閑話③

第75話 スワローの始まりは(前)

 鏡野ゆう様「貴方は翼を失くさない」の榎本雄介さんと、アグレッサー所属の但馬さん、「シャウトの仕方ない日常」の影山さん、葛城さんが出ております。

 沖田千斗星が隊長としてブルーインパルスのメンバーとして率いているのが、影山さんと葛城さんです。ご許可いただきありがとうございました。


 千斗星視点となります。


 ――・――・――・――・――・――・――


 松島に戻ってきてから一年が経ち、なんとなく隊長業が身に染み込んできたこの頃。やっぱり俺、向いてないよなって心のどこかで未だに思っている。正直俺は対外的に熱い男でもなければ、愛想がいいわけでもない。任務は淡々とこなし、悪い部分は躊躇いなく指摘できる。それが部下たちから慕われているのかいまいち疑問だ。

 そしてなぜか昔から、ブルーインパルスのクルーたちは個性が強い。でもそのお蔭だろうか、日々の訓練に飽きることはなかった。


『飛びたないわー』


 毎朝この声を聞かない日はない。

 5番機に乗る影山三佐だ。その相棒の6番機に葛城二尉が正式に決まった。展示デビューも無事に終わり、一年の半分は彼に任せても問題はない。そろそろ昇任もするだろう。その葛城が6番機並に上手く操っているのが5番機の影山だ。


『ほんま飛びたないねん。イヤやねん』

『はいはい。今日もおにぎりおいしそうですね』

『嫁ちゃんお手製のツナマヨやで。やらへんぞ』

『いりませんよ』

『なんや葛城くん! つれないわー』


 これが空に上がると、みんなを圧巻させるんだからな。人は見かけと話し方によらないってことを学んだ。

 関西弁って強烈すぎるだろ……。


「千斗星、お待たせー。顔ニヤけてるよ?」

「ニヤけてないだろ。それより星羽は寝たのか」

「寝たくなーいって、言ってるそばから寝ちゃった。ふふっ」

「そうか。じゃあ、見るか」

「うんっ」


 これは我が家の週末の恒例で、休暇の前日の晩は天衣と一緒にDVDを見ることになっている。見るものも決まっていて、何度も見ているのに天衣は文句を言わない。


 ―― 榎本雄介 アグレッサーin新田原


 俺が憧れて止まない榎本司令の若かりし日の姿であり、事故で片脚を失う前の映像だ。外に出まわっていない身内しか持っていないものだ。もちろんダビングして別に保存してある。


「榎本司令の機動は何回見てもすごいよね。管制の立場から見てもそう思うんだもの」

「司令は機体が自分の体のように飛ぶんだ。風を斬るというよりは、身に纏って味方にしているって言ったら分かるか?」

「うーん。千斗星もそんな感じがするけどなぁ」

「ははっ。俺なんてぜんぜん及ばないよ」


 あの頃の榎本司令に俺は届いていない。いや、もう届かないかもしれないな。俺がアグレッサーではなく、ブルーにいることがそういうことなんだよ。


「ハイレート! かっこいいねー」


 俺の中で最高のイーグルドライバーだ。オヤジとはまた違う、本物の戦闘機乗りファイターの一人だって思っている。




 **



 月曜日はどの曜日よりも早く出勤することにしている。土日休んだ分、感覚を取り戻したいのもある。それに全員の機体を確認したいのと、いつも早くから頑張ってくれている整備士キーパーたちの様子も気になるからだ。

 隊長という職務がそうさせているんだろうか。こういうのを昔の俺が見たら、気持ち悪いって言うだろうな。そんなことを考えながらハンガーに向かっていると、いつもの声がする。

 しかし、いつものアレじゃない、T-4の鼻先に向かってなにやらモニョモニョと言っている。何やってるんだ、あいつ。


「おい、5番機に何かあったのか」

「おはようございます隊長。あ、見てください。猫が乗っているので飛べませんわ。残念やなぁ」


 ほう、そう来たか。


「猫がなんだって? よっと。毛がついてたらはらっておけよ」

「えーー」


 俺はどこからか入り込んだらしい猫の両脇を持ち上げて、警務隊に引き渡すためにハンガーから遠ざかる。その後ろで「なんでおとなしゅう、捕まっとんねん」というボヤキが聞こえた。


「まったく、よく毎日あれこれと理由をつけられるもんだ」


 5番機はソロを担う花形のポジションだ。6番機と組んでアクロバット飛行を魅せる、腕のいいパイロットだぞ。それが毎回、ぼやくんだ。飛びたくないだの、雨になればいいだのと。

 そのくせ滑走を始めたら優れた才能を発揮する非常に珍しいタイプなんだよ。


「あいつを見ていると飽きないよ」


 しかしこの猫、大人しいな。暴れもしないされるがまま、でろーんとぶら下がっているんだが。

 腹が減って動けないのか? 隅に下ろして撫でてやると喉をゴロゴロ鳴らし始めた。


(くっそ……かわいいな)


「うわっ! びっくりしたぁ。何やってるんだよ沖田。て、猫? え、なんで猫がいるんだよ」


 猫を撫でていると事務室から出てきたらしい青井統括班長がひっくり返った声を出した。こいつも変わらないな。優秀な整備士なんだが、出世したらそれどころじゃないらしい。


「5番機の鼻先に居座ってた」

「マジか……どこから入ってきたんだろ。上に知られたらまずいな。糞とかしてないよな! 機体にひっかき傷とか! あ! まさかそいつ子連れとかじゃないよな!」


 青井の管理者の立場を考えると確かにまずいな。とりあえず俺は猫をころんと転がして腹を見た。


「大丈夫だ。オスだな」

「この忙しいときに、あああ」

「何か急な展示でも入ったのか? 書類、いつもより多いな」

「展示ならまだいいさ! なんか急に小松っ……あー、あー、なんか偉いさんが飛んでくるらしくてね」

「なんで青井が手続きするんだよ。まさかブルーに乗るっていう取材か。頼むから俺の任期が終わってからにしてくれよ」


 青井がパクパク口を開けたり閉じたりして、非常に困っているのが分かった。まだ、言えないってことらしい。


「まさか、オヤジじゃないよな」

「ち、違う……」

「ならいいや。こいつを預けてくるわ」

「おう! 隊長、宜しくな! じゃあな!」


 助かったと言わんばかりに青井は走って行ってしまった。


「変なやつだな。さてと、行くか? 猫さんよ」


 ニャァァン……スリッ


(くそ……今日は俺が飛びたくないな)




 **



 そして厳しい寒さがひと段落ついた頃、塚田司令からお呼びがかかった。最近いろいろと展示飛行のことで揉めていたからその事かもしれないな。


「沖田二等空佐、入ります!」


 自衛官になってから、いや、なる前からこういった批判や抗議、お咎めはあった。オヤジも幾度となく頭を抱えていたのを思い出す。仕方のないことだ。全国民が快く俺たちを受け入れるなんてことは不可能だからな。

 そんなふうに構えていたら、それ以上に驚く内容だった。

 正直、顎が外れるかと思った。マジで……。


「はあ⁉︎ 今、なんと? 自分の耳はおかしくなったのでしょうか。もう一度、お願いします!」


 塚田司令がニヤニヤしながら言った内容があまりにも想像を超えてたせいで、変な声が出た。


「沖田もそんな声が出るのか。ふははっ! すっかり人間らしくなったじゃないか」

「そんな、それではまるで以前は人間じゃなかったような言い方ですね」

「あの頃はツンとしていて、広報としてひやひやしたもんだよ。で、そういう事だから頼むよ。任せられるのはやっぱり沖田しかいないんでね。で、管制は天衣さんを入れるように組んであるから安心して飛びたまえ」

「あ、天衣もですか!」


 どういう事だ! なんで急にこんな展開になったんだ。


「急で申し訳ないね」


 明日! 榎本司令が、来る!





 朝から俺たち夫婦は緊張していた。星羽を保育園に送り笑顔で別れたもののぎこちなさは隠せなかった。「パパ? お顔大丈夫?」と心配されるくらいにだ。天衣は天衣で、気象隊と打ち合わせするからといつもより一時間も早く出ていった。

 フライトは午後なんだよな。一日がすげぇ長く感じる。


(たしか、但馬が乗せてくるって言ってたな……。松島にアグレッサーのイーグルが降りてくるとか、周りは大騒ぎだな)


 基地につくといつものように訓練用のフライトスーツを着るんだが、今日は違った。ロッカーの前には皺一つない、展示用のブルーのフライトスーツが掛けられてある。


(午後はこれを着ろってことか……)


「隊長! なんで、展示用のものがかかっているんでしょうか」

「プリブリーフィングで話す。とりあえず午前中は普段通りだ」

「はい」


 こんな時に影山が言う「飛びたないわー。ほんまイヤやねん」が妙に和む。いつも通りのメンバーに囲まれて安心するとか、俺も本気でやきが回ったな。


「と言うわけだ。よろしく頼む」


 話をすると全員の表情が引き締まった。それもそのはず、ここにいるパイロットたちは元々は戦闘機乗りだ。各地の基地でアグレッサーに追い回された連中だ。俺が言わんとすることが伝わったらしい。


 こうしてファーストの洋上訓練はいつもと違う緊張感に包まれて無事に終わった。


「緊張して昼飯入らへんわ……(もぐもぐ)」


 そう言いながら嫁から持たされたおにぎりを食べる影山。俺はおまえが羨ましいよ。味のしない昼飯を食堂で掻き込んで、一足先にエプロンに出た。

 そろそろお出ましの時間になるからだ。


 俺は西の空を見上げながら、天衣との会話を思い出す。


『ねえ、千斗星。榎本司令のことをいつ知ったの? 私よりもずっと前から知っていたんでしょう?』


 夕べ、天衣からそう聞かれた。

 俺が榎本雄介という人を知ったのは、高校受験を控えていた頃だ。オヤジはいつも忙しくて大した親子の会話はなかった。

 でも月に一度、オヤジが俺の部屋に置いていくものがあった。防衛省監修の航空雑誌だった。母はときどき「千斗星も飛人たかひとさんと同じパイロットになると思うのよね」と言っていが、オヤジは俺のすることに口出しなんてしてこなかった。

 そんなオヤジがあの雑誌だけは毎月持ってくるんだ。今思えば知らぬうちにすり込まれていたんだろうな。ある月のその雑誌に、アグレッサーの特集があった。若くしてアグレッサーに引き抜かれた隊員として紹介されていたのが、当時の榎本雄介二等空尉だ。そして一緒に置かれたビデオテープ。


『ねえ千斗星。そのビデオテープ、もう見れないの?』


 残念ながら見すぎてすり切れてしまったんだよな。けど、俺の中には鮮明に残っている彼のフライト。そしてインタビューの最後にこう書いてあった。


 ―― 他人からひねくれ者だと言われたなら、それは褒め言葉だと思っています。自分の使命は空自パイロットの戦術の向上に努めることですから。仮想敵アグレッサーは嫌われてこそ価値が上がるのです。


『ねえ、千斗星。どんな気持ちだった?』


 どんな気持ちかなんて考えたことはなかった。ただ心臓を撃ち抜かれたような、そんな衝撃だった。


 そうだな、言うなら……、一目惚れってやつだな。天衣には言わなかったけどな。


 ゴーッとジェット音が近づいてきた。小松のコブラの到着だ。俺は自然とそれに向かって敬礼をしていた。


 俺を空に導いたあの人へ。

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