第6話・出立
「あなた、ネロスに向かって、父と母の仇、と言っていたけど・・・」
「それはこっちの事情だ。気にしないでくれ」
「・・・あなたも、あいつに因縁を持っていたなんて・・・」
「立ち入ってほしくないね!」
こちらがはじめて見せる強い態度に、少女は・・・ジュビーは少しだけたじろいだ。が、すぐにその目を見開いた。瞳の奥に、なにかのスイッチが起動する、小さな光が灯っている。そのまま父親に目配せをした。なにかを企んでいる。父親はそれを受け、ふふん、と鼻を鳴らした。
どういう訳でお許しが得られたのかはわかりかねるが、家の中に招き入れられた。遠目にはあばら屋かと思いきや、こうして中から見ると、すごい建造物だ。くすんだ色の薄板を、壁から屋根にかけて何層にも重ねてつくられているのだが・・・
「驚いたな・・・ドラゴンのウロコか・・・」
「そう。王様の抜け殻よ。時がたつと、色があせて骨炭色になるの」
なるほど、これなら凶暴な野犬どもも、恐れをなして近づけまい。しかも、居心地もすごい。室内の空間全体が、日光を透かして虹色に輝いている。壁板が光を乱反射し、複雑なスペクトルを形成するのだ。ドラゴンの腹の中で過ごすと、こういう心地になるのだろうか。まったく幻想的だ。それにしても、こんなことをしてドラゴンの怒りを買わないとは。よほど「王様」とはねんごろな仲のようだ。
オレがアホのような顔をして設えを見まわしていると、ジュビーが車椅子の父親に耳打ちをしはじめた。
「ふむ・・・いや、信用できぬな・・・」
ぼそりと一言、歯のない口が不服をこぼした。じろりとにらまれる。猜疑のまなざしに、じっと耐える。こうしてみると、なるほど、女の子の保護者だ。突然に紹介された男のことを、娘をかどわかす馬のホネだとでも思っているのだろう。性欲みなぎる年格好の男が思春期のわが子に近づくなど、もってのほか。長旅で伸びた無精ひげも、ならわし通りにくくることもせず散切りにした髪も、かっこいい顔も、わりと博学なおつむも、なにもかも気に入らんわい。異国風の衣装も、黄褐色の肌の色もじゃ。筋肉は鍛え抜かれておるようじゃが、そのわりには線が細いし、背も高くない。だいいち、全身に傷跡がありすぎる。ケンカっぱやいうえに、弱っちいんじゃろう、そーじゃそーじゃ、そうにきまっとる・・・と、どうせそんなふうに見ているにちがいない。しかしあいにく、オレはジュビーを娶ろうと挨拶にきたわけではないのだ。
「あなた・・・フラワーは、これからどこへ向かうの?」
「別に。どことも・・・」
いや、これまでは当てのない旅だったが、そうはいかなくなった。仇を見つけた以上、やつを追うほかはない。
「だったら、手伝ってほしいのだけれど」
きた。ヌートンの実の借りがある。いやとは言えない。
「なにをするんだ?」
「簡単よ。お引っ越し。父を都に移したいの」
なんと、都とは。簡単なものか。火線をまたぎ、またぎ、そのまた向こうの党側の最深部、組織の中枢だ。手軽なアルバイトとはいきそうにない。しかし・・・
「仕方がないな・・・」
卵を手に入れたネロスは、帝都の王宮へ向かう可能性が高い。やつがもたもたしてくれていれば、追いつけるかもしれない。
「なんでもやるよ。ヌートン一個分の義理があるからな」
「一個半じゃろうが」
父親が口をはさんだ。気難しい顔をしているが、この男を使うしかないと考えを改めたようだ。秘密のオアシスが党の構成員に知れた以上、もはやこの先、平穏に暮らすことなどできない。巨大ドラゴンの根城という事実も漏れた。ハンターたちがこぞって攻め入ってくることは目に見えている。
「出立は、明日の朝よ」
急なことだ。
「いいだろう。一刻もはやいほうがいい」
契約成立というわけだ。ただこのとき、少女が「革命」などと大それたことを考えていると知っていたら、もう少しの逡巡はあったかもしれないが。
その夜。毛布を与えられ、長椅子で寝かされた。なかなかのV.I.P.待遇だ。暗闇の中、ごろりと仰向けになると、ドラゴンのウロコの天井を透かして、月がめぐっていくのがわかる。まるで、月影の湖底に沈められた気分だ。天国のような光のあやに包まれて、眠りの螺旋を降下していく。久しぶりの安眠だ。
しかし、そんな中でもまぶたの裏に投影されるのは、ドラゴンハンター野郎のキザな顔だ。痩せてアゴのとがった風貌は、あの頃から変わっていない。黄金の長髪を後ろで束ねるスタイルも。鼻の下からヒゲが横にぴんと伸びていたが、都で流行ってでもいるのだろうか?バカみたいだった。あれだけが変化と言えば変化か。多くのドラゴンを女帝陛下に献上し、役人として取り立てられたのだろう。値の張りそうな衣装に、輝かしいエンブレムをつけていた。特筆するべきは、その壮健さだ。40前後にはなっているはずだが、骨格も筋肉の張りも、そして動きのキレまでも、道場で無敵だった当時と遜色がない。いや、さらに強く、敏捷に、そして狡猾になっていると見るべきだろう。数知れないドラゴンに揉まれ、打ち倒し、生き抜いてきた男だ。小ずるくそろばん勘定で立ちまわる性質に見えるが、一方で、肉体的に節制をし、鍛錬も怠ってはいない。油断してはならない。
「ネロス・・・」
今一度、その憎い名前を心に刻んだ。
朝。
「起きよ」
盛大な虹色の光線の中、父親の杖につつき起こされた。
「いつまで寝ておるか」
ジュビーはすでに出支度を調え、ブーツのひもを編み込んでいる。父親も、荷を車椅子にくくりつけ、すっかり準備万端だ。あとは荷物運びを兼ねた用心棒待ち、といった雰囲気だ。
「ふああ・・・ふうん、なかなかの大荷物だな。ドラゴンに手伝わせりゃいいのに」
軽口を叩くと、ふたりにそろってにらみつけられた。誇り高き王様は、引っ越し業務はやらないらしい。
父親は歩けないので、ジュビーが車椅子を押すことになる。干し肉や木の実、収穫した果実類といったありったけの食料と、水、最小限の衣類、野営用の天幕など、身に着けられるだけの装備をし、出立する。去り際、あばら屋に火を放ったが、ドラゴンのウロコはまったく燃えなかった。ものすごい耐火性だ。結局、屋内の生活跡だけが焼け落ちた。
「家捜しをされるくらいなら、灰にしたほうがせいせいするわ」
退路は完全に断たれた。前に進むしかないわけだ。
北の都までは、かなりの距離がある。長旅を覚悟しなければならない。しかもそれは、地雷原をゆくようなものでもある。党が帝都を制定し、周辺地域を統べると宣言した後も、局地的な諍いはおさまっていない。いくつものフラッシュポイントを通り抜けなければならない。激減したとはいえ、ドラゴンの生息地もある。厄介な野生動物もうようよしている。そんな旅路に見合う、愉快な都見物ができるのかどうか。
「ところでさあ、なんで都なんかに?」
切り出すと、父娘は顔を見合わせた。
「黙ってついてきてくれたらいいの」
「ふうん。参戦するのか?」
「戦いはきらい」
「ちっ・・・要領を得ないな。父ちゃんもなにか言ってくれよ」
黙り込んでいた父親が、ぼそりと口を開いた。
「戦いをな、終わせるのだ」
それはすごい。奇跡を起こそうというのか。どんな手で?このみすぼらしい父娘がどんなカードを持っているのか、がぜん興味がわく。
「そんな大ごとに、一枚噛ませてもらえるってわけだ。ありがたいね」
「おまえは黙って荷を運べばよい。憎いネロスが現れたら、殺せ。悪くはない旅だろうが」
「はいはい」
しょせんは傭われ人足だ。ご主人様の命令に従うまでだ。そして、自分のするべきことをする。その熱だけはたぎらせておく。
見渡すかぎりに、あるのは風だけ、という荒野だ。三人の徒歩行がゆく。オレにとっては、今までとたいして変わりがない旅だ。ただ、道連れは増えたが。
キシ・・・キシ・・・
車椅子の両輪が立てる音をリズムに歩く。車椅子には、痩せさらばえているとはいえ大人の男ひとりと、ハンドルや車輪の脇に水や天幕を積み込んでいる。大地はデコボコ、周囲は吹きっさらし。不具者を連れてのこの遠征は、困難を極めそうだ。車輪は、ずっしりとした重さを轍(わだち)に刻む。が、ジュビーは平然とした顔で・・・いや、それを装った顔で、椅子の背のハンドルを押しつづける。張り詰めた上腕の筋肉と、彼女のブーツがにじる足跡の深さを見れば、一歩一歩にどれだけの力を込めているかがうかがい知れる。小麦色の肌には、じっとりと汗をにじませている。それでもジュビーは、顔色ひとつ変えようとしない。
「・・・代わるか?」
「平気よ」
「無理するな」
「していない」
オレ自身も、背にみっしりと荷を負っている。
「あなたこそ、へたばらないで」
強情な女の子だ。苦笑いするしかない。いや、そんなジュビーの、そして父親の、瞳の奥に宿る強い意志を感じ取らないではいられない。そいつが見つめる先を見届けてやろう、という興味が、わが身をこの子たちに寄り添わせる。
最初の夜がきた。天幕を張り、火を起こす。質素な食事をすませた後、父娘を休ませ、オレは見張り番に抜けた。
天幕の中から、ふいごのようないびきと、すこやかな寝息が立ちはじめた。誰もが疲れきっている。しかし、旅はまだはじまったばかりだ。見上げれば、満天の星空。荒れ果てた地が、最も美しく彩られる時間帯だ。月が昇る。流れ星があちこちに走る。
「ん?」
その星空を、遠く大きな影が渡っていく。一瞬、その影が、ぺっぺっ、と火花を吐いた。王様にちがいない。回復している。ジュビーと父親と、そのお供の者を見守ってくれているのかもしれない。あるいは、この新参の若造をまだ警戒しているのかもしれないが。
「心配すんなよ。無事に送り届けるよ」
ポンチョにくるまり、食料袋を枕に横になった。ドライフルーツのかぐわしさに包まれて、ほんの少しだけ眠る。
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