第2話 町の危機

 帝国軍と王国軍の戦争が終結してから、約三年。その舞台から遠く離れた砂漠の町は、戦などとは無縁な平和を謳歌していた。

 常軌を逸した戦力を有する盗賊団に、町の生命線であるオアシスを封鎖されるまでは。


「姫様、もはや我々の手ではこの街を守り抜くことは叶いません……! どうか、どうか賢明なご決断を!」

「では爺やは、この街を捨てろというのか!? 父上から……いいや、先祖代々から伝えられてきたこの街の営みを! 人々の暮らしを、捨てろというのかッ!」

「我々とて本意ではありませぬッ! しかし……しかし奴らはあまりにも強過ぎるッ! とりわけ、あのランペイザーには誰も歯が立たず……討伐に向かった自警団は、全滅したのですぞッ!」


 町の中央にある、小さな屋敷。そこで亡き父に代わり、町長を代行している褐色の美少女は――艶やかな黒髪を振り乱し、聖域を荒らされた女神の如く激昂していた。

 そんな彼女を懸命に宥める町の重鎮達は、敬愛する先代町長の忘形見を救うべく、町を捨てるという非情の決断を迫っている。少女以上に苦悶の表情を浮かべる彼らも、悔しさは同じであった。


 ――今からおよそ1ヶ月前。世界各地を渡り歩き、略奪と殺戮の限りを尽くしてきたという悪名高い盗賊団が、この町に現れた。

 彼らは町に欠かせないオアシスの近辺にアジトを設け、そこを拠点に町から金品や食料の類を強奪し始めたのである。無論、町の人々も武装して力の限り抵抗したのだが……所詮は、戦いに不慣れな素人の集まり。経験、武装、全てにおいて優っている彼らとは、勝負になるはずもなかった。


 討伐に立ち上がった自警団は敢えなく全滅し、彼らを追い払うどころか、余計な怒りを買う結果を招いてしまったのである。数時間前、盗賊団がこの町に迫ろうとしているという報せが入った瞬間から、町は半ばパニック状態に陥っていた。


 彼らを撃退できる見込みがないのであれば、これ以上の犠牲を回避するべく、全町民を連れて遠くの人里へと避難するしかない。だがそれは、砂漠の民として数百年の歴史を築いてきたこの故郷を、捨てることを意味している。


 父譲りの勇敢さと、母譲りの美しさを以て人々を纏め上げてきた町長代理――ガウリカにとっては、堪え難い屈辱であった。人一倍故郷への想いが強い彼女にとってそれは、自我の放棄にも等しい選択なのである。


「……古来よりこの町は、不毛の地であろうと人らしく在らんとする矜持を以て栄えてきた。この世界を巡る人々を迎え入れる、貴重な中継地としてその役目を果たしてきた。何よりこの町で暮らす人々は……!」

「この町を愛している! そんなことは、分かっております! ガウリカ様が生まれる前から、よく存じておりますとも!」

「だからこそ、これ以上誰も死なせてはならない! 人あっての町なのです、ガウリカ様ッ!」

「……っ!」


 だが、そう簡単に割り切れるほど大人でもなければ。自分の立場や状況が分からないほど、子供でもない。

 町民の安全が懸かっている。現実として目の前にあるその問題に、ガウリカは何も言えず、唇を噛み締めるしかなかった。


「……わかった。皆は、先に逃げてくれ。例え浅慮な子供であろうと、私はこの町の長だ。避難の完了を見届けるまでは、この町から離れるわけにはいかない」

「畏まりました。……避難を急がせろ! 荷物は最小限だ、とにかく人命を最優先しろッ!」

「はッ!」


 やがて、爺やと呼ばれている先代からの側近の命に応じ、重鎮達は迅速な避難に向けて動き出していく。彼は幼い頃からのガウリカを知る者として、彼女に苦い決断を強いてしまった己の無力さを恥じるしかなかった。


(……このような思いだけは、させたくなかった。本来なら年頃の娘らしく、恋の一つでも楽しんでいただろうに……)


 病に倒れた父に代わり、町長の座を引き継いでから、ガウリカは仕事一筋の日々を過ごしてきた。そんな彼女を見てきたからこそ、爺やは何か出来ないかと考えを巡らせ――やがて、一つの結論に辿り着く。


「……ガウリカ様。たったひとつだけ、奴らに抗する術があるやも知れません。『冒険者ギルド』です」

「なっ……!? じ、爺や、正気かッ!?」

「正気でいては、この事態の打開など不可能でございます」


 ――冒険者ギルド。市井や国家、あらゆるクライアントからの要請に応じて、戦闘や調査などを請け負う者達の集会所だ。

 そう言えば聞こえは良いが、実際のところは傭兵崩れのならず者達の集まりだという噂もあり、信頼はないに等しい。


 だが、枯れ木も山の賑わい。彼らに盗賊団の迎撃を依頼し、時間を稼ぐことができれば、より多くの町民を救うことができる。

 幸いオアシスとは真逆の方向には、小さなギルドが一つだけある。そこなら、今から駆け込んでも間に合うかも知れない。


 確かなのは、悩んでいる暇などないということだけであった。


「……そうか、そうだな、そうかも知れん。今は手段を選んでいられる時ではない。早速依頼に出向くぞ、爺や!」

「ガウリカ様は殿を務められるのでしょう? 町の長として、あなたにはこちらに留まって頂かなくては」

「一人で行こうというのか!? 無茶だ、奴らはならず者で有名なのだぞ!」

「ならばなおのこと、そのような連中の前にガウリカ様を連れていくわけにも行きますまい。……ご安心くだされ。必ずや、ご期待に応えて見せましょう」

「爺や……!」


 すでに高齢である爺やのために、ガウリカが数ヶ月前から用意していた彼の退職金。それが詰まった袋を手に、屋敷の執務室を後にする彼の背を、未熟な町長代理はただ見送るしかないのだった――。

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