【出張版ザデュイラル】マルソイン家のサルクススケガ(あぶり人肉)

雨藤フラシ

人食う国のひとびと

 僕がチキンを好きだと言うと、タミーラクは「鶏の死体が美味いのか?」と勇ましげな強面を歪めた。うろんな、頭のおかしい人間でも見るようにだ。

 チキンと聞いて、僕ならこんがりと焼き色をつけ、甘い脂と肉汁を垂らすソテーやオーブン焼きを連想する。だが彼の場合は、野原や森の小道で獣に食い荒らされた、汚らしい鳥の死骸が想像されるのだろう。

 このことでタミーラクを批判したいわけじゃない。彼の側頭部には、貝殻のように白く平たい一対の角が生えている。それは、食人種族の証だ。


 一二六七年、四号月末。僕ことイオ・カンニバラは食人鬼タミラス〔Thamiras〕の国・ザデュイラル〔Xudưjralザドゥヤの国〕へ実地調査に訪れていた。なにぶん異種族のため、食用人間という名目での入国になったが、今のところ安全だ。

 アンデルバリ伯爵家マルソイン邸の応接間、兼図書室。僕はマルソイン当主カズスムクと、その友人トルバシド伯タミーラクと雑談に興じている。


 図書室のソファはゆったりとした作りだが、部屋に家具が一つ増えたような存在感を持つタミーラクが座っていると、こぢんまりして見えた。彼はまだ十七歳の若者だが、当時二十二歳の僕より頭一つぶん以上背が高い。

 タミーラクについて特に奇妙に思えるのは、腰のあたりまで伸ばされた栗色の髪だ。これはザデュイラルの、ある特殊な身分と関係している。


「鳥の殻付きフン[※卵に対するザデュイラル流の言い回し]といい肉といい、何でお前の国は食べようとしたんだ? 空を飛ぶから捕まえるのだって面倒だろ」

「野生の鶏は飛びもしたでしょうが、家畜は地面を歩きますよ!」


 なるほど、養鶏産業がないザデュイラルでは「鶏は飛ばない」という認識すらないのか。まあ飛ぶ鳥だって、銃で撃ち落として食べるのだが。

 エビを好きだと言った時はもっと気持ち悪がられたので、鶏肉についてはまだ寛容な反応と言える。


「しかしチキンという呼び方も、考えてみれば面白いですね」

「お、長話する気だな」


 僕のおしゃべり癖に慣れた調子で、タミーラクはソファの背にもたれた。


「僕らは鶏の肉ならチキン、羊の肉ならラムやマトン、牛の肉ならビーフとさまざまに呼び分けますが、ザデュイラルではそのような言い方をしないでしょう?」


 ミート、筋肉という意味でならカーフ〔Kâf〕という語があるが、食肉、または食用人間はサルクス〔Sårx〕と言う。


「あなた方にとっての食肉とは、すなわちヒトの肉以外を示さないのですから」


 食人鬼、または魔族。

 彼らは動物性タンパク質・脂質を人間からしか摂ることができない。かろうじて猿は食べられるが、それも大量の胃薬を用意して、腹を下すことを覚悟しながらの食事だ。牛、羊、豚、鶏、アヒル、魚、卵、どう調理しようと彼らは消化できない。

 そんなわけで、彼らは昔から僕ら人族の先祖を狩りたて、あるいは一箇所に集めて牧場を作ったりして美味しく食べ続けてきたのだ。


 しかし、彼ら魔族が最も好むものは、同族の肉である。

 ザデュイラルの葬儀は遺体を親族友人で食べ尽くすことであり、妊娠中の母親は夫と共に赤ん坊を煮こんだスープを食べる。子どもの角が大人の角に生え変わる時は、その子に同じ年頃の子どもを食べさせる。


 タミーラクは呆れたようにあくびした。


「そんな細かい違いが面白いかね」

「ちょっとした違いですが、思わぬ違いです。人を食べない人間と、人を食べる人間とでは見えている世界がまるで異なる。互いの間にある認識のズレを洗い出すのは、僕のような者の仕事ですから」

「おう、がんばれ学者先生。いや、まだ志望だっけ」

「文化人類学の門徒です」


 タミーラクからやる気のない激励を受けながら、僕はふと思いついた。


「そういえば、僕らは食べる動物によって味の違いを感じていますが、あなた方はどうですか。人種や性別による味の違いは、やはりありますか?」

「味の違いねえ。父上はそういうの研究していたな。今日はどこそこの国から取り寄せた【肉】だー、とか言ってさ。家族に色々食べさせてくれるんだ」


 タミーラクの父、大トルバシド卿は宮廷料理長ユアレントゥルLjuarentvr花冠を戴くもの〕を務める。すなわち、ザデュイラルで最高の料理人だ。

 この国では料理の腕前は一種のステータスになっており、貴族はこぞって調理技術を磨く。僕の故国・ガラテヤでは考えられない話だ。

 ガラテヤの貴族にとって、料理というのは使用人の領分でしかない。


「だいたいは肌の色が濃いほど美味くなるな。男と女なら、女の方が柔らかいけど、男は男で旨味がある。子どもは滅多に食べられないけど格別だ」


 カズスムクが口を挟む。


「人間の味は個体差が大きいですからね。生前に何を食べていたかが重要です」


 若きマルソイン家当主が口を開くと、清涼な風が吹きこんだような気がした。

 透き通るような白皙はくせきに、つややかなくろがね色の髪。タミーラクと同じ十七歳だが、その存在感は友人とは別の意味で大きい。

 冴え冴えとした光を内側に湛えた氷の彫像が、生命を得て動いている。そんな驚嘆すら覚えるような、そこにあることが奇跡の少年だ。

 その美貌の中、左目を覆う優美な眼帯だけが異質に浮いていた。


「塩辛いもの、酒類、薬物。これらを口にしていると良い【肉】サルクスにはなりえません」

「ははあ。タバコとか吸っていると、美味しくないでしょうね」


 何気ない一言に、タミーラクがぎょっとした顔になる。カズスムクは澄んだまなざしで眉一つ動かさないが、胸中なにを思っているやら。


「お前な、タバコはこの国じゃ法で禁止されているんだ。絶対『ちょっと吸いたいな』とか言うなよ。食用人の肩書きを消されたら、国に返されるぞ」

「いやいや、喫煙なんて。僕にはそんな悪しき習慣はありませんよ」


 もしかして、喫煙すると食用人間としての価値を損ない、買われた契約に反することになるのだろうか。


「そういえば、パリスルガ(大陸)には魔族の人狩りが迫ったからと、村で貯蔵していたタバコを吸った人々の話がありました」

「へえ。そいつら、どうなったんだ?」


 魔族の角は非常に優れた感覚器で、暗闇でも迷うこと無く行動し、遠く離れた獲物の動きも察知する。その上力も強く、村人はとても逃げられないと悟った。

 だから、せめて死後自分たちの体を食べられないようにとタバコを吸ったのだ。しかし、その結果は……。


「大人も子どももありったけのタバコを吸って、臭いが染みついたことに怒った魔族は、彼らを残虐な方法で苦しめて殺したそうです。悲惨ですね」


 そのことについて、僕個人から彼ら種族への恨みは何もない。人間が人間を残虐に扱ったことは、歴史上いくらでも例があるのだ。

 しかし、世の中には魔族の過去の所業をもって、いまだに彼らを悪魔だけだものだと批判する向きは後を絶たない。


「ああ、やっぱりな。せっかくの獲物をにされたんじゃ、腹も立てるか」


 タミーラクはさも当然とうなずいた。そこでようやく僕は思い至る。


「そうか、食用人がタバコを吸うと食べ損ないブロシテム〔Brostam〕になるんですね」


 人肉は確保の手間がかかるもので、食人鬼の国といえど、毎日【肉】を食べることは難しい。そこで彼らの人肉食は、祭礼のような特別な場合に限られた。

 祭りの生け贄は、それが大きな祭礼であればあるほど名誉な役目だ。

 それだけに、怪我や病気、その他の理由で贄の資格を失った者は〝食べ損ないブロシテム〟と呼ばれ、蔑まれることになる。


「イオ、以前から不思議だったのですが」


 不意にカズスムクに視線を向けられ、僕は背筋がぎゅっと引き絞られる気分になった。顔を向けられるだけで日差しが射すような美、というものがこの世にはある。


「我々にとっては、自分の亡骸を食べられないことが何よりの恐怖ですが、あなた方にとっては、食べられることが恐ろしい。それはなぜですか?」

「奇遇ですね、伯爵レム・イル〔L'm Ý'l〕。僕も故郷では、よく似た質問を飛ばしました」


 伯爵というのはカズスムクのあだ名だ。彼は正式にはまだ子爵イル〔Ý'l〕位で、亡き父の爵位を継ぐまで三年ほどの間がある。


「人が人を食べる、または食べられることへの言い知れない嫌悪。その理由は何か? あちこち聞いて回って、僕が満足したのは大学の友人の答えでした。

『人間をバラバラにさばいて、焼いて煮こんで味つけして食べる。そんなのは、人間じゃなくて家畜に対する扱いだろう? 当然じゃないか』

 よくもまあ、当時の僕は『なるほど』としたり顔でうなずいたものです! これはまっとうな返答のように思えるが、その実なにも明かしてはいない」

「なあカズー、本格的にこいつの長話になっちまったぞ」


 タミーラクのうんざりした声を僕は無視した。


「結局、この回答は『人間は人間を食べないものだから、食べられると怒るのは当然です』としか言っていません。伯爵がお訊ねした〝なぜ食べられたくないのか〟については、一応の回答にはなるでしょう。しかし追求するならば、なぜ僕らは人を食べないのかという点から解き明かさねばなりません」

「その話は茶話会タフ・カラシル〔Tach karasr〕でもやったろうが!」


 タミーラクに怒られて僕は首を傾げた。本当に身に覚えがない。


「そうでしたっけ? 伯爵」

「そうですよ」


 カズスムクは冬の日差しにも似た、まぶしくも冷たい眼差しをしていた。たぶん彼の言うことは正しいのだが、この種の議論はいくらやっても飽きないものだ。

 正直言うと何回やってもいいではないか、と僕は思うのだが、二人の賛成は得られそうにもないだろう――と結論するぐらいの慎みは僕にもあった。

 ここは異国の貴族の館で、僕は異邦人にすぎない。


 ザデュイラルに来て十日余り、彼らの価値観についてはまだまだ理解しがたいことが多く、困惑することばかりだ。けれど、彼らもそれは同じなのだろう。

 ひと月半後に行われる夏至祭礼――アルマク・トルバクッラ〔Ålmak Tǫlbakurra〕は、ザデュイラル最大の祭りであり、多数の贄が選出される。

 贄を殺害する奉納ガグリフ〔Ĝaĝrif〕の儀と、それを調理していただく祭宴パクサを見ることは、僕がこの旅で一番の目標としていた。


 今年のアンデルバリ伯爵家では、食用人契約をした使用人三名が贄となる。平民贄三名というのは、この国の貴族としては妥当な数らしい。

 皇族が行うものならば、貴族贄が五名。


 三年後の夏至祭礼では、貴族贄の一人としてタミーラクが皇帝に捧げられる。

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