第四章 ローズ
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「先生はこの船、長いんですか?」
元来、話好きの彼女は、新しい茶飲み友達が出来たことを喜んでいるようであった。タカヒサの瞼をひっくり返して、あっかんべーさせながらローズは応えた。
「アタシは、この船が就航した時から乗り組んでいるわよ。かれこれ15年くらいかしら。まぁ、自分の家みたいなものね。フリードリッヒにも判らない事が有ったら、アタシに聞いて頂戴。はい、口を開けて・・・」
ローズはMSSボーズマンに乗り込む軍医である。クルクルパーマのかかった金髪と堂々たる体格、更に、その豪快な性格から、他の乗組員達からは『おっかさん』の称号を与えられていた。裏表無く、誰とでも親しく話す陽気な彼女は皆に好かれていたが、喋り出すと長くなるのが珠に傷であった。彼女はペンライトで喉の奥を覗き込み、念入りにチェックした。
「ずいぶん前になるけど、貴方のような日系人の航海士が乗り込んだ事が有ったの。あの人は、出港後3日目で宇宙風邪にかかってね」
タカヒサは大口を開けながら返事をした。
「・・・あい・・・」
「惑星間航路に入る前に42℃の高熱が出て、そのまま火星に逆戻りよ。火星に戻っても代わりの航海士が直ぐには見つからなくてね。結局、アタシ達は港で1週間も足止めを喰らって、息子の誕生日に間に合わなかったわ」
そう言うとローズは、キーボードをカタカタ叩いて電子カルテに何やら書き込んだ。タカヒサは、その息子の事でも訪ねて話に付き合おうかと思ったが、フリードリッヒの時の様に間の悪い質問をしてはマズイと思い、とっさに別の事を口にした。
「先生は、どうして軍医の道を選んだんですか?」
「旦那が軍で船に乗っていたからよ。息を吸ってぇ・・・吐いてぇ・・・」
ローズは聴診器を当てた。タカヒサは診察の邪魔にならないように、その間は黙っていた。そして彼女は再び、キーボードを叩き始めた。今にして思えば、お喋りな彼女が必要最小限の事しか応えなかった時点で、その異変に気付くべきであった。しかしタカヒサは、無神経にも同じ話題で会話を続けてしまった。
「先生のご主人も、惑星間航路の船に乗っていらっしゃるんですか?」
一瞬、ローズの手が止まった。そして言った。
「旦那は12年前に亡くなったわ」
タカヒサは自分のオデコをピシャリとやると、頭をボリボリ掻いた。「また、やっちまった!どうして俺は、こうも余計な事ばかり口走ってしまうのだろう?」キーボードを叩き続ける彼女の横顔に向かって、タカヒサは言った。
「すみません。辛い事を思い出させてしまって・・・」
「あら、いいのよ。気にしないで」
そう言いながらも、彼女の目からは大粒の涙が溢れ出し、そしてその雫は彼女の手の甲にポタリポタリと落ち始めた。「気にするな」と言う方が無理である。それからの小一時間、タカヒサは彼女を慰める為に悪戦苦闘するハメになった。これでは、どっちが医者でどっちが患者か判らない。
結局、自分の体調不良の原因は聞けず仕舞いであったし、薬も処方してもらえなかったが、その後、何事も無く回復に向かったので、疲れが溜まっていただけなのだとタカヒサは信じることにした。宇宙風邪の様なタチの悪い病気でなくて良かった。それよりも、どこから漏れたのかは判らないが、この一件が他の乗組員達の知るところとなり、タカヒサは『おっかさんを泣かせた男』として皆から妙な尊敬を勝ち得る事態になってしまった。長年、同じ船に乗り込んでいるフリードリッヒにすら、彼女は自分の弱さを見せた事が無かったのだ。皆から一目置かれるようになったタカヒサは、お客さんという立場も手伝って、船内を自由に動き回る免罪符を手に入れると同時に、このMSSボーズマンの歴史に新たな名前を刻んだのであった。
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