もっとちゃんとやれ
──ジャヴォーダン城
今にも動き出しそうな石像の立ち並ぶ廊下の先。
天井まで何十メートルとある巨大な円柱状の空間の底で、魔法陣が輝きだす。
光はすぐに収まった。
光の中から姿を現したのはアルバート、ただひとりだ。
「ゲテングニッシュ・ゲートドラゴン、門を閉じろ」
一言つぶやき、歩き出す。
アルバートは手に持っていた怪書を閉じて、魔力粒子に還元する。
すると、彼の影から、ブニブニとした黒い人が十二体這い出てきて、円柱状のホールの石レンガの隙間へ、沁み込むように消えていった。
「あんなに護衛はいらないと言ってるのに」
そう言って、アルバートは肩を回す。
「護衛、必須。マスターは命狙われすぎてる」
「生憎と命の危険を久しく感じてない」
「サウザンドラの改造人間は危険」
「世間は彼らを恐れすぎだ」
アルバートはどこからともなく付いてきたユウを指さす。
「俺の身内を含めてな」
「みんな安心したい。マスターの命には億が一、兆が一の危険も許されない」
「はあ……わかった。この話はまた今度しよう」
「理解してくれて嬉しい。マスターが無事だとティナが喜ぶ」
「理解したわけじゃない」
「でもしてる」
「……影に入られると肩凝るんだよ。いや、ほんと」
「我慢、忍耐。得意でしょ?」
「さてな。好きではないが」
アルバートは肩をすくめて、広い円柱状の転移ゲートから移動を開始した。
向かう場所は自身の魔導工房……と言いたいが、そうはいかない。
研究者として自分の時間のすべてを魔術の研鑽に当てたいところだが、その前に学会長として、学会の仕事が残っている。
これも必要なことだ。
アルバートはすぐに自室に戻って、一息つく。
流石に城の中では、自室では、ユウには警護を離れてもらう約束だ。
ここはジャヴォーダン城。
5年前から、山一つを切り出すという巨大な計画と建設が続いているジャヴォーダン近郊の怪物学会の牙城(予定地)だ。
外側からは、一見してどこから生まれているのか、見当もつかない潤沢な資金繰りと、幾万のモンスターを使役する力でで、この果てしなく大きな巨城も形になりつつある。
「そろそろ、行くか」
アルバートは紅茶片手に、ぼんやり眺めていた資料を、ベッド脇の小机に放る。
タンスを開けて、学生服の黒いローブから、怪物学会員の証である白衣を纏う
立場を象徴するバッジは普段からつけていない。
重厚な金属製のそれには『怪物学会・学会長』の文字が彫られている。
アルバートは誇りと品格を重んじる貴族だ。
しかして、それは見せびらかすための権威への執着と同義ではない。
バッジの代わりに、着けるのはいつも黒いペストマスクだ。
これを着けてるだけで不気味がられるので、余計に話しかけられずに済む、とアルバートはこの異邦のマスクを結構気に入っている。
部屋を出て向かうのは、ジャヴォーダン城の下層──山の中腹──である、城の完成部分に設置されている怪物学会の研究所だ。
ここには1学期中、ジャヴォーダン城で授業を受けて、特別な単位を獲得する為にやって来た他学校の学生たちが、怪物学を学んでいる。
怪物学会の正体は、その名の通り学会にある。
魔術協会と根本的に違うのは、学会と呼ばれる研究成果の発表の場を通して、学会員たちが純粋な協力関係を築きやすくしてる事。
魔道具の販売・開発、権力闘争、貴族社会の構築など──魔術協会は、あまりにも古くからその権威を保ちすぎているため、もはや純粋な魔術の研究機関としての機能は失われている。
怪物学会には、新しい時代に期待する一部の詠唱者・魔術師によって支持を受けている。
ジャヴォーダン上に来る者の”3割”がこの支持者たち。
残りの7割は支持者ほど、前向きな姿勢ではない──。
「ここはジャヴォーダンのメインエントランスです! ここから大階段を使ってそれぞれの階へ移動できるんですよ!」
元気な声が聞こえてきて、アルバートは顔を向ける。
前から二人の不機嫌そうな顔の少年たちと、白衣を着たオレンジ色の髪の少女がやってきていた。
ドラゴンクランからやってきた怪物学部の学生たちと、怪物学会の職員のようだ。
白衣の少女は、胸を張って、アルバートの趣向で様々な怪物の彫像が置かれたエントランスを、自慢げに生徒たちへ説明している。
アルバートは少し恥ずかしくなりながら通り過ぎることにした。
この羞恥も努力の結果なのだから仕方ない。
怪物学会は安く、質の高い教育を提供する事を約束に、4年に渡る交渉の末、ようやくドラゴンクランの学生たちに卒業単位を与える事のできる授業を手に入れた。
ドラゴンクランの怪物学部の学生をジャヴォーダン城へ招くことができるのは、これまでの退屈な視察と話し合いのおかげなのだ。
「この大きな城を獲得するまでには、それはそれは長く苦しい物語があってですね。──」
「転移ゲートは使わないんですか? 城の中なのに。都市間は空間魔術で繫いでるのに、城の中じゃ使わないんですね」
「強力なモンスターがいるって聞いたんですけど。既存の知識では考えられないような超常の開発に成功してるとかも。どこにいるんですか」
「へ?」
ニコニコしながら説明を続ける少女が、生徒に遮られる。
「王都から空間を繫ぐほどの魔術が怪物学会にはあるんですよね? なんで使わないんですか?」
「あ、そうだ。怪物学会の学会員はドラゴンを使役できるって聞きましたよ。さっき見せてもらった飼育棟にはいなかったみたいだけれど……どこにいるんですか。見せてくださいよ、ドラゴン」
「い、いや、私はただのメイドって言うか、事務員というか、そういう権限はアルバート様に与えられてないって言うか……ああ、そんな不審な目で見ないでええ!」
オレンジ髪の少女はわたわたして、学生たちに追い詰められていく。
「やっぱり外聞にばかりお金を使ってる証拠ですよね? 空間魔術を使った都市間の移動、だなんて相当無理してるんでしょ? ……しょせんは信者を捕まえるための一発芸だ。教祖が信者たちに奇跡を起こして見せるのに似てますよ。怪物学会だなんて……なんだかまさしくって感じ」
「あーあ、やっぱりただのデマかぁ。そりゃそうですよね。ディザスターのドラゴンなんか一流の魔術師でも使役出来ないんだし」
「い、います! ドラゴンいますよ! あ、転移ゲートのことは難しいのでアルバート様たちしかわからないですけど……ドラゴンはいるんですから!」
必死に言い繕うせいで、ちょっと嘘っぽくなる白衣の少女。
見かねたアルバートは、三人の横で足を止めた。
「転移ゲートは巨大な魔法生物を地面に植える必要があるんだ。だからごく短い距離の移動に対して設備が大げさになりすぎる。だから場内には採用していない」
通り過ぎざまに会話に割って入ってきた、ペストマスクの長身に三人はぴくッと震える。
生徒たち、ひいては白衣の少女すら緊張した顔になった。
「転移魔術が相当な無理だと言っていたな」
「だって、嘘じゃないですか……。怪物学会は、空間魔術を実用化した、だなんて、この城を見ればわかりますよ……」
「現に都市を繫いで見せただろう」
「局所的な空間魔術なら……箱の中の宇宙しかり、これまでにもたくさん実用化された魔術があります。魔術協会は、長い歴史で……2点間の距離に対して、論理的な回答を打ち出してきた。長距離を移動できる魔術師は、とうの昔からいますよ」
なかなか噛みついてくる少年であった。
歯切れ悪く言葉を紡ぐ彼に、アルバートは「そいつらは都市を繫いだのか?」と返す。
「繫いではないですけど」
「そんな金のかかること誰もやらない」
「そうだ! げ、ゲテングニッシュ魔力方程式の問題がある!」
思いついたように少年は言った。
「よく知ってるな。弁論を聞こうか」
「エネルギーのロストですよ。空間魔術が使われる際、ロストするエネルギーは途方もない量だ。この永遠の課題があるかぎり、普通のコストじゃ都市を繫いだワープゲートなんて実現できない。だから……あなたたちは金を掛けただけなんだ、魔術家の誇りを捨てて、商人の真似ごとをして金儲けをしてね! あなた達は魔術的偉業を成し遂げたんじゃない! 魂を売った下賤な商人に成り下がっただけだ! だから、誇れるようなすごい事は何もしていない!」
「下賤な商人か。貿易はいいぞ」
「うるさい!」
「……。続きを聞こう」
「だから、だから、あなたたち、怪物学会みたいに、あたかも魔術的価値がある発明をしたかのように見せびらかすのが許せない! 栄えある魔術協会に喧嘩を売るみたいな……その虚栄心が気に食わないんだ!」
「そうか。誇り高いことだ」
アルバートはしばし思案してから、ゆっくり口を開いた。
「君の言うその魔術的偉業とやらを見せれば納得してもらえるかな」
その言葉に、少年は目を見開いた。
「結論から言うと、ゲテングニッシュ魔力方程式を解いた魔術師が怪物学会にいる」
「そんな馬鹿なこと信じるとでも」
アルバートは懐から手帳をとりだし、ページを一枚ちぎり、「こんな感じだったか」と言いながら、数と魔術記号の方程式を完成させる。
「800年の難問の答えとしては、いささか拍子抜けだが、これが解答である事は間違いない」
少年に渡した紙には、800年の間、完成を見なかった方程式の完成形が記されていた。
美しい式だ。無駄のない。
この世界すべてを包括した真理の一つにさえ見えた。明晰な頭脳を持つ少年でさえ、どうしてそれが成り立つのかはすぐにはわからない一方で、間違いもまた見つけられなかった。
少年は目を皿にして間違いを指摘しようとするが、そうするほどに、じわじわと焦燥感が湧いてくるのを感じていた。
穏やかな雰囲気の目の前の青年が、通りすがりざまに歴史的な難問をあっさりと解いた事実。
これまで必死に勉強してきた、もと貴族としての誇り、現詠唱者としてのプライドが崩れる音がした。
怪しい宗教と馬鹿にしてきた怪物学会に対する懐疑心も、凄みの前には薄れていく。
ここには本物がいる。
目の前の青年のオーラは、新しい魔術の時代の到来を、強く少年に納得させていく。
「ありえない、どこかに間違いが……」
「そうムキになるな。それを解いた天才のことを思えば、誰だって納得するだろうさ」
アルバートは必死な少年の肩に手を置く。
「あの青い光の門は、君たち有望な詠唱者たちのために開かれている」
次にアルバートは、ドラゴンに興味があるらしい少年へ向き直る。
「それで、君はドラゴン? 旧生物の使役が不可能だって? 怪物学会には、君の想像もつかない素晴らしいモンスターたちがいる。飽きる暇さえないぞ」
「あの、その……」
「ぼくら、ただ……」
「さかな博士、二人に第2世代キメラ群をみせてやってくれ。彼らは有望だ」
宙空へむけてそう言うと、エントランスに大声が直接返って来た。
「エエェ?! そんな感じで見せちゃうのかいィ!!?」
「ああ。魔術協会の視察が入る時にどうせ公開する予定だ。さきに純粋な若者たちの感想を聞いておいてもいいだろう」
「まあ、学会長がそういうなら、ワッッッチの石ころはお地蔵さんでも変わらず語れるけどネッ!」
謎の妄言でさかな博士が返事した途端、おびえる少年たちは「が、学会長……?!」「あ、あんたが『怪物』……アルバー──」と何かに気がつき、額に汗をにじませた。
直後、彼らの姿はエントランスから消える。
青い光に飲まれるようにして。
残されたのはオレンジ髪の少女と、不気味なマスクをかぶった学会長だけだ。
オレンジ髪の少女はホッとため息をつく。
しかし、すぐにムッとすると、隣で棒立ちする男からペストマスクをはぎ取った。
「アルバート様、またこんな変な被り物して! ティナは怪物学会が不名誉な宗教組織だと言われている要因がわかったきがしましたよ!」
「ティナ……」
アルバートは頬を膨らませ腰に手を当てて怒る、オレンジ色の会の少女──ティナを憂いの目で見つめる。
彼女は知らない。
水面下の戦いを。
すべては事態の中心から遠ざけることで、彼女を守るためだ。
ティナはアルバートの視線に何かを感じ取ったのか、首をかしげた。
「ティナ……」
「アルバート様?」
「…………もっとちゃんとやれ」
「?!」
「お前はあまり賢そうに見えない。昔からそうだった。だから、エリート意識、成り上がり意識の高い詠唱者には舐められ、貴族にはちんちくりん扱いされる」
「な?! なな、い、いきなり会って言う事がそれですか!? わりと最近、会ってすらいない気がしますし、さてはアルバート様、ティナの事嫌いですね?!」
「ティナ」
「……っ、な、なんですか、そんな真面目な顔して」
「もっとちゃんとやれ」
「ッ、わかりましたよ、もうわかりましたッ! もっとキリッとしますよーだっ!」
ティナはそう言うと、太陽のように爛々と温かい瞳を、精一杯尖らせた。
それは、はたから見れば目つきのよろしくないどこかの誰かにそっくりだった。
アルバートはそれが彼女の思う、賢そう、だと思うと、久しぶりに笑いを堪えるのが大変になる感覚を思い出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます