犬神教授と女子高生葵の京都怪談〜覆う影〜後編

「先生お一人で南禅寺に行きはったんですか?」


 葵は、江戸時代から続く茶房で白玉入り抹茶パフェを味わいながら、目の前に座る犬神教授と語らう。

 抹茶パフェは苦味と甘味のバランスが絶妙である。ミルクのアイスクリームと抹茶アイスの上に抹茶とホワイトチョコレートのパウダーがかけられている。小豆抹茶のババロアと口に含むと残るのは上品な甘さとお茶の清々しい香りが爽やかだ。

 ――犬神教授のいつも傍にいる猫又は、今日は不在だった。


「ふふっ、正確には僕一人と猫又一匹ね。しっかし葵さん、南禅寺の三門は迫力があったよ。高さが20メートルを越えるんでしょう? さすが日本三大門の一つと言われるだけあるね〜。見上げた首が痛くなりましたよ。ついでに足を伸ばして、祇園も少し散策して来ましたが……」

「さては先生、怪異の聴き込み調査して来はったんですか?」


 そこで犬神教授はパクリと抹茶パフェの白玉を口に運んで、にこっと笑った。

 葵は犬神教授の含み笑いには、いつも裏に隠された感情モノがあるのを知っている。


「ある意味聴き込みですかね。確かに当たりをつけたエリアで、ウロウロしている害の無さそうな妖かし達に聴いてみましたよ。あまりはありませんでしたから、今は猫又をはなって『気』を探らせてるんです」

「そうやったんですね。……あっ。いややわっ」


 葵の左手首にくっきりと猫の形の黒い影が表れている。


「見せてっ、葵さん」


 少々慌てた様子の犬神教授が葵の手首を掴み引き寄せる。


「どうやら猫又が何者かに捕まったようだ」


 犬神教授は難しい顔をした。

 葵に一瞬よぎった気持ち。憎らしいが、猫又が居なくなってしまうと思うとふと寂しかった。

 葵に取り憑いていた猫又は、まだ葵との絆があるようだ。


「……猫又がピンチやなんて。こんな風に知らせるんは、あたくしに助けを求めはってるの?」

「そのようだ。葵さん、一緒に来てくれるね?」

「ええ、よろしおす。あたくしにこないに心配かけて、嫌味の一つぐらい猫又に言いたい気分やから」


 葵は泣き笑いみたいな顔をした。

(猫又はあたくしに迷惑をかけてばかりです)


「大丈夫。猫又は無事さ、葵さん」

「あ、あたくし、なんも猫又の心配なんか……」


 犬神教授は葵の肩をそっと叩いた。




 葵と犬神教授は、茶房を出てすぐに待たせていた梁瀬家の車に乗り込んだ。葵の父親が、葵専属の運転手と執事を雇い入れている。


「谷川、四条大橋まで行っておくれやす」

「お嬢様、四条大橋ですね。かしこまりました」


 運転手は谷川、助手席には執事の村山が座っている。

 葵も犬神教授も黙って車窓からの京都の景色を見つめていた。


あたくしには猫の獣の妖かしが憑いてましたから、誰も寄って来ず、ずっと独りでした。

 ぶつぶつと独り言を話す不気味な娘……、その悪意や慄く思いの念があたくしに向けられていた。

 ――だけど、一度だけあたくし、猫又に助けられたのでしたわね。

 本来なら元凶である猫又が、取り憑き相手のあたくしを助けるだなんておかしな話。

 だけど、身代金目的の誘拐犯にさらわれかけたあの時、猫又は姿を現し身をていして助けてくれた――)


 猫又が葵を守った事実は、妖かしの視えない人には分からない。

 しかし、梁瀬家には霊力の強い人間が多く、葵が獣憑きなのも親戚うちには周知の事実だったのだ。

 葵には知らされていなかったが、視えても祓えない梁瀬家の大人たちは紛いものではなく本物の祓い師を捜していた。

 白羽の矢が立ったのが犬神教授だった。彼は東京の大学で教鞭をとりつつ、祓い師として活躍していた。

 彼が生業にしているのは教職で、祓い師はあくまでボランティア。きっかけは生徒のためだったという経緯いきさつを、特に葵の父親が気に入ったのだ。

 たとえ四方手を尽くし困り果ていても、人柄の良くない者を愛娘に近づけるつもりはなかった。


 到着すると四条大橋では戦いが起きていた。猫又は追って来る影に向かって、懸命に戦いを挑んでいた。

 犬神教授は車を出ると、陰陽道を使いこなす祓い師の念を込め弓を出す。実体のない弓は黄金に輝いていた。

 シュンッ、シュンッ、シュンッと立て続けに矢を放つ。

 遠くの禍々しい影は三人の人のようで、犬神教授の矢が当たると二人には命中した。

 猫又がこちらに気づいてニカアッと笑った。傷ついた顔で、それでも精一杯の負けん気と意地で笑う姿は葵には痛々しかった。


 一人の影の妖かしは空を飛んで来て、目にも留まらぬ速さで犬神教授に覆いかぶさる。


「きゃあっ! 先生、先生っ」

「だ、大丈夫だから。逃げろ、葵さん」


 犬神教授は影に押し倒されて地面に転がる。抵抗虚しくぎりぎりと押され、アスファルトに体を何度も叩きつけられる。

 接近戦では弓矢は不利で使えない。

 ハアハアと荒い息を吐きながら、橋向こうから猫又が葵の元に駆けつける。


「猫又っ、助けて! どないしたらええのっ!?」

『葵、何か武器を思い浮かべろ』


 葵がパッと思い浮かべられたのは、先生の弓矢の矢だった。

 猫又は葵に自分の妖気を固めた塊を差し出す。

 考えもせず葵が素早く妖気を受け取ると、塊はやじりに姿を変える。

 葵は鏃を両手で握りしめ、犬神教授に乗っかる影の妖かしの背中を刺した。

 ギャアッと声を荒らげた影の妖かしが怯んだ隙に犬神教授は印を結び、何やらブツブツと呪文を唱える。

 黄金に光る縄が現れて影の妖かしをギュウギュウと縛り上げる。

 やがて影の妖かしは光の霊力の縄に消されていく。


『憎い、憎いのだ。この世のすべてが憎い。支配してやる。屈せよ人間どもぉぉっ』

「死してなお、貴方は電話を掛けて来ましたよね? 本音は救われたいのでしょう?」

『俺はあの井戸に落ちて死んだ。死んだ俺の魂を、集まって来た怨霊達が悪霊にしてしまった』

「いたたまれない気持ちです。生前に救えなかった事、胸が痛みます。そろそろ時が満ちました。――滅せよ、悪しき力。その魂、光に浄化され昇れ。成仏しなさい」

『ああああああっ』


 葵は耳をふさいだ。

 影の妖かしは消え、光の粒子が空に昇っていく。

 


「猫又、葵さん。手助けありがとう。怪我はないようですね。さて帰りますか」

「先生。先生の方が怪我してはります! うちのもん呼びますよって座ってらして下さい」

「大丈夫です。なんか食べれば治ります。予想よりだいぶ霊力を使ったんで腹が減りました。葵さん、それに猫又も一緒に今夜は何かご馳走を食べに行きましょう」

「先生、ほんまに大丈夫なんですか? ……ご馳走ですか?」


 葵はふらつく犬神教授の体を支えながら、京都の美味しいお店を頭の中で探し始める。


「のんきなもんだ」


 二人の様子を猫又はじっと伺い見物してた。


(フフッ。……腐れ縁、か。葵ともこの祓い師とも付き合いが長くなりそうだな)


 猫又は呆れたような顔をして欠伸を一つした。


 気づけば、四条大橋からは山向こうに昇った月がうっすら見えて、打ち上げられた大輪の花火が次から次へと眩しく咲き乱れ、夜空を賑わし輝いていた。


      終わり


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