第19話 死線と決着

 目の前に迫る、エルダートレントの腕。

 もはや回避不可能と判断した私は、咄嗟に両手の杖で防御した。

 盾でもなければ剣ですらない杖で防いだところで、そこまで大きな防御効果は期待出来ないけど、無いよりはいい!

 加えて、体を捻って一番ダメージを受けにくい手足を壁に……!!


「きゃあっ!? くっ、うっ……! 危なかった……!!」


 大きく吹き飛ばされ、受け身を取りながら転がった私は、即死を免れた事実にほっと息を吐く。ほんと、よく耐えられたね。

 何とか起き上がった私のHPは残り一割を切り、ほんの数ドットを残すばかり。ここまで来ると、本当に攻撃が掠っただけでやられちゃうけど、生き残れただけ上々だ。


「ひとまず、ポーションで回復……っと、わわっ!?」


 回復のためにインベントリを開こうとする私の足元から、エルダートレントの根が襲い掛かる。

 揺れに気付いて慌てて飛び退いたから良かったものの、一瞬でも遅れていれば終わるところだったよ。ふう、危ない。

 でも、安心するにはまだ早い。ゲームプログラムによって動く巨大樹のモンスターは、私に躱されたからと動じることなく次撃を放ってくる。


「っ、ポーションを使ってる暇がほとんどない……!!」


 先ほどと同じように回避しながらも、私は思わず歯噛みする。

 エルダートレントの根を回避しきるには、その足元に注意を払い、ほんの僅かに見える前兆をしっかり掴まないといけない。

 でも、回避や攻撃はともかく、アイテムを普段使うことがなかった私は、余所見しながら欲しいアイテムを取り出すなんて技能は持ち合わせてなかった。


 うぐぐ、自然回復でどうにかなるからって、これまでの狩りで使って来なかったツケか。嫌なところで予想外の問題が出てきたよ。


 とはいえ、エルダートレントのHPは残り三割ほど。かなり削れたけど、三分以内に仕留めきるなら《マナブレイカー》は必須だ。そのCTが明ける前に、せめてマナポーションを使ってMPだけでも回復しないといけない。


「仕方ない、HPはこのまま、MPの回復を優先しよう」


 さっきは運良く耐えられたけど、当たり所が悪ければ一撃でやられていた。そう考えると、誤魔化しが利かなくなっただけで、最初と今で状況はあまり変わっていないと言える。


 なら、HPなんてもういらない。MPの回復と回避に注力する!!


「マナポーション、マナポーションはと……!!」


 エルダートレントの動向に気を配りながら、慣れない操作でポーションを取り出し、自分に振り掛けて使用する。

 目を離した隙に予備動作を見落とすならと、操作するインベントリが半透明なことに目を付け、エルダートレントと重ねてみたりもしたけれど……あまりにも見辛いから却って危ない。

 攻撃が途切れる瞬間を待っていたらあっという間に制限時間が過ぎるし、どうしたものか。


「……仕方ない、初心に帰ろう」


 考えた末、私は手に持っていた杖を共に背負い直し、少しでも身軽に。

 それが終わると、覚悟を決めてインベントリへ視線を落とし、一気にマナポーションを取り出す。

 チラチラ見ながら操作するんじゃなく、完全に目を向けて弄ってるから、予備動作は全く見えない。


 だから、代わりに音と振動だけを頼りに横へズレる。


「っ……!」


 直後、すぐ真横を撫でるように突き抜ける根の気配。

 でも、もうそんなことに気を取られている時間はない。さっさとマナポーションを使用し、次へ。


「右前、後ろ、右、左前……」


 足元から伝わってくる微かな振動と、頬を撫でる風、エルダートレントの咆哮。

 そうした情報と、後はこれまでの記憶を頼りにした勘を信じて、すり足でゆっくりと回避する。


 地面から足を離さないように。

 決して逃げ遅れないように。


 そうやってマナポーションを五つほど消費して、ようやく全回復が見えてきた。


「後、二つ……!」


 精神を磨り減らすような回避戦も、いよいよ大詰めとなった頃。これまでと違う、重々しい風切り音が聞こえて来た。

 ――やばい、リンゴ投げが来る!!


「このっ……!!」


 流石にこれはノールックじゃ躱しきれないと顔を上げ、何とか取り出せた最後のマナポーションを使用しながら走り出す。

 直接見ながらの回避行動を続けながら、チラリと時間を確認。


 ……もう、マナブレイカーは使える。でも、MPが全快になってない状態だと、モーションが一段下位の物になって削りきれるか怪しい。

 どうにか隙を突いて、もう一つ使いたい……けど。


「時間がない……!!」


 HPが減ったからか、エルダートレントのリンゴ投げが中々終わらない。

 これ以上時間をかけると、せっかくのマナブレイカーをチャージする時間すら無くなっちゃう。


「こうなったら、自然回復分に賭けるしかないか……!!」


 現在の残りMPは386。私の予想だと、MP400以上ならあのモーションが出て、エルダートレントを仕留めきれる。

 MPの自然回復は十秒につき3だから、五十秒あれば400を越えるはずだ。

 ただし、残り時間はもう一分。チャージに40秒取られることを考えると、自然回復が終わるまで悠長に待ってる時間はない。

 マナブレイカーのチャージ中に、自然回復が発生してるのか調べてないから分からないけど……こうなったら、そういう仕様であることを祈るだけだ。


「てやぁぁぁぁ!!」


 少しでも可能性を上げるため、リンゴの雨を掻い潜りながら襲ってくる根へと杖を叩き込む。

 本体に通るダメージは微量だけど、無いよりはずっとマシだと思う。

 そうして、時計を気にしながら可能な限りダメージを蓄積し、残り四十五秒となった時……私は、覚悟を決めて叫んだ。


「《マナブレイカー》!!」


 MPの現在値は392。思ったより少し早く回復が発生したお陰かな。

 ともあれ、後はこの状態で自然回復が発生してくれるのを祈りつつ……時間ピッタリに、エルダートレントの懐に飛び込まなきゃならない。


「あと少し、あと少し……!!」


 時計を直接見るのは危ないから、半ば体内時計頼り。

 逸る心を落ち着け、視界を広く取って攻撃を躱しながら、時折一瞬だけチラ見してズレを修正する。


 早く飛び込み過ぎてもダメ。遅れてもダメ。

 三分っていう時間が訪れるその一瞬前にマナブレイカーを叩き込めるよう、慎重に間合いを測っていく。


「そのまま、そのまま……よし、今だ!!」


 残り時間十秒。意を決して、私は一直線に飛び込んだ。

 リンゴは未だ投げられまくってるけど、ここまで来るとさすがに慣れた。根と合わせてひらひらと避け、すぐに駆け抜けるための道を見出だす。


「そこぉぉぉぉ!!」


 後は駆け抜けるだけだと、迫る根を無視して突っ込む。

 エルダートレントの本体が目の前に迫り、いざスキルの効果を解放しようとして……ゾクッと背筋が震えた。


「オオオオォォォォ……!!」


 なんと、エルダートレントは私が飛び込むのに合わせ、片腕で殴り付けて来た!!

 これまで、一撃入れられてからしか繰り出して来なかったのに……HPが減ったから、行動パターンが変わった!?


「くっ、うっ……!!」


 完全に予想外だったから、もう範囲外へは逃げられない。

 ここまでなのかと、私の心をついに諦めが満たそうとした――その時。


『お姉ちゃん、がんばれ!!』


 そんなコメントが、視界の端を横切っていく。


 まさか、こんな瀬戸際でその言葉が聞けるとは思わず、一瞬硬直してしまったけど……すぐに、私は自分の口角が釣り上がっていくのを感じた。


 全く、ずるいよ雫。

 そんな言葉一つで……お姉ちゃん、まだ諦められなくなったじゃない。


「っ……!!」


 一瞬で気合を入れ直した私は歯を食い縛り、迫る枝に目を向ける。

 どうやっても範囲外から抜けられないこの攻撃だけど、よく見ればちょっとだけ隙間があった。

 エルダートレントの腕の先、枝分かれする指の間。そこに体を滑り込ませれば、あるいはダメージ判定が存在しないかもしれない。


「一か八か……!!」


 普通なら入り込めないような小さな隙間でも、"ベル"の小さな体なら行ける。

 問題は、高速で迫る枝の間に、ピンポイントで体を滑り込ませる適度なジャンプが出来るかどうか。

 普通なら無理だって、諦めるところだけど……雫が応援してくれたんだ、絶対やってやる!!


「っ……!!」


 迫る枝と枝の軌道を見極め、思いきってジャンプ。高跳びの要領で、体を滑り込ませる。

 少しでも掠ったら終わりという状態の中、祈るような気持ちでエルダートレントの攻撃を見届け――


 ――完全に通りすぎ、未だ自分のHPゲージが残っていることを確認した私は、歓喜のままに吠えた!!


「よしっ!! 《魔法撃》、《マナブレイカー》ぁぁぁぁ!!」


 最後の最後に繰り出す、必殺の一撃。けれど、やはりスキル発動中は自然回復しないのか、飛び出したのは一段階下の二回攻撃だった。

 このままじゃ削りきれない……! と、そこで、すぐ後ろにエルダートレントの根が伸びてきているのを思い出した私は、一段目を目の前の本体にぶつけると、アシストに逆らわない範囲でくるりと体を反転。そのまま振り下ろす。


「はあぁぁぁぁ!!」


 全力の一撃が地面を揺らし、衝撃波が周囲の全て――本体と四本の根を纏めて吹き飛ばす。

 威力四倍×当たり判定五つの、合計二十倍ダメージ。

 絶大な火力に晒されたエルダートレントのHPが、欠片も残さず吹き飛んでいく。


 クリアタイム、二分五十九秒九九。本当にギリギリながら、私は目標を達成したのだ。


「はあっ、はあっ、はあっ……! やった……やったよ、雫!!」


 余韻に浸りながら、思わずそう叫んだところで、ふと気付く。なんか、視聴者が一人増えてるぞ? と。

 思わぬ事態に少し慌てるけど、まあこれはこれで都合が良いかと、今日までずっと考えていた口上を垂れ流すことに。


「さて、そこにいる視聴者! 私の名前はベル。FFO最強の魔術師、ティアのお姉ちゃんだ!!」


 胸を張り、堂々と名乗りを上げる。

 反応がないと若干不安になるけれど、まあ練習だと思って一気に言っちゃおう。


「ティアと付き合いたいだとか嫁にしたいだとか言うプレイヤーが結構いるみたいだけど、本気ならまずは私を倒してからにしてよね! なぜなら……!」


 そこで一旦止め、大きく息を吸う。

 動画配信なんて考えたのも、全てはこれが言いたかったがため。

 だから遠慮なく、雫と名も知らない誰かに向けて叫んだ。


「ティアは私の嫁だぁぁぁぁ!!」


『なに言ってんのこのばか姉ーーーー!?』


 翌日。そのたった一人の名も知らない誰かによってこの動画が拡散されることになるとは露知らず、雫の悲痛な叫びがコメント欄にデカデカと記されるのだった。

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