支配 ⑤

 俺はツバサに礼を言い、日記を交換してからすぐに、真白家を辞去した。

 ツバサは何か分かったことがあるのかと俺に聞いてきたが、とてもその事実を告げる気にはなれなかった。

 もし告げたらそのときは、ツバサさえもカエデさんと同じように、人事不省に陥ってしまいそうな気がしたから。

 とてもその残酷な秘密を、打ち明けようとは思えなかった。


「……母さんは……」


 自然と、拳を握り締めている自分に気づく。


「……鳥になれなかったんだ」


 あんなにも、伝承を信じていた母さんが。

 トキになって飛び立ちたいと願っていた、母さんが。

 地の檻に閉じ込められ、日の光も浴びられぬまま……死んでいった。

 そんな――そんな無慈悲なことがあったなんて。

 俺は、俺の辿り着いた結論を認めたくなかった。

 それこそ、何かのマチガイであればいいと……。


「……タロウ。これが答えなのか……? こんなにも救われねえことが、本当に……」


 タロウにこのことを告げたら、彼はどう返すだろう。

 俺を慰めるのだろうか。それとも……?

 ……もう何も、考えたくなかった。

 俺は、とぼとぼと力ない足取りで、自宅へと戻っていく。小石にすら、躓きそうになりながら。

 そんなとき。


「……あれは……」


 進む道の先、学校の門の前に、二人の男女が向かい合っているのを目にする。女性の方、カナエさんに話しかけているのは、数日前に会ったカズヒトさんだった。

 何故カズヒトさんが、という疑問が浮んだが、それにも増してカナエさんの悲しげな表情に不安を掻き立てられた。

 どうしてあの二人が、あんなに辛そうな顔で、話をしているのだろう。あの二人に、どういう接点があったのだろう。

 俺はいけないと分かっていながらも、物陰に隠れて二人の会話を盗み聞いてしまう。


「……二日後だ。それで、本当に全部終わりになるからね」

「……ええ、分かってます」


 二人の浮かべている表情からして、明るい話題ではなさそうだ。終わり、という言葉も、良からぬ何かを暗示させる。


「……君は、結局変わらなかったね。きっとそうなんだろうと、あの日から思っていたけど。……何もかもが変わっても、何もかもが終わっても。それだけは、変えられないわけだ」

「……それが、私なんです」


 言いながら、カナエさんは微笑む。それが精一杯の強がりであるかのように。


「わがままでしょう?」

「いや……」


 カズヒトさんは、そんな表情を見たくないのか、そっと目を逸らして、


「……そうそう。どうでもいいことだろうけど。今年の春、娘が生まれてね。朱鷺子ときこって名前にしたんだ。この村にちなんでね」

「そう、なんですか」

「ああ。……こう言うと嫌かもしれないけど、君に似ているよ。……何せ、妻が君に似ているんだから当然なんだけどね」

「……」

「きっと、大人になれば。今の君のような、素敵な女性になっていることだろう。……君のような、叶わぬ恋だけはしてほしくはないけども」


 その言葉に、カナエさんが下唇を噛むのを見て、カズヒトさんは、


「……それは言い過ぎたかな。すまない。……まあ、俺は元気でやっているし、これからも元気でやっていくさ」

「……それは、良かったです」


 カナエさんの返事は、とても素っ気なかった。


「……本当に、明後日で終わりだよ。君が選ぶんだから仕方ないけど、どうか……大事に考えてくれ」

「ええ。……それじゃあ」

「ああ、それじゃあ」


 互いにそう言い合い、カズヒトさんが踵を返そうとしたとき。


「……もし」


 呼び止めるように、カナエさんは口を開いた。


「もし……十四年前のあの日。私が『はい』と口にしていれば……こんな日がくることは、なかったんでしょうか」

「……そんな仮定に、意味はないよ。それで幸せな結果になるわけじゃあ、ないんだから」


 そう答えたカズヒトさんの目には、諦めにも似た感情が、読み取れた。

 そして、それはカナエさんにも。


「……そうですね。……さようなら」


 二度目の別れの言葉の後には、もう呼び止めることもなく。

 カナエさんは静かに、カズヒトさんの元から去っていった。

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