ヌフ・ロザリアンラプソディ

白浜 台与

第1話 色のない桜

それは2020年の3月始め、駅前のベンチに座ってバスを待っている間の短い会話だった。


世間ではコロナに注意、のニュースが流れていて確か識者さんの大多数は「インフルエンザくらいの毒性」と世界中が新型コロナウイルスに対して完全にたかをくくっていた頃である。


「世間が騒がしかですねえ」と私はベンチの隣に座る年の頃70くらいの老婦人にいきなり話しかけられた。


相手との距離は50センチ。互いに紙のマスクをしていて目元しか解らない。


ご婦人の垂れた目元はにかわせんべいの付録につく目元だけのお面みたいににこにことしていた。


「そうですねえ…コロナコロナでおちおち街中にも出掛けられんです。ニュースで言い始めたのは確か恵方巻き食べてた頃(節分)じゃないかと思います」


そうそう!とご婦人ははた、と手を打ち「やっぱり節分の頃よ!鶴屋百貨店はもう営業時間の短縮を決めなさったてね」


「鶴屋が!?さすが決断が早い…」


私はその鶴屋百貨店に行こうとしてるんですけど。

と余計なことは口にしないバス待ちの世間話であった。


「もう植木の世話しかする事がなくてねえ」

「うちもですよ、ミニバラの世話してるだけが楽しみです」


私が発したミニバラ。というワードにご婦人がほおお、と食いついたように見えたのは果たして気のせいではなかった。


「うちゃ山鹿でバラ農家しよりましたけんですの」


このご婦人はプロのバラ農家さんだったのだ。


「えっ…?」


内心はええええっ!?だったのであるが、「そ、そうですかあー…」と相槌を打っている内にご婦人は、

「そりゃあバラは愛好家さんが多かですけんの、ひとつきに何十万とあがりました(儲かりました)ですたい。毎週山鹿の農園からこん熊本市内に卸しに通いましての、そりゃあそりゃあがってあがってしょんなかったですたい」


意訳・バラ農家で儲かって儲かって笑いが止まらねえや!


と商売の自慢話を五分以上続けていらしたのだが急に声をすぼめ、


「ばってん、年ですなあー…山鹿から市内までトラックで卸しに行くのに疲れてしもうて農園やめましたですったい」


と肩を落としてマスク越しにため息を洩らした。


「ちなみに山鹿から市内まで車でどれ位の距離でしたか?」

と尋ねると「片道二時間、それを毎週ですたい。きつくてしょうがなかもんだけん廃業ですたい」


往復四時間を毎週…いくら儲かって笑いが止まんなくっても年齢的に体力がもたないのは容易に想像できた。


「ミニバラは良か。挿し木で簡単に増えるけん楽ですもんな」とにかわせんべいのような目を見開かれた後、


「うちん弟は県立大近くの訓練所で本格的にバラの接木を学んで資格持っとったとに、勿体無か話ですたい」


と言ってご婦人は行き先の違うバスに先に乗って行かれた。


…もしかしたらあの人、知る人ぞ知るバラ農家さんだったのかも。


と思いつつ名前も聞かなかったうっかり者の私はサクラマチ熊本行きのバスに乗った。


この時期私は、震災前の部屋に戻ったはいいもののベランダというより玄関先の外廊下の日当たりが良くなく、新苗から中苗までに育てたガブリエルを泣く泣く、引っ越し前に仲良くなった隣室のご婦人に渡して間もない頃だった。


「大事にしてあげて下さいね…」

10号鉢に移し替えたばかりのガブリエルを鉢スタンドごと。ついでに持っていたぼかし肥料も全部あげた。


「うちの妹が天草の家に植えたいって言うてね、すぐにでも地植えは大丈夫だろか?」


と彼女が聞くので、

「できれば地植えは二月まで待っててください…」とアドバイスして元隣人は仮設代わりに住んでたアパートから自宅に戻って行った。


ついでにLINE交換したが、それ以来彼女からの便りはない。


そういうものだ。


すぐに私はホームセンターに向かい、ピンクマリーナコルダーナ、チューリヒフォーエバーの3.5号鉢の苗を買って玄関先で育てた始めた。


手離したものの喪失感を埋めるため、せめてギリギリの日当たりで育ちそうなミニバラだも育てなきゃやってられない。そういう心境だった。


10月、通販でマラクジャコルダーナを購入した。


一鉢が安いので調子に乗って買いすぎてしまった。


そして年越して3月、オレンジと黄色の絞りの花が目に眩しいマラクジャコルダーナ以外、うどん粉病で全滅した。


外はコロナ警戒で剣呑な頃。私は半泣きになって白く粉吹いたミニバラ2鉢を捨てた。


四月になって熊本城前まで桜を見に行ったがまるでゴーストタウン、と言っていいくらい人はまばらで花見イベント全て中止。


震災で壊れたお城の長塀をバックに一、二輪満開になってた桜の写真だけ撮って帰った。


網膜ではピンク色の桜全てが、心の中ではモノクロームの景色となって思い出された。


こうやって色の無い桜を思い浮かべるのは、26年前、父が逝った時以来。


あの頃はオウム関連の事件ばかりが報道されていて告別式の朝、警察庁長官が狙撃された。ってニュースを父の棺の横でぼんやり聞いていた…


若い内の最悪な事態は上書きされていくが、


ある程度年を取ったら最悪な事態の思い出は心の中に蓄積されていくのだ。


と知った令和二年の春だった。




































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