第2話 名主 熊殺し
領主様の屋敷は、ホテルを改造したものらしい。客室を解放して、召使いたちを住まわせている。上階にはスイートルームがあって、来客用にしているようだ。会議室も食堂もある。大浴場もある。ビジネスライクで非常に珍しいと思った。
ちなみに、俺にはスイートルームを用意されていた。召使いのククルは
翌日の朝。
朝食は部屋に持ってきてもらうこともできたが、屋敷の人たちとも仲良くしたいので、大食堂でいただくことにした。カウンターで配膳されたお盆を受け取って、テーブルへ。メニューはハムエッグとパン。そして玉葱のスープである。
ククルと一緒に食べたかったのだが、今日から彼女はメイドとして働くそうだ。厨房の奥で忙しそうにしている。
「――見ない顔だね。新人かい?」
中年男性が声をかけながら、俺の前へと着席。
「ええ、奉公にきたリーク・ラーズイッドです」
「ラーズイッド……? おお、あんたが! ――おーい、噂の坊ちゃんがいるぞ」
そう言って、使用人たちの視線を集める中年男性。なんとも気さくでフレンドリーな感じ。この町の人たちは、あまり上下関係を重んじないのかな?
俺としてはありがたい。堅苦しいのは好きじゃないんだよな。物珍しそうに使用人たちが集まって、言葉を交錯させる。
「遠路はるばるよくきたな。長い付き合いになるだろうし、よろしくな」「わからないことがあったらなんでも聞いてくれよ」「自分の家だと思ってちょうだいね」「リーク。うちの領主様は凄えぞ。べっぴんだし、強いし、頭がいい!」
「はいはい、お客様に特別メニューだよ」
食堂のおばちゃんが、ブロッコリーを山盛りのせたサラダを持ってきてくれる。
「おいおい、リークは食べ盛りだぞ。野菜じゃなくて肉を持ってきてやれよ」
凄くフランクな従業員たちだ。というか、屋敷の中でこんなふうに朝食を取らせているのが驚きだ。俺の実家だと、使用人は朝食を食べてから出勤してくる。昼食などは食堂を使わせているが、マナー良く食べている。けど、ここはレストランみたいだ。
こういう関係をつくった領主に興味が出てきた。世間での評判は悪いが、使用人たちを見ていると、そんなふうには思えなかった。
「そういえば、領主様はどこにおられるのですか? まだお会いできていないのですが」
貴族なのだが、俺の方が年下だし、丁寧な言葉遣いをしておく。
「領主様なら、さっき出て行ったぜ。ここからちょいと東に行くとグランガラ山ってのがあるんだ。朝は、だいたいそこでトレーニングしてるよ」
グランガラ山か。やることもないし、ちょっと行ってみるかな。
「行くってんなら、護衛を用意するぜ。あの辺りは、結構強い魔物が出るんだ。領主様の大切なお客様に何かあったら大変だからな」
「大丈夫ですよ。これでも魔法が使えますから」
☆
グランガラ山は、屋敷から馬で20分ぐらい。食後の運動にはちょうど良い。ちなみに乗馬って楽そうに見えるが、それなりに運動になるのだ。
麓の森に入って少し行くと、開けた場所に出る。馬から降りて見上げると、切り立った崖がそびえていた。あまり人が近づくような場所ではない。たまに、薬草や鉱石を採取しに冒険者が足を運ぶぐらいらしい。
「この辺りって聞いたんだが……」
――ふと、背後の茂みが揺れ動く。
「ん?」
噂の領主様かと思ったのだが――現れたのは、巨大な単眼の熊であった。俺を見るや、二本足で立ち上がり「グガァッ!」と威嚇してくる。ビリビリと大気を震わせるほどの咆哮が、俺の前髪を揺らした。俺は、涼しげに熊を眺める。
「なんだっけ? サイクロプス・グリズリーだっけか。凶暴な魔物も生息してるんだな。たしかに、いいトレーニングにはなりそうだけど」
グリズリーの瞳がぎらついている。明らかに俺のことを敵視しているようだ。見逃しては……くれないだろうなぁ。
「やれやれ、ちょっと身体を動かすか」
ぐるぐると肩を回す俺。グリズリーが姿勢を低くする。そして、砂煙をあげながら突進してきた。
「魔法を使うまでもないかな」
その時だった。崖の上から『人間』が降ってきた。そいつは、空中で体躯をひねり、グリズリーの背中にかかと落としを食らわせる。
「グガァッ!」
クレーターができんばかりに叩きつけられるグリズリー。人間の方は軽く跳躍して、軽やかに大地へと降り立った。
「大丈夫か?」
優しくも凜々しい言葉を『彼女』は紡いだ。
猫目――いや、アーモンドアイとすら評する美しき瞳が特徴的だった。吸い込まれるような深いエメラルド色の綺麗な目だ。髪は磨かれたインゴットのように美しい黄金。ほんのりわずかに笑んでいる口元からは八重歯が覗いている。半袖の詰め襟に服に動きやすそうなズボン。しかも、あれだけの身体能力を誇っていながら、身体はスラリとスポーディだった。
風格――佇まいから、噂の領主様だと理解する。一見して、勇ましく凜々しき女性。しかし、漂うオーラはまるで獅子。王のような雰囲気を纏っていた。
「ありがとうございます。助かりました」
「ふむ……? 随分と落ち着いているな。その様子だと、助けるまでもなかったか」
一瞬で見抜かれる。観察眼も相当なものだ。
「グゴァ……ガァアァァァッ!」
まだ息があったらしい。グリズリーが、ふらふらになりながらも起き上がる。そして射殺さんばかりに彼女を睨みつけた。
「少し待っていてくれ。すぐにこいつを片づける」
爪を振り下ろすサイクロプス・グリズリー。彼女はその一撃を素手で受け止める。微動だにしない。そして、お返しとばかりに拳を腹部へ。瞬間、グリズリーが派手に吹っ飛んだ。背後にあった木を何本もなぎ倒し、森の奥――さらに奥へと消えていく。
強い。肉体だけなら、俺が見た人間の中でもトップクラスだろう。しかも、これで強化魔法を使っていないというのなら、驚きである。
「やれやれ。魔王がいなくなったというのに、魔物の数は一向に減らんな。――で、おまえは誰だ?」
俺は、恭しくお辞儀をする。
「ラーズイッド伯爵の嫡男。リークともうします。――あなたがシルバリオル家の領主、テスラ様ですね」
「おお! おまえがリークかぁ!」
俺の名前を聞くや、嬉しそうに両手を広げるテスラ様。そのまま俺を抱きしめる。うおおお、めっちゃ柔らかい。胸だけじゃなく、腕とかも柔らかい。魔物を一撃で吹っ飛ばす筋肉を持っているはずなのに、めっちゃ柔らかい!
「昨日は会うことができなくて、すまなかった。歓迎するぞ、リーク」
「こ、こちらこそ、お会いすることができて光栄です」
彼女の腕から解放される。そして、改めて正式に挨拶をされる。
「テスラ・シルバリオルだ。これから2年。おまえを預かることになった。おまえの父・バシーク卿から話は聞いていると思うが、よろしく頼むぞ。私のことは、姉だと思ってくれ」
「ええ、よろしくお願いします。それにしても――」
俺は、サイクロプス・グリズリーが吹っ飛ばされた方を見る。
「――強いんですね」
言うと、テスラは八重歯を見せて、にっと笑った。
「うむ。民を守るためには、力が必要だからな。領主のたしなみである。しかし、おまえも強いのだろう。バシーク卿からも聞いている。ラーズイッド家始まって以来の天才だとな」
親父の奴、余計なこと言いやがって。っていうか、魔法の苦手な上級貴族様に、そんなことを言ったら、嫌味だって思わなかったのだろうか。この人、シルバンティアの領主だぞ。町とか村とか、いっぱい治めている偉い人なんだぞ。
「親の欲目ですよ」
「嘘を言うな。瞳が語っているぞ」
テスラは、嬉しそうに言った。
「――自信に満ちたいい目をしている。熊に襲われた時も動じていなかった。私が熊を叩きのめしたのにも驚いていなかった。抱きしめた時も物怖じしていなかったし、筋肉の付き方から、相当のポテンシャルを感じ取った」
凄いなこの人。普通、貴族というのは生来の魔力と才能に守られているので、高慢になりがちだ。ゆえに、あまり他人――特に下のものに対しては興味を持たない。だから、観察眼というものが鈍いのだけど、この人はちゃんと見ている。これまで出会った貴族とは明らかに違う。
「さて、バシーク卿からは、おまえが立派な領主になるよう鍛えてくれと言われているが……どうだ? 実際、おまえには、その気があるか?」
「もちろんですけど……?」
貴族として生まれてきたからには、民のために働きたいと思っている。親父やお袋のためでもある。ゆえに、他家のやり方を学び、それなりに立派な領主にならなければならないと、一応は思っている。
「私は、家柄よりも個人を尊重する主義だ。もし、おまえにその気がないのなら、帰してやってもいいと思っていた。……いるのだよ。親に振り回される子供がな」
「父の言いつけには違いありませんが、俺も納得した上で、お仕えに参りました」
「そうか。ならば、いろいろと仕事を手伝ってもらうことになるだろう。頼りにしているぞ、リーク」
「はい。なんなりと」
この人から学ぶ、か。悪い噂が流れているが、屋敷の人たちも明るかったし、悪い人ではないのだろう。いや、むしろ気持ちのいい人だ。美人だし。
「――では、早速だが……訓練に付き合ってもらおうか」
「はい?」
「強いのだろう? ラーズイッド家始まって以来の天才なのだろう?」
笑みを浮かべて、拳を突き出してくる。なにこれ? 手合わせをしろってこと?
「まさか、テスラ様と一戦交えるなど――」
実戦訓練なんて嫌だ。怪我させたら、このあとの2年間を気まずい思いで過ごさなくちゃならないじゃないか!
「怖いか? いや、怖がっているようには見えないな。はは、まさか私を怪我させるのではないかと心配しているのか?」
テスラは小石を拾い、それを親指で弾いた。俺の顔近くを通過して背後の木にぶち当たる。まるで弾丸みたいに早かった。
「目で追ったな。ちゃんと見えているようだな」
うん、見ちゃった。小石の軌道をガッツリ見ちゃったよ。この人、超意地悪だ。観察眼がハンパない。たぶん隠し事とか通用しないんだろうな。これが優秀な領主という奴だろうか。
「わかりましたよ。訓練に付き合えばいいんでしょう。けど、手加減はしてくださいよ」
そう言うと、空気が変わった。テスラは嬉しそうだった。たぶん、戦うことが好きなタイプなのだろう。正直、俺にはわからない。争いの何が楽しいのだろうか。いや、彼女の場合、ちょうどいい訓練相手が現れて喜んでいるだけかな。
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