烈風真田幸村戦記(9巻・ケリー編)2
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大阪城内の大広間で、旧世代と新世代の者たちが集合して、会議が行なわれた。
すでに、新内閣の顔触れとケリー准帥が新宰相になったことは伝えられていた。
ケリー宰相が挨拶をしたあとで、
「今後の鳳国がますます発展していくために、助村皇帝から宰相をやるように仰せつけられて、謹んでお受けいたしました。嘗ての三宿老もしくは五宿老が、真田信幸様しか居られたくなり、その頃から枢機院いたのは、私とお二人の副皇帝しかいたくなってしまいました。信幸様からもご推挙を頂き、熟考いたしまして、この重責をお引き受けいたすことにいたしました。内閣の顔触れに新規の役職が出来ましたので、若い方々にご苦労を願うことと相なりましたが、全て、皇帝の助言によって役職に就いて頂きました。一切の私情はさし挟んで居りません。専ら、適材適所を旨といたしました」
と、役職と氏名を書いた印刷物を全員に渡してあった。
出席者は、全員が印刷物に視線を落として、暫くの間、無言であったが、やがて、松田兵部少輔から、
「他の役職はともかく、陸軍省の長官はここに乗っている若手で古参の押さえが利くかな?」
と言う意見がでた。
これに対して皇帝が、
「このことのために、十兵衞公が詳しい陣立て表を造って置いてくれた。それを参考にしながら、若返りをも考慮して冬丸を適任としておいた。冬丸の戦での経験は充分にある。冬丸の補佐には大道寺孫三郎を置いた。今後は、世界の地域単位、これは十から十一になるが、その地区単位別とは別に、空母打撃群と強襲揚陸艦群が十群ずつとなる。陸軍もそれに併せた編成に部分的になっていくだろう」
「我々には解しかねまするが・・・」
「松田よ。そちの心配も良く判るが、時代は急速度で変化している。単に陸軍、海軍という分類ではなくなっている。その大きな要因は、航空機と言う者が出来たことだ。これによって、戦略は根本的に変化した。戦略的に言えば、まず、敵地を爆撃機で爆弾投下することで、敵地は殆ど崩壊してしまう。内陸部であるなら、その跡に機械化部隊がせめて、殆ど、小銃、銃剣、刀、槍、弓矢の出番はない。機動騎馬隊が歩兵の役割となるだろう。騎馬隊、歩兵は、掃討作戦のときだけだろう。これが海洋国の場合は、空爆の後で空母の艦載機が、更に、敵地を丹念に爆撃と機銃掃射で破壊していく。その後、あるいは爆撃中に、空母のウエルドック、つまり後部から、あるいは前部から、あるいは舷側の扉から、機械化部隊、揚陸部隊の海兵が小型舟艇で上陸をしていく。強襲揚陸艦の場合も同じ事で、強襲揚陸艦の甲板も全通甲板で艦に乗っている兵器と兵員の数が違うと言うことだけだ。艦載機も積んでいる。陸軍は海兵隊の後から、本格的に輸送船で運ばれて上陸する。多分、その段階で勝負は付いているだろう。と言うように、戦略も戦術も大幅に変わってくる。爆撃機の攻撃だけで、勝負が付くこともあると思う。その上に、従来通りに艦砲射撃も加わる。これが打撃群の戦いである。敵戦艦が居ても、空からの空爆では手も足も出ないで沈んでいく」
「・・・」
「こんな打撃群と戦いたいかね?」
「いや。想像を絶する・・・」
「大阪の木津川口に空母が浮いている。甲板にびっしりと乗っているのが艦載機で、小型機である。爆撃機はもっと大型になる。他国で飛行機を持っている国はない。一打撃群で充分だが、空母打撃群十群、強襲揚陸艦群十群、十兵衞が造って置いてくれた。爆撃機百機もな。従って、戦略も戦術も変わってくると言っている。これを理解している者が、上に立たなくてはならない。冬丸は機械に強い。自分で飛行機を操縦できる。全ての機械化部隊の機械を操縦できる。機動騎馬隊で、チベット高原の急斜面を走り降りて、一師団の騎馬隊を機動騎馬隊五十騎で全滅させた。出来るか、ベテラン将軍たちに」
皇帝が訊いた。
「む・・・無理です・・・」
松田兵部少輔が顔を真っ赤にしていった。
「因みに、ケリー宰相も、飛行機から機動騎馬隊まで操縦できるぞ。空軍は弟の助幸副皇帝に兼務を頼んだ。飛行機を造ったのは助幸の研究班である。今は、ミサイルという飛んでも無い物を造っている。傍らで潜水艦も研究中である。大の機械好きである。すでに、電話と無線機を実用化した。彼の頭の中は不明である。誰にも判らない」
と言ってわらったあとで、
「海軍長官は、分部光長の息子の光興を置いた。今、潜水艦の班長もしている。船の事は全て理解している。艦載機の射出機はかれの考案である」
と付け加えた。
「補佐役は親父の光長が良いだろう。元々海軍だしな」
とも言い添えた。
「海兵隊の長官には、綿貫量之介の倅の数馬を置いた。補佐には、これも親父の量之介がよいだろう」
そして、空母打撃群の第一群長を白井賢房、第二を櫛木玉海、第三を妻良新之助、第四を富永辰二郎、第五を南条氏康、第六を渡辺親吉、第七を沼津秋伸、第八を横井神太郎、第九を菅道貞、第十を高橋源吾というように群長を決め、続いて、強襲揚陸艦群十群の群長を第一中井鉄造、第二を田沼文六郎、第三を衣笠谷蔵、第四を米田連之助、第五を青山太吉、第六を進藤竜太郎、第七を小祝平五、第八を大貫佐吉、第九を伴数馬、第十を真田重吉(十兵衞の長男)と決定したのであった。
「以上が、世界中とこにでも行ける鳳国の一大群団ある。連絡一つで即応出来る様にしておいて貰いたい。概ねの場合、両群団は一つで動くことになるだろう。更に母港を決めて置きたい。第一群は、大阪城、木津川河口に母港を造る。第二群は、鳳凰城の湾内に母港を造る。第三群は、ウラジオストク。第四群は、バルト海、武蔵公がデンマークの喉首のドイツ領に、北海に出られる運河を造っている。これで、ロシアの極東とバルト海を押さえた。第五群は、カナダのケベックに母港を造る。第六群は、メキシコ湾置く。第七群は、アフリカのナイジェリア。第八群は、東パキスタン。第九は、豪州のカーペンタリア湾。第十は、南米コロンビアの太平洋側に造る。以上であるが、ウラジオストクと大阪の艦隊は交代で太平洋とアメリカ大陸の太平洋側巡回する。バルト艦隊は、ヨーロッパから地中海、黒海までを巡回する。ナイジェリアの艦隊も、地中海から黒海当たりまでは巡航できる。ざっと考えても、これで、鳳国の大部分を押さえることが出来る。移動出来るというのは凄いことだ。それと、本部とは電話で連絡が出来るし、各地区には、飛行場を何カ所にも造ってあり、大型飛行機を十機ずつ配備しても、各地に直ぐに飛んで行ける」
と、皇帝が一気に説明した。
「それに、今迄の基地はすべて、そのままで戦力が増強させたと思えば良い。これまでの船団はそのままである。商船も、増やすことはあっても、減らすことはない。凄い国になったと思う」
と締めくくった。
どちらにしても、若手が活躍しなければ、二十群は宝の持ち腐れに成ってしまうのである。
それは、全員が承知をしたようであった。
会議は、完全に皇帝の一人舞台であった。
ケリーやその他の者の出る幕はなかった。
日常に戻ってからは、いつもの忙しさが倍になったような感じになった。
*
助村皇帝の雰囲気は、今や、押しも押されもしないものを身に付けていた。
立場が人を造っていく見本のような例であった。
皇帝は、宰相であるケリーと二人で話合うことが多くなった。
これを妬むものが多くなっていった。
二人で相談することは多岐に亘っていたが、表だって批判する訳にはいかなかった。
しかし、陰では、
「皇帝とケリーだけでこの鳳国を動かしている訳ではないだろう。もっと公開的な論議があっても良いではないか」
という、不満の声が燻り始めていた。
それを盛親党とケリーの情報隊が耳に入れてきた。
「さもあろう。しかし、不満の声を上げているのは、古手の武将たちであろう。彼らは、戦は上手であっても、平時の民政については、何の意見も持っておらぬ」
「はい。私もその様に愚行したします」
「いまは、内側を如何に強固にしていくべきかの時だ」
「その様に愚考いたします」
そのときに三人の人間が這入ってきた。
信幸と武吉と副皇帝の助幸であった。
「多分雨期の洪水について話していたのでは無いかと思ってな・・・」
会議は五人なった。
「ほう、助幸はいつから占い師になった?」
「占いは当たったであろう」
「見事に当たったぞ」
「洪水の水を何処にやったら良いのがだな。それを間違えると、飛んでも無いふさくになる」
「その通りだ」
「そのことは、松井にも内田にも田中にも思案がつかぬ」
「その通りだ」
「三人が揃って俺のところに相談に来た。研究してくれとのことだ」
「なるほど」
「武吉が東パキスタンでやっているよ。忘れているだけだ」
「え?・・・」
と武吉は虚を突かれた感じになった。
「溜め池だ。研究所で出た意見はまずそこだ。しかし、南洋も南米も水田も畑も見事な平坦地だ」
「確かに・・・」
武吉が頷いた。
「で、平坦地よりも、低い所はどこだ?」
「え?・・・」
「地下だよ」
「あ!・・・地下に溜め池を造るのか?」
「半端ではない規模の溜め池を造って、そこに洪水の水を溜める。地下十四間の所に、幾つものコンクリートの水槽を造る。幾つもだ。事前との戦いになる。乾期に無ったら、その水をポンプで汲み上げて使う。年間を通じて水に困ることはない。基本構想の部面は描いてきた。高さ十八間、他で横はその場所に依るが、長さ五十五間、横二十八間相当の水が入るはずだ。自然浸透をはるだろうから、その地区の水はけは相当に助かる筈だ。これをインドシナ半島に五十個所造る。いや、場合に依っては百個所かな。いすれにしても、これは自然との戦いになる。勿論、日本にも造る。」
「まさに戦いになるな。皇帝これの総裁は?」
「東パキスタンで溜め池を造った経験を活かせ。武吉しかおるまい」
「工兵隊の人員では足りません」
「む。シールド工法を使っても、土の運び出し運送どこに土を貯め置くか?」
すると、背後から声がした。
副皇帝の幸大であった。
「遅れて済みません。話しの様子は判っています。大ナッツ諸島を埋め立てて、一つの大きな島にする。そこに桟橋や飛行場の滑走路や格納庫、兵舎を造ったら、マラッカ海峡を出てきた船の格好の門番になるのではありませんか。三千メートル級の滑走路が二本出来るでしょう。シャム側からもカンボジア側からも、工兵専用の船で直ぐです」
「成程」
助村皇帝が大きく頷いた。
「土が泥にならないようにフェンスを造りながら、目鼻が付いたところで、鉄骨をコンクリート出巻いた杭を打ち込んでコンクリート壁を造って残土を抛り込んでゆく。相当に大きな島になる筈です。相当規模の地下室を造るのと同じですから。土は掘り出せば、六倍に膨らみます」
「幸大よ。考えてきたな」
「はい。これで、雨期の洪水が食い止められたら、他の例えば南アメリカでも使えます。雨期のある地区は生返ります。農業をこう言う形で考えて居るところは無いでしょう。収穫が上がります。治水は政治です。そして、貯留をして置いた水を乾期に散水する。ここでも農業用水として生返ります。凄い発想です。誰が考えたのか判りませんが」
「シベリアの研究学園の生徒です」
「生徒たちは、宿題を自由に発想するのですね。素晴らしい発想力だ」
と、幸大は、雨期の洪水、氾濫水を地下に溜めるとは、その考えに拍手を惜しまなかった。
*
農業用の地下溜め池の遠大な構想が、助村皇帝から発表された。
簡単な図解が貼られた。
大阪城の大広間でのことであった。
掘り出された土で大ナッツ諸島を、
「大きな島にして、桟橋、兵舎、三千メートル級の滑走路を二本、航空機の格納庫群と整備工場、船のドックなどを造る。多分一大軍事基地になるだろう。勿論、陸軍の基地も置く。情報センターも置くことになるだろう。長宗我部盛親党、本多正純党、木村重成党もはいる。田畑が陥没しないように、随所に太い鉄骨をコンクリートで巻いた支柱を立てて、下支えをしていく。一年目で、どれだけの氾濫水が吸収させるかを観察するする無駄な努力を避けるためだ。結果が良ければ、大々的な施工に這入る。そのときには、そても工兵だけでは手が足りないので、農兵は勿論、屯田兵、各師団から歩兵を出して貰うことになるだろう。国家的な事業になる。見えない農業への治水対策である。これは、我々政府の責任として、是非とも完成させなくではならない事業である。これが完成すれば、雨期と乾期の両方に、絶大な効果を発揮することになる。そのことで収穫量も変わってくるのである。今後の国の経営は、こうした国土改良などの細かなこと大切に成ってくるのである。これは、新しい戦である。他国ではここまでの事はやってはいまい。しかし、他国に先んじて行なうことが、鳳国の伝統である。農業、農業と歌に歌っていても、こうした基礎的な治水、国土改良をしなければ、絶体に農業王国にはなれないのである。それだけに、この国土改良戦は、鳳国の新しい戦である」
「農民の思いに先だって、国土を改良して行くのでござるな」
大道寺孫三郎が頷いて言った。
「国民を大事にしたいという言う思いが、この国土改良の事業の中にごく自然な感じで込められています」
と言ったのは後藤又兵衛であった。
又兵衛は武略にも優れているが、本来は冷静であり知的な人物であった。
黒田藩に長く居たが、事情があって、しばらくは浪々をしていた。
黒田節の舞で、槍を持って舞うモデルは、後藤又兵衛だと言われている。
それほど、槍を持てば天下無双であった。
その又兵衛が、雨期の洪水、氾濫水の事業には魅力を感じていた。
「必ず上手く行くでしょう。鳳国の事業には失敗の文字はありません」
と又兵衛は言い切ったのであった。
そして、
「もう大戦というものはありません。だれが、ロシアのように、北極の孤島ノヴァヤゼムリャ島に流されたいと思いますか。大国ロシアのなれの果てです。武蔵公、十兵衞公の取った戦略は大正解です。戦争が無く成った分だけ、今後は、経済戦争になっていくものと思われます。その中でも、食料というものが重きを置かれるでしょう。この間に、さらなる農業改善を行なう事は、圧倒的な喫緊の急務であろうと思います。農業の基礎は土壌です。水はけの良さと背反するのですが、水持ちの良さ出あろうと思います。洪水は、尤も、最悪です。これを地下に溜め池を造り、氾濫水を誘因して貯める。それを乾期に農業用水として散水する。こんなに理にかなったことはありません」
後藤又兵衛が意見を述べた。
それを聞いて、
(又兵衛は、駄目だな・・・)
腹の中で呟いた者があった。
*
大阪城の場外には、大阪城を取り囲むようにして、無数の侍屋敷が並んでいた。
屋敷の規模で、そこの主人の格が判る様になっていた。
中級武将の屋敷と思えるような家の中に、何人もの武将らしき者たちが、周囲に気兼ねをする感じで這入っていった。
屋敷の表札には、松田兵部少輔とあった。
松田兵部少輔の祖は、嘗ての室町幕府の鎌倉将軍の直臣であったが、当時の管領(かんりょう)家、上杉家の横暴極まり無いやり口に異を唱えて、西相模の大井松田に居を構えて大井松田城を造り、近隣の土豪たちを従えていたが、折りから北条早雲(早雲自身は、北条とも、早雲とも名乗っていなかったが、北条を名乗ったのは二代目のときからである)が、小田原を攻め取ったので、自ら傘下の諸豪族と共に早雲の麾下に加わって、後北条の小田原衆の一位の臣下となって、後北条、五代に亘っての重臣と成ったが、五代目百年で、秀吉、徳川家康、連合軍の圧倒的な兵力に前に敗北して散った。
その時の同僚に大道寺がいた。
現大道寺孫三郎の祖である。
小田原での松田の祖は左馬之助といった。
『小田原北条記』や『後北条五代記』では、松田も大道寺も重要人物として登場する。
それが、真田幸村の臣下となって参戦したのである。
幸村の臣下には、後北条の小田原衆は少なくはないが、陸軍よりも水軍で、その数は海軍に多い。
だが、夜、参集した顔触れは、殆ど古くは海賊衆と呼ばれた水軍であり、現海軍のすがたはなかった。
松田の屋敷内には、すでにかなりの数の忍びが這入っていた。
そして、参集した顔触れは、すべて記憶されていた。
本多正純の手の者と木村重成党も這入っていた。
薄田隼人、速水守久、青木一重、真野頼包、毛利元康、南条頼元、塙団右衛門、梶原忠勝、渡辺糾、堀田正高、伊東長次、各和元樹、網代岩次、飯尾康勝、甘利家信、天方吉俊、寄木友成、生駒正純、赤座直規、渡辺親吉、松田兵部少輔までの二十一人の武将たちが参集していた。
松田兵部少輔が、
「真田助村皇帝、幸大副皇帝、助幸副皇帝、真田ケリー宰相、真田信幸相談役という首脳陣の中では、我々の出番は永遠に回って来ないぞ。つまり冷や飯食いというということになる」
ケリーの姓は宮本から、十兵衞と再婚したことで真田ケリーになっていた。
「こうしてみると、真田一族で全てを握っていることになる。幸村にしても、大阪での戦の時は、我々と同じ徴募兵であったはず。それが、淀殿と男女の仲になって以来、大阪側の主人同様と成り、初代皇帝と成り、二代目、大助。三代目に竹林宮雪殿の女帝を経て、現在は、四代目と成っている。これでは、真田王朝の独占ではないか!」
と声高に言ったのは塙団右衛門であった。
「ヨーロッパのロシアから、カザフスタン、西シベリア、中央シベリア、東シベリアから沿海州、アラスカから、カナダ、北米、メキシコと中南米、そして、南洋と豪州、武龍(中国)、日本を含めた、東北アジア、さらにアフリカとある。これだけの広大な領地を持っている国は無い。少しぐらい、我々のように昔から働いてきた者たちにも、分け与えても良いのではないのか。その様に思うぞ」
そう言ったのは薄田隼人であった。
その間にも、気配を消した忍びの者立ちが、入れ替わり立ち換わりして、大阪城内に走っていた。
顔触れから、不平不満に至る全て書き取って、本部に送っていた。
集っている顔触れを見て、さらには不平不満を聞いてから助村は、
「なるほどな・・・これだけの古強者たちに、冬丸以下の若い者たちで太刀打ちできるか? ただし、不平は述べても『味方』である。飛行機での爆撃や、戦艦からの艦砲射撃は行なわない。重火器はなしだ。昔ながらの騎馬隊と、鉄砲と槍と刀との戦いだな。鉄砲も止めよう。それで戦って勝てるか? 両軍から鉄砲は取り上げる。言って見れば演習のようなものだ。場所は北アメリカが良かろう。二十一人ならば二十一師団だ。同じ数で戦え、そして見事に勝って見せてくれ。手加減は無用だが、あくまでも『味方』であることを忘れるな。正々堂々と戦って見せてくれ。その上で、彼らの言い分を聞いてやろうと思う」
と助村皇帝は、半ば笑いながら言った。
二十一人に一人一師団を付けて、北アメリカに行くように命じた。
武器に制限を付けた。
「すでに敵は、北アメリカに居て、反乱を起こしている。それを鎮圧してほしい。敵は、我が国の若手の不満分子である。敵であって『味方』である。したがって、昔ながらの戦法で若い反乱分子を完膚なきまでに、戦とはこう言うものだと教えて欲しい」
と皇帝自らが言った。
皇帝にすれば、演習か模擬戦でしかなかった。
従って、飛び道具も、弓矢以外は持たれなかった。
若手の方も武器は同じであった。
日本の古い戦を再現することになった。
「これならば、古い武将たちにとってもお手のものであろう。勝って当然の戦であろう」
と、皇帝は言った。
「確かにそうですね。これで勝てなかったら、以降は一切、不平不満はいえなくなります」
ケリーが言った。
「皇帝も考えましたな。これで、嫌でも結論が出る」
歩兵も居たが、殆どは騎馬戦ということになるであろう。
若手の主力は十兵衞公配下のものと、武蔵公の子飼いたちであった。
武蔵の子飼いは、高橋是高、小林勇、武藤一二三、京町ケスラー、岩上書之介、八幡野仙吉、野村当麻、馬込新吉、神林俊春、村上吉之介の子飼い十人衆。
これを補佐するのは、シベリア十二神将で、服部和正、野口君貴、宮本アーサー良文、真田ハリー信虎、野上宗規、大沢テリー紀貴、細田文広、太田信時、冬田一成、磯村速見、望田達也、池上信三の十二人であった。
十人衆が指揮するのを背後から助言していく積もりのようであった。
前には出ないが出れば強い。
「今回は肉弾戦だぞ」
服部和正が言った。
「肉弾戦は得意だ」
答えたのは宮本冬丸であった。
冬丸の同期には、シベリア十騎と呼ばれている者たちがいた。
板橋銅次、丸山銀二郎、棚橋進之助、音無功三郎、定岡岩之助、山岡鉄五郎、新岡丸次、天野市松、倉田持吾、神山正春、桜木右近、木田左近の十騎である。
彼らは武蔵系であったが、十兵衞にもロシア十二騎がいた。
今回は、全員が傘下していた。
雨宮弥助、志村玄之助、中村太一、田原総次、山村玄太、真庭友介、殿村方正、源田弥一、橋田正吉、川野照正、吹田源吾、野間正次郎の十二騎が参戦した。
誰もが肉弾戦が得意な者たちであった。
彼らが、歴戦の勇者たちと戦うのである。
戦うのは、北アメリカの広大な原野であった。
宮本武吉も村智も、若手として参戦していた。
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