第51話 ホットスクランブル
私の那覇要撃管制での任務が始まった。
ここは一般の旅客機も離発着をするので、スクランブルのことばかりに囚われていては大きな事故に繋がる。那覇空港の管制塔とも上手く連携を取らなければならない。スクランブルが起きれば、旅客機の間をすり抜けて飛び立つ事になる。滑走路は違えど、隣と言っていいほど基地と空港は並んでいた。
私はというと、この仕事に慣れたといえば慣れたし、慣れていないといえば慣れていない。そんな曖昧な状態だった。
慣れっこになるのは危険だから、慣れないように意識している部分もある。
勤務が終わればどっと疲れがでて、初めの頃は家の玄関に座り込んだまましばらく動かなかったものだ。
「では、これより本日アラート待機するパイロットたちとブリーフィングに入る。現時点でのスクランブルの内容も確認する」
「はい」
昨日から二十四時間のアラート待機に入っている隊員たちの任務が終わる前に、新たに任務に就く者たちが会議室に集まりブリーフィングをする。パイロット、整備員、管制官、気象隊などの面々が揃う貴重な時間だ。
一日に何度、スクランブルが起きるか分からないためパイロットの人数も他の基地より多い。
航空自衛隊は不明機一機に対して二機で出動する。もし、相手が二機ならば、こちらは四機出すことになる。
そうなると、次のスクランブルに備えてアーミングエリアで待機中の機体までもアラート任務に備えて整備しなければならなくなることもある。
様々なケースを考えて、それぞれが任務に就いているのだ。
「何度も言うが、情報共有を徹底してくれ! 間違いは絶対に起こしてはならない」
「はい!」
とにかく私はメモをとることに必死だった。気象隊から説明される予報、整備士からの機体の状況など詰め込む事がたくさんあった。
「沖田、メモに集中するな。頭の中でペンを動かせ。ここでは誰も待ってはくれない」
「すみません」
そっと、先輩が教えてくださった。確かに書き留める前に話はどんどん進む。要点だけを頭に残す事が大事だ。
「気象隊より、一つ。本日は濃い雲が所々に見受けられます。可能な限り雲の中への進入は避けてください」
「了解!」
気象隊が懸念している事はパイロットの操縦に影響を及ぼすかもしれない事。我々が一番恐れている事、それは【バーティゴ】空間識失調と言う症状だ。夜間飛行時、天候などで視界が不良になると、自分の姿勢、機体の上下が分からなくなる。これに陥ると命の保証がなくなってしまう。
もっとも訓練を重ね強靭な精神を持っている者であれば、回避することも可能だ。
「沖田。気象隊が危惧している事はなんだ」
「はい。バーティゴ、です」
「そうだ。F-15は一人乗りで、後部にウイングマンはいない。少しでも異変を感じたら警告するんだ。計器を信じろ、とな」
「はい。クロスチェックですね」
「そうだ」
機内にはたくさんの計器が搭載されてある。バーティゴかもしれないと思った時、一つだけの計器に頼るのは危険だ。水平、高度、速度、燃料などから自分の陥っている状況を把握する必要がある。
「ベテランになればなるほど、陥りやすい。自分の感覚を優先してしまうからな」
「はい」
実際、バーティゴに陥って助かった者は無いに等しい。バーティゴの入り口で止めなければならないのだ。
人間は目からの情報に頼っている。一旦失ってしまった感覚を呼び戻すことは不可能だ。だからこそ、自身が乗っている機体の計器を一心に信じるしか方法はない。しかし、自分の脳が感じ取った事を、間違っていると修正する事は非常に困難であった。
千斗星も経験があるのだろうか。パイロットならば、殆どの人がその恐怖の扉をノックした事があると聞くけれど。
「では、明朝まで宜しく頼む!」
「はいっ!」
私が勤務する時、千斗星は休みか訓練に入っており、アラート待機をする事はほぼない。家族間の感情が任務に支障をきたさないようにとの配慮だった。
分かっていても抑えられない感情が、瞬時の判断を狂わせる事があるからだ。
しかし、冷静にいられないのは人間である証拠だと上官は言う。
「沖田、君の声が彼らの命の手綱を握っているんだ」
私がパイロットたちの命を握っている。ブルっと体が震えた。実際にパイロットたちを目の前にすると、とてつもないプレッシャーが襲ってくる。
彼らの背後には恋人や家族が待っている。必ず無事に帰してあげなければならないからだ。
私に千斗星という夫が有るように、彼らにも愛する人たちが待っている。
「はい。必ず無事に任務を完了させてみせます!」
「頼んだぞ」
会議室から管制室へ移動するとき、窓から戦闘機を格納しているハンガーが見えた。何気に上から覗くと、トーイングカー(機体を牽引する車)に乗った、整備士の青井さんの姿があった。
(確か、千斗星が乗る機体を担当するって聞いた気が……あ、千斗星)
千斗星が
これは妻としての贔屓だから許してほしい。機体の下に潜り込み青井さんと訓練前の点検をしているのだろう。
(私、本当に千斗星と同じ基地で働いているんだ!)
「沖田、こっちだぞ!」
「はい! すぐに参ります!」
いけない、夫に見惚れていたなんて知られたら追い出されてしまう。
私は、ふぅーと息を吐いて気持ちを切替えた。
◇
隊員は交代で二十四時間警戒管制を行う。
与座岳からスクランブルの通達が入ると、私達は即刻ホットスクランブルをアラート待機室へ発令する。
五分待機というランプが着いた部屋に、パイロットと整備士が常駐している。五分待機とは五分以内に発進が可能な状態であるという事だ。彼らが発進した後ランプは消え、次の発進準備が整えられる。
戦闘機を飛ばすのは決して容易ではない。グランドスタッフたちの血と汗滲む働きがあって、この空を護る事が出来るのだ。
―― プルルー、プルルー
「こちら那覇警戒管制」
『スクランブルを要請する』
「了解! ホットスクランブル!」
「ホットスクランブル!」
勤務交代して早々にスクランブル発進が掛かった。識別不明機が現れたのだ。
「管制塔に至急コンタクト、ホットスクランブル」
『了解した。直ちに
室内に緊張が走った。
私たち要撃管制は戦闘機が離陸した後のコントロールをする。それまでは通常の管制官が離陸を誘導する。周辺の機体を退かすと同時に、アラートハンガーからF-15が現れた。
「チャンネルは01だ! 合わせておけよ!」
「はいっ!」
―― 那覇管制塔……002、離陸を許可する
―― アロー01離陸する!
―― アロー03離陸する!
二機がほぼ同時に離陸した。並列して離陸するなんて、さすが八神さん。
「モニターチェックしろ! 位置確認!」
「ラプコン出るぞ! コンタクトチェック」
間違いのないよう、上官の指示を口に出して繰り返しながらパイロットの誘導を行う。
今回私は指示は出さないけれど、気象データと他の旅客機の監視をすることになっている。
「沖田、風は」
「風、280度方向から10ノット」
「よし、問題ないな」
私達はモニターに映る正体不明な機体を追っていた。それは時速1300キロの速度で航行している。旅客機にしては少し早く、戦闘機ならば巡航速度だろう。
「何者だ……?」
モニターを見る上官の顔が険しさを増した。
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