閑話②

第67話 憧れの大先輩は大天使!

「ねえ。榎本三佐にお呼ばれしちゃったんだけど、千斗星も行くよね!」


 家に帰ってきてすぐに天衣から耳を疑う言葉を聞いた。


 ―― 榎本三佐って榎本司令の奥様だろ⁉︎ 


 そんな雲の上の人と天衣が繋がっていることに、驚きと同時に疑問が湧き上がった。まさか、俺が知らないところで榎本司令とも連絡取っていたりするのだろうか。天衣は要撃管制だが、今は勤務地の関係で通常の管制任務をやっている。

 榎本三佐は小牧基地第一輸送航空隊の所属だ。天衣と管制でのやり取りが発展してこんな話になったと言われてもおかしくはない。


 ―― それともオヤジが絡んでいるのか?


「榎本三佐にお呼ばれしたってどういう事だ。説明してくれ。もしかして俺の聞き違いか」

「違わないよ? 千斗星が那覇でお世話になった榎本ちはる三佐で間違いないよ」

「待て、天衣は榎本三佐と交流があるのか? お呼ばれって、自宅は確か小牧だろ。まさか、司令がいらっしゃる小松の方か!」

「千斗星、落ち着いて」


 天衣に落ち着けって言われる日が来るとは思わなかった。なぜこんなにたかぶっているのか、その理由を知っているだろう天衣にだって直接は言えない。


 ―― 榎本司令に俺がどれほど憧れているかなんて、絶対に!


「落ち着いているさ。いつそんなお呼ばれするような仲になったんだよ。天衣のことだから自分から言ったわけじゃないだろう?」

「まさかっ。私から言えるわけ、ないじゃない」


 天衣が言うには、目黒の幹部学校で幹部普通課程を受けている時に榎本三佐と何度か会ったらしい。任務で横田基地に来たついでに寄ったのだと本人は仰っていたらしいが、現役女性機長という立場を考えると、教官たちはここぞとばかりに理由をつけてつかまえていたに違いない。

 未来の幹部たちを刺激するために。


「特別講義の時に、実は私もパイロットになりたかったんですって、話をしたのがきっかけなの。ちはるさんは戦闘機乗りじゃないけれど、私の気持ちはよく分かるって言ってくださって。いつの間にかうちに来なさいって」

「女同士って分かんないな。どうやったらそうなるんだよ」

「え? やっぱり失礼かな。お断りした方がいいかな! ねえ、どうしよう」


 天衣は急に青ざめて焦り始めた。そんな天衣を見て、なぜか俺のほうが焦る。今さら断る方が失礼だし、日程まで決まっているならそのご厚意に預かるべきじゃないかなんて力説してしまった。

 どんだけだよって、自分にかなり突っ込んだ。


「じゃあ、千斗星も休暇申請してね。榎本司令も帰ってこられるみたいだから」

「お、おう」



 ◇ ◇ ◇

 


 いつぶりだろう。家族旅行をするなんて。

 もしかしたら三人でのお泊り旅行は初めてかもしれない。榎本夫妻のお呼ばれがきっかけで週末のプチ旅行が実現した。千斗星はアラート任務と飛行訓練で緊張の日々を送っているし、星羽には我慢をさせっぱなしだったから本当に嬉しい。

 二人とも楽しんでくれるといいけれど。

 当時、小牧基地で要撃管制官になるために訓練をしていた私は築城に向かう千斗星をこの新幹線のホームから見送った。まさか親子三人でこのホームに降りる日が来るなんて、あの頃の私は夢にも思っていなかったな。


「懐かしいね」

「懐かしいな」

「ママ。なつかしいて、なぁに?」

「ん? そうだなぁ、ずっと前にも来たことがあってね。その時のことを思い出したの。また来れてよかったなって気持ちかな」

「ふぅん」


 なんでも聞きたがる星羽には説明が難しい。甘酸っぱい想い出が詰まった街はあの頃と変わらない。千斗星はどんなふうに感じているのだろう。


 今夜は榎本家でお夕飯を頂いて、市内のホテルに泊まることになっている。私たちは荷物を置くために先にホテルにチェックインをすることにした。そして榎本夫妻への手土産と娘さんへのお土産をもう一度確認する。

 たしか一番上の息子さんは防衛大学生で、その下の息子さんは航空学生を目指しているのだとか。さすがお二人の血をひいた優秀なお子さんたち。末の娘さんはまだ小学生だというけれど、私の勝手な予想では彼女もその道へ進みそう。そんなことを千斗星と話しながら、私達は榎本家へ向かった。


「緊張するね」

「緊張するな」

「キンチョーするぅ!」


 一人だけ緊張を知らないちびっ子はさて置いて、私たちは約束の時間が少し過ぎた頃をみはからって榎本家にやってきた。

 勢いで来ちゃったような感じがして、ここに来て初めて心臓がとても煩いことに気付く。

 ちはるさんだけならまだしも、小松基地の榎本司令までいらっしゃるんだと思うとなんだか息苦しい。千斗星は大丈夫だろうか。余計なお世話と知りつつ、ちらりと横顔を確認した。星羽と手を繋いだ千斗星はとくに普段と変わりはなさそう。

 精神の鍛え方が違うしねなんて、変な独り言を心の中で言う。


 ピンポーン♪


「はーい。どうぞー」


 笑っちゃうくらい緊張した私は、うまく「おじゃまします」が言えず「おじゃまんしまふ」って噛んでしまった。

 なのに、それを聞いても、真顔で立っていた千斗星の顔を私は一生忘れない!


 立派なエントランスを構えるマンションに夫妻の自宅はあった。

 ちはるさんが以前、小牧から移動する可能性はほとんどないと言っていた。それを聞いてちょっとだけ羨ましいなと思った。私たちは陸の方々よりは忙しく異動することはないけれど、それでも退官するまでは基地から基地へと頻繁に動くもの。


「いらっしゃい! 待ってたわよ」

「本日はお招きいただきまして、ありがとございます。妻が大変お世話になったと聞きました」

「いいの、いいの。さあ上がって」


 部屋に入るとすぐ、お夕飯のいい匂いに包まれた。リビングにはたくさんの料理が並べられている。既に席につかれていた榎本司令に挨拶をすると、私達は促されるまま席についた。

 今夜の料理はお二人で作られたそうだ。自衛官なら生きていくための基本的なことは全部自分でできる。でも、司令にまで上り詰めたお偉い方が、今もこうしてキッチンに立たれるのは珍しいのではないかと思う。

 共働きとはいっても、家庭内がうまくいってないとできないことだもの。そんな親の緊張も知らず、娘の星羽だけはすぐに馴染み、夫妻の娘さんと隣の部屋で遊び初めてしまった。兄妹がいない星羽にとっては嬉しくて楽しくて仕方がないみたい。

 兄妹、やっぱりいたほうがいいのかな......。




 俺は今、いつもの俺でいられているのか。星羽の喜ぶ声と、天衣と榎本三佐の話声が遠くで聞こえている。目の前には飛行教導隊司令の榎本一佐が座っている。こんなに接近したのはあの百里基地での合同訓練以来だ。


 ―― やばいな、全然味がしない……


 アラート待機中もスクランブルがかかっても冷静でいられたはずの俺の心臓は、耳を手で覆った時のように体内で響いていた。

 決して早いわけではないのに、一拍一拍がとてつもなく大きい。まるでイーグルのコックピットの中で空間識失調バーティゴを起こしかけているような感覚だ。


 ―― こんなところでバーティゴかよ、マジでありえないからさ!


「沖田も料理、するんだろ?」

「は、はいっ。妻が、訓練などで不在の時はひと通りやります」

「聞くところによると、元気なおじいちゃんが飛んでくるらしいじゃないか」

「まだ、返納する気はないようです」

「上が元気なのは良いことだな。うちの機長殿もずっと飛んでいたいそうだ」

「奥様にはまだまだ、現役でお願いしたいところです」


 俺は今、どんな顔をしているのか。

 ふと、移した視線の先に大きなテレビラックがあった。その上に置かれたテレビは我が家よりも大きな型で、これで飛行シーンを見れたならかなりの迫力だろうと思った。

 うちにある榎本司令のあの映像をこのサイズで見たら最高だろうな。そう思ったとき、俺の目に衝撃的な文字が飛び込んできた。


「――はっ!」


 テレビラックのガラス扉の向こうに、DVDが並んであった。ディズニー映画に混じってそれは異色の雰囲気を放っている。


【榎本雄介アグ1 新田原】


 アグはアグレッサーだろう。

 新田原は前にアグレッサー部隊が置かれていた基地だ。俺が築城でアラート任務をしていたときはまだ新田原にあった。

 司令がアグレッサーで新田原にいた頃の映像ということは、司令がイーグルライダーとして活躍していた時の初期のやつではないかと思う。


 ―― まさかその映像が残っているというのか⁉︎


 急に心臓が煩く騒ぎ始め、その音が聞こえるのではないかと焦った。手に妙な汗が滲む。俺は必死で落ち着こうと、何か話題を探した。

 しかし、無理に探そうとしても何も思いつかない。天衣と三佐の会話にただ聞いてるふうを装って微笑むことしかできない。俺は気持ちを切り替えるために、星羽のトイレを理由に席を立つことにした。


「星羽、そろそろトイレに行っていたほうがいいぞ。お借りしても宜しいでしょうか」

「ああ。玄関に向かって左側だ。わかるか」


 榎本司令が立ち上がろうとしたのを俺は慌てて制した。幸い星羽は大人しく俺に従ってくれた。後ろで「沖田くんもいいパパね」と言う三佐の声がした。


 ―― ふぅ……、落ち着けって。本人ならそういう映像を持っていてもおかしくはないだろ。



 

 千斗星が星羽を連れてトイレに立ってすぐ、ちはるさんがなぜか小声で司令と話を始めた。


「ねえ、あのDVDなんだけど、優さんにお願いしたらダビング可能かしら」

「まあ本職だからな、出来るんじゃないのか。でも無理強いはやめておけよ。あれは彼女の好意なんだからな。でもなんで急に」

「ほら、予備を作っておかないといつ壊れるかわからないなって。ひなたがね、貴方が居ない夜によく見てるのよ。だから」

「おまえたちは壊れるまで観るつもりなのか」

「それだけ愛されているってことでしょう?」

「そういうことにしておくよ」


 私はその会話を聞いてテレビラックの下にあるDVDを見た。司令が新田原で飛んでいた頃の映像が収められているものだとすぐに分かった。

 千斗星が見たら、どんな反応をするのだろう。千斗星はどうみても榎本司令に憧れている。だって、どこかで手に入れた司令の教導中の映像を、夜中に見ていたんだから。私は知っているけれど、本人が言わないから黙っているだけ。


「もしかして、榎本司令のアグレッサー時代の物ですか?」


 気が付いたら私は、その会話の中に割り込んでいた。しまった! と思ったけれど、もう引っ込みがつかない。


「そうなの。雄介さんの現役時代の映像よ」

「映像が残っているなんてすごいですね。娘さんのパパかっこいいが聞こえて来そうです」

「星羽ちゃんは飛んでる姿が見られるんだから。パパのいいところを貴方が教えてあげてね」

「はい」


 榎本司令はもうイーグルには乗れない。だからあの映像の価値を計る事のできない何物にも代えられない榎本家の宝物なんだと思った。私も、もっとちゃんと星羽に千斗星のことを教えてあげなくちゃ。万が一は誰にでもあり得る。特に、操縦桿というものを握っている者たちには。



 ◇



 美味しい夕飯をご馳走になり、私たちは遅くならないうちにホテルに戻ることにした。星羽は嫌だと駄々をこねたけれど、ちはるさんの「またいらっしゃい」の言葉に泣きながらも納得してくれた。

 私達三人は榎本ご夫妻に頭を下げ、彼らのマンションをあとにした。

 マンションを出ると、星羽はすぐに眠いと言い始め、それを聞いた千斗星がおいでと言って彼女を背負った。そんな二人の背中を見ると、元気でいられることに感謝をしなければと思う。

 誰が欠けてもダメ。領空侵犯措置で千斗星を見失いそうになったことも、出産で生死をさまよったことも忘れてはいけない。ちはるさんのご主人を支える姿、さりげない優しさを私はこれからもお手本にしたいと思う。

 ちはるさんもあの時は、死ぬほど怖かったと思うから。

 

 その時、私のスマホが鳴った。誰だろうと画面をみると榎本ちはる三佐と言う文字。


「もしもし! 先ほどはありがとうございました。何か、ありましたか?」

「ううん、違うの。ちょっと声、抑えてもらえるかしら」

「はい」


 私はちはるさんが言った言葉にニヤケる顔を抑えられなくなる。だって――!


『あのDVD、一枚多めにダビングしてもらうから。沖田くんに、給油代わりにあげてちょうだい』


 ちはるさん! 本当に天使! 大天使ぃ!

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