第4話 ライオンの過去
「お! 田口くんじゃん。お疲れ~……」
最初に顔を出したのは星野だった。彼は相変わらずの無精ひげと、よれよれのワイシャツという出で立ちだった。田口のことを覚えてくれたらしい。気さくに声をかけてくれる。最初は柄の悪い職員だと思ったが、こうして仲良くなるといい人だということがよくわかった。
「こんにちは。お疲れ様です。先日はいろいろとありがとうございました」
「いやいや。おれも楽しかったからいいぞ。——おお。今日は懐かしい奴も一緒じゃない」
星野は安齋を見て笑顔だ。
「お久しぶりです。星野さん」
安齋は丁寧に頭を下げた。
——安齋のよそ行きモードか?
「なんだよ。生真面目な顔しちゃってよー」
星野は安齋を茶化す。
「からかうのはやめてくださいよ。今は星野さんの後輩じゃないですから」
「そんな堅いこと言うなよ~」
星野は肘で安齋を突いたが、彼はなされるがままだ。そんな安齋は田口は新鮮に見える。人にからかわれて、困惑している安齋を見たことがないからだ。彼の意外な一面を眺めてにこにことしていると、書類を抱えた男が後ろから衝突してきた。
「わわ。
星野の声にぶつかってきた星音堂新人職員——確か熊谷という男を見て田口は苦笑した。
「すみません!」
「大丈夫?」
落ちて広がった書類を拾い上げる田口を見てから、熊谷は慌てて自分も屈み込んだ。
「おれがやります。すみません。大丈夫です」
「すまない。立ち話をしていたおれたちが悪いのだ」
「——ドジが」
二人で書類をかき集めていると、上から舌打ちした安齋の声が聞こえた。田口は苦笑した。
——やっぱり、よそ行きを装えるのは難しいか。
「え?」
熊谷はきょとんとして顔を上げるが、安齋は素知らぬふりをして知らんぷりを決め込んでいる。熊谷は目を瞬かせているばかり。誰かなにか言った? という顔つきだ。田口はごまかすように集めた書類を彼に手渡した。
「はい。書類。全部あるか確認してね」
熊谷は「ありがとうございます」と丁寧に頭を下げると自分の席に戻っていった。
事務所の中を見渡すと、安齋の語った職員がどの人かということは、おおよそ予測が立つ。それだけ安齋の説明は的を得ていたからだ。しかし水野谷と吉田という職員の姿は見られなかった。
「今日はミーティング室でいいか?」
少しぼんやりとしていたのか。ふと星野の声に視線を戻す。
「どちらでも結構です」
「悪いね。課長は外勤でさ。もういっつも本庁に遊びに行っちゃうだろー。いいよなー。課長はさ」
星野は嫌味のような言葉を吐くが、声色はそうでもない。本心ではないということだ。
「今日はおれと
——蒼とは、熊谷という新人職員のことか?
安齋は「よろしくお願いします」と軽く頭を下げた。星野には素直な態度を見せるのか。確かに彼の星野への評価は高い。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
いつもとは違う安齋はそれはそれで面白いと思いつつ、田口はミーティング室に足を踏み入れた。
***
打合せは数時間に及んだ。星野からの提案に、安齋が別意見を出す。さすが星音堂の裏を知っている職員だ。自分が打ち合わせに来るのとは訳が違った。
「そこのところ、なんとでもなるはずですよ。星野さん」
「ちぇー。面倒を押し付けやがってよ。田口くんならうまく誤魔化せるのになあ」
星野は頭をかいた。
「こちらも少数人数で対応です。なんとかお手伝いお願いします」
「はいはい。本庁さんの頼みだったらきかないわけにいかねーし。なあ、蒼。覚えておけよ」
星野の言葉に熊谷は熱心に頷いてからメモを取った。
——絶対、星野さんは安齋をからかって遊んでいるだろ?
「田口、星野さんはすぐ足元を見てくるからな。強気で行けよ」
人のことを心配している場合ではないらしい。安齋に怒られて、田口も頷くしかない。
「おいおい。安齋、田口くんに変なこと教えるなよ。おれはねぇ、本庁さんには頭が上がりませんよ。いつもそうでしょう?」
星野はへらへらと笑った。
星野と安齋の話し合いは、正直に言うと田口と新人の蒼という職員は蚊帳の外だった。安齋にお任せしても大丈夫だろうと、田口は途中トイレに立った。
何度か来ているからトイレの場所は心得ている。会議室を出て左手に折れると、先ほど事務所に姿のなかった吉田という職員と出くわした。
——いたんだ。
彼は顔色が悪い。自分の職場だというのに、挙動不審気味にきょろきょろとして廊下の隅を歩いているところに鉢合わせたのだった。
「お疲れ様。こんにちは。吉田くん」
田口はなぜか彼に興味があった。初対面の時を思い出すと、お茶を出す仕草は適切で接遇のなっている職員だと思ったのだが――。安齋が話す彼の像は、かけ離れて見えた。自分の見立てが間違っていたのかと、確認してみたくなったのだ。
「お、お疲れ様です」
彼は田口を確認すると、少し表情を緩めた。
—— 一体、何に怯えていたのだろうか。
「体調が悪いの? 大丈夫?」
「い、いえ。なんでもありません。ただ、少し胃の調子が悪いだけです」
「そうなの? 平気?」
「はい。すみません。ご心配をおかけして」
彼はぺこっと頭を下げる。やはり礼儀正しい。
——しかし大堀に似ているな。タイプが。これでは安齋とは合わないのかもしれない。
「今日は安齋と一緒に来ているよ。君の教育係だったんだってね」
安齋の話をした途端、吉田の顔色が青くなった。田口は悪いことを言ったのか? と後悔したが一度口にした言葉を戻すことはできない。
「——そうですか」
「吉田くん?」
「す、すみません。お腹が……」
「ごめん。呼び止めて」
「いいえ。失礼いたします」
吉田は頭を下げて立ち去ろうとするが、ふと足を止めて田口を見る。
「あ、あの! 安齋さんは……お変わりありませんか」
「あ、ああ。変わらないよ。帰りに事務室に寄るね」
「そうですか——でも、おれ大ホール掃除当番なので。あの、よろしくお伝えください」
彼はぺこりと頭を下げた。吉田の後ろ姿を見送って、田口は首を傾げる。
吉田は安齋に対して怯えているようだ。新人の熊谷に対して「ドジ」とか言葉を投げつける男だ。安齋には余程、酷い教育をされたのかも知れない。嫌っていて怯えているのだろうか。
——安齋という男。やはり警戒したほうがいいかも知れない。
彼については謎なことも多い。まだまだ知り合ったばかり。クセのある職員であることは重々承知だが。田口は腑に落ちない気持ちのままミーティング室に戻った。
「吉田くんに会ったよ。これから大ホールの掃除当番だから、お前によろしくって」
田口はひと段落している安齋にそう伝えた。
「はぁ? よろしくってなんだ――あいつ」
「え? 今日は大ホール掃除当番ないけどな……あいつ。仕事サボる気だな。蒼、様子見てこいよ」
「はい」
星野の言葉に熊谷は会議室を出て行った。それを見送ってから田口は二人を見た。
「すみません。話は終わりですか?」
「そうだな。あらかたな」
星野は嫌そうな顔をしたが、安齋は知らんぷりだ。
「帰る前におれもトイレに行ってこよう。お前、先に星野さんと事務所に行っていろ」
「わかった」
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