第46話 夜勤明けのお迎え

 十日もすれば会えると支えにして来たけれど、実際は日々の研修と実務の見習い、護身術のトレーニングで忙しく、一日一日が早かった。

 これまでもジョギングや筋トレはしてきたつもりだったけど、現場に来ると精神的な疲れが襲ってくる。復帰してからは自分との闘いが続いていた。

 もう少し体と頭が慣れたら、一日の休みだって千斗星の元に帰れるようになるはず。

 時々、与座から那覇基地行きの連絡機が出ていて、時間が合えば隊員も乗せてくれるらしい。


 とはいえ、こんな感じで那覇に戻れないまま一ヶ月が経とうとしていた。そして私は、いつものように寝る前に、スマホで千斗星からのメッセージを確認していた。


「えっと? 次の休暇?」


 千斗星からのメッセージによると、次の休暇に八神さんの奥様が那覇入りするらしく、私に会いたいと言っているらしい。

 私は冷蔵庫に貼ってある勤務表を確認した。丁度その日は朝勤務が明けて、翌日まで休みになっている。明けてすぐに移動すればお昼前には市内に帰れるはず。


 私は千斗星に、その事をメッセージに打つと翌朝返事が来た。


 ―― 迎えに行く


 たった一言の千斗星らしい簡潔な言葉に頬が緩んた。でも、どうやって迎えに来るのだろう。


「バスに乗って来るのかな? それともヘリコプター? そんな朝早くに着く連絡機はなかった気がするんだけど」


 ―― どうやって来るの?

 ―― 運転して行く


「運転して⁉︎」


 ―― まさか、F-15じゃないよね? 降りられないし、私乗れないよ!

 ―― ばーか(笑)


 出勤時間となってしまったため、メッセージのやり取りはここで終了。運転してくるって、何を運転してくるのよ。

 それよりも、嬉しくて、そわそわして、ふわふわして、顔がだらしなく緩んでしまう。


 早く、会いたい。

 会えると決まったとたん、力が湧いてくるような気がした。


(千斗星に会える!)



 ◇



 明日、七時になれば勤務終了だ。

 申し送りなどしても八時にはここを出られる。ロッカーにはすぐに帰れるように二日分の荷物が入っていた。

 時計を見ると午前二時。いちばん眠気が襲ってくる時間だ。休憩室でコーヒーを淹れていると先輩がやってきた。


「沖田さん、ずいぶん慣れたね」

「ありがとうございます。皆さんのご指導のお陰です」

「いや。どんなに丁寧に指導しても、できない者はできない。向き不向きというものは能力だけではどうにもないもんだよ」

「そうなんですか。私は自分がこの仕事に向いているのか、まだ分からなくて」

「向いている。と、自覚する人は少ないよ。上官になって指導してみて、この子はイケるなんて言いながら、自分の事は分からないしね」


 先輩が言うには、今でもこの特技(職種)が自分に合っているのか分からないらしい。常に悩みながら手探りなのだと。


「でもね、職務中は自分がいちばん優秀だと思っている。要撃機の誘導に迷いはないってね。迷っている時間はパイロットの死期を早める。自信の無いものは管制室に入るべきではないな。我々は空の安全を護ると共に、パイロットの命も護らなければならないんだから」

「はい」


 管制室でのミスコントロールは絶対にゆるされないのだ。

 するとその時、管制室が騒がしくなった。

 レーダーに識別不明の何かが映ったらしい。



「確認できたか!」

「いえ、識別情報ありません!」

「識別情報なし、Unknownアンノン

「Unknown!」


 今夜も容赦なく脅威が迫り来る。航空方面作戦指令所へ素早く連絡すれば、ホットスクランブルの号令がかかる。

 アラート待機中のパイロットが夜空に飛び立つのだ。


(今回も大した事ありませんように!)


 拳を握りしめ心の中で、祈った。



 ◇



 午前七時半。

 体も脳も昨夜のホットスクランブルで覚醒したままだった。少しピリピリした状態のまま、ロッカールームで私服に着替えスマホを確認した。


 ―― 門の前で待っている


「え、早いっ。もう着いてるの!」


 私は落ち着きなくロッカーの鍵を閉め、出口に向かう。途中、補給部隊の隊員とすれ違った。

 軽く敬礼をして脇をすり抜け、基地の表ゲートに着いた。

 門に立つ警務隊にパスを提出し外出許可確認を行った。


「お気をつけて」

「ありがとうございます」


 私は浮足立つ気持ちを必死に抑えて、門の外に急ぎ足で出た。でも、千斗星の姿はない。


(どこに居るのだろう)


 すると、門から少し離れたところから車のクラクションが鳴った。


「あっ、車⁉︎ いつ買ったの?」


 運転席から降りてきたのは紛れもなく千斗星で、当たり前だけど彼も私服姿だった。私はバッグを握り直して、千斗星のもとに駆け寄った。


「千斗星! きゃっ」

「おっ、と。おはよう。熱烈な挨拶だな」

「ごめん。止まれなかった」


 少し下り坂だったせいもあり、勢い余って千斗星の胸に飛び込んでしまった。夜勤明けの体はコントロールし難いからと、心の中で言い訳をしてみる。


「ねえ。車、買ったの?」

「ああ。あっ、ごめん! 勝手に決めて、勝手に買った」


 千斗星はバツが悪そうにそう言った。

 私は買った事を責めた訳ではないけれど、千斗星は私に相談なしに買ってしまった事を申し訳なく思っているみたい。


(なんだか、くすぐったい。千斗星が謝ってる)


「別に責めてないよ? 私の許可なんて要らないから」

「なんでだよ。夫が勝手にデカい買い物したんだぞ。文句言われて当たり前だ」

「だってわたし、千斗星の金銭感覚は信じてるし。デカい買い物っていったって。え? これ、いくらしたの?」


 車の事はよく分からないけれど、千斗星が言うデカい買い物って少し怖い。でも、国産車と言う事は分かる。分かるけど車種も価格も見当がつかない。


「天衣。また眉間にシワよってる……くくっ」

「笑わなないでよ。車のこと、よく知らなくて。スポーツカーぽいぐらいしか」

「ごめん、ごめん。大丈夫、そんなイイやつじゃないし。ほら、乗れよ」


 助手席に乗り込むと、体がシートに沈んでしまった。包み込まれたような感触で、硬さもちょうどよく、夜勤明けの体はすぐに夢の中に落ちてしまいそうだった。


「ふぁ……これいいね」

「分かるのか! 俺、シートにこだわったんだ。コックピットは硬いだろ? 車の中は楽にいたかったんだ」

「そっか。いいのがあって良かったね」


 千斗星が珍しく少し興奮して、車について話してくれる。オートマチックでも良かったけど、操作している感じが欲しくてマニュアル車にしたとか。車高は低過ぎない、高過ぎないとか。ミラーが雨でも曇らない仕様になっている、とか。


「ふふっ。千斗星って、車も好きだったんだ」

「まあな。なんか、恥ずかしいな。俺、はしゃいでる。いい加減出発しろってな」


 私の方を見て笑うその顔は、いつもより幼く見えた。その幼い顔が少しづつ男の顔に変化する。この顔を私は知っている。


「お帰り。天衣」


 見た目より柔らかで潤いのある唇が、そっと私の頬を掠め優しく上唇に触れた。千斗星の匂いが鼻をくすぐって離れていくと、私はそれを追いかけて彼の下唇に触れた。


(わたしだって、こういう事できるんだから)


 千斗星の驚いた目がゆっくりと弧を描き、もう一度、今度はしっかりと唇を重ねた。

 シートが沈んでいるから、きっと外からは見えないはず。心臓が駆け足になるけれど、千斗星の温もりから離れたくなかった。


「今度こそ、出発だ。続きは帰ってからだな」

「うん……」


 微笑む千斗星の顔に私も笑みで返す。一時間もすれば私たちの家に帰り着く。

 やっぱり一緒がいい。


「眠ってろよ。明けだろ? 夜は八神夫妻と食事だから、今のうちに睡眠取っておいたほうがいい」

「うん。でも、まだ眠りたくないの。千斗星の運転、見ていたい」

「は? 初めてじゃないだろ」

「久しぶり過ぎて、初めてと変わらないよ」

「そうかよ」


 千斗星の運転は、松島にいたとき病院に付き合ってもらった時以来だった。あの時はショックの方が大きくて、千斗星の運転する姿をよく覚えていない。


「眠くなったら寝るから」

「おう」


 ハンドルを操る腕、シフトレバーに添えられた手、時々ミラーに移す視線は私にとって最高の景色だ。胸の奥がキュンてなる。


(やっぱり千斗星はカッコいいよ)


 夫に見惚れるなんて、なんて幸せなんだろう。天気が良くて眩しくて、私は瞼をゆっくり閉じた。


(いい夢が見られそう)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る