第21話 ダンス(2)
「むー。ママ、ヴァレリーにばっかり優しい!」
キニエが拗ねたように頬を膨らませる。
「男の努力に正しく報いるのが淑女のたしなみぞ。お主は、この弟の頑張りを見て何も思わぬのか?」
「ふーんだ。キニエには才能がないから仕方ないの! どうせキニエはダメな子だもん」
キニエはいじけたように床を指でなぞる。
「甘えるでない! 言い訳するにしろ、もう少し機知に富んだ返しができんのか!」
ザラの怒声が飛ぶ。
「うえええええええええん!」
キニエが大っぴらに泣き出した。
「全く。周りが甘やかしおるから図にのってからに」
ザラが眉間に皺を寄せる。
(この年齢の子どもならこんなものだろう。俺からすればかわいいもんだが)
確かに、ザラの言う通り、家族内においてキニエは甘やかされているといえた。
現在、家族の中で唯一の女の子どもである彼女を、俺の母は娘――というよりは、もう少し無責任な孫に対するそれに近い態度で可愛がる。
父は、婦女子の教育はザラに任せるという方針らしく、よほどのマナー違反でもなければ、キニエを厳しく叱るということはしない。
兄たちも、妹は『守るもの』と位置づけているので、優しく接している。
普通の家庭ならば、妹をいじめる兄弟の一人くらいはいてもよさそうなものだが、この家族は全員人間ができているだけに、『嫌な奴』の役割をこなせるのが、ザラくらいしかいないのが哀れだった。
(まあ、ザラも求めすぎかもな)
彼女は自分にも他人にも厳しいタイプの性格であり、逆にキニエは自分にも他人にも、良くいえば鷹揚で、悪くいえばズボラな性格をしていた。
ザラは彼女の適当な所を矯正したがっているが、俺はむしろ伸ばした方が良いと思う。
キニエは気分屋ではあるが、何事も根に持たないという長所を備えているようなので、そこを尊重すべきだ。
貴族としてはどうかは知らないが、少なくとも、その方が女として魅力的に育つと思う。
(ここは俺が一肌脱いでやるか)
「姉ちゃ、姉ちゃ」
俺は、わざとハイハイの格好になって、キニエの服の裾を引いた。
「なによ! ヴァレリーはあっち行って!」
「姉ちゃ、すき。俺と、踊ろ?」
俺は、キニエに手を払われるのも無視して、裾を引き続ける。
「嫌! ヴァレリーと比べられて、また私が怒られるもん!」
「……」
俺は沈黙の力を信じ、上目遣いでじっとキニエを見つめた。
「むー」
「……」
彼女の胸に飛び込んで、頬を胸に擦り付ける。
「もー! 仕方ないなー! 一回だけね?」
キニエが情にほだされたように、泣き笑いの表情で小首を傾げる。
「姉ちゃ、ありがと」
キニエと手を取り合って、俺は立ち上がった。
「ふむ。では、簡単なワルツを――」
「オーガのパンツは、いいパンツ、つよいぞ、つよいぞー。トラの毛皮で、できている。つよいぞ つよいぞー」
俺は、課題曲をアコニに演奏させようとするザラを遮って、勝手に歌い出す。
「きゃはは! なにそれー、変な歌―」
間の抜けた調子に、キニエが笑みを浮かべた。
(今のキニエには、ダンスに対する苦手意識ができてしまっている。はじめにそれをぶっ壊す)
彼女の中で、ダンス=つまらないもの、という脳内方程式になっているので、まずはそこをほぐしてやらなければならない。
加えて、小難しい理屈もなしだ。
ザラの指導は理論的なので、俺としてはとても分かりやすくて助かっているが、キニエは俺の見立ててでは、感覚で学ぶタイプである。
(重心がおかしい。おそらく、これは女ながら背が高く生まれたことへのコンプレックスで猫背になっているからか――それだと、こうか?)
腰を背中側から圧迫し、姿勢を正す。
ぎこちない部分をリードしてやり、鉄棒の逆上がりのように、自然に出来る方向にもっていく。
「はこう はこう オーガのパンツ」
「はこう はこう オーガのパンツ!」
キニエがはしゃいで踊る。
赤子の俺とは身長差はあるが、さすがに弟の俺相手だと背が高いことも気にならないのか、キニエは華麗にターンを決めた。
「……一応、様にはなっておるな」
「本当っ!?」
キニエが瞳を輝かせる。
「姉ちゃ、じょうず、じょうず」
俺はすかさず手を叩き、キニエを褒める。
「だよね! ヴァレリー! キニエ、やれば出来る子だもん! きっと、ママの教え方が下手だったんだね!」
キニエが無邪気に快哉を叫んだ。
「人のせいにするでない。常に克己の精神で努力せよと妾はいつも――」
「あっ! そろそろお昼の時間だから、ミディたちを手伝ってくるね! ほら、ハナヨメシュギョーだから!」
「貴族の娘が炊事などできる必要はなぞないわ。それよりまだ妾の話は終わっておらぬぞ」
「あーあー! 聞こえないー! また今度! じゃあね、ヴァレリー! そのうち、また遊んであげるから!」
キニエは俺の頬に軽く口づけすると、脱兎のごとく部屋から逃げ出した。
「ふう、全く。お主とキニエの性別が逆だったならば、言うことないのじゃが、世の中は全くままならぬ」
ザラは扇子を置き、憂鬱げにパイプをくゆらせた。
「キニエ、かわいい。みんな、好きになる」
女は愛嬌というが、必ずしも美人がモテるとは限らない。
逆に美人過ぎると近寄りがたかったりする。
ちょうど、眼の前にいるこのご婦人のように。
「ただ衆目を引けばいいというものではないのじゃ。貴族というものはな。寄ってきて欲しい奴に寄ってきてもらい、寄ってきて欲しくない者は遠ざけることができねば災いを招く。無防備な隙をエサにするのは悪くはないが、あくまで自覚的でなければの」
ザラが諭すように言う。
どうやら、俺のプロデュース方針にはとっくに気付いていたらしい。
「……ごめんなさい」
「そのような目で見るな。何も言えなくなろうが――お主は、自らの美しさに自覚的なようであるの」
「てへっ」
俺はとぼけて舌を出した。
「あざとい奴じゃ。初対面の相手ならばまず騙せようが。――しかし、妾もお主に感謝せねばの。妾にはあやつに踊を仕込む術を持たなんだ」
ザラはそう言って、ひとりでに頷いて納得する。
「なら、お礼、欲しい」
俺はストレートにそう要求した。
厚意はただではない。
彼女も貴族ならば、そのことをよく知っているはずだ。
「ほう。おもしろい。申してみよ」
ザラは、愉快そうに俺の先を促した。
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