第五十話



 ノウル・ニディ・シャワラヤ・ネハートは、筋金入りの、生粋の“貴族の坊ちゃん”である。


 デアーシュがクォンシュ帝国の領地から独立する以前から領主の右腕として仕えていたネハート家の本家筋の一人息子にあたり、若干そそっかしい(と、自称しているが、周囲の者に言わせれば「だいぶ」だそうである)ところがあるものの決して愚鈍ではなく、実直で人当たりもよく剣の腕もなかなかのもので、主君の子で気性が荒いといわれているヤハジャと幼い頃から上手く付き合っているためか評判が高い。『そこそこできる』がゆえに周囲から褒めそやされて育ち、ひがまれののしられてもその無邪気さと人の善さそうな顔で毒気を抜いてしまう彼は、まさにふわっふわの分厚い真綿で大事に大事に包まれた良家のご子息、そしてそれが外にまで溢れ出ている――のだが、


「何やってるんだっ!!」


 大層ご立腹して、現状主君であるはずの男にずかずかと近付いて胸ぐらを掴んだ。とても坊ちゃんらしからぬ行為である。


「供の者はどうした!? まさか一人なのか!? ここはクォンシュだぞ!」

 友人にまくし立てられ揺さぶられるも、デアーシュの王の名で呼ばれたその男は平然としている。

「俺の術の腕忘れちまったのか? 転送術十回も繋げばクォンシュの都まで行ける。まぁ、往復したら明日体ガタガタだけどな!」

「お前はまたそういう無茶なことを!」

「どうせもうすぐ王様辞めんだ、別にいいだろ」

 え、と思わず声を漏らしたマイラを、ヤハジャは一瞥いちべつした。

「やっべ、聞かれた。ノウル、その小僧殺していいか?」

「こぞっ……!? ヤハジャっ、この方はっ、この方はなぁっ」

 ノウルが胸元を掴んでいたはずのヤハジャの姿が、ふっ、と消えた。かと思うと、

「このかたァ?」

 マイラの真横に現れ、無遠慮に顔を覗き込む。急に距離を詰められたのと近すぎるのとでマイラは構えた剣を抜けずに固まった。薄暗い中でも燃えるように輝く両目の赤紫が力強い。レイシャもマイラにまで己の牙や爪が届いてしまうのを恐れて、その場で唸るだけだ。

「これがそんなに高貴なご身分なわけ? 丸紅狸ダーツァみたいなツラしてんじゃねえか」


「ばっ…………バカーッ!!」


 ぱんっ、という頭を引っぱたく音が、絶叫と共に深夜の暗闇に響いた。

「ってぇな、何すんだよ!」

「無礼なことを言うな! この方はファンロンの姫君マイラ様であらせられるっ、私の恩人だっ!!」

 大声で明かされ、

「は? ファンロンの、マイラ?」

 ヤハジャは信じられない気持ちが目一杯広がる顔をし、

「ノウル様、あの…………声が、大きい、です……」

 マイラは、深々と嘆息した。それを見たヤハジャは吹き出す。

「おい、ノウル、お前! 無闇やたらに他人の身分と名前を明かすな。こいつの顔見てみろ、ほんとは隠しておきたかったんじゃねえのか?」

「えっ…………あっ、わっ!? まっ、マイラ様っ、そのっ、あのっ」

 慌てふためくノウルに、マイラは苦笑した。そう、本当は、ヤハジャの言う通りである。何しろそのもっともなことを言ったのは、協力している皇妃ハンジュの敵にあたる、先程の本人の言葉が真実であるなら結構な術の使い手。油断ならない存在なのだ。

 これはもう正直に名乗るしかない――マイラは気を取り直した。

「過ぎたことは仕方ありません。……お初にお目にかかります陛下、このような場ですので簡単なご挨拶になりますがお許し下さいませ。わたくし、マイラ・シェウ・アヴィロ・ルヨ・ファンロンと申します。縁あってノウル様と行動を共にさせていただいております」

 丁寧な一礼に、おそらくお忍びであろうデアーシュ王もまた礼を返す。

「一応デアーシュ王、ヤハジャ・メネイヤ・デアサ。……ふぅん……アリかナシかでいえばナシだな、ハンジュよりほせえし色気もねえ」

「は?」

 また、ノウルがヤハジャの後頭部を思い切り叩いた。

「大変失礼しましたマイラ様! この男は本当に、本当に、本当に一応王のくせに粗野で! バカで! マスハーシ様からも『こいつは王にしちゃダメだ』って散々言われてまして!」

「えっ、あっ、はい」

 腹心から散々な言われよう。しかし当のダメな王は、

「俺はハンジュと違ってお勉強嫌いだからな~、しょうがないよな~。……黒牙獣ワラウスかぁ、近くで見るとでっけえな。へぇ~」

 あまり気にしていないようである。確かに、王らしくないといえば王らしくはない。少なくとも、それらしく振る舞おうとすれば、姿形だけは何とかなりそうなものだが。

 マイラは、すぐ横でレイシャに触ろうとして唸られているヤハジャをちらりと見た。

「…………あの、ノウル様」

「はいっ何でしょうか!」

「先を、急いだ方がいいのですが……その、陛下は、一体何故……」

 はっとしたノウルは、ずかずかと近付いて主君の襟首を掴み、自分の方へ向き直させる。

「そうだ、ヤハジャ、お前一体何でこんなところに」

「遅えから様子見に来たんだよ。ノウル今どこにいるかなーって探って術使ったらここに出ただけだ。逆に訊くけどなノウル、お前こそ何で今ファンロンの姫さん連れてこんなとこにいる? 五日前にはハンジュ連れてデアーシュに戻ってくる予定だったろうが」

「んぐぅ」

 二人の会話の内容にマイラは違和感をおぼえた。


 この計画、現デアーシュ王ヤハジャも知っている――?


「ま、無事だったならよかった。けど、こっちもそろそろ限界だ、早く来い。でないとハンジュじゃなくて下の奴らにやられちまう」

「……わかった、急ぐ」


 おかしい。明らかにおかしい。

 ヤハジャからみればノウルは友とはいえ逆臣、本来ならこの場で糾弾し殺してもいいはずだ。


 解せない――そんな表情が出ていたか、ヤハジャは再度マイラの目の前まで来て、


「俺と会ったことはナイショだ、いいなお嬢ちゃん」


 マイラの口に指先を押し当てると、


「じゃあな。ノウルを頼む」


 笑って、ふっ、と消えた。


 突然現れ、別段何をするわけでもなく去っていた嵐に呆然としていたマイラだったが、

「……そろそろ参りましょう、マイラ様」

 ノウルに声を掛けられてはっと我に返ると、沸き立つ疑問に思わず詰め寄る。

「どういうことなのですか!? あれではまるでっ、」


 しかし、


「時間がありません」


 言葉を遮りその問いに答えないノウルの表情は固い。これは――


(ノウル様も……)


 わかっているのだ。


 このまま事が進めば、ヤハジャはハンジュにたおされる。


 父を死に追いやり位を簒奪さんだつし、本来の継承者だった妹を遠ざけた王。

 隣国イノギアに無理矢理侵攻しようとし、国を乱した王。


 それが廃され王位を奪還されれば、これまでの罪を問われ、死罪となる可能性は高い。


 ヤハジャは、それを甘んじて受け入れるというのか。

 ノウルは、それを止めないというのか。


「どうして、そんな」

 どうあれ行かなければならない。準備を整えた馬に乗り呟くと、


「我々は、ハンジュ様を王にしなければならないのです」


 背を向けたままのノウルは言い放ち、腹を蹴って馬を促した。



     ◎     ◎     ◎



 クォンシュ帝国ウェイダ領は、西から南にかけてをファンロン、北西をデアーシュと接している。ファンロン側は国境がウーリュン川沿いで街道も通っているため開けた場所が多いが、デアーシュ側は山間でさほど広くはない山道が一本しかない。

「隊長、ベリヤさんから連絡です。デアーシュ軍陣営確認できました。パドゥ山のふもと、国境より少し手前のところだそうです」

 最年少隊員ウァルト・サミの報告に、トウキはその方向を見つめた。陣があるのは確かなようで、ほのかにではあるがその場所が明るいのがわかる。

「来ますかね?」

 同じ方向を見ながらそばに控えていた副隊長チュフィン・ロウが小さく問う。

「攻め入ってくることはまずないはずだ。軍事力はクォンシュの方が格段に上。喧嘩を売ればデアーシュは確実に滅ぶ」

 デアーシュの陣がある方向から目を離さないまま、椅子に腰を下ろす。

「あの辺りでハンジュを迎え撃つ気なんだろう。わざわざ、見える場所で……ヤハジャ王もいい趣味をしている」

「あの、隊長……ハンジュ様の、援護をする、って、いうのは」

 ウァルトがおずおずと口にするが、トウキはかぶりを振る。

「それはできない」

「ハンジュ様は隊長の親しいご親戚なんでしょう?」

「これはあくまでデアーシュのこと。ハンジュの出陣についても皇帝リュセイは知らぬ存ぜぬで通すことになっているし、ハンジュの連れている部隊は全員デアーシュから時間をかけてこっそり出てきた者たちだけで構成されている。ハンジュもデアーシュだけで片を付けると言っていた、俺たちにできるのは、ここで『それはそっちの喧嘩だこっちに来るなよ』とにらみを利かせておくぐらいだ」

 チュフィンが溜め息をついた。

「すぐそこで戦が起こるってのに、何もできないんですね、俺ら」

「国境警備隊の務めは護ること」

「そーですけどさ……もしハンジュ様に何かあったら」

「ハンジュはデアーシュをよく知っている」

 口ではそう言うものの、顔には不安の色が出ている。やはり命懸けの行動に出る従妹が心配なのだ。

 何と声を掛けていいかチュフィンが逡巡しゅんじゅんしていると、


「どう? だいじょぶそ?」


 聞き覚えのある、張りのある女の声。三人は振り返った。


「シウル」

「姐さん!?」

「シウル様!」


 軽武装の女剣士は手を上げて笑った。

「来たよ、応援」

「いや、『来たよ』じゃねーんですよ」

 チュフィンが呆れ返った。

「あんた皇妃でしょうが、何やってんですか」

「皇妃だけど剣士隊辞めてないからね。ね、兄さん」

 その後ろから、相変わらず剣を振るうには動きにくそうな長い衣の男が進み出る。トウキは思わず立ち上がった。

「キクロ、兄さん……どうして」

「まぁ、にぎやかしなんだけどね」

 キクロは眼鏡のつるを指先で押し上げながら、にこりと微笑んだ。

「あの辺りなら陣を張るにしてもあまり広い場所はない、道も狭いから人数はそう多くはないはずだよ。けど、デアーシュの術士の部隊はなかなかのものらしいからねぇ。念のため、ってことで陛下直々『白梅はくばい』出動のご命令ってわけさ」

「キクロ様!」

 ウァルトが駆け寄る。

「あの、ハンジュ様をお助けすることって、できないんですか? 術を使ってなら、」

 うーん、とキクロは困ったように笑う。

「難しいねぇ。クォンシュこっちでいう銀冠持ちくらいの術士がいれば、術の出所を探られる可能性もある。僕たちがこうしてここに集まっているのも一応国境を護る演習という名目だし、こっちが手出ししたら陛下の『何も知らない』という言い訳も通じなくなってしまうからね」

「そう……ですか……」

 項垂うなだれる少年の肩に手を置いて、デアーシュの陣のある方角に目をやる。

「きみたちは実戦を目の当たりにするのは初めてか。遠目になるけど、よく見ておきなさい。有事の際にはきみたちも嫌でも経験することになるんだからね。……トウキ」

 名を呼ばれて、トウキは一瞬緊張した。

「はい」

「僕たちは応援だから、ここの指揮を執るのは僕じゃなくてきみだ。何かあったら、頑張って」

「う」

 急に笑顔で圧をかけられたウェイダ領国境警備隊隊長は萎縮した。

「俺……俺が……指揮……『白梅』まで……?」

「まぁまぁ、大丈夫だって! あっはっはっは!」



 もうすぐ、夜が明けようとしている。







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