王手、一歩前

「傲慢。暴食。貪欲。おまえ達は待機だ」


 出立前夜。タイタニアは、三名の居残りを決定した。

 未だ改善すべき点が改善し切っていない不安定な二人と、アン依存症を克服するために絶好の機会だと判断されたらしいスライムの三人だ。

 よって、ゴルドプールにはアン、アドレー、グレイの三人で潜入する事となり、正面切っての突入は自殺行為にしかならなくなったため、三人は作戦を練る必要があった。


 無論、ベンジャミンやシャルティは不安定だろうが何だろうが、六人揃って行くべきだと進言したが、タイタニアが許さなかったし、他でもないアンが言い聞かせた。


 これもまた、今後の自分達のためである――と。


 常に大罪の全員が揃って行動するとは限らない。

 時には数名ずつに分かれ、役割を分けて動かなければならない時があるだろう。必ずや来るとさえ、断言出来る。

 故にこれはその時のための訓練であると考えれば、そこまで騒ぐ必要は無い。

 何より、自分達が帰ってきた時、三人がより強くなっていると思えば帰ってくる楽しみがあると言うものだ、などと三人にプレッシャーを掛けて、アンは二人の大罪を率いて出立した。


 その後の流れは実にシンプルだ。

 女の周囲に敷かれている警備網を調べ、強奪は無理だとわかると、正攻法に出る事にした。

 ただし、他の戦士は邪魔でしかない――よって、控え室でまず、その場に集っていた戦士全員を排除した。


 反撃を仕掛けてくる者。命乞いをする者。情に訴えかける者。様々な反応を示す者達がいたが、結局は二種類しかいなかった。

 金さえ貰えば平気で汚れる者と、女の肢体を嬲る事しか考えていない者の二種類だった。

 いや。もしかしたら、戦う事を強いられた奴隷もいなくもなかったかもしれないが、見逃してやったところで行く当てもなく、連れて帰る事も出来ない。その場で終わらせてやる事が、せめてもの慈悲だ――とは言ってみたものの、他から見れば慈悲を盾にしたただの殺戮に他ならないだろうが。


 ともかく邪魔者をすべて排除してからは、別行動を取った。

 アンは真正面から死霊憑きの女と対峙する。そして、アドレーとグレイの二人は――


「おい。あの鬼族オーガ、凄い事になってるぞ……」

「あのコイン、一体何枚あるんだ……?」

「オジさん! オジさん! 退いて退いて!」


 声を潜めていた二人の紳士の間を、小さな女の子が両腕に一杯の空ケースを持って駆け抜けていく。

 二人が噂していた鬼族オーガの隣にケースを下ろすと、椅子をよじ登って鬼族オーガの膝の上に、と座り込んだ。


「たくさん、かせーでる?」

「いやはや、このなる物、アン殿に勧められるがままにやっておりましたが、何やらコツが掴めた様子。今ようやっと、失った分を取り戻した次第」

「じゃあ、これから稼ぐ? お姉ちゃんのためにも! たくさん稼ぐ!」

「あいわかった。拙僧も微力ながら、全力を尽くしましょう!」

「うん! グレー、ゴーゴー!」


 無論、たくさん稼ぐのが目的ではない。

 賭場が窮地に陥る程の成果を見せれば、ブラック自身が動く事はなくとも、何かしらの反応を見せ、対応させるだろう。


 要は囮作戦だ。正常に機能している賭場よりも、異常に稼ぐ客の方に注意を向けねばならぬのが、賭場の弱点。

 タイタニアの聞く限り、ブラック本人は何とも思わず、むしろ面白がって放置するかもしれないが、周りはそうは行くまい。その証拠に、コインの数が四桁を超えた時点で、従業員が何やら動き始めた。


(アン殿……こちらは任せられよ。故に、どうか、ご無事で……)


  *  *  *  *  *


「さぁ、大罪を犯そう」


 熱狂する観客の声援など、まるで届かない。

 鞘から抜ける剣の擦れる音など聞こえるはずもないのに、耳の側で抜かれているくらいに大きく聞こえて、ゆっくりと歩み寄り、距離を詰めてくる黒衣の女性の足音が、まるで死を告げに来た死神の跫音きょうおんが如く、重く圧し掛かってくる。


【気にする事はない。おまえは、俺を呼べばいい。俺が、守る】

「こ、降臨コール!」


 彼女の足下で魔力が渦巻き、彼女に付いていた霊が現れる。

 死霊と言う核が、形成された骨格と肉をまとい、皮膚、体毛を宿して、敵を殲滅する防衛機構として、実態を得て顕現した。


 大きさは、魔獣グレゴリーを思い出す巨体。

 西洋の甲冑のような装甲をまとっており、歴戦の証か、装甲の至る所が傷付き、浴びた返り血でわずかに錆びている部分も見られる。

 白い体毛に黒い模様が刻まれた四足を下ろし、爪を突き立てる。ブルリと体を震わせれば雄々しく生え揃ったたてがみが揺れて、鋭く並んだ牙を剥き出しにして咆哮を轟かせた。

 胴から生える二本の腕がそれぞれ巨剣を握り締め、自らの顔の前で威嚇するように打ち合い、火花を散らしていた。


 死霊と言うから人型を想像していたのだが、人とは到底思えない怪物だ。

 アンの魔眼にも、人とは思えない形と能力値とが表示されている。


 部分的に錆び付き、傷付いた甲冑を身にまとい、刀剣を握る腕を胴に持つ白獅虎ホワイトライガー

 それこそがゴルドプールはラスト・ヴァージンにて、歴戦の猛者達を相手に打ち破り、女の純潔を守り続けてきた死霊の正体であった。


「よもや、よもやだ。あらゆる種族を想定してはいたが、もはや獣も同然の怪物とはな。死霊についてはまったくの素人だが、素人なりにしていた想定を遥かに超えた怪物だぞ、これは」

【消えぃ……!!!】


 振り下ろされた斬撃を躱した直後、迫り来る横一線を跳んで躱す。

 撃ち落とさんと振りかぶって繰り出された斬撃を繰り出した腕を掴み取って躱し、刀剣の上に乗ってより深く埋め込ませた。


 細長い刀剣の上をバランスが崩れる前に駆け抜けて、そのまま装甲をまとった腕を駆ける。

 顔面に対して真正面に飛び込むと、噛み殺してやらんと大口を開けて迫ってきた鼻先を捕まえ、やや前傾姿勢になるよう倒して下顎を叩き付けた。

 ぐふぅ、と、潰された蛙でも上げぬような情けない声を上げて、獣は鼻先を押さえられる。


「どうした? まさかこれで終わりだなどと言う事もあるまい」

「そんな……」


 周囲も騒然としている。

 未だ、アンの黒衣は彼女の正体を隠したままだ。逆を言えば、アンは黒衣に触れられるどころかズラされることすらなく、怪物を圧倒している事になる。

 前代未聞だ。青天の霹靂だ。

 誰がこのような事態を想定し得ただろうか。

 歓声が響き続けていた観客席からは活気が消え失せ、女の顔は青ざめる。


「そら、待っててやるから起き上がってみせるがいい。怨霊」

【ぐ、ぐぅあ、あぁぁぁ……!】


 まるで、大人と子供の喧嘩だ。

 一方的な暴力だ。一方的な蹂躙だ。


 だがそれはつい昨日まで行なわれていたはずで、皆が熱狂の中で見ていたはずだ。

 重い方が強い。大きい方が強い。鋭い方が強い。そうした当たり前が当たり前に力を揮い、当たり前に敵をなぶり倒す光景に爽快感を覚えた観客が、歓喜と興奮の中にいたはずだ。


 しかし今日、今この時、この瞬間、皆が当然と思っていた光景が覆された。

 質、量共に圧倒的優位にあるはずの怪物が倒され、起き上がる事さえ叶わない。

 黒衣をまとった死神のような存在が、未だ現世に取り残された霊を迎えに来て、抵抗する霊を祓い、冥界へ連れて行く場面に出くわしているかのよう。

 しかし未だ、死神の剣は振られていない。未だ、一度として、霊の体に触れてすらない。


「感覚の鋭敏化と切り替え、か……なるほど。実戦に立って理解出来てきた気がする」

【舐めるな、人間風情が!!!】


 二本の腕を振りかぶり、真上から剣を突き立ててきた。

 すぐ近くに自分の鼻があるというのに、ギリギリ掠めない距離で突いてきた。


「見かけに寄らず、器用だな」

「コール!」

【負けるものか……負けてなるものか……!!!】


 霊は高々と身を掲げ、天を仰いだ口内に魔力を集束、圧縮し始める。

 純粋な魔力によって作られる破壊光線。おそらくは一直線に自分へと放たれるだろう一撃を前に、死神は逃げない。

 背後に守るべきものがあるわけでもなく、逃げられないほど臆したわけでもない。確かに驚愕すべき量の魔力が凝縮されているものの、


 我が身は炎なりThis body is burnig


【――!!!】


私は、己が罪を背負って天へ昇ろうThe back, which grew burning wings……我が身こそ、翼の折れた熾天使なればThe name of the cruel angel is Seraph


「“天と地の交わる一点シャムシェル”」


 突き出した剣の切っ先に、赤い閃光と灼熱を集中させる。

 

 解き放たれた光線の中に剣を突き立て、自分の眼前で二つに分けて回避する。

 目を失った事で発達した感覚が総動員し、見つけ出した光の裂け目。放たれる魔力の核とでも言える部分が見つけられれば、後はそこに刃を立てるだけ。

 放たれる光線に眩む目はなく、手には魔法をも斬り裂く魔剣。この二つがあるからこそ、成せる技と言えた。


 結果として、アンは魔剣にて放たれた光線を両断し、無傷で生存。周囲の驚愕を集め、少女の絶望を掻き立て、死霊の虚しき咆哮を轟かせるに至る。

 十字を切るようにして繰り出された剣撃の隙間を掻い潜り、跳び上がって繰り出した斬撃一閃。

 藪のように生い茂るたてがみの奥に魔力の集中している点を感じて、体を感覚の誘導に任せてただ動かし、感じ取っていた点を斬り裂いた。


【な?! がぁっ――?! お、俺の核をぉ?!】

「なんだ。其方、そういうタイプか。は、

「しょ、う、ぎ……え?」


 倒れる死霊の側に降り立ったアンの、意味不明な言語に対する理解が追いつかず、女は混乱の渦中で必死に理解しようと努めている。


 余裕などないのだからさっさと逃げるべきだと思うのだが、それでも理解しようと努める彼女の姿が少しだけ健気に思えて、無下にも出来なかった。


「其方の元主もとあるじは転生者だったのであろう? ならば通じるやとも思ったのだが……いや何、通じる者が聞けば爆笑必至の冗句だったのだが、確かに前世でもそこまで通じる事はなかった。忘れていい」

「こ、コール! コール!」


 呼ばれた死霊は立ち上がろうとするが、核を斬られた反動か、まるで立ち上がれない。

 まぁ、元々死霊だ。更に死ぬ何てことはなく、憑いている女性が無事であれば、何度だろうと蘇る存在であると、タイタニアから聞き及んでいる。

 しかし、核と化した霊体を直に傷付けられた今、すぐには起き上がれないだろう。

 ならば、やるべき事は一つだけ。


 剣を収めたアンは自ら黒衣のフードを脱ぎ、月光の下で編まれたビロードのような白銀の長髪を晒し、腰を抜かして座り込む女の前でわざとらしく音を立てて、唇を舐めた。

 煽情的に、情熱的に、脅迫じみて。


「さて、勝者は何が貰えるのだったかな?」


 と、女に問い詰めたのだった。

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