僕 3-2
月々十万円の仕送りが届くのは月の初めで、月末近いこともあり僕の財布は随分寂しいものになっていた。ゆいかが家で暮らすようになってから、特に出費も増え、こちらに来るまでに貯めていたもしものときのお金にも手を出すことも考えていた。
父も母も子どもに甘い親だった。雪葉が亡くなってからは特にそれが強くなった。
母が結婚した理由も、僕を大学に行かせたいと考えていたからだと思う。もちろん父との間にも愛情はあっただろうが、亡くなった本当の父ほどではないだろうと僕でも薄々感じることがあった。
自転車の後ろにゆいかを乗せて、平面で広い歩道をゆったりとしたスピードで走っていた。夏の日差しは暑く、それだけで流れる汗は通り過ぎる風に当てられて涼しい。暑さと僅かな涼しさの両方を感じながら走る道は、頭上に見える狭い空の青ささながらに清々しく、夏独特の物だなと思う。
さすがに駅近くになると人通りも多く、人混みの嫌いな僕には少々辛いものになってきていた。自転車を駅前の自転車置き場に止めて、僕らはそこから駅周辺のゲームセンターへと向かった。
人混みを上手く避ける才能が欲しいとほとほと思うときがある。子どもの頃から電車に乗るのが嫌いで、同じく母も都会が苦手だったのが災いして、僕は高校生になっても都会に出ることもあまりなく、人混みを歩く経験をしてこなかった。そのせいで、この年齢になれば誰もが持っている人混みの中を綺麗に歩く技術を僕は身に付けていなかった。
「――そんなにティッシュもらってどうするのよ」
広告とティッシュが合わせて六つになっていた。ゆいかに言われて僕は苦笑いをして、貧乏性だから、と言い訳をした。
僕よりも十歳近く若いゆいかの方がずっと人混みに慣れているのが情けなかった。
自動ドアを通って、ゲームセンターに入ると、少年姿のゆいかは早速プライズマシンの筐体にへばり付いた。人気のキャラクタ商品のマスコットや、グッズが並べられている。
平日の昼間の為か、客は少なく、学校をサボっているのであろう制服姿の女子高校生が笑いあいながら、プリクラを見せ合いっこしていた。
「とりあえず五百円までだよ」
ゆいかは頷いて答え、帽子を軽く整えて、投入口に百円玉を入れた。コマーシャルで出てくるお茶のマスコットキャラクタの人形が狙いらしい。
僕はそれを眺めながら、傍にあった自動販売機でジュースを二本買う。ちらりと、店員の若い男と視線が合い、僕は思わず逸らす。ゆいかと一緒に来ていることを不信に思われたのでは、とちらりと店員をもう一度見ると、店員は別の仕事を始めたようで、こちらを見てはいなかった。
少し、気にしすぎだろうか、もっと自然に振舞わないと、と僕は気を引き締めてゆいかの所に戻った。
真剣な目つきでボタンを操作し始めたゆいかの横にペットボトルを置き、一言、二言アドバイスをした。
一度目は、人形の鼻にぶつかって、アームが下まで降りきらず、失敗した。ゆいかは、もうわかったから、次は取るよ、と宣言して、百円玉を投入口に入れて、またクレーンを操作し始めた。
真剣に、時々視点を変えながら、ゆいかは目当ての人形の真上にアームを持っていった。場所を決め、ゆいかはじっと祈るような目で人形とアームを交互に見つめた。
人形の首辺りに上手にアームが入っていき、ゆいかは静かに、やった、と呟いた。
アームが閉じて、ゆっくりと人形を持ち上げようとしたが、人形は僅かに動いただけで、まるで持ち上がらなかった。
「えぇー! 今のはないよ!」
ゆいかは思わず大声で定位置に戻っていくアームを指差して言った。大きな声だったので、僕は思わずびくついて周囲を警戒した。すると、先程の店員がゆいかの声に気付いて、こちらへと歩いてきた。
――まずい、と思った。
しかし、僕の焦りとは裏腹に、店員はにこやかな表情を浮かべ、私とゆいかの前に立って言った。
「サービスですよ」
短くそう言って、店員はゆいかの前のクレーンゲームの窓を開けて、人形の位置を少しだけ穴に近づけてくれた。
「――アームを、この辺りに持っていって、引っ掛ければたぶん落ちるから、がんばってね」
彼は優しい声色で、ゆいかに言い、そして窓を閉めた。ゆいかはこっくりと頷いて、百円玉をまた入れた。
「仲、良いんですね。――親子……じゃあないですよね?」
真剣なゆいかを眺めながら、店員は僕に視線を移して言った。
「――し、親戚の子で、今日お守りを頼まれて……」
そうなんですか、と店員は言い、ゆいかを眺める。
――何故そんなことを聞くのか。怪しまれているのか。早鐘を打つ心臓を何とか抑え、平静を装う。
僕は店員に視線を向けず、ゆいかを見つめた。
単なる、親切心なのだろうが、あまり周囲に記憶されたくない今の僕にとっては、彼のその親切が障害でしかなかった。視界の隅で、彼が、ちらちらと僕を見る。
「やった!」
ゆいかが、上手にアームを引っ掛けて、人形を落とした。
「ほら、取れたよ!」
のん気にゆいかは僕のところに人形を持ってきて見せる。
「よかったね、ほらお兄さんにお礼を言って」
そこでようやく僕は彼に目を向けて、ぺこりと頭を下げた。ゆいかも僕に倣うように頭を下げて、少し弱い小さな声で、ありがとう、と言った。
「いえいえ、気にしないで。人形、取れてよかったね」
ゆいかが大きく頷くのを見て、彼は満足そうに微笑んで、そして僕を見て軽く会釈して仕事へと戻った。
僕はほっと安堵の息を吐き、それから誰にも見られないように気をつけながら、ポケットに忍ばせたメモを覗いた。
ゆいかを誘拐してから考えた脅迫文である。
設定した身代金は八百万。受け渡しは二日後を考えている。だが、どこで受け渡すかは考えていないため、それもこれから考えなくてはならない。のん気に音楽ゲームで遊ぶゆいかに付き合いながら、僕の心臓は緊張で脈を早めていた。
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