第98話 青き柳と夢の行く先(6)
「……」
いつもと同じようにゲームを終え、一息ついていると、何やら下の階が騒がしい。私は急いで下の階に降りると……
そこにお兄ちゃんがいた。その先にある応接間では、何かの話をしているようである。
「……誰か、来ているの?」
この家において、久々に話した言葉だった。だがそれに対してお兄ちゃんは言葉を返さない。
「通してやりなさいよ。兄さん」
そこへ背後からお姉ちゃんもやってくる。
「あぁ、ゆかり。どうぞ通ってくれ」
「違う。ウチが言ってるのはこの子も」
「無理だね。わざわざ遠くから来てくれた人に、このようなゴミ目に留めることもはばかられる」
それを聞くとお姉ちゃんはため息をついた。
「むしろ、その{わざわざ遠くから来てくれた人}に家族全員で会わないこの状況の方が、よほど失礼に思えるんだけど?」
「家族全員で会わない?僕たちは4人家族じゃないか。僕はたまたま通りかかっただけ。ゆかりも同じ。祐輔は今日練習があるから遅くなる。ほら、合ってるだろう?」
お兄ちゃんはいとも簡単にそう言ってのける。その瞳に、私は映っていないようだ。
踵を返そうとする私に、お姉ちゃんは肩を掴む。
「あんたも片意地張らないの」
「……」
そして応接間に通される私。その後ろでお兄ちゃんは何か騒いでいたが、私には聞こえなかった。
「な!?ゆかり!?何故その失敗作まで連れて来る!?」
お父さんがものすごい剣幕で言う。その向かいには、見たことがない女の人が座っていた。
「あら、あなたが青柳 凛さん?」
金髪のロングヘアのその女の人は、私にそう言ってくる。
「はい……そうですが」
「この{失敗作}に何の用なんですか有栖川さん!」
大声を上げるお父さん。……もはや私が『失敗作』と言うのは家族共通の認識なんだ。
「あたしはあなたのお母さんの青柳 唯の友人の有栖川 椎菜(ありすがわ しいな)って言うんだけど、唯が教師2人から仕事を押し付けられて過労死したことをつい最近知って、ここに来た次第よ」
首をかしげる。お母さんの友人に、こんな人はいたっけ……?まぁ、いたんだろう。
座るように促される私。お父さんが言うが、ここはこの人に従おう。
「……実は、あなたの優秀な成績、教育委員会全体で話題になっていてね。その英才は、さらに高い次元で発揮するべきだと、あたしは思ったの」
「何を……成績が高いからと言って、他に見る人はいるでしょう!?ゆかりも、宗悟も!祐輔も!俺が丹精込めて{作り上げた}奴らではなく、何故こんな奴なのです!?」
「あたしは成績の話をしてるんです。今は静かにしてくれませんか?」
すると有栖川さんはプリントを取り出した。それは……東京にある高校、『清音高校』への入学案内だった。
「どう?青柳 凛さん。悪い話じゃないと思うけど」
確かに……勉強には自信がある。それに、確か清音高校はお母さんの卒業校でもあるし、何より教育学部への進学率も多い。
私がぼんやりとプリントを眺めていると、いきなりプリントは目の前からかき消えた。一瞬何が起こったかは分からなかったが、すぐにある音と同時にわかることになる。
ビリッ
「そう言う話ならお断りします」
勝手にお父さんがプリントを奪い、一度の霹靂に続くように何度も破いてしまった。目の前に、白い雪が降ってくる。
「何故」
「夢など、見る必要がないからです。唯がいい例です。あいつは教師と言う夢をかなえた結果、同僚から仕事を押し付けられ、それが積もり積もって死んだ。自らの夢をかなえた代償で死ぬ」
「バカな女です」
その言葉に、私は思わず立ち上がった。
「なんで……なんでお父さんはそんなことが言えるの!?お父さんは、お母さんを愛してたんでしょ!?その人の死に……何も思うことは」
「ないに決まっている。バカな死に方をした奴に、かける慈悲なんかあるものか。なぁ?宗悟、ゆかり」
部屋の中へお兄ちゃんとお姉ちゃんが入ってくる。そして2人は……
大声で笑った。
「聞いたか?{失敗作}。頭脳のみで乗り越えられることなど、たかが知れている。結局この世は体力のみがものを言うんだ。現にそうだろう?宗悟、ゆかり、祐輔は結果を残している。スポーツは結果を残せば英雄となるが、学力は結果を残したところで何も残らない」
人の……まして、母親が死んだことに平気で笑えるお父さんとお兄ちゃん、そしてお姉ちゃん。
「勉強などするだけ無駄だ。俺の考えに従っていればいいものを。唯{ごとき}に絆されるとは、とんだ{失敗作}だ。それでも死にたがるなら出て行くがいい。俺の家族に俺の意にそぐわない輩など不要だ」
「……」
……私の心は、この時に決まっていた。
「……てやる」
「何?」
そして感情を爆発させる。
「言われへんでもこないな家出て行ったる!自分が1番で、死んだお母さんをおちょくるような家族しかいーひんこないな家、出て行ったる!私の夢は、私自身の力で叶えんで!」
「ほう?死にに行くというのか。こちらも{処分}の手間が省けて助かる」
そう言っても、お父さんにはまるで通用していなかった。それどころか、まるでこちらが出て行くことに安堵している様子だった。
「お前!父さんに対してなんて口の利き方をしてるんだ!ふざけるなよ!」
と、お兄ちゃんが言うが……知った事ではない。少なくともこの家に、私の居場所なんてないんだ。
こうして私は、高校1年生から清音高校の生徒となり、東京で暮らし出した。
その学校の先生であった有栖川さんの計らいもあり、寮で住めることになった私は、そこでもただひたすら勉強をした。
持ってきたものは、ゲーム機と、ゲームソフトと、勉強道具と、勉強に集中するために買ったヘッドホンだけ。
……叶えるんだ。お母さんのような、先生になるって夢を。
叶えるんだ。そのために、勉強するんだ。
……結果は、思うとおりにならなかった。
テストでどれだけ点を取っても疎まれ、逆に軽蔑され、早々にその高校にも居場所がなくなっていった。
「……」
机の中には毎日のように『がり勉』だの『チビ』だの『妖怪平均点上げ』だの。私を蔑む言葉が書かれた紙ばかり。
寮に住んでいるとはいえ、食費はないので、私は昼食を抜いて暮らすしかなかった。
それでも、夢のため……私は休憩時間でも、中庭に出てノートを開いて……
ザッバーン!
「!?」
突然、上から冷たく重い感覚が襲い掛かった。
「あら、いたの?小さすぎて気付かなかったわ!」
「まぁ今7月だし、涼しくなっていいんじゃなーい?」
ぎゃははと、下卑た笑い声が、上の階で聞こえ、やがて小さくなっていく。
私は体中水浸しになって、ノートもびしょびしょに濡れてしまった。
次第に私は『なんでここにいるのか』と言う考えすら、よくわからなくなっていた。
「あれ?お前、どうしたんだ?」
「……」
目の前にいる生徒の声すら、もはや耳に入ってこない。存在する意義すら、もはや見いだせない。
それでも、それでも、それでも……私はこらえ続けた。
しかし、そんな生活は、突然終わりを迎える。
それから1年が経った。その中で、私に話しかけてくれる生徒たちは誰もいなくなったし、先生たちも、私が目の前でいじめられているのを見ても、誰も何も言わなくなった。
『麒麟児』と言う異名は、もはや何の意味もなさなくなった上に、
「なぁ、おい知ってるか?あいつ、青柳 武志の娘らしいぞ」
「え?マジで?なんであんな事してんのじゃあ。陸上おとなしくやっときゃいいじゃん」
「きっと{陸上だけじゃ満足できないから、今度は勉強で気持ちよくなりたいんですー}みたいな感じだぜあいつ」
『青柳 武志の娘』このレッテルが私の体に再び重くのしかかるようになった。
いや、それだけじゃない。
この学校、何か様子がおかしい。
先生が急に何人も何人も様変わりするし、今まで見ていた男の子や女の子が、いきなり学校に来なくなっている。
一体、何があったというのだろうか?そう考えているうちに……
「2年2組青柳 凛さん、2年2組青柳 凛さん、職員室まで来てください」
……呼び出し?
「どういう意味なんですか……?!」
職員室から校長室に通され、そこにいた校長から驚きの言葉を聞かされた。
「だから、聞いての通りだよ。有栖川先生は、離任の知らせが出たと。さすがにもう終わった事件の事をこれ以上蒸し返されるわけには行かなくてね」
終わった事件……校内の噂で聞いた、女子生徒の着替えを男子生徒が盗撮していた事件。そのことに対して水面下で調査を行っていた先生たちが相次いで離任に追いやられたという事件。
その事件の調査に、有栖川さんも関わっていて、事件の事を穏便に済ませようとした学校側の判断だという。
「つまり、有栖川先生に連れられたキミも、もうこの学校では面倒を見れない。キミがこの学校で何かしらの行動をとっては{面倒}だからね」
面倒……?どういうことなのだろう。私にはそう言った疑問を挟む余裕もなかった。
「……」
こうして私は、今に至る。清音からかなり離れた高校の昇陽学園に転入。もちろん、転入の理由は決して言わないよう、清音から釘を刺されたうえで。
……わかってしまった。
やっぱり父さんが正しいのかも知れない。
夢なんて、見るだけ無駄なんだ。希望なんて、探すだけ無駄なんだ。
どうせ後になって、大きな絶望になって返ってくるだけ。お母さんのことだって、今回の有栖川さんのことだって。
だったら……だったら……
人生なんて、世に言うクソゲーじゃないか。
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すべてを話し終えた後、凛はがくんと首を落とした。
「……悪い。思い出させちまって」
その言葉には凛は首を横に振った。
「奏多君は悪くないよ。喋ったのは私だし」
同時に疑問に思うこともあったが。俺は言わないでおいた。仮にその『疑問』を凛に打ち明けてしまったら、凛は余計に追い込まれてしまいそうだからだ。
「……ねぇ、奏多君は……どう思う?」
不意の言葉に俺は凛の方に素早く顔を向ける。
「この人生って、クソゲーだと思う?良ゲーだと思う?」
「……」
少し考えた後、俺はこう言った。
「確かに、クソゲーかも知れないな。でも」
「でも?」
「クソゲーはクソゲーで、やり込めば良ゲーになるかも知れない。そのまま{クソゲーとしてエンディングを迎える}か{分岐点から良ゲーに移行するか}は、それぞれ次第じゃないのか?」
それを聞いた凛の顔は、どこか落ち着いた様子を見せていた。
「そっか。奏多君が言うと、説得力があるね」
「それほどでもある」
とはいえ、思っていた以上に青柳家の亀裂は大きいようだ。仮にここで凛が青柳家に行けたとして……そこで起死回生の策なんて、あるのだろうか。
いや、それでも……
「でも……その分岐点って言うのは、今お前の目の前にもあるはずだぞ」
「私の……目の前に……」
「あぁ。あとはお前の気持ち次第だ。例えばRPG、思ったより簡単な場所に、解決するフラグがあったりするだろ?」
両手を眺める凛。
「……私、そろそろ部屋に戻るね。……明日は、お願い」
「あぁ。任された」
凛は先に、エレベーターに乗り込んだ。俺も起きていてもやることがないので、それを追いかけようとして……
「?」
電話が鳴る。……潤一郎さんからだ。
「もしもし」
「あぁ、灰島君。済まないね。起こしたかな?」
「いえ、大丈夫です。それより何かわかりましたか?」
「あぁ。実は……」
潤一郎さんが言ったのは、青柳 唯過労死事件の容疑者の1人の名前だった。その人物の名前を聞いた俺は……
(……やっぱりな)
予想通りの名前に、目をキリっと動かした。
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