見習い天使はそこにいる!

ゆうすけ

プロローグ 見習い天使は舞い降りる


 広い宇宙は、いつの時代も神秘に満ちあふれています。


 それと同じぐらい、人々の暮らす地上も神秘に満ちあふれています。


 人々はなぜ生まれ、なぜ生命をつなぎ、そしてなぜ死んでいくのでしょう。


 それは太古の昔から人類が追い求めた永遠の謎です。


 でも、忘れていはいけません。


 この代り映えのしない日常の世界にも、あまねく人々の幸せを祈り、余さず人々の想いに寄り添うべく奮闘する、そのような存在があることを。


 人々の願いをかなえることに一生懸命な、そんな天使たちがいることを。


 これは、いまだ見習い修行中の、一人の天使の物語です。



 ◇


「次、出席番号七番、ユア」

「はいっ!」


 天使の世界、いわゆる天上界の片隅に、クラシカルな白い木造の二階建ての建物がぽつりと存在しています。

 ここは天使を養成する天使学園。

 今日も見習い天使たちが勉学に励んでいます。その学園の教室の一室では、十数人の生徒を前にして、教官が辞令を読み上げていました。教官の隣にはきれいな黒髪の事務官兼秘書。二人は壇上から一人の少女に向かって辞令交付式を行っていました。人間界で言えば終業式みたいなものでしょう。


「ユア、本日付で見習い天使二級とする」


 教官は仰々しく読み上げます。そして紙の上下をひっくり返し、長身の背中を少しかがめて背の低い少女に辞令を手渡しました。


「はい! ありがとうございます! ユア、早く一人前の天使になれるように、頑張ります!」


 少女は元気な声で頭を垂れると、辞令を受け取り、一歩下がりました。それを押し頂いたまま膝を曲げます。やっと頭をあげた少女に、教官は少しフランクな調子に戻って、くるくると辞令を丸めて筒にしまおうとする少女に向かって語りかけました。


「しかしな、ユア。人間界に行けるからといって、はしゃぎすぎちゃダメだぞ」

「分かってますよー、教官」


 少女も親しげな様子に戻ります。


「人間界での自分のミッション、分かってるよな?」

「もちろんですー! 悪魔を見つけて退治すること、ノミニーを二人見つけること、そして人間の願いをなにか一つかなえてあげること、この三つですー」

「はあ、これだからなあ。悪魔といっても小悪魔じゃないぞ。大悪魔を見つけないといけないからな。そうそう簡単には出てこないんだぞ」

「もちろん、分かってます!」

「ノミニーもただ見つけるだけじゃだめなんだぞ?」

「教官ー、ユアのこと、バカにしてませんか? そんなのさんざん授業でやりましたよー」


 教官は長身の身体をゆすりながら壇上に戻りました。


「分かっているのならいいぞ。がんばれ。じゃ、次。出席番号八番、キャス!」

「はーい」


 こうして十数人の生徒に辞令を渡し終わると、教官は壇上の卓に手を付いて語り始めました。


「みなさん。みなさんは晴れて見習い天使二級に昇格しました。いよいよ明日からは実地研修に入ります。それぞれのゆかりの人間社会に行って、たくさんの人間が活動する社会の中で、天使としての研鑽を積んできてください」


 わいわいとざわついていた見習い天使たちも、教官の低く通る声に反応して、聴き耳を立て始めます。


「人間社会はみなさんご存じのとおり、天上界よりもずっと広く、ずっと深く、ずっと複雑です。見習い天使同士が人間社会で顔を合わせることがないように、みなさんには、場所も時代もいろいろなところに行ってもらって、それぞれで実地研修を受けてもらいます。頼れるのは自分だけです。それをよく覚悟しておいてください」


 教官はそこで一息つきました。十数名の教え子たちの顔を一人一人見まわしていきます。そしてゆっくりと諭すように教え子たちに声をかけました。


「そして、人の幸せとは何なのか、をよく考えて行動してください。次にこの校舎で会うときは、みなさんが立派な天使になっているでしょう。それを、私たちは心から期待しています」


 教官の演説に、十数人の生徒たちはいっせいに「はい!」と力強く声を揃えました。


「アリス、君からみんなに何かあるかね?」


 教官は隣で黙って立っていた長い髪の事務官兼秘書に話しかけました。事務官兼秘書はメガネを直しながら手元のファイルを開いて、ひとつずつ確認事項を声に出していきます。教室の教え子たちはまた少し事務的な雰囲気に戻ります。


「はい。まずは見習い天使のみなさん、昇格おめでとうございます。これからの実地研修、がんばってくださいね。みなさんには天上界直通スマホ『エンジェルフォン13プロマックス』を一台ずつ支給します」


 教官から引き継いだ事務官兼秘書の言葉に、見習い天使たちの「おお、エーフォンaPhoneのプロマックスもらえるんだ!」「やったー!」「教官、太っ腹―!」というどよめきと歓声で教室が埋まります。事務官兼秘書はダンボール箱から箱を取り出して「出席番号順に取りに来てください」と見習い天使たちに声をかけました。見習い天使たちは順にわいわいと教卓に群がり、新しいスマホを手に取ると、さっそく電源を入れていじり始めました。


「天上界への連絡や備品の購入には、そのエンジェルフォンを使ってくださいね。それと、ときどき個別に天上界からの呼び出しメッセージがそこに届く時があります。見逃さないようにしてください。成績の悪い人、人間界のルールに抵触する悪事を働いた人、そして重度のホームシックにかかった人などは、速攻で呼び出します」


 教室には今度は「えー」というブーイングすれすれの不満声があふれました。見習い天使たちは、早く人間界に舞い降りて行きたくてしかたのない様子です。


「呼び出されたら、すみやかに一度天上界に戻ってきてください。間違ってもすっぽかすようなことをしてはいけませんよ」

「はーい」


 見習い天使たちの返事はどこか不満げです。せっかく人間界に降りれたのに天上界に呼び戻されるなんて鬱陶しくていやだ、というのが見習い天使たちの本音でしょう。事務官兼秘書のレクチャーは続きます。


「そして、みなさんの研修地にはそれぞれ『天使のすみか』を一部屋ずつ用意してあります。人間界での活動は、みなさんの想像以上に体力を消耗します。特に夜の人間界では天使としての能力も体力も半減しています。それを忘れて力尽きてしまうことのないように、夜はしっかり『天使のすみか』で休息を取ってください。それぞれ天上界ダウンライトを取り付けてありますから、『天使のすみか』にいれば安全です。毎回実地研修で倒れてしまって、天上界に出戻る見習い天使がいますが、そうならないように気を付けてくださいね。みなさんの実地研修の状況は、こちら天上界で逐一モニタリングしていますから、ハメを外してはいけませんよ。わかりましたね?」


 事務官兼秘書は注意事項を読み上げて行きますが、そわそわする見習い天使たちはだんだん落ち着きがなくなっていきました。でも、それも想定の範囲内。手慣れた様子で後半の何点かは手短に触れるにとどめて、オリエンテーションは終了となりました。最後を締めるように、教官が再びよく響く低い声をあげます。


「それでは、見習い天使諸君! 自分自身の身体の健康にも気を付けて、人間界に行ってきたまえ。君たち全員の実地研修に、幸い多からんことを」

「はーい!!」


 見習い天使たちは元気よく返事をすると、一斉に立ち上がって教室を出て行きました。あるものは一目散に走って、あるものは仲間とにこやかに笑いあいながら、そしてあるものは文字通り飛び跳ねて。


 最後に残った一人の少女も、くるくると踊るようにして教室を出て行こうとしました。そのスートゥニュ・アントゥールナン・ターンを途中でやめて、教官と事務官兼秘書に向かってスカートの裾をつまんで膝を折ります。


「教官、アリス、ありがとうございました。ユア、人間界で一生懸命頑張って、一人前の天使になってきまーす! それでは、行ってきまーす!」


 見習い天使たちが人間界へと舞い降りって行った後には、静かな空間だけが残りました。他のクラスの、―――おそらく下級生のものでしょう、授業の気配だけがほんのり耳に届きます。


「行っちゃいましたね、教官」

「ああ。しかし、このクラスはことのほかうるさいのが集まっていたからな。一斉にいなくなると淋しくなるもんだな」

「何人、戻ってくるでしょうか」

「多くて五人、ぐらいだろうな。人間界に行くとどうしても何人かは堕落したり、郷愁にほだされてそのまま居ついたりしてしまう。それは仕方のないことなんだ。その点、ユアは純粋だ。とらわれるような、余計な過去と、その記憶がない。だからこそアイツはきっといい天使になる。きっと戻ってくるよ」

「教官」


 事務官兼秘書は手元のファイルを閉じて抱きかかえました。そしてメガネを人差し指で直すと、ため息まじりに言います。


「教官はユアに甘すぎますよ。ユアのこと、かわいくてたまらない感じですよね。まあ、たしかにあの年で見習い天使二級はすごいですけどね」


 教官はニヤリと事務官兼秘書を見返しました。事務官兼秘書もうっすらと笑みを浮かべています。


「何をいうか、アリスガワ・ハルエくん。他の者の幸せを願うのは、天使の大事な仕事だ。それは人間の幸せだけではない。教え子の見習い天使の幸せであっても、同じように願ってやるべきだ。見習い天使も幸せになる権利があっちゃいけないわけがない。そうだろ?」

「フルネームで呼ぶのやめていただけませんか? 私、その名前少しコンプレックスなんです。パワハラで熾天使卿に報告しますよ? サイオンジ・ユキノジョー教官」

「ああ、悪かったよ、アリス。それと熾天使卿に報告するのは勘弁してくれ。あの人は怒ると雷撃でひどいことになるからな。あれこそパワハラだ」


 教官と事務官兼秘書は連れ立って教室を後にして、職員室へと向かいます。

 天使学園の廊下に続く窓ガラス。その外側は白い靄のような明るい光に包まれています。


「教官、明日からモニタリングに忙しくなりますわね」


 教官はフッと笑って答えました。


「とくと見せてもらおうか。見習い天使たちの活躍を。ふふ、楽しみだな」

「ええ、楽しみですね」


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