三章
ゆいか 2-1
目覚ましが鳴る。聞きなれないベルの音がやかましくわたしの耳から頭の中にがんがんと響き渡る。いつもはピーピーという電子音で目覚めるわたしにとって、このやかましいベルでの目覚めは悪い。
重いまぶたを上げると、知らない天井の染みがまず目に入った。窓のほうを見ると、朝の光がカーテンの隙間から入ってくるのが見える。
思い出す。そう、ここは二ノ宮さんの部屋だ。
わたしはベッドから手を伸ばして、サイドテーブルに置かれた目覚まし時計を止めた。
目覚ましを仕掛けた当の本人である二ノ宮さんはまだすやすやとフローリングの上でタオルケットに丸まっていた。それを見て、わたしはため息を一つついて、薄暗い部屋でまどろんでいた。
二ノ宮さんの家に来てから二日目になる。パパとママの話を聞いて家を飛び出して、二ノ宮さんに誘拐されて二日目の朝。
昨日は一日中部屋にいただけだった。二ノ宮さんは昼まで大学だったし、誘拐された身の上のわたしは退屈で仕方なかったけど、部屋から出るわけにもいかない。
二ノ宮さんはと言うと、どうもテスト期間中らしく、昨夜も熱心に机に向かっていた。何の勉強かと聞くと哲学という授業らしい。簡単なことを難しく考えて頭の良い振りをする授業だと二ノ宮さんは言ったが、本当のところはわからない。
ごろりとベッドの隅に身体を移し、うつ伏せになって床で眠るの二ノ宮さんを覗き込む。二ノ宮さんはぽりぽりとお尻を掻いて、またごろりと寝返りを打った。タオルケットの隙間から素足が見える。本当にだらしない人だ。
なかなか起きる気配も無い。どうしようか迷っていると、二ノ宮さんのスマートフォンから着信音が流れた。
じゃかじゃかと、女性シンガーの曲が流れる。覗きこんでみると、液晶には朝倉という文字が浮かんでいた。
流れる曲を聴いていると、さすがに目が冴えてくる。わたしはあくびを噛んで、仕方なくスマートフォンを充電器から抜いて、二ノ宮さんの耳元においた。
ぴくりと眉が動いて、しかめっ面になる。
「二ノ宮さん」
わたしは身体を揺すって声をかけ、スマートフォンの手助けをする。二ノ宮さんはうっすらと目を開けて、頭の上に転がるスマートフォンを手に取った。
「――もしもし」
二ノ宮さんは気だるげに寝起きの低い声で電話に出た。わたしは声を出さないように気を使って口元を手でおさえる。
「あぁ、朝倉か……うん、今起きたところ」
電話をしながらも、二ノ宮さんは横になったまま、呆けた目で電話の応対をしている。わたしはベッドから降りることも出来ず、手持ち無沙汰に部屋を眺めながら、二ノ宮さんが電話を終えるのを待った。
「――あんたも律儀だな、ちゃんと毎日かけてくるなんて……」
眠たそうな声で、二ノ宮さんは少し笑いを含んだ声で話をしている。電話の相手は友達なのだろうか。
わたしも子ども用のスマートフォンを持っていたけど、周りの子のほとんどは子はまだ持っていない。そういうわけで、わたしの主な通話相手と言えば、パパかママか、塾の先生か、そういう相手ばかりになっている。わたしも中学に入ったら、二ノ宮さんのように友達と電話をするのだろうか。あまり想像出来ない。
二ノ宮さんはぼそぼそとした声で、朝の会話を終えて、電話を切った。そしてまだ眠たいのだろうまどろんだ目で、目覚まし時計を眺めた。
「おはよう」
声をかけると、二ノ宮さんは小さな瞬きをゆっくりとくり返して、それから流し目でわたしを見つめた。
「――おはよう、ゆいか」
だるそうに二ノ宮さんは身体を起こして、ぼさぼさの髪を掻きあげた。そのついでに頭をぼりぼりと掻く。
「まだ眠そうだけど、時間大丈夫?」
一度目覚ましが鳴ってから十五分以上経っている。二ノ宮さんは時計を手に取って眺め、頷く。無言なのは多分眠いからだろう。
二ノ宮さんは身体を起こしてまず、テレビの電源を入れた。わたしと話をするときは必ずテレビをつける。隣人にわたしの話し声を聞かれないためだと言う。
二ノ宮さんは立ち上がって、欠伸を手で隠し、キッチンへ向かった。
「トーストでいい?」
二ノ宮さんがテーブルの上に買い貯めてある食パンの袋を掴んで訊ねてくる。ぼんやりとしていながらも用意だけはきちんとするのだな、とわたしは感心しながらこくりと頷く。
わたしもベッドから降り、キッチンへと足を運ぶ。二ノ宮さんはトースターでパンを焼き始め、そのまま冷蔵庫からレタスとトマトを取り出す。
「――二ノ宮さん、紅茶ある?」
「そこの戸棚の下の赤い缶に。ティーポットはテーブルの上のを使って」
振り向きもせずに、二ノ宮さんはレタスを洗って素手でちぎる。わたしは言われたとおり、紅茶のパックを取って、ティーポットを用意する。電子ケトルでお湯が沸くのを待った。
朝の七時。外の日差しは白く、まだ蝉も眠っているのか裏の駐車場は静かだ。
紅茶の用意を済ませて待っていると、二ノ宮さんがトレーにトースト二枚と皿に盛ったサラダ、それからマーガリンと苺ジャムを乗せて戻ってくる。
「今日は何時まで?」
テーブルに皿を並べる二ノ宮さんに訊ねると、まだ寝惚けた目をした二ノ宮さんは昼まで、と短く答えた。
「テストが二つだけだから」
テスト、と言って二ノ宮さんはため息をつく。
「正直テストどころじゃないんだけどね。――今日は忙しくなる」
「それでもちゃんと勉強はするんだね」
ティーポットの紅茶をカップに注ぎながらわたしは笑う。二ノ宮さんは表情を崩すことなく、普段通りの口調で答えた。
「だからこそ、勉強しておくんだよ。事件は裏で起きるものだからこそ意味があるんだ。だから裏が見えないように表を演出しておかなくちゃいけない」
日常の演出だよ、と二ノ宮さんは笑って言う。余裕のあるものの言い方がどこか不敵で、わたしはそんな二ノ宮さんが何を考えているのかわからなかった。
いただきます、という二ノ宮さんの声に合わせてわたしもいただきます、と続けて、食事を始めた。給食では言うけど、家ではいただきますなんて言うことがなかったから何だか新鮮な気持ちで、わたしはパンにジャムをつけて食べた。
先に食事を終えた二ノ宮さんは、おもむろに立ち上がると、テーブルの上に置かれた煙草を手に取り、軽く振るようにして、煙草を一本だけ器用に出して、口に咥える。
紅茶の香りが、わたしの鼻についた。わたしは苺ジャムで赤くなったトーストをゆっくりと食べながら、食後ののんびりとした雰囲気の二ノ宮さんを眺めていた。
そんなわたしの視線に気付いたのだろう、二ノ宮さんは煙草に火をつけようとする手を止めて、わたしの目を一瞬見つめた。そしてジッポライターの火を蓋で閉じて消すと、テーブルの上に静かに置いた。蛍光灯の光を鈍く反射するライターは随分使い込まれているようで、独特の深い灰色をしていた。
二ノ宮さんはそのまま煙草を戻して、代わりに梅味ののど飴を口の中に放り込んだ。
わたしのことに気を使ってのことだろうか、と一瞬思った。わたしの家はパパが煙草を吸う人だから、目の前で煙草を吸われることに抵抗はない。そういえば、二ノ宮さんの家に来てから煙草の臭いを一度も嗅いでいないことに気付く。やっぱりわたしに気を使ってのことだろう。
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