第7話 教養授業1限目。日本についての考察と質疑応答。

その日の3限目の授業が終わり、短い休憩時間の後、

4限目開始のチャイムが鳴ると、鈴音先生が再び教室に入って来た。

初めての教養授業の始まりである。起立!礼!

鈴音先生の透き通った優しい声が響く。


「それではこれから最初の教養授業を始めます。

この教養授業は皆さんの好奇心を育てる事を目的とし、科学、歴史、

経済、スポーツ、音楽、医学その他、様々な事象を分かり易く、

面白く解説して行きたいと思います。授業を聞いて面白いと思ったり、

興味が沸いたりしたら、是非その事象について、自ら調べてみる事を推奨します。

この学校の図書館は国内最高レベルのものであり、正に最適な環境です。

様々な事に対して好奇心を持ち、学ぶと言う事がどれほど楽しい事なのか、

実感して貰えれば、教える側としてこれに勝る喜びはありません。

では1回目のお題、日本という国について、私が考察している事の

一部をお話しましょう」

鈴音先生は良く通る声、穏やかな優しい口調で、ゆっくりと話し始めた。


「みなさんも毎日食べているお米。

昨今消費量が減って来ているとは言え、日本の主食です。

弥生時代から今日に至るまで、2,000年以上の長きに渡り、

日本人はお米を主食として生きて来ました。

肉が主食であるアメリカとの大きな違いです。


実は日本という国は、お米の栽培に関しては気候的に北限に近く、

栽培に関しては、それ程適していないという事をみなさん御存知でしょうか?

それが証拠に、日本の殆どの地域では、お米は1年に1回しか収穫出来ません。

長年に渡る品種改良で、冷害に強いイネの品種等も出来た為、

現在では北海道でもお米は作られていますが、これは歴史的には

つい最近の事です。これがフィリピンとかタイなら、年中いつでも

お米を作れます。元々亜熱帯の植物なのですから、当然と言えば当然です。


この主食であるお米の栽培の環境が、実は日本人の考え方や文化に

大きく影響しているのではないかと私は思っています。

日本でお米を収穫する為には、地域により変動はありますが、

多くは4月中に苗代を行い、5月初旬までには田植えを完了させる必要があります。

その後は水量の管理、土の管理、害虫や雑草の駆除等のこまめな

世話を行い、8月後半から9月後半までには稲刈りを完了させます。

非常に厳密なタイムスケジュールの管理が必要で、

このタイムスケジュールの管理を怠ると収穫が出来ず、

冬には飢え死にしてしまいます。またこれらの作業は、皆で協力し、

一斉に行う必要もあります。なぜなら特定の作業を行う時期が

厳密に決まっているからです。

村単位であれば、村民全員の強い結束がないと作業がはかどりません。

読んで字のごとく、働かざる者食うべからず、

怠け者は生きて行けない厳しい世界だったのですね。


さて日本人は、この厳密なタイムスケジュールの管理を、それこそ2,000年以上の

長きに渡って続けてきました。そしてこの伝統は今でもしっかり根付いています。


ひとつ例を挙げてみましょう。

スペインのバルセロナオリンピックや、ブラジルのリオデジャネイロの

オリンピックでは、オリンピック用の建造物が、オリンピックが終わってから

完成したという笑えないケースが多発したそうです。

しかしこれらの工事を請け負った業者に言わせると、

【我々は怠けた訳ではない。きちんと朝の9時から夕方5時まで仕事をしている】

【それで出来なかったのだからしょうがない】

とすまして答えるそうです。悪いのは我々ではない…

スケジュールの立て方が悪いのだ…。


大型の公共工事では資材の調達、搬入、施工、検査等、

膨大な数のスケジュール管理が必要ですが、どれかひとつでも

大きな躓きが出来ると完成しません。

これは私の想像ですが、日本人だったら何日徹夜してでも必死に作業し、

納期に間に合わせる様な気がします。

いえ、それ以前にオリンピックの半年くらい前には

全て完成させているのではないでしょうか?

イランやイラクなどのアラブ諸国では更に物凄い事態になるそうで、

彼らの考えによると、物事が善意で始められた場合、

それが完成するかどうかは、【全てアラーのおぼしめし…】。

病院を建てようと建設工事を始めたとして、それがいつ完成するか、

全てアラーのおぼしめしでは、話にならないだろう…

いえいえ、それは日本人の発想ですってば…。


日本の海外での様々な公共工事プロジェクトクトの多くは、

その品質だけではなく、【指定納期をきっちり守る】事を高く評価されています。

2,000年以上、スケジュールに追われる稲作を行って来た日本人は、

特定の期日を設定し、そこから逆算して物事を完成させる事においては、

まさに世界一なのです。

台風や地震で壊れた道路や建物の復旧に関しても、

世界が目を見張る程のスピードで修復してしまう…。

世界で一番正確な電車の運行、駅のホームの停止指定線に

きっちり止める几帳面さ、これらも同じ根っこから来ているのでしょう。


このお米作り、稲作文化のものとして考えられる要素を上げると、

まず重要なのは、他人と同じ事を、同じ時期に一致協力してやる事。

必要な約束事を作り、約束をきちんと守る事。真面目に手を抜かない事。

農作業というものは、ひとりやふたり飛びぬけた人がいるよりも、

普通に真面目に仕事をする人が大勢いた方が有利になります。

また毎年同じ場所で同じ事を繰り返すので、臨機応変さが重要な

狩猟民族や、牧畜民族とはおのずと発想も異なります。

和をもって尊しとなす…これは極めて日本的な発想と

言えるのではないでしょうか?

聖徳太子のこの言葉は、正に日本を象徴的に現していると言えるでしょう。


地理的に地震/台風大国であった日本は、数多く起きる自然災害に対し、

常に一致協力して乗り越える事も必要でした。そしてこれらの

自然災害は、独特の無常観を生み出し、生きとし生ける物の全て、

石などの自然物にさえ神を見出す、独特の宗教観を作るに至りました。

諸行無常という考え方は、万物を神や人間が管理するという、

キリスト教的世界観の対極に位置するものであり、

天照大神の直系の子孫が、2682年(今年は皇紀2682年です)の

時を越えて、尚君臨しています。


結束する為には公平さが必要です。

弱い者でも疎外せず、小さな力であっても戦力にする必要があります。

世界有数の整った医療保険制度等、社会保障が非常に充実しているのは、

日本が常日頃、これらに努力してきた証であるとも言えます。

先進国の中では貧富の差が比較的少なく、安定した社会の日本では、

出る釘は打たれるなどどいうことわざが現す通り、突出した才能の芽を摘む

要素がなきにしもあらずですが、それでも私は日本を愛しています。


世界で最も成功した社会主義国…それは日本である。

世界的にそういう意見がある事を知る日本人は多くありません…」


鈴音先生の1回目の教養授業の間、教室はシンと静まり返り、

その優しい、穏やかな口調と興味深い話に、教室の中の生徒は息をのんでいた。

「中々いとおかしお話かしらん」

後ろで岡本章がつぶやく。


「ではこの後は質疑応答の時間とします。私はこのクラスに来たばかりで、

まだ皆さんの名前と顔が一致していません。

質問のある方は、出席番号と名前を言うようにして下さい。

それで名前と顔を覚えようと思います。

また、この授業の中身に関係しない様な質問はしないこと。

では宜しくお願いします」


「出席番号 19番 山本権兵衛(ごんのひょうえ)でごわす。

先生、アラブの御仁はなっしてそげん時間にルーズでごわすとっか?」


山本の質問に鈴音先生はゆっくりとした口調で答える。

「簡単に言うと、遊牧民族と農耕民族の違いではないかと思います。

遊牧は多くの場合、家畜は放し飼いが基本です。家畜は放牧し、

餌も家畜が勝手に好きなだけ食べる。家畜のおなかをなでたり、

可愛がったからと言って、沢山子供を産んだり、乳を出す訳ではない。

気候も日本の様な四季がある訳ではありません。

故に何かをいつまでにやらなくてはならないという概念が希薄になります。

この様な遊牧民族が豊かになる手段として、

毎日時間に追われながらあくせく家畜の世話をする事は殆ど意味がなく、

それよりもっと他に手っ取り早い方法があるのですよ」


「なんばしょっと?」

「略奪です」


鈴音先生は端的に答えた。

「放牧にはそれに使える広い土地、豊かな牧草が必要です。

それと家畜にしても時間を掛けて増やすより、他人の物を奪った方が

早いでしょう? 故にこの様な地域では古くより軍事技術、

戦いの技術が発達しました。食うか食われるかの世界なのですから…。

16世紀までは総じてアラブ地域、かつてのオスマン帝国の方が

ヨーロッパよりも軍事技術ではむしろ優っていました。

今の日本に住んでいる皆さんにはピンと来ないかもしれませんが、

実際の世界史という物は、大半が戦争と略奪と言っても過言ではないのです。

日本の戦国時代などは、アラブやヨーロッパの歴史から比較して見れば、

極めて平和かつ平穏な時代なのですよ」


「へ~」と教室から声が漏れる。

「そういう意味では、日本人というのは世界的に見ても極めて真面目で

平和を好み、真摯に働く国民だと言えるかもしれませんね。

狭い国土で大勢が暮らす為には、年中争うと損する事が多いのかも…」


ここで授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

「さて、山本君の質問の回答になったでしょうか?次回の授業では、

日本の対極にある国とも言える、超大国アメリカについて

語ってみたいと思います。対照的な物を比較する事は、

物事を深く理解する上で大きな助けになります」


こうして、鈴音先生による第一回の教養授業が終わった。

【へ~。中々面白そうだ、次回も期待だな…

しかし、山本ごんのひょうえだっけ、鹿児島弁丸出しじゃん】

鈴音先生が教室を出て行った後、そう思いつつ少しの間感傷にひたる俺の耳に、

唐突に岡本章の声が響く。

「おお!大橋氏が放屁なされた。如何にもつまらなそうであった!」

後ろでのたまう岡本に、俺が一発くれてやったのは言うまでもない…。

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