怪物学会視察 Ⅵ


 スーパーナチュラルの研究は、怪物学会に多くの利益をもたらした。水を媒介とした転移魔術はそのひとつだった。


「ワッチはエドガーじゃなく、アルバートくぅんを選んだのさ。ああ、ヨーデルヨーデル」

「フレデリック様を返したほうがいい。後悔することになりますよ、怪物学会」

「や〜だ〜よ〜」

 

 未知の魔術を行使した怪物学会構成員と思われる老人に、アルソールはイラつく。

 

 交渉は無駄か。


 話し合いを諦めたアルソールは、己に備わった怪物の超直感に意識を集中させる。


 フレデリックはどこへ消えたのか。


 主人の位置は1秒で判明した。

 主人から呼び出しの声が聞こえたからだ。

 まだ生きている証だった。


「深い……。瞬間的に座標を移動させられた……ふむ、報告に聞く転移魔術という奴ですか」


 アルソールは眉間にシワを寄せる。

 主人の居場所はわかった。ジャヴォーダン城の奥深くだ。それも下に深い。


 アルソールはすぐさま主人のもとへ向かおうとする。


「……その前にあなたも殺しておきますか。名も知らぬ、顔も知らぬ、無名の魔術師でしょうが、転移魔術の代行を行える程度には脅威だ」


 アルソールは老人の首をへし折ろうと指の関節を鳴らす。


 老人はうさぎ跳びをしながら「やめてぇ! いやだいやだ! ワッチはまだ死にたくない!」とヒステリックな逃走をはじめる。


 アルソールならば一足で追いつけた。

 だが、不自然に瓦礫の崩れる音が、彼に追跡をさせなかった。


 何かが崩れた塔の瓦礫下から出てくる。


 アルソールは「伏兵か」とつぶやき、両の手の白手袋を外した。次に執事服の内ポケットから″握り手″を2本取り出す。


 剣身だけ引っこ抜いた柄のような、一見して使用用途のわからない道具だ。


 アルソールはそれぞれの握り手を、両手で強く握りこむ。


 すると、握り手の機構が作動し、双刃となった。刃が手の皮を裂き、アルソールの手のひらから血を集めはじめる。


 握り手に採血されたアルソールの血は、そのまま紅い剣身へと変化していく。

 

 握り手の正体は、血の騎士に与えられるサウザンドラの魔道具──造血剣だった。

 100年も昔から騎士たちの正式装備として使われている、由緒ある血の武器だ。

 特にアルソールの造血剣は特別製だ。


 通常よりも薄く出来ているのだ。

 扱いは難しく、だが切れ味はこの上ない。


 瓦礫の下から、巨大な人影があらわれる。


 そいつは真っ青の肌色をしていた。

 洒落たハットを頭にかぶり、黒革のトレンチコートを着こむのは肉厚の巨漢──怪物学会の人造人間ダ・マンである。


「おぉおお、ダマーン!」


 うさぎ跳びをしていた老人が喜色の声をあげる。


「お前が埋まっててくれて助かったよぉう! あとはヨロシクにゃん!」

「モンスター1匹でこの私を止められると?」


 アルソールは侮られている事が不快だった。

 

 だが、老人はそんな彼のプライドを一蹴するかのように笑顔を浮かべた。


「あー、無理無理、無理だよ、君なんかじゃ。予言してあげようぉ、もしダマーンと戦うつもりなら、君は手も足も出ずに無残な最後を迎えるだろう〜」


 老人は笑いながらそう言って、再び背中を向けて、うさぎ跳びで逃げていってしまった。


「舐められたものですね」


 アルソールはダ・マンへと視線を向ける。

 まだ瓦礫の下から抜け出そうとしている最中で、襲ってくる気配はない。


「人、いや、人型のモンスター、ですか。報告にないですが……だからどうという事も無いですね」


 アルソールは造血剣を構える。


「怪物学会のモンスターはすべからく破壊する、それが任務です」

 

 瓦礫の下から現れた人型のモンスターが、完全に立ち上がった瞬間──アルソールの造血剣は、すでにその喉元に斬り込んでいた。


 音など、とうの昔に別れを告げた。

 影など、しばらくその身に追いついていない。


 相手が死を認識するのは、全てが終わったあとだけだ。


 最速にして、最も慈悲深い鬼席。

 『吸血鬼殺し』の異名を持つ、吸血鬼を越えしサウザンドラの人造人間。

 

 それが、アルソールという男だ。


 造血剣がダ・マンの首に静かに、正確に、慈悲深く入刀される。

 

 もし彼が、君を既に殺している事に、まだ気が付いていないのなら、君は幸運だ。

 なぜなら、彼は君に安楽を約束したのだから。

 もし彼が、背中を向け歩き去るさなか、なお君が苦しんでいないのなら、君は幸運だ。

 なぜなら、彼は時にむごく苦しい死を敵に用意するのだから。


 ダ・マンはアルソールの慈悲を受けた。


 その首が刎ねられた事に、このモンスターは気が付かず、安楽に意識を失うだろう。


 アルソール自身にも、それが生まれた時からの当たり前であることは変わらなかった。


「口ほどにもないですね」


 標的をひとつ排除して、アルソールは逃げる老人を追撃するべく足先を向ける。

 

 かつて、アルソールは病弱な子供だった。

 血の力がすべてを彼に与えた。


 命を選ぶ権利。死を選ぶ権利。

 

 アルソールにとって、殺そうと思って切った対象に殺せなかった者はいなかった。

 アルソールにとって、安らぎを与えようと思って、苦しんだ対象はいなかった。


 ゆえに、一斬を加えた後は、必ず造血剣の剣身を体内に戻し、その場を歩き去る。


 例外はない。


 なぜなら、彼が戦いを終えようと思った時が、戦いが終わる時だから。


 ──いつか必ず例外に会う日は来る。

 

 その事はわかっていた。

 わかっていたはずだった。


「……」

「?」


 アルソールは何かがいつもと違うと思った。

 それが何かはわからなかった。


 ただ、漠然と違和感に気がつき振り返る。


 その直後、彼は、自分の頭部ほどもある、巨大な拳がせまっている事に反応できなかった。

 

 振り抜かれるは、重厚な一撃。


 最速の鬼席の顔面を正確に捉えている。


「ボガ、ぁア?!」


 手に握っていた造血剣を思わず手放し、アルソールは引き絞られた矢のように吹き飛んだ。


 ジャヴォーダン城の塔のひとつに衝突。

 城壁を盛大に破壊し、塔をへし折り、瓦礫に潰されていく。


 轟音と地響き。

 本日2度目の震源地を空に持つ地震であった。


 アルソールは血の騎士になり、これほど深刻なダメージを受けた事はなかった。

 痛みを忘れた身体は、立ち上がろうとしても、痙攣して言うことを聞かなくなっていた。


 なんだなんだなんだなんだなんなんだ?!

 何が何が何が何が何が何が何が起こってる!


 アルソールの意識が、蒙昧に犯されていく。

 だが、こんなとこで気絶するわけにはいかない。

 彼は全身の血の力を覚醒させる事で、暗くなっていく視界を吹き飛ばした。


「はぁぁぁあああああ!」


 咆哮を上げ、瓦礫の山から這い出る。

 すぐに新しい造血剣を持ち出し、両手に紅く輝く血の刃を作り出した。


 どいつだ、どこのどいつだ。

 この『修羅の六騎士』に屈辱を与えたのは。


 アルソールに怒りを理性で抑えながら、沸騰する頭で敵を見据える。


 先程の青い巨漢が立っていた。


「ッ、確かに斬ったはず、だ……!」


 斬撃を加えた、青い首筋を見る。

 巨漢の首筋には、食い込むような形で、赤い剣身が残っていた。まるで切れ味が足らずに、剣が折れてしまったようだった。


 こんな事は初めてだった。

 アルソールは自分の常識が崩れる音を聞いていた。


 まさか、自分に斬れない生物がいるなんて。

 まして、オリハルコンで出来た鎧すら、バターのようにさばく造血剣をもちいて、なお斬れないとは。


 物言わぬ白瞳の巨漢は、アルソールへと歩み寄っていく。

 

「ふはは……っ、面白いぞ、面白いぞ、怪物学会! こんな化け物がいるなんて!」


 ダ・マンの圧倒的な耐久力は、彼らが″剣″としての役割より、″盾″としての役割を創造者より期待されているゆえだ。


 その耐久力は『吸血鬼殺し』を本気にさせた。


「今まで退屈していたんですよ、どれだけ研鑽を積もうと、皆、一刀のもとに屍となってしまうから! 2回以上斬らせてくれるなんて、なんて素晴らしい!」


 アルソールはもはやフレデリックの事を忘れていた。


 彼らはあくまで血の狂信者。

 渇望する好敵を前にした時、血の王の優先順位が著しく下がるのは、鬼席たちに共通する″悪い癖″だった。


「さあ、何回斬らせてくれるんだ? 俺の積み上げた技のすべてを受け取ってくれるのか?」


 ダ・マンが地を蹴って助走に入る。

 その様はもはや巨山の如し。


「ほほう! この私に挑戦すると!」

 

 アルソールは造血剣を引き絞った。

 真正面から挑戦者ダ・マンを打ち砕くつもりだ。


「俺の全力、全霊、はぁぁぁぁぁぁぁ……喰らえ──練血秘式・星落とし!!」

 

 それは赫の煌めき。

 かつての歴史では、サウザンドラの一族、その正当な【練血式】の継承者しか使えなかった歴代当主たちの編み出した絶剣のひとつだ。


 引き絞られ、放たれた極限の刺突剣。

 アルソールの体内の血が、勢いよく吹き出して、長さ10メートルもの超槍となってダ・マンへと放たれた。


 余波だけで地形を変える威力。

 ″鬼″は確実に″化け物″を仕留めたと確信する。


 だが──


「ッ、……ば、かな……?!」


 夜空の流星を撃ち落としたと言われる槍は、悲しくも、地上の山を討つことは叶わなかった。


 究極生物と言ってさしちがえない分厚い胸板は槍を真正面から受け止め、地を分かつ波打つ巨腕は剣先を狂いなく掴んで止めていた。


 硬さ、パワー、正確さ。

 全てにおいて非の打ち所がない。


 アルソールは絶剣に耐え切ったダ・マンに、身の毛のよだつ恐怖を覚える。久しく忘れていた死の恐怖を思い出したのだ。


「だ、だが、少なからず血は入ったはず……まったく驚愕の生物だが、相手が悪かったな」


 鬼席クラスの血の呪いは、敵を確実に殺す。

 ダ・マンの身体は最初の一撃、そして今の星落としで二度の血の攻撃を受けている。


 もう肉体が崩壊しはじめる頃合いだった。


 アルソールは安心して、槍モードを造血剣を解除しようとする。


「なん、だと……」


 ダ・マンは槍を掴んで離さなかった。


 それどころか、槍を握力でへし折り、胸に剣先を突き刺さたまま、助走の姿勢に入ったのだ。


 山の如きタックルが、再び始まった。


 アルソールは目を仰天に見開き、慌てて展開していた血を肉体に回収し始める。


 『練血秘式・星落とし』は、その術式の特性上、大量の血を体外に展開する必要がある。

 そのため、この技の直後、術者は極度の貧血状態になり、すぐには動けず隙が生じる。


 ゆえに、『練血秘式・星落とし』は必殺の絶剣であり、確実に敵を屠る事ができる使用場面を選ぶ必要があるのだ。


「くそっ、くそ、くそくそくそォォオ──ぐぼ、ァッ…っ!」


 行動不能状態のアルソールは、全力で血を肉体に戻していく。


 パンチであの威力だ。

 タックルなど喰らえばただでは済まない。


「来るな、来るな、来るなぁァアアああああ──!!!!」


 血の回収は間に合わなかった。

 アルソールの身体にダ・マンの絶滅的威力を孕んだタックルが命中する。

 被害者の身体から骨格の破壊される音が聞こえたと思うと、今度は全身から血潮を吹き出し、遥か彼方へ吹き飛ばされる。

 

「ぁ、ぁ、ご……ぐ……は、ぁ……くそめ、この私が……最強の生物である、はずの……血の使徒が……敗北、など……ゆるされ、ない」


 アルソールは狂気的な血への信仰心で、粉々の膝に力を入れて立ちあがる。


 血に敗北など許されないのだ。


「ぐ、ぐぞがガァァアア! がいぶつ学会の人形ガァアア゛あああ!」


 血反吐を吐きながら、アルソールはようやく自分が挑戦者の側だったのだと理解した。


 ──しばらく後


「つんつん、つんつん、つんつーん!」


 さかな博士は地面に転がる遺体をつつく。


 四肢が変な方向に曲がり、胴体に風穴の開いた遺体だ。あたり一体の血みどろ風景が、壮絶な戦いがあったのだとさかな博士に伝える。


 隣に立つ巨漢もまた血塗れになっている。

 だが、おしゃれな服装からダ・マンだと判別はできた。


「だから、言ったのに。アルバートの傑作に君ごときが手を触れる事すらおこがましいとね。……あれこうは言ってなかったかな?」


 さかな博士はつつくをやめる。


「うーん、にしても、これは冬眠に入ってるねえ〜。流石は吸血鬼モドキ。死にはしないねえ。生き汚さだけは一流だぁ〜!」


 さかな博士は手をパンパンと払い、白衣の内ポケットから怪書を取り出した。


「それじゃチミたち! これを研究所へ運んでおいてぇ〜! んーん、ヨーデル」


 指示を出すと、さかな博士の影から、黒いモンスターが飛び出した。


 黒いモンスターたち──影害獣は、人型でありながら蜘蛛のように地や壁を這い回り、六つの腕で様々な仕事をする影の働き者だ。


 さかな博士は、影害獣たちが遺体を運んでいくのを手を振って見送った。


「君も次の現場に向かいたまへよ。土足で我ら怪物学会の城で暴れている奴らがいる! 守れ、守るんだ! 使命を果たせダマーン!」


 さかな博士の鼓舞で、ダ・マンは重たい身体を動かしてどこかへ走り去っていった。


 さかな博士は、怪書をパタンと音を立てて閉じる。


 義手の付けられた左手で、重さを確かめるように上下に揺らす。


「ふふふ、やはりワッチの勝ちだ、エドガー」


 語りかけるのように独り言を呟きながら、さかな博士は瓦礫の山を歩きはじめた。

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