怪物学会視察 Ⅸ


 前触れなく現れた『怪物』アルバート・アダンを前に、鬼席サトマは震えていた。

 

 この尋常じゃない覇気!

 噂通り只者じゃない!


 サトマが淡く抱いていた期待は現実になった。手首をまわして造血剣をくるくるまわす。赤い剣身からは白い霜が尾を引いている。


「こんなサプライズ、楽しくなっちゃうぞっと♪」


 サトマの久々に刻印に魔力を流して、その力を発露させる。その余波だけで彼の足元は、パキパキと音をたてて凍てついていった。


 そんな繊細な音はかき消される。


「サトマぁぁあああ! 貴様は手を出すなぁぁあああ! 俺様がぶっ飛ばしてやるゥウ!」


 キョトンとした表情のサトマの横を、巨大な影が地面を揺らして通り抜けていく。


 ジャヴォーダン城の城壁すら一撃で粉砕した鬼席のなかでも最強のパワー型のタックルが、棒立ちしてアルバートにせまる。


 アルバートは眉根をひそめ、本をパタンっと閉じた。

 

「貴様を殺せば我らが血の神も湧くだろうさッ!! 『怪物』ぅうう!」


 『審判者』ローデンのタックルが炸裂する。


 無防備な魔術師が、鬼席の殺意から逃れられるわけもなく、身体が粉々に砕け散った。


 ローデンは攻撃が命中した確かな感触にニヤリと笑みを深め、そのまま区画間を遮る壁に突っ込んで静止した。


「がははははッ! 呆気ないものだな! 何が『怪物』だ、弱すぎる! 二つ名など所詮は誇張にすぎなかったか!」


 ローデンは快活に、腹の底から笑った。

 

 そんな彼へ、落ち着いた声が掛けられる。


「一喜一憂していては疲れてしまう。この世界に真に手放しで喜べる事など数えるくらいしかないのだからな」

「……ぁ?」


 白衣についたチリを手で払うアルバートだった。白衣には汚れひとつ付いておらず、当然、外傷はひとつも見当たらない。


 ローデンは確かに手応えがあったと、自身がタックルをかました区画間城壁を見る。


 物理的感触を間違えるはずがない。


 しかし、アルバートの潰れた死体が無い事は、ローデンの感じた感覚は勘違いなのだと納得するしかない現実を突きつけていた。


 ローデンは得体の知れない力の片鱗に触れたような気がして、薄気味悪さを覚えていた。


「使役魔術師がこの俺様の速さをさばいたのか……? いや、でも確かに当たったぞ……ええい、こんな馬鹿な事があるか! ありえん、貴様、何をしたんだ!!」

「保険の、保険の、保険の試用だ。具体的に言えばお前の攻撃は確かに俺を一度殺してる」

「戯言をッ! だったらちゃんと死ぬまで何度でもぶちかましてやるッ!」

「それは困る。こいつは貴重な方の保険だ」


 アルバートは怪書の背表紙に嵌められた水色の石が一つ砕けるのを見届ける。


 これは賢者の石と呼ばれる物質だ。


 かつてラ・アトランティスで、海の怪物を退治した際に手に入れた鞄に保管されていた宝で、大事にしまわれていた物でもある。


 極めて貴重な物質なのに、試用などという勿体ない使い方が出来るのには理由がある。


 賢者の石は、名家25家に名を連ねる錬金術を専攻する魔術家グリモオーメンダスが、ずっと追い求めている神の物質そのものだ。


 魔術協会には、密かに怪物学会側につくことを選ぶ者たちも少なくなく、グリモオーメンダス家もまた、賢者の石に関する研究が怪物学会側にあるために、すでにアルバートの味方だ。


 錬金術の名家と怪物学会の同盟はすぐに飛躍的な研究成果を生み出した。


 天才魔術アルバートと、グリモオーメンダスの当主『不老』パラケルススは、天然物の賢者の石の分析から、人工の賢者の石の作成に成功したのだ。


 アルバートの怪書の背表紙に嵌められた、三つのキラキラした宝石は、人工賢者の石だ。


 金に変えられないほど高く、貴重な物だが、もはや怪物学会にとっては有限の資源ではない。


「限定的現実改変の発動を確認。ふむ、まさか本当に成功するとは思わなかったな」


 アルバートは実験を終えて「さて、殺すか」とつぶやく。怪書の最後の方のページを開いた。そこには、速攻召喚可能なモンスター一覧が載っていた。


 速攻召喚は、銀の鞄ですら持つのがわずらわしくなったアルバートが考案した機能だ。

 結果、銀の鞄が持つ、収納能力と保存能力を怪書のなかに移植された。


 あらかじめ作成・生成したモンスターやキメラを怪書の図鑑にストック、必要な時に時間差なく呼び出すことが出来るのだ。


 現在の怪書がストック可能なモンスター総数は50体。戦争を仕掛けるにはやや物足りないが、普段使いには十分だった。


 アルバートは項目の中から、ダ・マンへ視線を落とす。


 ダ・マンの項目は1/25となっていた。

 サイズ、人型、見た目はオシャレ漢。

 使い勝手の良いダ・マンはいろいろなところで活躍していた。

 

「在庫がいて助かった。ちょうど2対2だ」


 アルバートは二本指を立てて、サトマとローデンを指し、その後に自身を指差す。

 ローデンは馬鹿にしたように、「2対1だが?」と鼻を鳴らした。


 直後、黒い液体が地面から溢れてきた。

 その中から打ち出されるように、青い肌の巨人が飛び上がる。トレンチコートを着た巨人は膝をまったく曲げず地面に着地した。

 

 その重さのせいで、一帯が揺れる。


 ローデンはいきなりの出来事に目をパチクリさせていた。


「噂に聞く転移魔術っすね〜。本来、大技なはずっすけど、どうやら学会長殿は呼吸をするように遠くから仲間を読んでこれるらしい〜!」


 サトマは造血剣を引き絞る。

 戦闘本能を抑えられないらしい。


 が、またしても本能を抑え込む咆哮が聞こえる。

 

「サトマぁぁあああああ! 貴様は手を出すなと言っているだろうォォオオオ!」


 ローデンが再び走り出した。

 そして、血で強化し硬めた全力の『必殺・キガント』でダ・マンの厚い胸板をなぐった。


 ただのパンチ。

 されのそれは鬼席の審判だ。

 鬼席の拳は、世界の理、秩序の法である。


 最強生物の本気の一撃に、区画全体が揺れるほどの衝撃波が起きていた。


 アルバートは目を丸くして「凄いパワーだ。流石じゃないか『審判者』」と、素直に感心した様子であった。


 巨人と巨人の衝突を外側から見ていたサトマは、アルバートとは″違う方″を前のめりになりながら見ていた。


 最強の血の騎士である鬼席が、これほどに驚愕するのは滅多にない。


「嘘だろ……おいおいおい……」


 サトマは思わず声を漏らした。

 

 なぜなら、鬼席の中でも最強のエンジンを搭載する『審判者』の打撃を受けて、なお立っている者と出会ってしまったのだから。


 『必殺・キガント』を胸を張った直立姿勢で受け止めた化け物ダ・マンは、無表情のまま少しだけ踏ん張って曲げていた膝を伸ばす。


 足元はすねまで土に深く埋まっていた。

 

 その無表情な顔色は一切変わっていない。

 トレンチコートを内側から膨らませる胸筋からは、謎の水蒸気が立ち登るばかりだ。


「ッ」


 ローデンの戦闘本能がとっさにその場を飛び退かせようとする。


 こいつはマズイッ!

 マズすぎるッ!!


 殺意だった。

 無表情な顔の裏に殺意を抱いていたのだ。


 ダ・マンが振りかぶらずに、その場で腕を突き出すようにパンチをする。力がちゃんと乗るわけが無い雑な攻撃だった。

 全力で拳を振り抜いた後だったローデンは、今の姿勢では避けられないと踏み、腕を十字に固めてガードする事を選んだ。


 ──ゴガャンッ!


 ダ・マンの打撃がローデンに命中。

 鉛の塊を、鉄骨に叩きつけたような音が辺りに響いた。

 

 手堅いガードをしたローデンの身体が10メートルほど地面を擦りながら後退して、サトマの隣に戻ってきた。


 ローデンの顔には滝のような冷や汗が滲んでいた。


「がはっ」


 打撃の衝撃を受け終えたローデンは、胸の奥に響いた鈍痛に顔をしかめる。


 信じられない。

 この世に自分よりもパワーがある生物がいるなんて。

 なんて化け物を持っている怪物学会……!


 ローデンは悔しさに歯を食いしばる。


「サトマ、手を貸せ……! あれはここで殺すぞ!」

「間違いなく、怪物学会の切り札に相当するモンスター……学会長アルバート・アダン、本気を出してきましたっすね」


 サトマは造血剣を地面に刺した。


 すると、刺した地点から四方八方へ、一気に青い氷が地面をつたって展開された。

 氷は区画全体を覆い尽くして、ローデンが開けた穴や、アルバートが入ってきた扉を厚さ数メートルの氷で覆ってしまう。


「だからこそ、ここで殺せれば学会長もろとも俺の手柄になって鬼席の一位になれんじゃね!? って話なわけよっ!」


 勢いずくサトマ。

 深刻な顔をして冷静さを取り戻すローデン。


 両者の顔を眺めるアルバートは「死ぬ準備は出来たようだな」と言ってダ・マンを、一歩前進させた。

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