08 六連銭






 真田日本一のつはものいにしへよりの物語にもこれなきよし


 島津家久





 北条綱成と真田幸綱が出会っていたそのころ。

 河越城外では、関東管領・山内上杉憲政の陣にて、軍議が開かれていた。武田家名代・原虎胤もその場に招かれ、さきほどの北条との緒戦の敗退という重苦しい雰囲気の中、軍議は進行していった。

「……それで、下総の千葉は河越に来ないと申すか」

「千葉利胤公、病のため、佐倉から離れられないとのよし

 全関東諸侯八万軍と称しつつ、来ていない関東諸侯がいるという矛盾。安房の里見は遠隔地かつ、別動隊の意義があるから良いものの、千葉の不在はの印象があった。

 この暗い雰囲気を打破するため、太原雪斎は発言の許可を求めた。

 憲政は、渡りに船と雪斎に問う。

「禅師、いかに?」

「ほっほ……いかなる大名とはいえ、一枚岩とはいくまいて……この雪斎、ここ数年、関東諸国を行脚し、各諸侯をつぶさに……」

 そんなに前からこの戦を仕掛ける手はずを整えていたのか、と虎胤は舌を巻いた。義元にの河東への戦の準備をさせておき、そので、自身は関東諸侯への根回しをしていたのか。


 雪斎の発言はつづく。

「……しかるに、石浜城の武蔵千葉家を煽って、敵対させておけば良いと思うのじゃ」

 石浜城とは、今日でいう東京都台東区浅草の待乳山聖天のあたりに位置するといわれる城である。北条家の南武蔵の一大拠点、江戸城と、千葉家の佐倉を結ぶルートの途中に位置し、ここを取られると、北条家は千葉家との連携が取れなくなるおそれがあった。

 また、武蔵千葉家とは、千葉家も応仁の乱に代表されるお家騒動の御多分にもれず、家が分派しており、武蔵の方に勢力を持つ武蔵千葉家と、従来の下総に本拠地をもつ千葉家に分かれており、両家は対立していた。

「ま、これでええじゃろ。ふみをしたためておいたゆえ、早速に誰か届けてたも」

 雪斎は懐から書状を取り出した。

 用意のいいことだ、と虎胤は舌打ちした。千葉家への使者を買って出て、そのまま逐電してやろうと思っていたところを、先手を取られたかたちになってしまった。

 場にいた武将たちは、雪斎の策を聞き、落ち込んだ気を昂揚させた。

「そもそも千葉のごとき弱小、恐るるに足らず!」

 山内上杉家の馬廻り衆・倉賀野三河守に至っては、そのようなことを言い出した。


「三河守どの、ちとそれは……」

 虎胤が千葉家の被官だったことを知っていた本間近江守は、三河守を抑えようとした。これがかえって三河守の癇にさわったらしく、彼はさらに過激な発言をした。

「ふん、この前、わが山内上杉から逃げ出した真田とかいう鼠賊と同じ輩よ。敵になったところで、痛くもかゆくもないわ」

 さすがに僚将である真田まで馬鹿にされては黙っておけず、虎胤が立ち上がろうとしたところで、雪斎が発言を求めた。

「うほん……三河守さまのほうげ……いや、大言、まことに壮なり。語るに及ばずとはこのことでござる。さて……皆の衆、こたびの福島綱成の戦のねらい……何だと思われる?」

 雪斎の質問に対して、皆、考えねばならず、場が一時静止状態に入った。虎胤は浮かしかけた腰をまた戻した。ちなみに、後日、雪斎のこの発言を、大言壮語と言いたかったのでござろう、と幸綱は虎胤に解釈している。

「小手調べ、でござるか……」

「左様、それもある」

「それも、でござるか……」

 なみいる諸将が答えられないのを、悦に入ったように見つめる雪斎。その中で、ひとり不敵な笑みを浮かべているのは虎胤だけで、雪斎は癪にさわったのか、虎胤に話を向けた。


「虎胤どの、いかに」

「左様。囮ではござらんか」

「囮とはいかに?」

「囮は囮でござる。古河公方へ使者を遣わす。これが北条のねらいでござる」

「古河公方へだと!?」

 これは扇谷上杉朝定の発言で、彼は権威や伝統というものを強く信奉しているため、それが足利家の連枝である古河公方が出てきたことにより、動揺したのである。

「古河公方が北条に味方するなら、河越にいるのも考えものだぞ」

「いや、北条に味方しないまでも、中立となられても困る」

「どっちつかずにいられると、勝った方の勝ち馬に乗るからなあ」

「古河公方は、われら関東諸侯、関東管領の上に立つべきお方。ならば、今回の軍の上に立ってしかるべし」

 場が紛糾し、まとまりがつかなくなるのを、山内上杉憲政はただただ手をつかねて見ているほか無く、頼みにしている雪斎へ視線を向けるのであった。


「皆の衆、皆の衆」

 雪斎が拍手して、全員の注目を集める。

「古河公方のことは、拙僧にお任せくだされ……これから、うてくる故」

「ぜ、禅師自ら古河公方の元へ?」

「左様」

 雪斎は言う。北条氏康と北条綱成は、古河公方・足利晴氏と義理の兄弟の間柄であり、私信を拒むことはあり得ない。ならば、書状以上のことをすれば良い、と。

 そしてそれが、虎胤が晴信に見させられた、今川義元から太原雪斎への書状の秘奥であり、北条家がとなる秘策であった。

「拙僧自らき口説き、必ずや、古河公方をこの河越へ参陣願い奉る。伊勢の鼠賊は手紙が精一杯であろうが、こちらは生きた人間が目通りした上で話をする。どちらが有利か、言うまでもあるまいのぅ……」

 くっくっとくぐもるような笑い声をもらす雪斎。いにしえの縦横家気取り、極まれりだなと虎胤は思ったが、黙っていた。しかし、場の一同は雪斎の提案にもろ手を挙げて賛同し、さすがは禅師だと絶賛し始めた。


「うっほん……よろしいか、諸侯の皆々様……それでは、雪斎が戻るまで、河越への手出しは無用。ことここに至った以上、は古河公方にお任せいただくが筋」

しかり、然り」

 扇谷上杉朝定はここぞとばかりに賛同し、山内上杉憲政への牽制をする。つまり抜け駆けは許さんぞ、ということである。山内上杉の重臣、本庄実忠は息巻いていたが、憲政自身、積極的な戦意はなかった。彼の本拠地の上野こうずけはまだ、北条の手が伸びていない。しかし、朝定は本来の本拠地が河越だったため、この意識の差が生じたのである。

「拙僧の策も、そもそも、河越を囲むことにある……さすれば、無理に攻めずとも、いずれ兵糧が尽きて、あの城は自滅を免れないゆえ。仮に、もし攻めてきたとしても……もう無いと思うが……一方が攻められたら、もう一方から叩いてやれば良い。また、たまには攻めるのは良いが、その際は、……よろしいか」

 雪斎がいつの間にか場を締めくくり、軍議は解散となった。






 六連銭






 雪斎が本庄藤三郎を伴って(藤三郎は戦場を離れたくなかったが、憲政自ら頼んだため、仕方なく)、古河へ向かった。

 その意気揚々たる背中を見送り、虎胤は、さてどうしたものかと悩んでいると、近くの木立から、声が聞こえてきた。

「虎胤どの、虎胤どの」

「……その声は、真田どのの手下てかの者か」

「左様。猿飛と申す」

「ふむ。で、真田どのは何と?」

「首尾よく地黄八幡と接触。これより仔細を詰める故、あと一刻ほど」

「承知。しかし……どうやってこの場を離れたものか……」

「それなら主より伝言が。主が河越をするので、それを捕まえ……という筋書きで」

「ほう」

 虎胤は心の中で快哉を叫んだ。あの小うるさい太原雪斎や、虎胤に比肩する力量がありそうな本庄藤三郎は、古河へ発ったばかりだ。千葉家へ赴く理由を封じたことと、古河公方の説得という大仕事が、つまり雪斎自身の智恵が、雪斎の先見を曇らせていた。

「そういえば」

 虎胤はひとつ、思いついたことが有って、猿飛に聞く。

「貴殿の主は、もしかして雪斎禅師が旅立つことを予見しておったのか?」

「……いかにも左様。緒戦を終えた今、両上杉の武門としての沽券は保たれたので、しばらく戦はなかろうと。北条の方は、主がそうする旨聞いております。で、あれば、かの禅師は武田のお屋形様が見せてくれた書状のとおりに動くであろう、と」

「ふむ」

 武田晴信の言うとおり、真田幸綱は太原雪斎に匹敵する才知の持ち主やもしれぬ。虎胤が感心している間に、猿飛は「では御免」と去っていった。

「……あの坊主め、出し抜かれたことが知れたら、どんな顔をするか」

 虎胤にとって、唯一、それが見られないのが、残念であった。



 河越城内では、幸綱が武田晴信の元から来た事情を縷々るる説明していた。

「……しかるに、武田のお屋形様におかれましては、古河公方のご出馬あらば、北条家は詰みである、と危惧しております」

「待て」

 そこで幸綱に声をかけたのは、山中主膳である。

「何でしょう?」

「そなた、もしかしてわしに退却の掛け声をかけた者ではないか? 声が……」

「お気づき頂けましたか」

 主膳は、どちらかというと勝手な真似をするなと小言を言いたかったのだが、幸綱の満面の笑みを見ると、どうもうまくいかない。

「主膳どのが、その機に退却した方が良いと判断して退かれたのだから、もうこれ以上は問わないでおきましょう」

 事実上の河越方面の司令官である、北条綱成にそう言われては、主膳としてもそれ以上は何も言えなかった。


「さて、真田どの」

「はい」

「古河公方まで出馬してきた以上、北条はもはや詰みだという。ならば何故、武田どのはわれらに合力くださるのか」

「気に入らないからでござる」

 もっと理路整然たる説明があるかと思いきや、気に入らないからと言われ、河越の城将・大道寺盛昌は目を見開いた。

「……いや、気に入らないと申されても」

「おそらく」

 幸綱は床の上の地図、河越を指さし、そしてそのまま南下して、江戸と小田原のあたりで、丸を描く。

「古河公方軍、と申しましょうか。これがこの辺りまで来て、今川の東進もここまで来るとして、置いてけぼりの武田は詰みでござるからな」

 幸綱は、ぬけぬけと北条家の滅亡を意味する言葉を口にしているが、綱成は気にしなかった。敢えて不吉な可能性も検討しなくては、この戦国乱世は生き抜けない。


「……そこで、真田どのの先ほどのお言葉につながるわけですな。この河越に参陣していない家がある、と。そしてそれは里見への防ぎにもなり……何より、河越が落城した場合、江戸の支えとなる、と」

「……察しが良いようで何よりです、地黄八幡どの」

 幸綱はうやうやしく首を垂れた。人を食った態度に、盛昌と主膳は目を見合わせたが、綱成は愉快そうに笑った。

「貴殿はわが主に似てござる。なかなか、楽しい」

「新九郎氏康どのでござるか、いや恐縮恐縮」

 笑い合う綱成と幸綱であったが、ついていけないという盛昌と主膳に気づくと、詫びて説明に入った。

「参陣していない家、それは千葉家でござる」

「千葉」

「下総の千葉……なるほど」

 下総の千葉家が北条になびけば、それはそのまま、安房の里見への防波堤となる。かつ、千葉と里見が拮抗するのなら、本来の里見への抑えである江戸城の兵力を、河越なり河東なりに、向けることができるかもしれない。そしてそれは、河越陥落の際には、江戸城を支援する力になりうる。

「そこで武田のお屋形様は、千葉家に所縁ゆかりのある虎胤どのを遣わしたのでございます」


「それはようござるが」

 盛昌としては、やはり、突然登場した、この真田幸綱と名乗る人物を信用してよいものかどうか、決めかねていた。うまいことを言って、騙そうとしているのではなかろうか、と。

「……大体、真田の家の紋所は雁であろう。しかるに、貴殿の家紋は、何だ……それは?」

「これでござるか」

 幸綱は愛おしむように、その紋所を撫でた。

「……拙者の真田の家は、滅びましてな」

「……何と?」

「負けたのでござるよ、合戦に」

 海野平の戦いという合戦で、真田は敗れ、所領を失った。その所領回復のため、山内上杉家に転がり込んだが、倉賀野三河守はじめ、山内上杉の諸将に鼠賊扱いされ、そこから飛び出した。

 もう次は無い。

 幸綱は不退転の決意で、武田晴信という男に賭けることにした。そしてその決意を示すため――

「家紋を、この六連銭に変え申した。弔いの手向けの六連銭に。すなわち、泉下あのよに行く覚悟」


「…………」

 言葉を失うとは、まさにこのことだろう。どちらかというとおどけた態度だった男が、突如、業火を纏った鬼のような迫力をみなぎらせていた。

 家を失って落ち延びた経験を持つ綱成は、幸綱の気迫が本物であることを知った。

「ご無礼をお許しくだされ」

 綱成が頭を下げると、幸綱は、にこやかな表情を取り戻した。

「……いえ、無理なきこと。拙者も少々、意地を張ってしまい申した」

 それに、これをご覧くだされと、今さらのように晴信の紹介状を取り出した。盛昌と主膳は、それを先に見せてくれ、と崩折れた。

 綱成は礼儀正しく書状を受け取り、見分し、幸綱に言った。

「……それで、幸綱どのがこの城に来た理由は、千葉家へ虎胤どのと幸綱どのが行くにあたって、それがしにしてほしいことがあるのでは?」

「左様、それは……」


 そのときふと、幸綱の目に、城主の間の外、初雁が舞い飛び、そして去って行く姿が見えた。

 初雁が行く。

 もう……帰ってこないのだ。

 いや。

 未練はない。

 自分に残された六連銭のみを賭けて、この戦を勝利に導くのだ。






六連銭 了

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