第3話 見習い天使が現れた その3


「見習い天使?」「見習い天使ですって?」


 ユアの奇想天外なセリフに思わず素っ頓狂な声が出た。期せずして柊木とハモってしまう。

 見た感じ普通の女子小学生にしか見えない。普通、天使って背中に羽が生えていたり頭にリングのっけていたりするんじゃねーの? この少女にはそんなものは見当たらないし、ぷかぷかと空を飛んでるわけでもいないし。ユアの発言に首をひねっていると、どうやら柊木も同じようなことを考えていたらしい。


「ユアちゃんは……、天使、なの? あなた、普通の小学生にしか見えないけど」

「はいっ! 見習い天使二級、あ、もうすぐ見習い天使一級ですー! 天使になるにはですねー、まず天使学校でお勉強して、試験に合格して、見習い天使二級になるんですー。そしたら人間界に降りて来られるようになるんで、そこで実地研修すると、晴れて正式な天使なんですー。わたし、今人間界で実地研修中なんですー」

「そ、そうなの……」


 よどみなく、そして少しも悪びれずににこにこと語るユアに、柊木は困惑気味だ。無理もない、俺も正直話が見えていないし、その内容は爆弾発言ものでもある。


「天使ってさ、その……、特別な能力とか、あるんじゃないの?」


 どうやら柊木は「ヤバい妄想癖を持った頭お花畑系女子への対処法」を取ることにしたようだ。きわめて慎重に、ユアを刺激しないような言葉を選びながら質問しているが、柊木が聞きたいことをずばり直訳すると、「天使である証拠を見せてみろ」ってことだ。


「生き物じゃないものをちょっとだけ動かしたり、お天気を変えたりできますよー。ほら」


 ユアがえいっと腕を振ると、古桜の枝がわさわさと揺れて、木の枝のすき間から藍染の空がちらりと見えた。……んー、なんて微妙な特殊能力。まあ確かにそよ風で揺れたにしては不自然だったけど。あまりの微妙さに俺は失礼だと思いつつ吹き出してしまった。


「じゃあ雨降らせてみてくれない?」


 柊木が辛口のツッコミを入れる。おいおい、あんまり小学生いじめんなよ。


「雨、降らせることできますよー。全力でやるから見ててくださいねー。えーーい、それー!!」


 ユアは思い切り空に向かって両手を振りかぶってかざした。

 しかし、数秒たってもなにも起こらない。空は相変わらず澄んだ群青色だ。


「えーっとですね、まだわたしの力では、雨を降らせるのに二三日かかるんですー。見習いですから、全然力が足らないんですー」


 なんじゃそりゃ。役に立たねーじゃん。にわかに雲が乱れ立ち、瞬く間にバケツをひっくり返したような豪雨が、とかできねーのかよ。少し期待した分がっかり気味な俺だが、ユアはそんなことお構いなしに得意げに説明を続けた。


「でもでも、本物の天使になったら、もっといろいろできるようになりますー。そのための人間界での実地研修なんですー」

「……なるほど、よーくわかったわ」


 結局、柊木がとりあえず場をまとめてしまった。これ以上聞いてもしかたがないとでも思ったのだろう。俺もそんな気がする。そういう俺たちの気遣いにまったく頓着していないユアは、ふふん♫ と得意げに鼻歌交じりだ。

 まあ、本人が自分は天使だというなら、そうなんだろう。深く詮索せずに適当に話を合わせておいても、俺と柊木にデメリットはなさそうだ。もちろんメリットもまったくないが。


 柊木の様子をチラ見すると、くちびるの端を噛んでなにかを思案している。眉間にしわがよって美人がだいなしだぜ。まあ柴崎さんほどじゃないけどな。柴崎さんは容姿は十人並みでも、心は超絶美人なんだ。そう、今日の青空のように!

 しかし、今日の柊木は怒ったり笑ったり表情がくるくるとよく変わる。教室で見かけていた、よく言えば清楚な、悪く言えば暗くてツンとすました印象の女子とはまるで別人だ。


「わたし、昨日人間界に降りてきたばっかなんですー。でもおねえさんたち二人がすぐに見つかったから、明日から一級に昇格です! 人間界に来てすぐ二人も見つけられるなんて、ユア、まじラッキーですー! ラッキーチャチャチャッ! ウーッ!」


 ユアはフラメンコのように手を打ち鳴らしてその場でくるりと回ると、変なキメポーズをした。「キマったね!」ときゃぴきゃぴ喜んでいる。柊木はもはやあきれ顔というよりも若干引き気味だ。

 俺もさっぱりわけが分からないが、さっきのカーテシーといい、今のフラメンコターンといい、どうやらユアは踊りとかダンスの素養があるらしいことは分かった。


「あ、わたし柊木千紘っていうの。ちいでいいよ」

「ちいちゃんですかー。よろしくお願いしますねー! わたしが立派な天使になって天上界に戻るまで」


 ユアはにこにこ笑いながら、柊木の手を取って握手をぶんぶん振り回した。そして俺の方を見て、そう言えば、と話題の矛先を変える。


「それよりも、ですねー。ケンジローさん、あ、めんどーだからケンって呼びますね。さっきのおねーさんですけどね、わたし、あれはどう見ても完全な脈なしだと思うんですよー。ケンは、あのおねーさんにばっさりがっさりすっぱりフラれたんだと思うんですー」

「あ、そうそう、その話。石塚さあ、あんた、あれはどう見てもばっさりがっさりすっぱりフラれてるよ。あの返事で告白成功した、と思って喜べるあんたの感性、私には理解できないわね」

 さっきまでの思案顔から一気に表情の変わった柊木は、ユアと一緒になって俺を糾弾し始めた。なんでいきなり俺、吊るし上げられなきゃならんわけ? 


「何言ってんだ! 今日から始まる俺と柴崎さんとのグローリアスな日々にケチ付ける気なのかよ!?」

 ここは全力で反論するところだ。俺と柴崎さんの仲を裂こうとするヤツは許さん。


「石塚、あんた、現実を直視しなさいって。ホントいい加減認めなさいよ」

「そうです! ケンはいい加減自分がフラれたことを認めるべきです!」


 ユアがご丁寧にも柊木のセリフの内容を復唱してくれる。柊木は俺の肩をぽんと叩いて、ことさら重々しく、ダメ押しで続けた。


「まあ、あれだけばっさりがっさりすっぱりフラれたら、自己防衛本能が働いちゃうのも分かるんだけどね」

「そうですよ。あそこまでばっさりがっさりすっぱりフラれたら、じこぼーえーほんのーが働いちゃいますよねー。ところで、ちいちゃん、じこぼーえーほんのーってなんですか? その言葉は『カリスマJSサイオン・ユキが教える❢❢ めっちゃ簡単★ 人間界攻略パーフェクトブック入門編』には出てこなかったですー」

「ああ、なんていうか、自分にとって都合の悪いことは見なかった聞かなかったことにする、って感じの言葉なんだけど、ユアちゃんにはまだ早いかな」

「柊木、勝手にやってろ! ユアもユアだ! だいたい俺が、俺が、柴崎さんにフラれたなんてことは、ない! 決してない! 断じてない! ありえない! ありえないんだ!」


 勝手に盛り上がる女子二人を相手に、俺は思いのたけをぶちまけた。


「それが証拠に、俺が弁当忘れて腹減って泣きそうだった時に、卵ハムミックスサンドのきゅうりが入ってるの一切れ分けてくれたし、委員会で隣に座ったときに『よろしくね』って一億六千万ドルの笑顔で挨拶してくれたし、俺が廊下でハンカチ落とした時にわざわざかがんで拾ってくれたし、俺が風邪ひいてふらふらの時に『石塚くん、大丈夫? 保健室で休んで来たら?』って言ってくれたし、まだほかにもあるぞ!」


 女子二人はなぜかじっと俺を見て黙ってしまった。そして二人で顔を見合わせる。妙に長いため息とともに、思い切り憐憫の表情を浮かべた柊木が、やれやれと言った感じで言ってきた。


「……石塚、あんたさ、まさかとは思うけど、それだけで柴崎さんがその気があると思ったの? イマドキそんな好意の示し方とか、ないよ?」


 ユアも肩をすくめがら柊木に続ける。


「ケンは、まさかそんなのであのおねーさんがケンに脈がある、とか思ったんじゃないですよね? イマドキ、小学生でも好きな人に対して、それだけしか行動しないなんて、ありえないですー。 それとも人間界ではそういうものなんですか?」

「そ、それだけで十分だろ! とにかく柴崎さんは俺に好意を持った、俺も柴崎さんを好きになった。完全無欠パーフェクト両想いで間違いないだろ!」


 俺は、ここで退いたら男がすたる、とばかりに立ち上がって、秋空の下、拳を握って力説した。俺の迫力に女子二人はまたしばらく沈黙する。

 見ろ! 反論できねーだろうが! やっぱ柴崎さんは俺と一緒になる運命なんだ! そう、これがデスティニーなんだ!


 背後の校舎から四時半を報せるチャイムの音が鳴り始めた。俺と柊木とユアの間に広がる気まずい沈黙の間を縫うように、かすれた音が割って入ってくる。


「これは……、思ったよりもこじらせてるわね。ほっとくしかない、かな……」

「相当なこじらせ具合ですー。あわれになりますー」

「こじらせヤローに付き合ってるのも時間の無駄ね。とりあえずユアちゃん、もう四時半だから送って行くよ。そろそろ帰らないといけないでしょ?」

「ちいちゃん、ありがとうございます。でも、おかまいなく、ですー。わたし、一応見習いですけど、天使ですから。でも今日はもうこれ以上収穫はなさそうなんで、引き上げますー。ちーちゃん、帰り道ご一緒していいですか?」

「もちろん、いいわよ。ファミマ、寄って行く?」


 二人は俺の熱弁をさっくりと無視して勝手に話をまとめて、ベンチから立ち上がった。そして、ひとかけらの未練もなく俺に背を向ける。俺は握りしめた拳の持って行き場がなくなってしまったので、仕方なく眼下に拡がる住宅街に向けて叫んだ。


「はるかさあああああん!」


 柊木は校門へ向かう歩みを止めて振り返り、あきれ果てた声で一言で切って捨てた。

「石塚、いくら叫んでも無駄だよ。それに、うるさい!」

「ケン、あわれなだけでなくて、クソうるさいですー。まったく、どうしようもないですねー」

 その横でユアも同調する。二人揃ってジト目だ。


 そのまま帰って行くのかと思ったら、ユアは俺と向き合ったまま、一歩前に出て胸を張って言った。


「でも、わたしに任せてください、ケン。人の願いをかなえるのが天使の仕事なんです。わたしはまだ見習いですけど、見習い天使のこのわたしが、なんとかしてあげます!」


 ユアは、えええ?という顔をする柊木の手を取ると「上手く行けばこれで一人前の天使になれちゃいますー。うふふふ♪」と笑った。そして柊木を引っ張るようにして、校門へと去って行った。


 俺は二人を呆然と見送る。


 高校生活の間の何百分の一でしかない、ただの平日の放課後の秋空は、あまりに深く、青かった。


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