第12話・ある村

 隣の村とはいえ、地図を見ると、徒歩行でまる一日がかりの道のりだ。車両の一団がにじった轍をさかのぼるのが最短距離だが、このルートはやばい。ドラゴン狩りの増援部隊が真正面から向かってくると覚悟しなければならない。ネロスが率いる本隊と鉢合わせをする危険まである。そうでなくとも、オレたち三人の手配書は撒き散らされているだろう。安全を取るなら、山際のガレ場の踏破だが・・・

「かまわぬ。まっすぐにゆけ」

 父親は、車椅子にふんぞり返って言う。いや、命を下す、という態度だ。

「ぶつかれば、どいてもらうだけのことよ」

 道の譲り合いになったら、この男が交渉に当たってくれるようだ。どのみち、遠回りをしている時間的な余裕はない。

「またひと悶着だな・・・」

「ぶつかるとしても、小部隊だろう。ネロスはその村にしばらく滞在しているそうだ」

「へえ、なんのために?」

「知らぬ。教えてくれたのは、口数の少ない男だったものでな」

 あの拷問で吐かないとなれば、本当のことなのだろう。ネロスめ、いったいなにを企んでいるのか。

 多くの車両が草を荒らし、即席の道となったルートを進む。こちらもまた、通過した足元に車椅子の轍を残している。こいつが見つかる前に、到着したいものだ。


 陽が照りつけ、傾き、暮れ、夜がふけ、明けた。杞憂だったか、心配していた党勢力は、前後のどちらからも現れることはなかった。日中、歩きつづけ、夜は平地を避けて、岩陰に天幕を張った。しかし、小さな隊が脇を通りかかるということもなかった。背後に遠ざかるオアシス襲撃のベースキャンプの連中は、ガサ入れに前のめりなのだろうが、そこに合流しようという部隊ともまったくかち合わなかったとは、ラッキーだ。増援は送りきった、ということなのだろうか。この先の村に残っているのは、ネロスと少数の人員だけだと思いたい。

 目的地に近づいたが、関のゲートはどこも開け放たれている。ひとっ子ひとりとも会わない。ふたつみっつの小さな周辺部落を通りかかったが、どこも戦火に荒れ果てた状態だ。党が仕事をすませ、完全に占拠・・・というよりは、ぺんぺん草一本も残すこともなく蹂躙していったのだ。党に抵抗すれば、こうしてきれいなまでに叩きのめされ、ねじ伏せられ、「平定」される。近頃では、どんな辺境にも党兵が配され、強大な火力があまねくゆき渡っている。そんなイカツい戦力を相手に、腕力と脚力と剣とで自衛してみたところで、まったく太刀打ちなどできない。攻めくる者と守る者との力には圧差がつき、それは開く一方だ。

「近いぞ・・・」

 先頭をいくオレの鼻が、煮炊きのかすかなにおいを拾った。草地が見るからに踏み固められ、ひとの営みの気配が濃厚に漂ってきたところで、土壁に囲われた人家の集まりが見えはじめた。

「第一村人発見・・・」

 荒れた土地を耕しているのは、若い女だ。役に立たない老人は捨て置かれ、若者は都の労働力、あるいは党の兵力として駆り出され、子供は親元から引き離されて兵士として洗脳教育を受ける。女は、男の代わりの力仕事で筋骨をたくましくし、憎悪をふくらませるばかりだ。

「しっ・・・」

 ブ、ブ、ブ・・・

 車両の爆音が大気を揺らしている。重そうな物体が地面をにじり、方向を変える音。おそらく、バギーに引かれるコンテナだ。

 ドン・・・

 砲が撃たれた。

 キュルキュルキュル・・・

 つづいて、異物が空気を切り裂く不快な音。空に群れ飛んでいた鳥たちが散開する。その中央を、巨大なモリが通過していく。尻に鉄条網のような鋲縄を引いている。

「ネロスだわっ・・・!」

 あのえげつないモリの形状は、オレもジュビーも目にしたことがある。間違いない。

 わ、あ、あ、あ・・・

 突如として、大勢の声がわき起こった。声は、モリの落下点に向けて走っている。音が聞こえてくるだけだが、これは・・・

「ドラゴンを狩る訓練のようだ。ネロスは、やっぱり自分で王様を仕留める気なんだ」

「いきましょう!」

 ジュビーの気がはやる。状況も把握しないうちから、無鉄砲なことだ。

「まてって・・・」

「ゆけ」

 父親の命が下る。この男も、事の後先をまるで考えない。

「・・・あんたがここでおとなしくしてるならな!」

 様子を探りに、再びジュビーとふたりで村に忍び込む。村内には、ひとの背丈ほどの安っぽい土壁がめぐらされ、砦の造りを真似てある。しかし、見張りのひとりも配されていない。拍子抜けするほど無警戒だ。身を低くしながら、やすやすと入り込むことができる。ジュビーが小走りに前をいく。

「変だな・・・なんだか・・・」

 ワナみたいだ・・・と口に出そうとした、そのとき・・・

 わあーっ・・・わあーっ・・・

「・・・ええい、どいつもこいつも、そのへっぴり腰はなんだ!もっと深く踏み込んで斬りかかれい!ドラゴンのウロコの硬さを知ってるかあ?」

 声は、この辻の先から聞こえてくる。どやどやと駆けまわる足音は、兵のものとは思えない。ブーツではなく、草履を履いているようだ。統率もとれていない。ジュビーも、怪訝な顔をしている。

「ど素人をかき集めた、即席チームだな・・・」

 崩れ落ちた土塀の陰からのぞき込む。視界がひらけた。広々とした草っ原だ。砲弾を撃ち込まれてデコボコになったその広場で、集められた百姓姿の男たちが、長大なワラ束に向かって木製の剣を振り込んでいる。全長20デスタントにも渡って接がれたワラ束の塊は、うねって地を這い、途中から立ち上がり、掲げられた先端に、ツノに見立てた二本の木の棒が突き刺さっている。それがドラゴンを模してつくられていることは明らかだ。

「渾身の力で打ち込め!それでやっと、ドラゴンにかすり傷を負わせることができる」

 がなり立てる声は、ネロスではない。ムチを手にした教官のような役まわりの党員が、偉そうに指示を出している。エンブレムがまばゆい。その命令に従う村の男たちは、一様にやせこけている。栄養の足りていない手に木剣を持ち、ドラゴン人形に向けて、えいやっ、とばかりに打ち込む。振り上げているのは、貧相なからだには不釣り合いなほどにゴツくて重そうな、アブラ松の削り出しだ。そいつが鈍い音を立て、頼りなくワラ束にめり込む。

「あんなもので・・・」

「いや、本気でドラゴンとやり合わせようなんて考えてない。死に要員だろうな」

「しに・・・?」

「ドラゴン狩りには、死ぬ人間が必要なんだ。使い捨ての生き餌だよ」

 ジュビーは苦々しく顔をしかめる。

「・・・だとしたら、ネロスって愚かね。このひとたちは死なないわ。だってあのオアシスに、王様はもう現れないもの」

「いや、逆にネロスの前には現れるだろう。やつは、ドラゴンの卵を奪ったからな」

 あの王様ドラゴンが、ネロスを許すはずがない。いよいよジュビーの顔が苦々しくなる。

「別部隊のオアシス行は、目くらましってわけだ。このみすぼらしいのが、本隊だ」

「・・・絶対にここで食い止めなくちゃ・・・」

 それにしても、ネロスの部隊がこれほどの素人集団とは驚きだ。意図的に玉砕させる算段であることは疑いがない。こんな頼りない連中でも、人数さえかければ、ドラゴンを手こずらせることはできる。その上でドラゴンを仕留め、自分ひとりが生き残る、絶対的な自信があるのだ。仲間がひとり残らずいなくなれば、報償と名誉は自動的にネロスが独り占めにできる。

「王様が現れれば、みんな死ぬ。王様にやられてな」

「・・・そんなの、だめ・・・」

「あるいは・・・いや・・・いずれにしても、みんな死ぬ」

 オレが知る、やつの二件のドラゴン狩りでは、どちらのケースでも、生き残ったのはネロスのみだ。仲間がなぜ、ドラゴンに勝利しながらも全滅したのかは、ネロスだけが知るところだ。

「見てっ、フラワー!」

 わあ、うわあー・・・

 大人たちの後ろから、年端のいかない子供たちが突撃していく。

「あんな幼い子まで駆り出されるのか・・・」

 上半身はだかの子供たちの細腕は筋張り、薄い背中には骨が浮いている。不意に、僧院の中庭に響く自分の声が脳裏によみがえった。頭を振って、その苦々しい記憶を追いやる。

「ここは後まわしだ。ネロスを探そう。たぶん、コンテナだ」

「まって・・・」

 広場が不意に、静まりかえった。木剣をワラ束に叩きつけていたひとりの男が、教官に異議の申し立てをはじめたのだ。

「役人様・・・やはり私たちは、ドラゴンを追い立てるのはいやです・・・」

 周囲の村人たちの手がとまる。精悍な顔つきをした若い男は、青ざめながらも、教官の前に面(おもて)を開いて立っている。

「あんな尊い動物を・・・」

 最大の勇気を振りしぼっての行為だ。おそらく、若くしてこの村のリーダー格なのだろう。教官はムチを持っている。あれが振り下ろされることも覚悟しての申し立てだ。剣呑な空気が流れる。ところが、しゃくれアゴの教官は少しもあわてず、取り合うこともなかった。代わりに、悠然とふところから拳銃を取り出し、目前に立ちはだかるやせ細ったからだに向け、一発を撃ち込んだ。

 ガーンッ・・・

「えっ・・・!」

 土塀越しに見ていたジュビーは、思わず叫んだ。が、声は、広場に響き渡る銃声のこだまにかき消された。

「う・・・う・・・」

 腹に弾を受け、男はくずおれる。しかしなおも、ぶるぶると震えながら、木剣を持ち上げようとしている。

「なにがドラゴンハンターだ・・・ふざけるな・・・」

「なんだと?もう一度言ってみろ」

 教官は男を見下ろしながら、硝煙をくゆらせる拳銃の弾倉を開け、次弾を込めている。

「・・・ドラゴンを連れたあの男がきてから・・・村人が何人死んだと思ってる・・・」

 思わず、ジュビーと顔を見合わせた。ネロスのことだ。しかも、ドラゴン連れ!?卵がかえったのだ。

「ドラゴンは狩らないっ・・・そんな命令は・・・」

「ドラゴン狩りは女帝陛下直々のご下命だ!」

 ガーンッ・・・

 再び、銃声が鳴り響いた。頭を撃ち抜かれ、男は動かなくなった。

 ふと気づくと、ジュビーが背中から剣を抜いていた。怒りに歯を食いしばっている。かりり・・・と、奥歯が欠ける音がした。一投必殺のくの字剣を振りかぶり、右に左にと刃先を泳がせはじめる。

 ひょう、ひょう・・・

「まてっ!落ち着け、ジュビーっ・・・」

 あわてて制する。この子にひと殺しをさせてはならない。

「・」

 と、そのとき、ジュビーの目は奇妙なものを見た。瞳から集中力がそがれている。異変に気づき、彼女の視線の先を見ると、オレの視界にもその光景は映り込んだ。

 ゴロ、ゴロ、ゴロ・・・

 車椅子の車輪を自らの手で押し押し、超然と広場に乗り込もうという老人がいる。そのまままっすぐに、教官の元へと向かっていく。

「・・・なんだ?このジジイ」

 反乱者を殺した男は、アゴをなでながらゆっくりと老体に拳銃を向けた。次の弾は、すでに込められている。

「まだこんな老いぼれが残ってたのか。とっととあの世にいけ」

 ガンッ・・・

 撃った。ところが、外れた。かなりの至近距離なのに。もともと、この新方式の携帯型鉄弾発砲装置は精度が甘いのだ。車椅子はかまわず真正面から、ゴロリ、ゴロリ、と接近していく。

「おい、止まれっ」

 はじめてその声に動揺の色がにじんだ。弾を込め、もう一発撃つ。外れる。あわてて次弾を込める。もう一発・・・

 ガンッ・・・ガンッ・・・

「止まれっ・・・とまれって、おい、ジジイっ・・・!」

 もう手を伸ばせば届こうかという距離だ。

 ・・・かしっ、かしっ・・・

 すべての弾が外れた。どうなっているのか?よくわからないが、とにかく、手持ちの銃弾は尽きてしまったらしい。その次の瞬間・・・

「うむ・・・ぅ・・・」

 長身の男の左胸に、長尺ナイフが突き立った。投げたのではない。間近まで車輪をにじった車椅子の老体が、脇から悠然とそれを取り出し、そっと・・・そう見えたのだが・・・心臓に突き入れたのだ。最初から最後まで、あくまでゆったりとした動きだった。

 お・・・お・・・

 周囲がどよめく。目の前でマジックが行われたのだ。目をこすりたくなるような気分だろう。

「ど・・・どうなってんだ?」

 ジュビーを見た。しかし、彼女はため息をひとつついただけだ。それは、いつも見ている光景だったのかもしれない。

 教官は拳銃を取り落とし、音もなく地面に横たわった。動かない。

「あのおっさん、また殺しやがった・・・」

 それにしても、間近から撃ち込まれる銃弾を車椅子上でよけたというのか?いや、よけたようには見えなかった。泰然自若。自信と達観が全身を取り巻いて、なにかこう・・・自分は特別な運命のようなものに導かれていて、刃も、弾も、あちらからよけてくれるとでもいうような、そんな態度だった。

「パパっ!」

「ムチャするなよ、おっさん!」

 思わず、ジュビーと広場へ走り出た。当の本人は悠々と、抜いたナイフから血のりをぬぐっている。

「相手は飛び道具なのに」

「ふっ・・・あんな遺跡から掘り出したクズ鉄の武器など、使い物にはならぬ」

「そんなこと言ったって、この男には当たったぜ」

 足元に、銃弾を撃ち込まれた若者が横たわっている。村人が取り囲む中、ジュビーが首筋に指をあて、脈をみる。それきり、うつむいてしまった。死んでいる。わかっていたことだが。

「・・・あのな、おっさん。殺されるたびに殺してたら、また別のが殺しにくるぞ。銃声もあたり一帯に響いた。すぐにここも大騒ぎになる」

「愚か者がっ!挑んで生を終えた者を前に、生を惜しむか!そんな生は、死に等しい!」

 悪い男め、周囲の村人に聞こえよがしに言っているのだ。彼らは、銃弾に倒れた遺体を見つめている。自分たちの仲間・・・おそらくは、あの行動力から見て、村の将来を担う存在だったのだろう。その無念を悼み、苦渋の表情を浮かべる者がある。涙をこぼさんとする者もいる。身近に死を見過ぎたのか、無表情でぼんやりと立ちすくむ者もいる。しかし、どの瞳の中にも、一閃のたぎりが生じている。強大な侵略者がやってきて以来、誰もが考えることを許されず、盲目的に服従するしかなかったにちがいない。それに対して、はじめて声をあげた者の死に、打たれなかった者はいまい。

 ひとり、木剣を握りしめ、怒りに打ち震える子供がいる。髪の刈り込みを見ると、まだ十までいっていないようだ。

「あなた・・・」

 ジュビーも気づいた。その面立ちが、死んだ若者にそっくりなのだ。茫然自失の幼い表情は、すぐに悲しみのものに変わった。秋風を受けて赤くなったほっぺを、ぽろぽろと玉の涙が伝い落ちていく。

 えっ・・・えっ・・・

 しゃくり上げがはじまった。誰もが、掛ける言葉を失っている。

「わたしたちのせいだ・・・」

 ジュビーは、怒りからか、悔悟からか、こぶしを握りしめている。しかし、それを強い意志でほどき、ゆっくりと子供に歩み寄る。

「ごめんね・・・ごめんっ・・・」

 ジュビーはひざを折り、その子を抱きしめた。こうする以外にどうしようもない。一緒に苦しもうという、固い抱擁だ。

 横にいた村人のひとりが言った。

「・・・テオだ。撃たれたヴィンスの、年の離れた弟だよ・・・」

 ジュビーは、さらに強く抱きしめる。

「ごめんなさい・・・テオ、ごめん・・・」

 ジュビーのあたたかみに、自分を支えていたものが崩れたのだろうか。死んだ若者の弟もひざをつき、少女の胸の中に倒れ込んだ。そして、ついにわんわんと泣きはじめた。これまでこらえなければならなかった感情の破裂だ。魂の爆発だ。抑圧されて以来、はじめて声をあげたかのようだ。こちらの心までも振るわせる嵐のようなわめき声を、ジュビーはぎゅっと胸の中におさめていく。彼女の目にも、涙が込み上げている。彼を死なせたのは自分たちのせいだ・・・ジュビーはそう考えている。限りなく深い思いやりと、ひとつの死を防げなかった痛恨とで、彼女の胸も張り裂けんばかりなのだ。

 そのときだ。党の兵や役人どもが広場になだれ込んできた。

「こっ・・・これは・・・!」

「・・・きっさまらあっ!」

 仲間である教官の死体を見るや、次々にふところの拳銃を抜きはじめた。全部で十人ほどだ。

「だっ・・・誰がやったのかっ!?」

 上官格のひとりが問いかけた途端に・・・

 わ、あ、あ・・・

 村人側がいっせいに蜂起した。彼らもまた、人間性を解放したのだ。テオの泣き声が、みんなの魂を動かしたにちがいない。こちらは三十人ばかりもいる。拳銃一丁の恐怖は、平時にはこれだけの大人数を御することができるが、ピークに達した怒りは、単発式の抑止力では押しとどめようもない。

 ガガン・・・ガン・・・

 人垣の奥で、くぐもった銃声が響く。血がしぶく。誰かの腹が裂けている。しかし、抑圧のバネから反発して伸び上がった人々の殺到は止まらない。木剣が党員に向けて振り下ろされ、斬り殺されているのか、叩き殺されているのかは確認のしようがないが、とにかく盛大な血しぶきが上がっている。

「ジュビー、関わり合うな!ネロスを探すんだ」

「でも、パパが・・・」

 父親は、すでにケンカ祭の中に飛び込んでいる。好きでやっているのだ。放っておけばいい。が、そのときだ!

 バババッ・・・ドルルルルン・・・

 その場に党の車両が走り込んできた。

 ぎ、ぎ、ぎいいいぃ・・・

 歯がきしむような制動音を響かせ、土煙とともに重量物が横着けされる。

「なにごとかあっ!」

 自分を偉大だと考えているらしき人物の声が、人々を制した。颯爽。ゴーグルをかけた鼻の下に、なんという親しみだろう、横にぴんと張り伸ばされたヒゲ。砲を積んだコンテナを引くバギーに乗り込んでいたのは、因縁のドラゴンハンターだ。

「・・・ネロスっ!」

 ジュビーが叫んだ。背中の剣を抜こうかという、しかしそのとき。オレたちの前を、小さな影が走り抜けた。

「おまえのせいだっ・・・!」

 テオだ。血まみれの木剣を手にしている。

「兄ちゃんのかたきっ・・・」

 削って研ぎ上げたアブラ松の剣を、ネロスに向け、猛然と打ち下ろす。

 ぶうん・・・

 重い剣だ。動きは遅く、軌道は読まれている。歴戦のハンターは身を引き、わざわざ鼻先すれすれのところでかわして見せた。

「なんだ?このガキは」

 ネロスはムチを、振り下ろすのではなく、ひょいと手首を返して操った。先端がまるで意思を持ったようにくねり、ぼうずの首に巻きつく。

「ぐっ・・・」

 絞まる。ムチはさらによどみなく動き、コンテナの上部、ふたりの頭上に位置する長い砲に絡んだ。

 キリキリキリ・・・

 ネロスの手が引き絞られると、たちまち子供の吊るし首が出来上がった。なんという鮮やかな手際!テオの両足が、じたばたと宙を掻く。

「お、おい・・・」

「テオっ・・・!」

 いきり立っていた村人は、それを見て固まってしまった。テオは、のど元に食い込むムチをほどこうとするが、すき間には指一本入らない。

「ぐ・・・う・・・う・・・」

「おっと、これでは死んでしまうか」

 ネロスは、足元に取り落とされた木剣を拾い上げると、処刑場の直下に突き刺して立て、テオの足の下に支(か)った。即席の足場をつくってやったのだ。小さな足がその上にのる。しかし、これでは突っ支い棒にもなりはしない。テオは、張り詰めたムチに首を絞められたまま、突き立った木剣の柄尻のせまいせまい一点で、かろうじて立っている。

「ぐ・・・あ・・・」

「おっと、誰も近づくなよ。私が足をひと払いするだけで、このガキの頸椎はポッキリ、気道はキュッ・・・だ」

 人々は動けない。さすが・・・と言わざるを得ない。村民の暴動というこの窮地を、難なくしのいで見せた。この人質使いも、やつのいつものやり口だ。幼いオレの衣類を、それにドラゴンの子の生首をエサに、相手を困惑させて優位に立ち、欲しいものを手に入れるのだ。

 りゅんっ・・・

 ジュビーの剣が飛んだ。その軌道は、もちろんテオの吊るされたムチに向かっている。

「キターッ!」

 ぱしっ!

 ネロスは、それを予期していた。自ら飛び出し、剣がなにをも切断する手前で、はっしと受け止めたのだ。

「あうっ・・・」

 ジュビーが低くうめく。完全に手の内を読まれていた。自分がこの場に現れることも、ムチに向けてくの字剣を放つことまでも。

「ハッハーッ。なんとかのひとつ覚えだ、ジュビー!」

 待ちぶせていたというのか?ところがネロスは、剣を飛ばした者の顔を探すよりも先に、たった今受け取った剣の柄に目をやった。しかも、まじまじと見ている。なにかを確認しているようだ。

「やはり・・・やっ、やはり、ビンゴだ!こんなっ・・・こんなことが!」

 ものすごい興奮のしようだ。ジュビーの剣を、この世で最も尊いものだとでもいうように、押し頂いている。それに対して、ジュビーは混乱を来している。大変なことをしでかした、という顔だ。振り向くと、すぐ背後にいる車椅子の父も、眉間に深刻なシワを刻んでいる。

「愛しいジュビーっ!わが妻となるべき女よ。私にはすべてがわかったのだ。奪ったドラゴンの卵に、すべてが写り込んでいた!」

 突然になにを言いだすのか。卵に?・・・いったいなにが。

「いいか、あの対決のとき私は、おまえのドラゴンにほおを切り裂かれたのだ。それを右手で押さえた。その血まみれの手で、飛んできたおまえの剣を受け止めた。柄を、だ。その手で、卵を拾い上げた。その卵に、なにが写り込んでいたと思う?」

 父親は、いよいよシワシワな顔になっている。知られてはならないことが知られたのだ。順を追って考えれば、血まみれの手には、剣の柄の模様が反転して写る。その手で卵に触れれば、柄の模様はそのままはっきりと、卵のなめらかな面に転写される。

「大サービスをしてくれたものだな!これほどの大きなヒントを私に与えてくれるとは!」

 ジュビーは、たまらず目を伏せた。その顔は青ざめている。

「紋章だよ。英雄、カプー・ワルドーの。ジュビー、おまえは女帝陛下の子にちがいない!」

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