第2節 雪崩の如く

第26話 違う。これはあくまでも戦略的撤退だ。決して逃げるわけじゃない

「ねぇ、二人とも、今日も部活?」


 一日の授業が全て終わり、重々しい空気を漂わせつつ立ち上がった一颯と綾香へ、佐斗はそう声を掛けた。


「そ、そうだけど、私たちに何か用事?」


 そうは尋ねた綾香だったが、佐斗が自分に声を掛けた理由はもう悟っていて、怯えていた。そんな綾香を気遣ったのか、優しげに、そして、悲しげに、佐斗は呟く。


「翔のことだよ。流石に聞かないわけにはいかなくなったからね」


 その言葉を聞いて、綾香は不安そうな視線を一颯へ向けた。判断を一颯に委ねたいということだろう。そのことを一颯は察して、


「ひとまず部室に移動しよう」


 綾香を先頭に押しやるようにして、三人で第二研の部室へと向かう。道中、何か会話の糸口を探ろうと四苦八苦する綾香と佐斗の間に挟まれながら、一颯は、いつの間にこいつらこんなに仲悪くなったんだ、と疑問を感じていた。


 二人のやり取りを一颯が目にし始めたのは、あの席替えがあってから。当初は綾香の異変により佐斗の方がいくらか狼狽えつつも、二人の間に会話はあって、綾香が平常通りになってからは二人の間に会話はなかったと、一颯は記憶している。


 だから、二人が特に親しい間柄にあるわけではない、ただのクラスメイト程度の関係なのだと、一颯は解釈していた。


 しかし、今の二人の様子からは、二人の間に何の因縁もないなどとはとても思えない。


 なら、その因縁とは一体何か。教室での佐斗の言葉と、今日という日のことを考慮すれば、おおよその見当はつく。


 それは、水嶋翔という人物であり、今回だけで言えば、退学の件だろう。翔は綾香に対して恋愛感情があったというし、一目惚れという不可思議現象を除けば、以前に何らかの交流があったことは容易に想像がつく。そこに佐斗も混ざっていたと考えれば、一応の筋は通るのだ。


 だが、翔の退学について、特にその経緯なんかは門外不出。口外すれば、翔だけでなく一颯たちにも様々な不利益がもたらされる。


 一颯にとって、一番避けたいのが、初理による魔道具の無断譲渡が公になることである。


 既に魔道具の方は回収済みで物的証拠は残っていない。このため、事情を知る者全員が口を噤むことで、問題となることを防げている現状がある。だが、事情を知る者が増えるほど、隠すのが難しくなるのは道理。であれば、少なくとも今のままでは、佐斗に話してしまうわけにはいかない。


 そうして、部室に到着。一颯は佐斗と向き合う形で席に着き、綾香は一颯の左隣に腰を下ろした。


 二人の重苦しさが流石に鬱陶しくなってきていた一颯は、一息つく間もなく佐斗へ話を切り出す。


「水嶋について話す前に、まず、新美がなぜ水嶋のことを知りたいのかを話してくれ」

「なぜって、それは僕が翔と友達だからなんだけど――これだけじゃ足りないんだよね?」

「ああ。水嶋と新美がどれだけ仲が良かろうと、今回の件を話す理由にはならない。いや、そんな簡単な言葉じゃ信頼ができないって言い換えた方がいいか。ともかく、俺が欲しいのは、新美が水嶋の件の話を口外しないと確信できるだけの情報なんだ」

「口外しないと確信できるだけの情報、かぁ……」


 一颯が特に知りたいのは、翔の件が漏洩することで佐斗にも被害があるのかどうか。被害があるのなら、それが佐斗の行動を抑制する力となり、大きければ大きい程、佐斗への信頼の度合いも引き上げられる。


「そうだな、まずは――新美は、水嶋の一連の異変に気付いていたか?」


 一颯の言葉に、佐斗の表情が一段と暗くなる。


「異変、異変かぁ——正直、藤見君が言う、翔の一連の異変っていうものが何なのか、今もよく分からなくてね。翔が停学になったって聞かされた時も、何が何だかって感じだったし。でも、今思えば、たまにあった部活を休んだり遅れたりっていうのが、異変だったのかな……」


 佐斗は物思いに耽るようにそう口にした。その悲哀と悔恨に満ちた表情に、一颯は見覚えがあって、隣へ視線を送る。そこには、同じような顔をした綾香がいた。


――俺には荷が重いな……。


 とりあえず話をするだけしてみて、それから考えよう、なんて安請け合いしたのが間違いだった。


 誰の心にも寄り添わぬまま、淡々とリスク計算を繰り広げる一颯の脳は、この場の判断を下すのに適していない。心の通わぬ答えに、二人は決して満足などしてくれないだろう。


 だが、今更ここを去ることはできない。ここに招いて、二人に期待をさせたからには、その責任をとらないといけないのだ。


 それに、他人に自分の命綱を丸々預けるというのも、具合が悪い。


「新美は、水嶋と同じ部活に所属していたのか?」

「ああ、うん。サッカー部だったんだ。弱小なんだけどね。でも翔だけは違って、まだ一年生なのに、部のエースだった」


 その後も佐斗は、尋ねたことも、尋ねていないことも、訥々と語っていった。


 味方がどれだけ足を引っ張るようなプレーをしても責めず、技術向上を願う者の手を取り、時には共に切磋琢磨したこと。


 五月祭の準備にて、纏まりに欠けるクラスの先頭に立ち、成功に導いたこと。


 その話しぶりから、佐斗は翔に憧れていたのだな、と一颯は感じた。そんな憧れの存在が停学、そして退学となり、さぞショックだったことだろう。何かの間違いだと、憤りすら覚えたかもしれない。だからこうして真相を知りに来た。筋書としては、このあたりか。


 であれば、事情を話してしまってもいいのかもしれない。翔をこれ以上の不幸に見舞うことになるような真似は、絶対に避けたいはずだ。


 それも、翔のためなどという軽いものではなく、憧憬の対象を汚さない、すなわち自分の中にある水嶋翔という偶像をこれ以上壊さないため。


 自身の心を守るため。


「三浦、俺は、新美に話してしまってもいいと思った。だから、あとは任せる」

「は? え、ちょ、任せるって――」

「とりあえず、一時間だ。前後するようなら連絡をくれ」


 一颯はそう言って席を立つと、戸惑う二人を残して退室した。

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