死ぬという事 ②
ヨダレをダラダラと垂らしながら、死が近付いてくる。
美味しい餌でも見付けたかのよう。
「俺を食べれる事が、そんなに嬉しいのか?
止めてくれ。
多分、俺を食べても不味いと思うぞ?
小さいし、ガリガリで食べる部分も少ないし……」
言葉が通じる訳もないのに懇願する。
現実逃避しても死は止まらない。
鼓膜がおかしくなりそうな大音量。
暴風雨のように降りかかる粘着質な唾液。
戦闘どころか喧嘩の経験すら無い俺は、固まったまま動けない。
それでも、間違いなくもうすぐ死んでしまう事だけはわかる。
サメのように二列に並んだ鋭い牙、不気味な緑色の4つの瞳、大量の牙にこびり付いた生物の残骸。
まるで時間がゆっくりと流れているかのように細かい部分までもが生々しく見えた。
死までの瞬間がまるで何秒、何十秒にも感じた。
『グワァア!!』
死の咆哮。
いよいよ、死ぬのか……
『死』を感じながら、怪物の強烈な口臭を感じる。
この鼻が曲がりそうな程臭い口腔に、俺の身体は噛み砕かれ飲み込まれてやがて排泄物となって何もかも無くなってしまうのか……
涙が出た。
弱肉強食の厳しさを、身をもって感じた。
いつの間にか濡れているズボンが気持ち悪い。
両親や、学校の事が頭を過った。
自分の正体すら分からず、夢も希望も何も叶えてない後悔だけの人生。
眩しく輝いていた女子達。
水泳の授業中に、いつも遠くから眺めて興奮していた。
もう一度、心ゆくまで、あの美しい女生徒達の肢体を見たかった。
出来れば……生まれたままの姿も。
せめて、生の女体がどんな物なのか体験してみたかった。
いつか人間に生まれ変わって、彼女達と遊びたかった。
『死』までもう少し。
後悔や執着してジタバタしても無意味。
あと数瞬後には、俺はこの世から消える。
『グアア!!』
『死』まであと数cm。
死は確定事項。
諦めて、後は覚悟を決めるだけ。
「……」
死は、どのぐらい痛いんだろうか……
どうせ死ぬなら、痛くない方が……
あのギザギザが俺を引き裂いて、飲み込まれてしまうのか……
…………………
痛そう。
痛いのは、嫌だ。
やっぱり死にたくない。
お前なんかに食われたくない……
どれだけ無駄だと分かっていても、死ぬ事に覚悟なんか出来る訳が無かった。
恐怖で萎縮してた心に、少しだけ力が漲る。
今からすぐに逃げたい。と思った。
ほんの少し、身体が動いた。
しかし、今更もう遅い。
死までの距離は、もう残されて無かった。
スローモーションみたいに大顎が近付いてくる。
俺の身体も、鉛みたいな速度でゆっくり、ゆっくりと牙から逃れていく。
良かった。
何とか間に合った。
顎から逃れる事が出来た。
ザシュッ……
ダンプカーに跳ねられたみたいに、盛大に弾き飛ばされる。
少し掠っただけでこの破壊力。
避けれて無かった。
圧倒的な物量差を思い知る。
だが良かった。
死んでない。
このぐらいだったら、俺は問題無い。
「……」
「……」
遅れて右腕が軽くなったような感覚。
大量の血が噴き出していた。
「あ……」
あるべき筈の場所にそれが無い。
物心ついた時からずっと一緒で、有る事が当然だと思っていた右肩が見えなくなっていた。
動悸で心臓が張り裂けそう。
身体の痛みよりも心が痛いような気がした。
右手は今にも千切れそうに頼りなくぶら下がっているだけで、もう二度とこの右腕が使い物にならない事を理解してしまう。
『グチャ……グチャ……』
「おい!やめてくれ!それは俺のだ!おいってば!」
怪物は満足そうにグチャグチャと音を立てて俺の一部を咀嚼している。
二度と戻らない俺の右肩。
大切な俺の一部が原型をなくして怪物に飲み込まれていく。
「うぐうぁっ!」
遅れて、身体の痛みが全身を駆け巡る。
まるで肩を燃やされているかのような感覚。
痛い。
気が狂いそうに痛い。
肩を削り取られただけでこの痛み。
耐えられない。
痛い。
こんなにも痛いものなのか?
肩だけで?
耐えられない。
嫌だ。もう噛まれたくない。
死ぬってもっと痛いものなのか?
絶対嫌だ。
もう二度とこんな思いしたくない。
この場所から早く逃げ出したい。
俺はまだこんな所で死にたくない。
理解と感情を遥かに超えた痛み。
それは、佑弥にとって当然初めての体験だった。
何度も何度も死を口にしながら、死ぬと言う事を全く理解してはいなかったのだ。
想像だけで全く理解していなかった『死』という事を痛みが強制的に理解させる。
その結果、感情が、痛みが、本能が、肉体が、全ての佑弥が『死』を拒否した。
佑弥は人間では無い。
『グギャアア!!』
「うるせぇ!!」
思わず声が出た。
こんなに痛い思いは二度とごめんだった。
大切な俺の身体を齧りとった目の前の化け物に怒りが込み上げてくる。
だが、どれだけ拒否した所で怪物相手に意味は無い。
怪物の巨大な顎からすれば、右肩なんてオヤツ程度の量しかない。
この程度ではこいつは満足しない。
止まってはくれない。
それどころか、味をしめたコイツはすぐにまた俺を奪っていく。
「クソッ!動け俺の足!お前はまだ元気だろうが!!」
今さらになってやっと気付いた。
願っても待っていても、状況は変わらない。
この状況を変えるには、自分が動くしか無いのだ。
あんなに巨大な顎に襲われて、右肩だけで済んだ事を幸運に思わなければならない。
本当だったら丸ごと食われていてもおかしくなかった。
寸前で気持ちが切り替わった事で命が残った。
ギリギリ繋いだこの命、絶対に失いたくない。
「動け!動け!!」
震えてまともに動かない足を、残った左手でバンバンと叩き続ける。
「お前なんかに!食われてたまるか!」
自分自身に気合いを入れる為、力一杯の大声で叫んだ。
足はまだ震えて自由に動かない。
この状況は人間だったら確実に詰みだ。
だが、俺は人間じゃない。
俺には『力』がある。
ここでは誰にも見られない。
誰にもバレいよう、自分以外の生命体に使う事を封印していた『力』を使う事を決意する。
こんな訳の分からない場所で『力』を出し惜しみして、死んでしまう意味など無いのだ。
「行くぞ!」
全力で精神を研ぎ澄ます。
いつもみたいにセーブした力では無い。
生まれて初めて生物相手に全力を使う。
こんな巨大な怪物に通じるかはわからなかったが、何もやらずに死ぬなんて絶対に嫌だった。
今までほぼ無意識に使っていた力を、初めて意識して使う。
ここまで巨大な相手だと、"範囲"が大き過ぎて力が足りない。
足りない力でも最大限の効果を与えられるように、範囲と目標を絞り込む必要があった。
狂いそうな痛みに耐えながら、必死で意識を集中する。
「そこだ!」
怪物の爪先部分を限界まで《加重》する。
怪物の右脚に、数百kgにも及ぶ"重り"をのしかけたのだ。
俺の『力』とは、狙った"対象物"の重さを変える事。
その能力は、俺自身が目で認識出来る"モノ"であれば、生物であろうがその辺の石であろうが、全ての"モノの重さ"をある程度増減させる事が出来る。
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