第35話 雫の独白④
「雫、大丈夫?」
玄関の前に立ったお姉ちゃんが、私の顔を心配そうに覗きこんでくる。
エレインも含め、私とお姉ちゃんが山岳エリアを攻略した日から数日後。ついに、お姉ちゃんと一緒にお出かけする日がやって来た。
数年ぶりの外、更にお姉ちゃんと二人きりでお買い物という状況に緊張する私を見て、具合が悪いとでも思ったんだろう。「無理ならまた今度にする?」と気遣われる。
「大丈夫、行こ」
それに対して、私はガチガチになりながらも気丈に返せた……と思う。あまり自信はないけど、退くわけにもいかない。
何せ、今日の目的はクリアファイルだと言ってあるけど、本当はお姉ちゃんの誕生日プレゼントを買いたいのだ。この日を逃せばチャンスがもうないし、なんとしてでも行かないと。
たとえ、私が今日力尽きるのだとしても……!
「そ、そう? ならいいけど」
そんなにクリアファイルが欲しいのかぁ、と、間違ってないけど見当外れなことを呟きながら、お姉ちゃんが玄関の扉を開ける。
途端、私を照り付ける直射日光を前に、早くも回れ右して帰りたくなった。
いやもう、なんでこの世界には太陽なんてあるの? 一応、今ってまだ春のはずなんだけど、普段全く日の光を浴びない私には既にキツい。辛い。溶けそう。
「はい、雫」
そう思っていると、お姉ちゃんが私に小さな折り畳み傘を一つ手渡してきた。
きょとんと、我ながら間抜けな顔を晒す私を見て、お姉ちゃんはくすりと笑う。
「久し振りに外へ出る雫にプレゼントだよ。気に入って貰えるといいな」
「っ~~!!」
もう、ずるい。
今日は私がプレゼントするつもりだったのに、まさか先を越されるなんて。
悔しさと、それ以上の嬉しさで顔が熱く火照っていくのが自分でも分かって、貰ったばかりの傘で顔を隠してしまう。
開いてもいない傘じゃ、全く隠せてないだろうけど。
「ほら、行こう雫!」
「う、うん……」
お姉ちゃんに手を引かれ、外へ出る。
開いた傘はかわいい花柄のやつで、なかなかセンスがいい。お姉ちゃんだし、私がアニメ好きだからって痛傘にしたわけじゃないのは高評価。
「どう? 本当はアニメのキャラクターがついた奴にしようか迷ったんだけど、雫の好きそうな絵柄がなかったからこっちにしたんだよねー」
訂正、この姉、本当に痛傘にするつもりだったらしい。どこの店か知らないけど、ナイス。
そんな内心を隠して「悪くない」と答えれば、お姉ちゃんは「そっか、良かった」と嬉しそうに笑う。
「それで、どのお店まで行くの?」
「……近くのデパート」
「じゃあこっちだね」
お姉ちゃんに手を引かれ、歩き出す。
恥ずかしくて手を離そうとするんだけど、もしはぐれて迷子になったら困るからって却下された。子供か。
……まあ、嫌じゃないからいいけど。
そんなことを思いながら歩いていくと、周囲の町並みが記憶の中のそれとは随分と違うことに気付かされる。
何度か利用したお店が別の看板に変わっているのを見ては、ちょっとした寂しさを覚え。見覚えのないお店を見かける度、内なる好奇心のままに視線が吸い寄せられていく。
「あそこのコンビニ、二年前に出来たんだよ。前の本屋さん、デパートに吸収されちゃってねー」
「ふーん……」
そうした私の仕草を目敏く見付けては、あれやこれやと説明するお姉ちゃん。
よく覚えてるな、とか、よく気付くな、とか色々と感心するんだけど、そんな自分の気持ちとは裏腹に、口から溢れるのは興味なさそうな素っ気ない返答。
こういうの、あまり良くないとは思うんだけど……中々難しい。
それに、私の小さな反応にさえ喜んでくれるお姉ちゃんを見ていると、これでいいんだってつい甘えちゃう。
やっぱり、お姉ちゃんの隣は居心地が良いって、そう思いながら。
「ほら、着いたよ雫!」
その後も、私のカタツムリみたいなスローペースに合わせてゆっくりと歩き続け、ようやくたどり着いた近所のデパート。
傘を閉じて中に入れば、休日ということもあって溢れんばかりの人の波が目に入る。
昔から、こういう場所は苦手なんだよね……でも、ここでしか狙いの物は買えないし……。
そんな葛藤を抱いていると、私を握るお姉ちゃんの手の力がちょっとだけ増した。
「クリアファイルって、店舗特典なんだっけ? どこで買うの?」
そんな些細なことで勇気づけられてしまう自分に対して、心の中で「ちょろすぎ」とバカにしつつ。そんな自分を誤魔化すように、お姉ちゃんを追い越す勢いで歩き出した。
「書籍のオマケでついてくるから、本屋で買うの。行くよ」
「あ、待って雫、本屋ならこっちこっち!」
「…………」
普段デパートになんて来ないから、普通に間違えた。仕方なしにお姉ちゃんの先導で本屋へ向かう。
結局、商品の発見から購入手続きまで、全部お姉ちゃんにやって貰うハメになった。くぅ。
「お金、私が出すから……」
「いいよいいよ、雫と久し振りにデート出来ただけで私としては十分だからさ」
「っ、デートじゃないっ! そういう彼氏みたいなセリフは、私より稼いでから言ってっ!」
「ぐふぅ!?」
奢ろうとするお姉ちゃんに正論(?)をぶつけたら、血反吐を吐くように崩れ落ちた。どうやら、私の動画やブログの広告収入にバイト代が負けてるの、結構気にしてたらしい。
……むしろ、学校と家事をこなしながらやってるお姉ちゃんに負けてたら、私は何してるんだって話になるんだけど。そこはお姉ちゃんとして譲れないものがあったんだって。
まあ、譲れないもなにも、私の方が小金持ちなのは揺るがない事実。お姉ちゃんは大人しく私に奢られるべき。
いやまあ、今買ってるのはそもそも私のなんだけどね。
「うぅ……雫に奢れないなんて……やっぱり私も本格的に配信やろうかな……」
ぶつぶつと、そんなことを呟くお姉ちゃん。
本気かな……? いや、うん、お姉ちゃんだし本気かも。まあ、別にいいけど。
「さてまあ、目的の物は買えたわけだけど、雫はまだ見たいところある?」
「それは……」
お姉ちゃんの誕生日プレゼントを……と、言いたいところだけど、さすがにお姉ちゃん本人相手に面と向かって言えるわけがない。恥ずかしくて死ねる。
でも、だからってお姉ちゃんを置いて私だけで行くなんて、お姉ちゃんは認めないだろうし……ど、どうしよう? やっぱり一人で来るべきだった?
すごく今更なことに悩み始めたものの、そこまで考える必要はなかった。不意に、お姉ちゃんが表情を強ばらせる。
「ご、ごめん雫、ちょっとトイレ! そこのベンチで座って待っててくれる?」
「……うん、わかった」
ごめんねー! と、お姉ちゃんはトイレのある場所を探して一気に駆け出す。
ひらひらと手を振りながらそれを見送った私は、手早くベンチとは反対側に向けて歩き出した。
「お姉ちゃんがいない今がチャンス……!」
買うべきものは、実のところ事前に決めてある。それらしいアクセサリーショップは書店に行く途中で見つけたし、後はお姉ちゃんがいない隙に買っておくだけ!
そう思い、見付けたお店に早足で飛び込んだ私は、あたふたしながらも目的の物を見付け、綺麗にラッピングして貰う。焦ってたからちょっと焦れったかったけど、こればかりは仕方ない。
どうにか購入出来たそれを手に、後は元いたベンチまで戻るだけだと急いで店を飛び出して……
「きゃっ!?」
「おおっと」
誰かにぶつかって、その場に尻餅をついてしまう。
買ったネックレスの袋が無事だったことにほっと息を吐きつつ、顔を上げると……そこには、サングラスを掛けた厳つい大男がいた。
日に焼けた浅黒い肌を持つヤクザみたいなその男は、ただでさえ引っ込み思案な私が一人で対峙するには、あまりにも恐ろしい威圧感を放っている。
「あぶねえだろお嬢ちゃん、ちゃんと前見て歩きな」
「あ……ぅ……」
真上から見降ろされ、私の全身が震え上がった。
サングラスの奥から覗く鋭い目に射竦められて、声の一つも挙げられない。
「どうした、何を黙っている?」
丸太のように太い腕が、私の方にぬっと差し出される。
怖い、怖い、誰か、助けて、誰か……!
「おねえちゃん……っ」
「雫っ!!」
「っ!!」
聞こえた声に弾かれるように顔を上げると、そこには息を切らせて駆け寄って来るお姉ちゃんの姿があった。
それを見るや、私は勢いよくそちらへ向かって走り出す。
「っ……!」
「おっと……雫、心配したんだよ、どこ行ってたの!? 大丈夫? どこも怪我してない?」
思い切り抱き着いた私を抱き留めながら、お姉ちゃんが口早に尋ねて来る。
でも、それに答える余裕もなく、私はただ震える体を抑えるようにお姉ちゃんの温もりを求めていた。
「あなたは?」
「あー……すまん、ちょっと出会い頭にぶつかっちまってな、謝ろうかと思ったんだが、逆に怖がらせちまったみたいで……大丈夫か?」
私の様子を見てか、いつになく硬い口調で問いかけるお姉ちゃんに、男は申し訳なさそうにそう言った。
恐る恐る振り向けば、男は確かにどこか気まずげに頭を掻き、腰を低くしている。
……こうして見ると、ただ怖いだけの普通の人みたいだ。見た目でびびった私が恥ずかしい。
「そうなんですか……すみません、私の妹が」
「いやいいよ、俺は何ともないし。そっちは無事か?」
「え……と……」
でも、やっぱり怖くて面と向かって話なんて出来そうにない。思わずお姉ちゃんにぎゅっとしがみつくと、私の代わりに答えてくれた。
「大丈夫そうです。それでは、失礼しました」
軽く頭を下げたお姉ちゃんは、そのまま私を抱き寄せて歩き出す。
ぽんぽん、と頭を撫で、見る人を安心させるような笑みで私へ語り掛けた。
「ほら、雫。もう大丈夫だよ」
……ああ、もう、これだからお姉ちゃんは。
いつもいつも、私が欲しい時にすぐ傍に来てくれる。
そんなお姉ちゃんだから、私は……
「ところで雫、どうして一人でこんなところに……って、それどうしたの?」
私が差し出した袋を見て、お姉ちゃんは首を傾げる。
それでも、私は構わずそれを押し付けた。
「誕生日、プレゼント……お姉ちゃんに、あげる」
消え入りそうな私の声を聞いて、お姉ちゃんはしばしその場で硬直し――
その後、お姉ちゃんに公共の面前で愛を叫ばれ、二度とこのデパートには近づかないと誓うハメになるのだった。
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