夢の雫~保元・平治異聞~
橘 ゆず
1.縁談
久安四年(1148年)初夏
尾張の国。野間内海庄。
「縁談が決まりましたよ」
そう母さまに告げられたのは、夏の気配を間近に控えた、皐月も終わりの頃だった。
「縁談……?」
縫い針を動かす手を止めて、私はきょとんと目を丸くした。
「どなたのです?」
尋ねると、母さまはおかしそうにころころと笑われた。
「いやだわ。この子ったら。あなたに決まっているじゃありませんか」
「私に?」
ぽかんとしている私の横で、乳母の槙野が大袈裟に声をあげた。
「まあまあ!北の方さま。それはまことにございますか。何ておめでたいこと!」
「ありがとう。槙野。私はまだ佳穂(かほ)には早いような気もするのだけれどね。先方からの是非にとのお話があって殿も乗り気でいらっしゃるようだから」
「望まれてゆくのが女の幸せと申します。姫さまもはや十三。年明ければ十四におなりです。早すぎるということはありますまい。……して、お相手は?」
「我が家と同じく、河内源氏のご嫡流、為義公のお家に代々お仕えする家人、鎌田さまのご次男、正清さまよ」
「正清さま……」
「主家のご嫡男、義朝さまの乳兄弟として、お側近くお仕えしている方で、大殿の御覚えもめでたい、末頼もしき殿御だそうですよ」
「まあ、それは何より」
「年は姫より13歳上で、今年26におなりだとか。なんでも、先ごろまで義朝さまのお供で東国住まいをされていたそうで、正式に妻を迎えるのが遅れていられたそうですよ」
「まあ、それはご苦労さまなこと。それだけ御曹司のお覚えもめでたいという事ですわね。それに年齢が少しくらい離れていた方がかえって夫婦睦まじく過ごせると申します」
「そうですとも。それに正清殿はご家中でも評判の弓の上手。義朝公の配下にこの人ありと謡われる剛の者で、しかも見目涼やかな美丈夫だと伺いましたよ」
「まあまあまあ!三国一の婿君とはこの事ですわ。姫さま、よろしゅうございましたわね」
母さまと槙野の息のあったやり取りを、私はただ呆気にとられて見ていた。
後から聞いたら、この時すでに槙野は縁談のことを聞いて知っていたらしい。
知ったうえで、初めて聞いたような顔をして、大袈裟に喜び騒ぎ、私に考える暇を与えず了承させてしまおうという作戦だったらしい。
そして、その策は当たりだったとも思う。
2人の
「良かったわね、佳穂。かような良縁をいただけて」
「おめでとうございます。姫さまはお幸せでございますわね」
という波状攻撃を、息つく間もなく次々と受けて。
私は深く考える暇もなく、首を縦に振ってしまったのだから。
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