第39話 捻じ曲げられた真実
女の話に、一颯は黙って耳を傾ける。
彼女曰く、一颯の身体の大部分は人間を模して造られている。
大きく違うのは、心臓部と脊髄部それぞれの付近に魔力生成機関、すなわち疑似血液生成機関があること、四肢の付け根にそれぞれ存在する緊急脱離機能。
そして、脳の構造だった。
一颯の脳は、その三、四割を、とある一人の人間、人造人間研究チームのリーダーを務めた、
すなわち、一颯の中にある、出所不明の様々な記憶は、鋼介が持ち込んだものであったということだ。
一颯は、女の説明を聞きながら、今まで抱いていた多くの違和感が、一気に払拭されていく感覚を味わっていた。
「俺の中身が何なのかってことは分かった。だけど、なんで伊利水鋼介はそんなことを? 人の脳を模倣するところまではそれなりに出来ていたんだったら、そのまま純粋な機械人間として生み出せば良かっただろ」
機械人間、所謂アンドロイドの開発において、その目的としてよく取り扱われるのが、人間が、生殖活動を経ない、全く新しい形で人間に近しい存在を作り出すこと。また、ビジネス的な観点では、少子高齢化社会において減退し続ける労働人口を補う存在を作り出すこと、であったはず。
しかし、一颯一体を作る過程で人が一人犠牲になったとすれば、もはや意味を失ったのと同義。研究者が自ら、『これは不可能である』と諦めたようなものだ。
これが、自分の脳を全て機械に移植したとなれば、また別の意味を見出すことも出来るだろう。人間そのままの脆弱な肉体を捨てて、強靭な機体を手に入れるという、少々狂気染みた意味ではあるが。
伊利水鋼介がやったことは、言ってしまえばただの自殺なのだ。今、一颯の中に伊利水鋼介としての自覚が全くないように、彼の脳は生きていても、彼は確実にこの世にいない。
だが、一颯の言葉に女は首を振った。
「鋼介さんの目的はね、機械人間を作ることじゃないのよ」
「? どういうことだ」
自身の命を懸けて作ったにも関わらず、目的を達していないと言うのか。大失敗にも程がある。
「鋼介さんの目的は、自殺しない人間を作ること。自殺という悲しみから人類を救うことなのよ」
一颯の予想を遥かに超える、壮大な展望。
「なんだそれは。ロボトミー手術の復活でも企んでいるのか」
ロボトミー手術。精神疾患への治療法として、薬物療法が確立される以前に流行していた、人間の脳の一部、前頭葉等を切除する外科手術だ。
だが、様々な後遺症、無気力症や感情の喪失などを引き起こし、術後の生存率が極めて低下したため、現在は行われていない。
すなわち、現代医療界における禁術。
「それは、部分的には正解ね」
「何が違う?」
「一颯は今も普通に生きているでしょ? それが違い、ってことで納得できない?」
「無理だな」
『普通』に生きているという部分が、特に。
「そうねぇ、まずは、一颯の言うロボトミー手術と、一颯が生まれた時に使われた技術には大きな差、特に、魔道学が一切考慮されていなかったっていう、根本的で致命的な違いがあるの。人体の構成要素に魔力っていうとっても便利なものがあるのに、それを無視したから、ああいう結果をもたらした」
女は微かに嘲るように、
「仕方ないことではあるんだけれどね。当時は魔道学なんて黎明期どころか、オカルトの産物。魔力の存在を否定は出来ないが証明も出来ないって状態で、生理学の中で傍流も傍流。まともに研究していた所なんか、人体実験をバンバンやっていた旧ソ連とかナチスドイツくらいっていう話だし。詳しいことは、当時からその道の研究者であった江藤先生なら知っているんでしょうけど、残念ながらもう、ね。流石に惜しいことをしたかしら」
「――――、」
宗次郎が元魔道学者だったこととか、女の、江藤宗次郎という人物について色々と知っていそうなこととか、惜しいことをしたと言っておきながら全くそうは見えないこととか、気になる点は多々あれど、一颯は一旦それらを全て喉元でせき止めた。
「まあともかく、あなたはロボトミー手術とは一線を画す技術によって生み出されたの。具体的で分かりやすいのは、魔力という物質を最大限利用した点かしらね。一颯は、魔力がどんなものだって記憶してる?」
「俺にとってはただのエネルギー塊であり、人体内では全身の細胞にて生成され、血管を通じて脳に届き、脳内にて生成される受容体によって消費され脳細胞の健全さを維持するもの、だな」
要するに、人間たちの記憶維持、機能維持に寄与するもの。それが魔力のはずだ。アルツハイマー型認知症治療薬としての利用が期待されていたり、他にも、脳卒中等で落ちた脳機能を回復させるために研究が進められていたりもする。
「それは学校で教えられた魔力の定義ね。でも一颯は知っているはずよ。本当はそうじゃない、それは意図的に捻じ曲げられた、偏向的な情報だって」
「……そう、だな」
一颯は、今になってもまだ常識内に収まろうとしている自分がいることに気付く。滑稽なことだ。少なくともここでは、その常識を持っている意味はないというのに。
「魔力は、脳細胞だけでなく、人体を構成する全ての細胞の劣化を抑制する物質だ」
魔力とは人体に必要不可欠なもの。
失えば、宗次郎のような末路を辿ることになる。
「そう。そして今もあなたの中に流れている液化魔力。それは、脳を丸ごと保存することにだって利用出来る、というより、そもそもが脳保存のために開発された素材なのよ」
脳の完全保存。そんなことが出来るなら、移植は元より、脳の細部についての研究も進めやすくなるだろう。
脳という人体において最も複雑怪奇なものを完全理解、完全再現出来るようになれば、あとは身体を作るだけ。身体を統括しているのも脳なのだから、脳は当然、構造から組成、機能に至るまで、身体の全てを知り尽くしている。それを利用してやればいい。
結果、一颯という人造人間が生まれたとしても、不思議ではないのかもしれない。
「私たちは人体というものの全てを理解し、そしてあなたを作った。だから、あなたはちゃんと成立し、安定した存在。プロトタイプ的存在ではあるけれど、不安に思うことはないのよ」
一颯の心根を見透かしたような、女の優しげな声音だった。
「――もう一つ、聞いてもいいか」
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