第8話 伸ばす

「オレはハルス、ハルス・ロットだ」


ハルス・ロットと名乗った巨漢の槍使いに引き起こされたウィルも手短に自身の名を名乗る。


「助けていただいてありがとうございます」


頭を下げるウィルにハルスは「気にするな。ケガがなくてよかった」と笑う。未だ脱力感の抜けないウィルはゆるゆると顔を上げ、改めてハルスのことを見た。そしてその槍にどこかで見たことのある印章を見つけてじっと視線を向ける。


「どうかしたか?」

「あ、あぁ、いえ」


しかしどこで見たのか結局思い出せず、後で本で調べようと意識を切り替えた。


「君はこの村の子どもか?」

「はい。そうです」

「そうか。ではオレのことは誰にも話さないでくれると助かる」

「理由を聞いてもいいですか」


ウィルの言葉に数瞬思惟したハルスだったが、へたに隠し立てするよりは正直に答えた方がいいだろうと言える範囲のことを伝える。


「オレはある事件を追っている」

「事件?」

「あぁ。その事件にこの村の誰かが深く関わっているらしくてな。調査しているという事を勘付かれない為にもオレの存在は知られたくない」

「でももうバレてそうですよね。さっきの奴とか明らかに怪しいですし」

「……ははははは」


笑うハルスに呆れながらも、しかし正体が露見するかもしれないという危険を冒して自身を助けてくれた為にそれ以上は何も聞かずもう一度礼を述べておく。


「あなたのことは言いません。少なくとも私の口からは」

「それでかまわん」

「それじゃあ私はこれで」

「あぁ、気をつけて帰るように」


別れを言ったのに結局ハルスはウィルが家の中まで入るのを見送り、再び藪の中へ姿を消した。


なんとか無事に帰宅したウィルは娘の帰宅を今か今かと待っていたルージュとメランに迎えられ、売上金を本棚の後ろの隠し棚に仕舞って一緒にサタ子(新)を置き、ようやくベッドに入ることが出来たのだった。


翌朝、疲れの取れない体で朝食を食べていたウィルの元に届いたのはエーアガイツからの呼び出し状だった。


「本当に一人で行くの?」


ルージュは支度をするウィルに何度目になるか分からない問いを再度投げかけた。


「うん。だって呼ばれたのは私だし、そもそも私がマキダケを見つけたから始まったことだしね」

「でもあなたは何も悪くないのよ」

「分かってる」


はっきりと、そう言い切ったウィルの目を見てルージュは驚いた。


(あぁ、いつの間にこの子は……)


ずっと守らないといけないと思っていた。しかしそれは自分の勝手な願望だったと知る。


(子どもの成長が早いというのは本当ね……。置いていかれるのは、いえ、しがみついて変わらないでと思っているのはいつも私達だけだわ)


「母さん?」


ウィルに呼ばれてハッと現実に意識を戻したルージュは無理やり笑みを浮かべた。そのことに気がつかないウィルではなかったけれど、あえて触れずに同じように笑う。


「いってきます」

「えぇ、いってらっしゃい。ウィル」


領主、エーアガイツ・フィゲロアの屋敷までは歩いて十五分ほど。道中多くの村人が引き止めたが、ウィルは笑ってそれを断った。


「何をされるか分かったもんじゃない。悪いことは言わないから帰りな、ウィル」

「心配してくれてありがとう。でも私もあいつに用事があるのは同じだよ。だーいじょうぶ。さすがに殺されるってこともないだろうし。……多分」


昨夜の出来事を思えば殺される可能性は無きにしも非ずなのではと思わないでもなかったが、それでもウィルは引き返すつもりはなかった。

昨日の恐怖がすでに薄れたということではない。今でもあの時のことを思い出すと体が震える。それでもウィルには屋敷に、アムに会って聞かなければならないことがあった。


(信じてる、信じてる。三年なんてたいした時間じゃない。だからお願い、アム)


――どうか嘘だと言って。


屋敷の入り口ではあの高圧的な上から目線の従者がいてウィルは思わず顔を顰めた。従者の方はというと一言も発さずついて来いとでも言うようにチラと視線を送ってきて、歩き出す。その後をついて中へ入ると華美な装飾で埋め尽くされており、数年前こっそりと入りこんだ時とはまるで変わってしまった様相に目を見開いた。


(いったいどれだけの金を使えばこうなる)


従者の男に連れられて到着したのは応接間。そこには厭らしい笑み浮かべるエーアガイツと俯いて顔色の悪いアムがいた。


「ようこそ、ウィリディス・ゲール」

「どうもハゲメガネ」

「ハゲッ!?あ、相変わらず躾のなってないガキだ。クソッ」


ウィルは悪態をつくエーアガイツを無視して視線をアムに向ける。しかしアムの視線が上がることはない。ウィルのその様子を見て下卑た笑いを浮かべたのはエーアガイツだった。さっきまでぶつぶつと文句を言っていた姿から一転、新しいおもちゃでも見つけたようにねっとりと絡みつような声でウィルに言葉をかける。


「うちの娘に何か?」

「うるさい、黙ってろ。お前に用はない。私が話をしたいのはアムだ」

「……黙ってろ、だと」


次の瞬間、ウィルは思いっきり殴り飛ばされて床に転がっていた。痛みに呻くウィルを続けざまに衝撃が襲う。


「黙ってろ、黙ってろ、黙ってろだとぉっ!?何様のつもりだ貴様っ!!ただの!農民の!小娘が!この私に向かって黙ってろとはっ!!身分を弁えろゴミめっ!!このっ!このっ!死ねっ死ねっ死ねぇっっ!!」

「や、やめ、やめてよパパッ!やめてっっ!!」


殴られ蹴られ転がされるウィルとの間に泣きながら割り込んだのはアムだった。侯爵家へ取り入る為の大事な娘であるアムに傷を付けるわけにもいかず、エーアガイツは渋々ウィルを殴っていたステッキを引っ込めた。


「邪魔をするんじゃない、アム。私は領主としてこいつに身の程というものを教えねばならないのだから」

「……っにが、みのほど、だ。お前、こそ……身の程を弁えろ、よ……ハゲ」

「このっ」

「やめてっ!!」


ウィルの言葉に再びステッキを振り上げたエーアガイツの行動を止めるようにアムが叫ぶ。


「もう、いいでしょ。私は侯爵家に嫁ぐ。そうすればパパもこの村から離れるんだから、今更躾けることもないよ」

「――はははは、確かにそうだ。こんな村とも後少しの付き合いだ。こんなゴミクズ放っておいて金だけ徴収すればよかったよ」


エーアガイツの言葉にやっぱりか、と昨日の嫌な予感が確信へと変わった。

エーアガイツは誰から聞いたか知らないがマキダケを売って大金を手に入れたことを王都への旅の途中知ったのだ。そして急遽代理でも立てて引き返してきたのだろう。ウィルは口の中に溜まった血を吐き出してふらふらと立ち上がる。共生シンビオシスの効果か、早くも傷が塞がり始めたウィルにエーアガイツが訝し気な視線を向けた。


「あんたが何を言ってるか知らないけど用が終わったならさっさと消えてくれる」

「きさっ」

「パパ。もう、いいから。後は私が話す」

「……ふん。娘に感謝しろよ」


足音を荒立ててエーアガイツが部屋を出て行く。残されたウィルとアムは暫く言葉も発さずお互いを見ていた。

しばしの沈黙を破って先に口を開いたのはアムだ。


「どうして来たの」

「話がしたかったから」

「私は話すことなんてない。ウィリディス・ゲール」


アムの表情はこれまでウィルが見たことがないぐらい冷め切っていた。その迫力に言葉が出ず、思考が止まる。


「そもそもあなたと私では身分が違うの。もしかして本当に友達だと思ってた?そんなわけないじゃない。ハーフエルフだっていうから珍しくて相手をしてただけ。話さなくなったのも飽きたから捨てただけなの。そんなことも分からない?」

「――」

「お金を渡してもう二度と私の前に現れないで。次に来たら命の保証はしないわ」

「――。どうして」

「……」

「どうして、思ってもないこと言うの。分かりやすい嘘、つかないでよ。どうせつくならもっとっ……!……もっと……」


アムは眉間に皺を寄せて、それでも笑った。笑うしか、なかった。本当は今すぐにでも二人で逃げてしまいたかったから。父のこと、婚約のこと、村のこと。毎日毎日ぐるぐると頭の中をかき回すそれらのことから逃げ出しくて仕方なくて、それでもそうしなかったのはウィルがいたからだ。


友達だった、ずっと。三年間離れていてもその気持ちは変わらない。領主の娘だと嫌煙されてきた中で、たった一人残って側にいてくれたのはウィルだけだから。だからウィルを守る為に――


(パパは私が連れて行くよ。そうすれば村も平和になる。村が平和になればウィルも安心して夢を叶えられる)


「まだ私を友達だと思っているのならいいことを教えてあげる。を教えたのは私なの」


その言葉にウィルは目を見開いた。そして気づけば両目から涙をこぼし、下唇を噛み締めていた。


「分かったら帰って。それじゃあね、ウィリディス・ゲール」

「あ」


バタンと閉められたドア。伸ばしかけた手が届く前に出て行ってしまったアムは、自室に向かう途中でついに我慢できなくなってその場に蹲った。


「ウィル~~~ッッ」


昔の様に大声で泣くことも出来ず、押し殺した感情が溢れないように、アムは震える自身の体を抱きしめた。


部屋に一人取り残されたウィルは力なくその場に座り込んだ。傷はすっかり癒え、痛みももうないはずなのに涙は止まることを知らない。


(どうして)


村の裏道はいくつかある。しかしあの道を知っているのはウィルと、アムだけだった。前はよくあの道を使ってこっそり村の外へ出て遊んでいたっけと、懐かしい映像が浮かんでは消えていく。


(どうして)


分かりやすい嘘だった。あんな嘘で騙せるなんて思ってるんのだろうか。

――あぁ、でも、きっとそんなバカみたいな嘘をつかせているのは自分だ。

ウィルは流れる涙を袖で拭って顔を上げる。


「先に手を離したのは私」


見えない何かを掴むように腕を伸ばす。あの時にそうすればよかったのだと、今更になって後悔した。一農民と領主の娘。気にしていないようで、実際それに拘っていたのは自分の方だったのだとようやく気がついた。


「私が、私だけは、味方でいてあげないといけなかったのに」


過去は変えられず、後悔は役に立たない。今からできることも、きっとそう多くはない。

それでもウィルは立ち上がった。

友達だと、今でも思っているから。だってたった一人だった。ハーフエルフで性格もきつくて顔も怖い。良い所なんて何もない自分の側で友達になんてなってくれたのは、アムだけだったから。


(次は絶対に届いてみせるっ)


伸ばした手を、君に。

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