 夜半を過ぎた頃だ。

 突然、ぱらぱらという音が木々の間に響いてきた。何かが頭上から降ってくる。

 「いたた、何これ」

 「雹…じゃない、小石?!」

飛び起きたフリーダとベイオールが、それぞれの武器を手にとった。

 「キュッ」

ティキがソールに向かって声を発する。

 「…小人だって?」

 「黒いこびと!」

ポケットの中から顔をだしたヤルルが叫ぶ。

 「魔女のてした! 一杯いるよっ」

頭上の枯れた木々の間を走り回る黒い小さな影が見えた。小人たちが、石つぶてを雨あられと降らせているのだ。これにはベイオールの自慢の剣も役に立たない。

 「くそっ、卑怯ものめ」

盾で頭を覆いながら、彼は毒づいている。

 「このっ」

フリーダの矢が枝の上を走る小人の一人をとらえる。けれど、一人に矢を一本ではわりにあわない。

 「撤退だ、急げ。こいつらに関わっている時間が惜しい」

オラトリオが怒鳴り、馬に飛び乗った。ソールたちも続く。石つぶては、森を抜けるまでずっと追いかけてきた。それが止んだ頃には、人も馬も、体中があざだらけになっている。

 「まったく、酷い目にあったわ」

フリーダは文句を言いながら自分とベイオールに治癒の魔法をかけている。ソールとオラトリオのほうは、アルルの役目だ。

 「かつての妖精の森が、今は黒い小人たちの住処か。なんとも因果なものだ」

 「太陽が出れば、あんな奴らみんないなくなるもの」

アルルが口をとがらせる。

 「やっつけちゃっても良かったのに」

 「時間の無駄だ。それに、あやつらを倒したところで魔女は痛くも痒くもあるまい。見ろ、あの先が湖だ」

オラトリオが杖を翳してゆく手を指した。なだらかな雪の斜面の向こうに、凍りついた真っ平らな雪原が見えている。

 「確かに、あそこなら雪の巨人は出せないわね」

 「下は全部、氷だ。おそらく底まで凍りついておるだろう。その先には熱を持った岩場がある。温泉が湧き出しておってな。――遠回りにはなるが、奇襲は防げるだろう」

 「うん。すごいな、さすがだ」

 「だてに長生きはしておらぬ…と言いたいところだが、地図がしっかり作られておったからこそなのだ。書庫の地図のほとんどは、わしの前にカイ国王が作っておられたのでな」

 「父さま…。」

フリーダが呟いた。彼女の父、かつての国王は、魔女との戦いから帰ってこなかった英雄たちのうちの一人だ。

 歩を緩めれば、狼たちが脇を駆け抜けてゆく。あるいは狼たちを追い越し、別の道を辿り、何日もかけて、一行は北への道を辿り続けた。そして終に、北の果て、目指す魔女の住まう地の前に立ったのだった。

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