4. 出逢い

厩に近づくにつれて、いななきが大きく聞こえてきた。


数頭の馬の昂奮したようないななきや、地面を踏みならすような音が聞こえる。

なにげなく中を覗き込んで私は小さく声をあげた。


厩の中に人がいた。


暗がりのなかで、はっきり見えないが、背格好や体格からして、若い男の人のようだった。

馬たちは、深夜のこの訪問者に目を覚まして騒いでいたのだ。


男は私のあげた声に弾かれたように振り返った。


「誰だ!」

「…!」


私は慌てて身を翻した。


こんな時間に厩でごそごそしているなんて普通じゃない。

声も聞き覚えのないものだったし 。


もしかして馬を盗みにきた野盗の類いかも……!


人を呼ぼうと母屋の方に駆け出そうとした途端、後ろからぐいっと肩をつかまれた。

恐怖で胸が凍り付く。


「きゃあぁぁぁぁっ!!」

「お、おいっ…!」


「や、やだっ!放して、馬泥棒っ!」


私は無茶苦茶に腕を振り回した。


「泥…っ!おい待て。俺は…」

「誰か…誰か来てっ!」

「だから違うと言っておるだろう!」


男が苛立ったように、私の肩を引き寄せて、厩の中に引きずり込んだ。

抵抗する隙なんてまるでないほど強い力だった。


「少しは人の話を聞けっ!俺は…」


けれど、知らない男に無理矢理暗がりに引っ張り込まれて、冷静に相手の話なんか聞けるわけがない。

私は男の手が離れるが早いか、飛びのくようにして距離をとった。


「こ、こちらに来ないで下さいっ!」

「何もせぬ。せぬから少し落ち着け。良いか。俺は馬泥棒などではない!俺は…」


けれど、ほとんど恐慌状態の私の耳にはそんな言葉はまったく入ってこなくて。


(どうしよう…どうしよう…攫われて東国へでも売り飛ばされるかも…。ううん。下手したら殺される…)


そんな物騒な考えがぐるぐる頭の中を回っていて、心臓が破裂しそうだった。


(どうにか、厩の外に出て、そこで思いっきり叫べば誰かに聞こえるかも…!)


その時、厩の隅に繋がれていた灰色毛の馬がふいにブルルッと声をあげた。

男が一瞬、そちらに気をとられた。


(今だ…!)


私は厩の入り口を塞ぐようにして立っている男の脇を身を屈めてすりぬけて外へと逃げ出した。


「おい」

が、すぐに腕をつかまれてしまった。


「いや、放して!」

「いい加減にしろ!」


逞しい腕が抱え込むようにして、私を腕の中に引き寄せる。

叫ぼうとした口を大きな手のひらが塞いだ。


「ん~、んん~っ!」

「まったく、どういう跳ねっかえりだ!チョロチョロと野兎のように落ち着きのない……っ!」


突然、男が体勢を崩した。

私が苦し紛れにばたつかせた足が、向こうずねあたりを思いきり蹴飛ばしてしまったらしい。


さらに私が暴れたため、とうとう2人揃って藁の山の上に倒れこんでしまった。

下が藁だったので痛くはないけれど、男が上にのしかかるようにして倒れているので重たくて仕方がない。


「ちょっ……どいて!」

「何を……!おまえが、そもそも」


その時。


「そこで何をしておる!!」

威圧するような怒鳴り声とともに、視界がぱあっと眩しい光で塞がれた。


松明の灯りを突き付けられたのだと分かるまで少しかかった。


「なんだ……?」

「男と……女のようですが……」


ざわめきが聞こえて、家人が駆け付けてくれたのだと分かる。

光から目を庇いながら、そちらに顔を向ける。


「おまえっ……!佳穂!?」

一番上の景致兄さまの声だった。


「兄さまっ!」


私は男の体の下から這い出すと、絶句している兄さまに飛びついた。


「おまえ、こんな夜更けにこんなところで……」


その声に被せるように

「正清!こんなところで何をしておる!!」

よく響く野太い声が叫んだ。


兄さまがたの後ろからひょっこりと顔を出した、父様より少し年配くらいの男性が目を丸くして、この場の様子を見ている。


(え…?まさ…きよ…?)


「……父上」

背後で、たった今私が逃れてきた「馬泥棒」の声が答えた。


(え? え?)


「鎌田殿…!」

次兄の頼致よりむね兄さまの声。


「では、こちらは……」

「左様。我が息子。明日、こちらとご縁組を賜ることになっておる、次郎正清じゃ」


「え……」

兄さまにしがみついたまま、私は固まった。


鎌田次郎正清。


それは…。

もしかしなくても。


明日、婚礼を挙げる予定の…。


私の夫に、なる人。


その方を…。

私、馬泥棒呼ばわりした挙げ句蹴っ飛ばして…。


頭の中が真っ白になる。


背後で、んんっと咳払いがした。


「左様。鎌田次郎正清と申す。こんな深更にお騒がせして申し訳ない」


(ど、どうしよう。振り向けない……)

私は兄さまにしがみついたまま、石になったように立ち尽くしていた。


「あ、いや 。私は長田忠致の嫡男、長田景致と申す。この度は良きご縁を賜り……と、いや。それよりこれはいったいどういう……」

兄さまが困惑しきったように言われる。


「そうだ。いったいこの騒ぎはどういう事だ?おまえ、御曹司の御用で熱田の方にまわるから、到着は明日の朝になるはずではなかったのか?」


正清さまの父上。

明日からは私にとっても義父上になられる予定の方が、声を張り上げる。


「その御用が早めに済んだので、夕刻へはこちらへ着けると思って向かったのです。思ったよりも時間がかかってしまい、このような夜更けになってしまったので、今夜は下人の小屋にでも潜り込んで明かそうと思っていたのですが……」


そこで、正清さまは言葉を区切られた。

その場のみんなの視線が、景致兄さまに縋りついた姿勢のまま硬直状態の私に集まってくる。


(うう……)


「佳穂?」

兄さまに声をかけられて、私は観念して口を開いた。

「すみません…その、正清さまが厩にいらっしゃるのを…私が、馬泥棒に来た野盗と勘違いをして、大騒ぎを…」


あたりが、一瞬しーんと静まりかえる。


「野盗と勘違いをして…って、おまえはいったいこんな夜更けに表で何をしておったのだ!?」


兄さまがひきつったような声で言われる。


「あの…なかなか眠れないので水を飲みにそこの水屋へ参りまして…そうしたら、その、馬のいななきが聞こえたものですから…こんな夜更けになんだろうと…」


「ば、馬鹿者っ!それでこんな騒ぎを引き起こしたと申すか!本当に野盗の類いだったら何とした!!」

「も、申し訳ございません…」


怒鳴られて首を縮めた瞬間、あたりに豪快な笑い声が響き渡った。

正清さまの父上だった。


「なんと勇ましい姫じゃ!我が鎌田家の嫁に相応しい勇猛ぶりではないか!のう、正清?」

「はぁ……」


正清さまの、うかない返事も無視して、義父上になる通清さまは、


「佳穂どのと申されたな?このような深夜に常ならぬ物音を機敏にも聞き分け、自ら様子を見に近づくとは、見上げた度胸じゃ。武家の妻たるもの、それくらいの心意気がなくてはいかん!」


そう言って、私の背中をポンポンと優しく叩かれた。

「さすが長田殿。娘御を立派にお育てになられた。良き嫁を得て我が家は末長く安泰じゃ」


「いえ、もう汗顔の至りで。お恥ずかしい……」

兄さまは通清さまに気圧されたように、それ以上はお小言を言われなかった。


通清義父上のおかげで、その場はなんとなくおさまり、皆、三々五々引き上げていって正清さま親子も客間として用意された離れの方に案内されていったけれど…。


私は結局、恥ずかしくて最後まで正清さまのお顔をまともに見られなかった。



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