Ⅱ第二十七話 公衆浴場

 小さな公衆浴場だった。


 石造りの一階建て。表の入口が二つある。どう考えても男湯と女湯だろう。


 木の引き戸を開けて入ると番頭台があった。おお、妙に和風だ。値段は3G、元の世界なら300円か。安い。


「動物は入れないよ」


 番頭のおばちゃんに言われた。


「猟犬の相棒なんです。浴室には入れませんので」


 おばちゃんは納得した。この「猟犬」って言い方は、すごく便利だ。


 入ってすぐの部屋は、どう見ても脱衣所だ。木の棚がたくさんあり、編みカゴが置かれている。脱衣所の奥にある木の引き戸が浴室の入口だろう。


 おれは一つの編みカゴに荷物を入れた。剣や盾は棚の上に置く。そして胸ポケットからチックを出した。


「すまん、すぐ済ませるから」


 おれはそう言って、チックをハウンドの頭に乗せた。二匹一緒のほうがいいだろう。編みカゴの中に隠すと、逆に誰かが見つけると大騒動になる。


「ちょっと! それなんだい」


 番頭のおばちゃんに声かけられた。


「はい。相棒のサソリです」


 おばちゃんは、いいとも悪いとも言えず黙った。この隙に入ってしまおう。急いで服を脱いだ。


「ああ、クソッ!」


 タオルを買い忘れた。ダネルの店で買えば良かったのに。


 番頭のおばちゃんに聞くと5Gだった。入湯料より高い。けど、しょうがない。タオルを買い、おれは浴室に入った。


 おお、和風かと思ったら、壁や浴槽はゴツゴツした石を積み上げた造りだった。岩風呂、元の世界で言うとそんな雰囲気だ。


 大きな窓もあり、湯気で曇っていた。近寄って手で拭いてみる。窓の向こうは庭でもあるのかと期待したが、排水用の溝と敷地に沿った外壁があるだけだった。


 しかし良い匂いがする。匂いの元はなんだ?


 おれは浴室内を見まわした。大きな湯船のほかに、壁に沿って細長い湯船があった。いや、湯船ではない。あれから湯をすくうのか。その前に木でできた小さなイスが並んでいる。


 イスの横、木の台に小さな皿があった。石けんか! おれは近寄って石けんを持った。鼻に近づける。


 これだ。石けんだけど、香料が練り込まれている。香りはたぶんジャスミン。


 浴室内に人は少なかった。じいさんばっか。湯船にいたのは5人ほど。すべて、ご高齢だ。


 時間帯としたら夕方前。この時間だと、じいさんしかいないか。


 おれは先に体を洗うことにした。石けんをタオルに擦り、体を洗う。そのまま石けんを泡立て、頭と顔も洗った。


 泡だらけにしたところで、木桶で湯をくみ、頭からかぶる。いやはや、気持ちいい。


 きれいにしたところで、湯船に行く。そろりと足から入り、肩まで浸かった。


「ふいー!」


 まわりにいた爺さんらが笑った。


「若いのに、手慣れたもんじゃのう」


 若くはないんだけどな。


「その傷、冒険者さんじゃろう」


 ちがう爺さんから声をかけられた。言われているのは胸の傷だ。前にトカゲ馬の魔法で負った傷。


 おれは傷をなでた。アドラダワーが言うとおり傷跡は残った。元の世界なら、こんな傷跡はできなかっただろう。


 石の壁に後頭部をもたれかけ、目を閉じる。しみじみと気持ちいい。不便な世界だが、住めば都。いや、どちらかと言うと、こっちの世界のほうが相性がいいかもしれない。


 もし、帰れるようになったら、どうするんだろう。ダネルを始め、こっちで出会った人と会えなくなる。それは、かなり難しい問題だ。


 おれは湯をすくい、顔を洗った。まあ、考えてもしょうがないか。その時に考えればいい。


 とつぜんガシャーン! と大きな音。壁にある窓ガラスを見た。割れてない。それなら女湯のほうか!


 おれはタオルを腰に巻いて浴室から出た。棚の上に置いた剣を取り、駆け出す。


 一度外に出て、女湯のほうへ入った。脱衣所には番頭のおばちゃんも客もいない。


 脱衣所の奥、木の引き戸、あれだ。引き戸には中をのぞけるガラス窓がついていた。駆け寄って中を見る。バアさんたちが仁王立ちしていた。番頭のおばちゃんもいる。


 浴室の中央! ものすごいプロポーションの女がしゃがんでいる。その前には横たわった大鼠。小さなナイフが突き立っていた。


 あの小さなナイフ! アドラダワーの治療院で、暗殺者に投げられそうになった物と同じだ。


 女がナイフを抜き取り、立ち上がった。あわてて、のぞき窓から身を隠す。どうするか。おれは女湯から急いで出て、男湯にもどった。


 剣を棚にもどし、大きな音を立てないように引き戸を開ける。


 裸足で行ったので足が汚れていた。これも静かに木桶を取り、お湯を肩からかけ・・・・・・


「つっ!」


 声を出しそうになった。かけたのは水のほうだった! 鳥肌の体をさすり、静かに湯船に入る。


 爺さんたちは、ぽかんと口を開けておれを見ていた。壁の上にある隙間、女湯のほうから喝采が聞こえてくる。


「すごいねえ! お姉さん」

「助かったよう!」


 バアさんたちの声だ。


 それからガラガラッ! と引き戸を開ける音が聞こえた。風呂から出るのか。おれが見たのに気づいたか? こっちに来る?


 おれは浴室の入口を見つめた。来るか・・・来るか・・・来た! と思ったら、番頭のおばちゃんだった。


 おばちゃんは、木戸についた窓から男湯をちらりと見て帰って行った。


 ふぇぇぇぇ。ぶくぶくっと思わず気が抜けて口まで湯船に浸かる。


 戦うべきだったか。剣とナイフ。おれのほうが有利だった。でも女湯だ。はたから見ると、おれはただの痴漢だ。


 しかし、あの体。看護師の時とは体型がちがう。看護師はもっとこう、のっぺりしていた。


 顔と髪も、まったく違う。看護師は黒髪だった。さっきの女はブラウンだ。横顔しか見えなかったが、奮い立つような美人だった。


 同じ暗殺者なのか、ちがう暗殺者なのか。ちがうなら、何人の暗殺者が島に入ってきているのか。


 いろいろ考えていると頭がクラクラしてきた。考えすぎか。いや、考えすぎじゃない、長湯しすぎだ!


 おれは湯船から上がり、今度はわざと水を汲んだ。シャキッとしないと。頭から勢いよくかける。


「冷てー!」


 わかってても、水は予想以上に冷たかった。




 


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